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△月◎日(117局〜118局/若葉の迷宮5)

お父さんとsaiのネット碁対局の翌日病院に行くと、進藤と偶然会った。
緒方さんが脅かすから、ボクの乗っていたエレベーターに飛び込んで逃げてしまったから、すれ違いだったけれど。
一瞬眼が合った進藤は、大きな瞳を零れんばかりに見開いて可愛かった。頬がほんのりと上気していて色っぽさもあって…って何を考えているんだ!しかし…勿体無いことをしたな。あの時、ボクも同じエレベーターにとって返しておけば良かった。
それにしても前々から思っていたが、緒方さんとは一度きっちりと話をつけておく必要があるな。
このボクを差し置いて、ボクの進藤と二人きりで話すだなんて無礼千万!しかもあんなにも傍で!!
その場に居合わせなかったが、ボクには分かる。進藤のことを一番理解しているボクだけが分かるっ!
進藤のあの細い肩を掴んでいたな〜!そして脅すように胸倉まで掴んでいただろう!!
許すまじ……っ!何があっても許してなどやるものか〜!!!
たっぷりと呪っておかなければなるまい。しばらく安穏とした生活ができないようにしてやる。
今後、進藤の半径一メートル以内に近づかせないように眼を光らせなければ!
これでもし進藤に触れたりなんぞしたら……二度と日の当たらない場所に放り込んでやる。
例えば暗い土の下とかね………ふふふ。

私情はさておいて、緒方さんは緒方さんなりに何かを掴んでsaiと進藤を別人だと思っているらしいが……ボクの考えとは違う。
いや、はっきりとした答えがあるわけでもないし、ボク自身がちゃんとした答えを出せない。
saiと進藤は知り合いじゃない…と思う。おかしな表現だが、出会った頃の進藤がsaiなんだ。
ボクにもよく分からない。ただ一つ言えることは、進藤がすべての謎の鍵を握っているということだけ。
お父さんと進藤がどんな会話をしていたのかは気になるけれど、saiの問題はそれとは別になる。
素晴らしい対局だった。塔矢行洋の碁に恥じない見事な一局だったのは確かだ。
でも何故なんだろう……あれほど素晴らしい対局を見たのに、あの対局が終わってからというもの、妙な胸騒ぎがする。ひどく漠然としたものだけど、気になって仕方ない。まるで進藤がどこか遠くへ行こうとしているような焦りを覚える……有り得ないのに。
ボクも囲碁も何もかも捨てて、手の届かない場所に行こうとしている気がする。どうしてなんだろう?
嫌な予感がする。何事もなければいいんだが……。


△月◆日(119局〜120.5局/若葉の迷宮5.5)

十段戦のお父さんの棋譜はこれまでにないほど変わったものだった。
一言で言うと、塔矢行洋らしくない碁、だ。
あの手堅い碁が、バランスよく均整のとれた碁が、これまでと変わって大きく方向性を違えていた。
いや……変わったという表現は語弊があるな。むしろ斬新だったと表現すべきだろう。
タイトル戦の、しかも最終局だというのに、面白い手をどんどん打っていた。
碁が若くなり、完成されつつあった碁が更に一皮向けたような印象すら与えている。
それなのにどうして、引退を考えたのだろう?引退の理由はお母さんも、そしてボクにも分からない。
お父さんに一体どんな心境の変化が訪れたのだろうか……?
けれど碁を打っている時の生き生きとしたお父さんの表情を見ていると、そんな疑問もどこかに行ってしまう。
引退発表をしてから沢山の人が家に来ていて、お父さんはその人たちととても楽しそうに碁を打っている。
様々なしがらみから開放されて、自由に碁を打てる環境を心から謳歌しているようにすら見える。
お母さんも言っていた。お父さんは「思い悩んでいるような顔をしていない」と。
これまでずっと第一線で活躍してきたお父さんには、自分なりの考えがあるのだろう。
お父さんの好きにさせてあげたい。そしてお父さんが抜けた穴は、ボクが埋めてみせる!


△月▽日(121局〜122局/若葉の迷宮5.5)

