途中で気のいい夫婦に車に同乗させて貰い、三人は七日間の旅を経て東京へと帰り着いた。噂で聞いた通りに、東京の永田町や都庁周辺などは壊滅的な
打撃を受け、廃墟と化している。他にも多くの街が壊され尽くしていた。
だがそれだけの破壊行為を受けたというのに、街では人々が茫然と指を差し、希望と困惑が入り混じった顔でそれを見詰めている。
彼らが見詰めている先にあるのは、突っ立ったまま動かなくなっている幾つもの戦闘機械だった。円盤が有名な高級ホテルに突き刺さり、東京タワーの横に
は戦闘機械が立っている。どれもが元の銀色から灰色に変わり、ボロボロに崩れていた。
三人はそれらの奇妙なオブジェを見詰めながら、困惑を胸にアキラの自宅にやってきた。そこには両親の姿こそなかったものの、芦原と緒方が壊された玄関
先の瓦礫を片付けていた。緒方は白いスーツを汚してスコップで瓦礫を掘り、芦原は手作業で折れた木材をどけては、時折鼻を啜っている。
「緒方さん、芦原さん」
アキラに声をかけられ、二人は手を止めてゆっくりと背後を振り返り、幽霊でも見たようにあんぐりと口を開けた。
「良かった!アキラ~。生きてたんだな」
「だから言っただろう…アキラ君は大丈夫だと」
芦原はぼろぼろと涙を流してアキラの無事を喜び、緒方はいつもの皮肉げな口調で誤魔化してこそいたが、目元にはうっすらと涙が溜まっている。彼とて芦原
の不安が杞憂であることを祈っていたのだから。
「あの…お二人はどうしてここに?」
「アキラがもし東京に戻ってきてたら、この家に帰ってるだろうと思って。でもここ数日間避難所にも来ないし、心配になってさ…」
「様子を見にきたらこの状態だったんでな、こいつが下敷きになってるかもしれないとか言って、大騒ぎしたんだよ」
「スコップ持ってこい!とか言って騒いでたのは緒方さんじゃ…」
「うるさい」
緒方は芦原に皆まで言わせずに不機嫌そうに黙らせると、胸元を探って煙草を取り出そうとして、ないことに気づいた。苦々しげに溜息を吐き、丁度いいから
禁煙するかと、埒もないことを考える。とにかく無事でよかったと、感涙に咽び泣きそうになっている芦原を宥めながら、アキラは止まっている機械を指差した。
「アレは一体どういうことなんです?」
「二日くらい前から奴らの状態がおかしくなってな、機械も何もかもが動かなくなってきたんだ。今朝方まで一台だけ動いていたんだが、それも今日になって活
動を止めた。ニューヨークでは巨大円盤が墜落して、とんでもない騒ぎになってるらしい」
「東京タワーの隣に立ってるのが今朝まで動いてたんだ。原因はそのうち究明されるだろうけどね。少なくとも奴らはもう攻撃してこない」
アキラは背後を振り返り、今にも動き出しそうな状態のまま止まっている戦闘機械を見上げて、再び二人に顔を向けた。
「……本当に?」
「ああ、間違いない。既に奴らが死んでいることは、調査隊が確認して判明済みだ。理由はそのうちおいおい分かるさ」
「さっき非常事態宣言は解除されて、救済宣言が出されたんだよ」
三人は聞きなれない言葉に、不思議そうに首を傾げる。
「救済宣言?」
「そう、人類の攻撃で倒したわけじゃないのに、勝利宣言にするのはおかしいだろう?だから救済宣言なんだよ」
「地球はたまたま救われただけの話だからな、救済なのさ」
なるほどと納得できるような、できないような複雑な面持ちで、三人は芦原と緒方に連れられ、彼らの臨時避難所に足を向けた。
その避難所とは、ヒカルの祖父の自宅だった。旅行前に一度訪れたばかりなのに、とても懐かしく感じながら庭に足を踏み入れる。
するとそこには、彼らの帰りを待っていたそれぞれの家族が集まっていた。
ヒカルの姿を見つけた美津子は泣き崩れ、進藤家の面々はかわるがわるヒカルを抱き締め、無事を心より喜ぶ。
「アキラさん?」
思わぬ母の声にアキラが驚いて振り返ると、旅行鞄を持って歩いてきた明子は荷物を捨てて走りより、抱き締めてくる。
日頃は大人しい母の意外な姿に驚きながら横を見ると、普段は表情を崩さない行洋ですら、目頭を押さえて涙を零していた。
