プロローグ

 地球は四六億年という歳月の間に様々な生物を生み出してきた。
 
 眼には見えない小さな微生物から、全長十数メートル以上にも及ぶ巨大生物を生み出し、それらは進化の過程で滅ぶこともあれば、更なる進化を
 
遂げて現代の時代に連綿と受け継ぐ生物もいる。
 
 人類もまた、多くの生物との生存競争のみならず、ウィルスや様々な細菌や病原菌との戦いの中で免疫力を高めて着実に生き残ってきた。
 
 中には絶滅に瀕する危機が何度もあったに違いない。そしてその危機は地球という生命を育む星にもあっただろう。
 
 広大な宇宙の中にぽつんと浮かぶ小さな星にすら危険は多々ある。
 
 下手をすれば自らを砕きかねない隕石が落ちてくることもあれば、宇宙空間から様々な有害な物質が降り注ぐこともある。
 
 地球という星にも宇宙規模の岐路は数多くあったに違いない。
 
 生命を生み出すか否か、或いは空気のない別の星へと変わるか。
 
 その選択はまさに無限に広がりをみせたが、少なくない選択肢の中から地球は生命を創造し、こうして人類のみならず数多くの生物がこの星で生
 
活している。それが今現在の世界だ。
 
 豊かな生命を作り出したといっても、地球は宇宙規模で考えればちっぽけで小さく、ごくありふれた星かもしれない。
 
 文化も原始的で交流には相応しくないと感じる存在が居てもおかしくない。同時に、互いに気づかない存在も居る可能性すらある。また、その豊か
 
さを欲して羨望の眼差しで眺めながら、侵略の機会を虎視眈々と狙っている存在も居るかもしれない。
 
 人類が様々な利害を求めて綺麗事をあれこれと並び立て、今も尚、侵略と略奪戦争を互いに行っているように。
 
 人として人生を生きる上で、誰もが必ずターニングポイントを経験する。いわゆる生の中での転換期であり分岐点である。
 
 戦争行為もまた、一つの分岐点であり選択の一つといえる。するかしないかによって、多くの運命が変わるように。
 
 いや、ターニングポイントは人類のみが特別に経験するというわけではなく、生きとし生ける全ての存在が知らず迎えているに違いない。
 
 どんな存在でもやはり何らかの形で経験するのは当然だ。
 
 そして人類にとって、その瞬間は無意識に通過することもあれば、はっきりと自覚をしながら迎えることもある。
 
 例えば二人の少年が居る。
 
 彼らは出会い、反目しあいながらも求め合い、そしてまた認め合って今では共に歩いている。彼らが出会ったその瞬間に、一つの分岐点を迎えて
 
いたことを自覚はしていなかっただろう。この時出会ったことで、二人の人生が大きく変わったと言っても過言ではない。
 
 その日その時に二人が出会わなければ、何の興味も互いに抱かず、すれ違っていた可能性がどれだけ高いことか。
 
 勿論それだけでもない。一人の少年が祖父の蔵に入る行為をすることもまた、一つの大きな分岐点である。
 
 彼が蔵に入らなければ、お小遣いが足りなければ、テストで悪い点数をとらなければ、もう一つの出会いもなかった。
 
 そしてその出会いによる別れもまた一つの転換期なのだ。
 
 彼がそれを経験し、乗り越えることもまた大事な要素である。
 
 どれもが偶然でありながら必然であり、一つの流れのようにしっくりと纏まり、自然と重なり合っている。
 
 あくまでも二人の少年にとっては、その出会いはターニングポイントとして大変に重要であったが、決して悪いものではなかった。
 
 むしろ互いにとって大いにプラスになることであり、二人は人生においてかけがえのない大切な存在を得た、幸福な人間といえる。
 
 まだ若い年齢であるからこその障害は多々あったとしても、互いの強い想いがあれば乗り越えられるに違いない。そんな一生に一度という出会い
 
をしながら、幸せな結果を得られる存在は滅多にいない。
 
 だが中には、人生最悪という出会いもあれば、選択如何によっては恐ろしい結果を招くこともある。
 
 必ずしも誰もが幸福になれるというわけではないのだから。
 
 一つのターニングポイントが二人の少年のみならず、人類全体に及ぶ危機だったとしたらどうなるだろうか?
 
 いや、人類というよりも地球規模による全ての生命、果ては母なる地球自身を脅かす脅威との出会いはどのような結果を招くだろう?
 
 多くの人々が映画や小説などのフィクションの世界でしか起こらない、絵空事の物語だと考えていることが実際に起こるとどうなるか?
 
 その分岐点に訪れ、転換期を迎え、選択肢を否応なく迫られる。
 
 人はそこに立たされた時、果たしてどれを選び歩んでいくのか。
 
 そしてその瞬間が、自らの生命の危機を最も強く脅かすとしたら?
 
 愛する人の命と自分の命に、大きな危険が及ぶとしたら?
 
 人はどう行動するのだろう。
 
 自分の命を選ぶのか、他人の命を選ぶと選択するか。
 
 どんな人間でも危機的状況に陥っていない間は『あなたの命を守る』と言うに違いない。その立場になってみなければ分からないものだ。
 
 映画などでは、選択を迫られた人々は愛する者の命を優先する。
 
 それが美談であり観客の好む演出でもあるから。
 
 現実的には自分の命を優先する者も多い。その一瞬、誰もが無意識に生命を天秤にかけていないとは、必ずしも言い切れないに違いない。
 
 自身の命よりも愛する者を優先するという選択を行うには、無意識下であったとしても、相当な勇気が必要なのは事実である。
 
 自身の命を護りながら、愛する者の命と心を護るのは、更に困難を要する。精神力も体力も勇気も、全てを賭しても難しい選択だ。
 
 しかし命は危機的状況に陥れば陥るほど、困難や逆境を乗り越え、回避する方法を自然と導き出す。
 
 それこそが生命の持つしぶとさであり、強さでもあるのだから。
 
 人類史上、或いは地球史上最大かつ最悪の危機は、ごくごくありふれた日常の中から始まる。想像を絶するパニックを引き連れて。
 
 全ての生命に最も恐ろしい危機が訪れた七日間の日々が――。



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