「清春っ!あんたよう無事で…」
社の母はそれ以上言葉にできず、背の高い息子の腕に取り縋って嗚咽を噛み殺す。父もまた、無言のまま肩に手を置き、ねぎらうように髪をくしゃりとかき
混ぜてきた。誰もが絶望と希望の狭間を行き来しながら、家族との再会を待ち侘び、そして無事を祈り続けていた。
家族の対面に芦原はもらい泣きをし、緒方はそっと空を見上げた。
アキラの両親は空港から出たところで騒ぎに巻き込まれ、各地の避難所を転々とし、たまたま進藤家に訪ねてきたところだった。社の両親も同様で、機械の
攻撃を避けて隠れ続け、非常事態宣言が解除された放送を聞いて塔矢邸に訪れ、二人にここへ案内されてきていたのだ。
親子の対面は数あれど、今回のようにそれぞれの家族が一人も欠けず、無事に再会できたケースは非常に珍しかった。
地球にとって最大の危機が訪れた七日間はこうして終わったが、全てが終わったわけではなかった。
彼らの前には復興という大きな壁が立ちはだかり、人々の生活は文明の破壊により大きく変わることとなる。
七日間に及んだ侵略戦争の被害は膨大なもので、最終的な報告によると、人類の約四分の一以上が死滅し、五十カ国以上が国としての機能を完全に失い、
事実上歴史から消えることとなった。
そして生き残った人々は後にこの七日間を『死の七日間』と呼び、地球最大の危機をもたらした日々を、終なる教訓としたのである。
エピローグ
あれから一年が過ぎ、アキラとヒカルは十七歳になっていた。この一年の間はまさにあっという間の出来事であった。
壊れた棋院会館は建て直され、攻撃で亡くなったタイトルホルダーの空位を巡ってのタイトル戦が開催され、他にも多くの棋士が命を落とし、囲碁界は活気づく
どころの話ではなかった。だからといって、囲碁を愛する人々の情熱がうせたわけではない。
北斗杯は時期こそ遅れたが年内に開催され、日本チームは準優勝を果たし、その活躍で多くの人が活気づいた。
幸いにもヒカルやアキラ、社にとって親しい友人達や知人は無事で、皆で囲碁の復興活動を行っている。
異星人の使っていた機械や遺体についても、各国の共同研究チームによって徐々に謎が解明されつつある。
囲碁界だけの動きだけでも色々とあるが、一番大きいのは全世界的な人々の意識改革が進んだことだろう。
それを推し進めたのは他でもない、異星人が滅んだ理由である。彼らの肉体を解剖した上での、確かな結果は意外な答えだった。
人間や様々な動植物にとっては当り前に共生している、細々とした雑菌や微生物が、彼らの死の原因であったのだ。
彼らの住んでいた環境では、菌や微生物といったものが一切存在しなかったらしい。恐らく彼らはそれらを完全に淘汰したかで、何千年も何万年も前から菌に
対する免疫性を失っていた。人間は体内にあるビフィズス菌の助けを借りることは当り前だ。
土や海には有害な物質を分解する微生物が住み、地球環境の悪化を救う一つの助けとなっているのは周知の事実である。
他にも様々な生物が微生物や菌との共生関係を作っているのは、地球という天体においては当然の成り行きだ。
人間も動物も、共生しなければ生きてはいけない。つまりは、彼らとは全く正反対で異なる世界なのである。
自分達の世界にないものを理解するのは至難の技だ。
ましてや雑菌や微生物は目に見えるものではない。元からあることすら知らない者からすれば、最初から防ぎようのないものだった。
人間にとっては空気を吸う呼吸は当然でも、彼らにとっては生物兵器や化学兵器を浴びたり吸い込んだりすることと全くの同義である。特に最悪の選択は、
ヒトの血を自らの栄養源として摂取したことだろう。彼らは知らず知らずのうちに、直接的な方法で猛毒を体内に取り込んでしまっていたのだから。
彼らが自分達の過ちに気づいた時にはすでに遅かった。
船内に入り込んできた様々な菌やウィルスに冒され、一週間ともたずに全滅することとなったのだから。
最初の攻撃をした一日目で、彼らは仲間を予想外に失うこととなった。それは人類の攻撃ではなく、地球を護るために常に見えないバリアを作っている多くの
小さな生物達だった。共生環境を作り出した地球を護る小さな衛兵隊である。
生物が全て知らないうちに助けられている、眼に見えない仲間達。彼らのお陰で、地球は滅びず、また人類も滅ぶことはなかった。
そういった事実から、地球人は互いにいがみ合うより手を取り合うという動きが広まり、全世界的な和平が進んでいる。
中東では宗教戦争で争うよりも、二度と彼らがやってこない保証がないからこそ、地球環境を保全するという意識が高まった。
大国は壊滅的なダメージを受け、人々の貧富の差の拡大は一挙に減った。乱暴な物言いをすれば、誰もが貧乏になったからである。
世界的に地球環境を護るという動きが出たのは、環境を保護することで免疫力が高まり、奴らに対抗できるという観点からだ。
少なくとも、人間の思考は一年で随分と変わったことは確かだった。
つまりはそれだけ、人類にとって七日間の経験は、手痛いお仕置きと同様の効果をもたらしたともいえよう。そしてそれは数十億の犠牲の元に成り立っている
ことを、忘れてはならないのだ。
一年の間に、ヒカルとアキラの周囲にも変化が訪れた。
どういった意識改革かは不明だが、日本や他の国々で同性婚が認められるようになり、カミングアウトするカップルが実に多かった。
アキラとヒカルに関しては、周囲が面白がっていつ結婚するんだとからかい混じりに尋ねることがしばしばある。
人々にとってみれば、エイリアンに攻撃されたことに比べれば、同性同士の恋愛など大騒ぎするほどではなくなったのかもしれない。
二人は現在、一緒に暮らしている。社は大阪に戻り、元気に囲碁の復興に励んでいる。
来年十八歳になったら結婚する予定をアキラは立てているのだが、ヒカルが中々頷いてくれないのが、幸せな目下の悩みである。
彼の行動力ならば、いつか必ず成就させることは間違いないだろう。
ヒカルは彩を引き取り、アキラと一緒に暮らす家で大切に飼っている。相変わらず賢く可愛いいと、二人は猫可愛がりしているほどだ。
こうして今を幸せに暮らせていられるのは、あの七日間を後悔しないやり方で生き抜いたからこそだと、ヒカルは思うことがある。
自分達なりに生きるために様々なことはしたが、それは全て彼らにとっては納得のいく形の上だった。
恐怖にかられ、他者を蹴落とし、生き抜いた人々にとっての今の『生』は贖罪の日々であるかもしれない。
炎に包まれる街の幻覚を見たり、自分が見殺した相手の顔を思い出しては、夜中に飛び起きて一人懺悔する者も居るだろう。
事実を受け入れ、起こってしまった出来事を何度も反芻しながら。
それでも、彼らは未来へと歩んでいく。希望があるからこそ、前へと進んでいく。
それこそが未来を託された自分達の役目なのだと。
少なくともアキラとヒカルは、そう信じていた。
2006年6月5日 脱稿/2022年5月8日 改稿
もう一つのエピローグ
「う…わぁぁぁー!」
深い眠りの中にいたアキラは、ヒカルの絶叫で眼を覚ました。
すぐさま跳ね起きてヒカルの様子を見ると、ひどく怯えている。
あやすように抱き寄せたのにも気づかないほど、ヒカルは恐慌をきたしていた。一体どんな恐ろしい夢を見ていたのか、肌は冷汗に
濡れて粟立っている。よほど怖い夢だったのだろう。アキラはヒカルの肩を抱いて、より自分に引き寄せた。
「塔矢、塔矢…」
必死に温もりを求めるようにしがみついてくるヒカルは、襲いくる夢の残滓にひどく怯えているようだった。
歯が噛みあわずにカチカチと音を立て、身体が恐怖と悪寒に小刻みに震えている。ぎゅっとパジャマを掴んでくる指は白くなり、ヒカルが
今どれだけ恐怖を感じているのか、アキラにも伝わってきた。
「大丈夫、大丈夫だよ、進藤…」
頭をゆっくりと撫でて、温もりを与えるように背中を擦ってやっていると、ヒカルは次第に落ち着きを取り戻していった。
さっきまで青ざめていた顔色も、元の色に戻りつつある。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
ヒカルの呼吸がある程度落ち着くと、もう一度布団に寝かしつけ、アキラは顔や額、指先に口付けを落としながら控えめに尋ねる。
「うん……凄く怖い夢……。覚えてないけど……とにかく怖かった。あぁ…夢でよかった」
ほっとしたように息をつき、ヒカルはアキラの胸に頭を埋めてくる。
「……覚えていないのなら忘れてしまうといい。ここに居るのがキミだ。キミはここに居る、ボクもね。だから安心して」
頷いたヒカルを抱き寄せると、冷えないように布団をしっかりとかけ、背中を叩いてここに居ると知らせてやる。
程なく寝息が聞こえ、アキラは小さく溜息を吐いた。
アキラもヒカルの声で起きるまでは、とても長い夢を見ていたような気がした。だが眼を覚ますと同時に頭からすっぽりと記憶が抜け落ち、
内容については判然としない。少なくとも分かるのは、その夢はヒカルが見たように怖い夢だったということだ。
同じ布団で寝ていたからかどうかは分からないが、何となく気になる奇妙な類似点である。
あの長い夢は普通の夢とは違って、ひどく現実感があった。とても夢だったとは思えないほど、別世界で本当に起こっていることを体験し
ているような、肌に纏わりついてくる生々しい感触があり、アキラは夢の中でそれが現実だと認識していた。
これが夢なら早く終わって欲しいと、本気で思ったほどに。
アキラですらそう思うほど、夢で起こった出来事は恐ろしかった。覚えていなくて良かったと今更ながら思う。
ヒカルが言っていたように、アキラも起きてから感じたものだ。
『あぁ…夢でよかった』と。
けれど、夢の終りは救いがなかったわけではない。
ヒカルは途中で耐え切れなくなったのかもしれないが、アキラはまるで映画を観ているようにエンドロールまで見た気がした。
だから、ヒカルはあんなにも怯えなくてもいい、夢は夢でも、その先にあるのはきっと輝ける幸福な未来なのだから。
二人で居れば、自分達はいつも幸せを感じていられる。
とはいえ、少なくとも今の自分にとって、夢であったのならそれはそれにこしたことはない。
夢の内容がどうであれ、ヒカルに怖い思いをさせたくなかった。こういうところが、ヒカルを甘やかしていると言われる所以だろう。
だがアキラには、ヒカルを甘やかしているという自覚はない。自分でも自覚があるのは別のことだ。アキラは基本的に好きな相手にはとこ
とんまで尽くすタイプなのである。女性に見られがちなタイプだが、男にもないわけではない。潜在的にはかなり多いはずだろう。
それもあって、アキラはヒカルに愛情を示して尽くす代わりに、他人に対しての思いやりが欠けているようにも感じる。
表面的にはそれを示すが、実際は常識の範囲内だからしているだけで、本当に相手を思いやっているかどうかは疑わしい。
恐らくアキラは、危険な状況に陥った時は、自分ではなく尽くすべき相手であるヒカルを優先する。アキラにとってはそれが当然の行動に
なるのだ。理由なんてない、したいからそうするだけである。
アキラはヒカルの前髪を掬って額に口付けを落とすと、愛しげに幼い寝顔を見詰める。大切な、愛しいアキラの宝物。
自分達の見た夢が何であれ、現実はここにある。明日も、明後日も、明々後日も。
毎日の積み重ねによって未来は確実にやってくる。どんなことがあっても、乗り越えていける。
二人が共にある限り、未来はきっと大空のように開けている。
取り敢えず、今はゆっくり眠ろう、怖い夢はもう忘れて。
愛しい人と共に、幸福な夢の訪れを待ち侘びながら。
2006年6月5日 脱稿/2022年5月8日 改稿
個人的に好きな映画「宇宙戦争」をオマージュして書いた話です。
書いた当初は、大団円とシリアスな内容を目標に掲げていたように思います。
随分とあっさりとしたラストになっていますが、これは必然の展開でした。
あくまでも彼らは一般市民であり、人類は無力な存在であるという設定が大前提でしたので。
囲碁で地球を救うという展開にしたら、棋士レンジャーと同じノリになりますし(笑)。
とはいえ、この話の内容は今の社会情勢と照らし合わせても、現実の過酷さとは比べ物にならないほど生温いものだと思います。
平和な世界の実現を、心から願うばかりです。