昨日から一泊して、今日は中部総本部での手合だった。さすがに遠出すると少し疲れてしまった。
中部総本部の人も棋院関係者の人達と同じくお父さんの引退のことで動揺しているようだったけど、家族としてはそっとしておいてあげて欲しいというのが本音だ。理由はどうあれ、お父さんにはお父さんなりの考えがあるのだから。
中部総本部では一柳先生とお会いしたけれど、いつもとまるで変わらず落ち着いたものだったな。相変わらずお喋りな人だ。
まあ、家に訪ねてくる人達も殆どが同じような印象だったんだけど。棋士という仕事柄、何かしら通じ合うものがあるのかな。
一つ、気になることがあるとするなら、倉田さんだ。進藤と碁会所で打ったと言っていた……このボクを差し置いて!
なんということだろう!進藤は可愛いから色んな奴らにどんどん目をつけられていくじゃないか!
これはうかうかしてられないな…進藤に近付く輩を排除する手立てを、もっと講じなければなるまい。
まさか倉田さんまでもが進藤に注目していたとは……盲点だった。ただのトドデブじゃなかったんだな。
それにしても、ひどいよ進藤!プロになったキミと碁会所で打つのはボクが初めてというシチュエーションを作りたかったのに!キミの初めては全てボクで埋めたいのが正直な気持ちなのに……。
でもボクのこの気持ちを無視するキミもまた可愛いくて堪らない!ああ……会いたい。会いたいよ、進藤。
キミの名を聞くだけで胸が一杯になって会いたくてどうしようもなくなる。囲碁すら手がつかなくなりそうだ。
ボクは会えないキミが恋しくて、どんどん想いを募らせている……って何を書いているんだ、ボクは!
いやいやいやいや……いくら可愛くて、可憐でラブリーキュートで綺麗でも、進藤はだっ!オ・ト・コ!落ち着けボク!
けれど倉田さんに負けた時に悔しがる進藤の姿はさぞや可愛かっただろうなぁ……萌え〜!
………はっ!今ボクは何を書いてしまったんだ!?
「萌え〜!」ってこれじゃどこかのア○バ系オタクみたいじゃないかっ!
マズイ…だんだん日記が変態じみてきている。もっと自分らしく、落ち着いて、冷静に書かなければ。
ここはやはり碁のことを書くべきだな、うん。まずは手合にしよう。よし、書くぞ……えーっと…………。
中部総本部での手合は、問題なく勝つことができた。
おしまい。
……ってそれだけかっ!?もっと他に書くことはないのか、ボク!
他、他、他に何か………ダメだ…。棋譜も整理もしてしまったし、何一つ思いつかない。なんてことだ!
対局が終わってからも、東京である進藤の対局の結果とかしか考えられなかったからな。
結局全て進藤がらみか…それならそれで仕方ない。ボク自身、彼のことが気にならないと言うと嘘になるのだから。
saiの一件以来、ボクはずっと整理のつかない頭で考え続けている。
キミは何故、ボクの前に現れたのだろう?何故ボクはキミを追い、キミはボクを追うのかと。
その答えはいつか分かる日が来るのだろうか?


◇月×日(129局/若葉の迷宮6)

進藤が手合に来なかった。今日こそキミの対局を見れると思ったのに……。
対局が始まるギリギリまで待ったけれど、進藤が姿を現すことはなかった。
どうしたのだろう?体調を崩したのだろうか?
でもそれなら、事務局に連絡がきている筈だ。今日の帰りに事務員さんに尋ねたけれど、誰も進藤の欠席の理由を知らなかった。急に具合が悪くなった進藤がもし連絡を忘れていたとしても、親御さんが連絡もしないなんて、有り得ないし。
事故や事件に巻き込まれた可能性があるなら、既に事務局にも連絡がきて大騒ぎになっている筈だ。
何よりも、進藤の窮地をこのボクの第六勘が見逃すはずがない!!!
そうなると一番納得がいくのは体調を多少崩したと考えるべきだが、この場合は親御さんからの連絡がある筈だ。
結局考えは同じところに戻ってきてしまう。体調不良でないとするなら…一体どうして…?
語弊は悪いが、他に考えられる可能性は進藤が手合をサボったということだ。
でも、彼がそんな事をするとはどうしても思えない。進藤は派手な外見とは裏腹に、囲碁については非常に真面目だ。
真剣に取り組んでボクを追ってきている。それは間違いない。
……いや、真剣だからこそ、大切にしているからこそ彼は来れなかったのかもしれない……?
何故こう思ったのか自分でも分からないけれど、ひどく気になるな。進藤はどうして来なかったのだろう。
今日の対局は中々集中できなかった。進藤のことが気になって、頭から離れなくて……。
進藤が来なかったという事実に、ひどく動揺してしまっている。あの嫌な予感が再び頭を擡げ始めて…胸騒ぎがする……。
進藤…手合に来ないなんて、キミに何があったんだ!?


◇月○日(129局/若葉の迷宮6)

今日の若獅子戦にも、進藤は来なかった。
事務局にも病欠の連絡は来ていないという。親御さんからも取り立てて連絡もないそうだ。
進藤は手合をサボっている!?一体どうして!?何があったんだ!?
若獅子戦での対局中も、考えることは進藤のことばかり。碁に集中できなかった。
冷静に打っていたつもりだったけれど、荒れた碁になっていたという自覚はある。自分の感情を完全にコントロールできていない。まるで囲碁部の三将戦の時のように苛立ちが募って、感情が前面にでてしまった。
あれからもうすぐ二年になるというのに、ボクは少しも成長できていない。
歴戦の棋士と戦ってきて、精神的にも碁打としても自分自身を少しは高められたと、自分なりに思っていたのに。
ダメだ!こんな碁を打っていては……!ボクはまだまだ修行が足りない。これでは、優勝できても少しも嬉しくない。あの場で笑顔でいるのがどれほど苦痛だったか……。悔しくて、悔しくて、堪らなかった。不甲斐ない碁を打つ自分が、許せない。
……進藤のことを考えるだけで、他のことに意識が向かなくなっている。
キミに会いたい。会って確かめたい。
どうして手合に来ないのか。何故碁を打たないのか。
キミ自身の口から聞きたいんだ。その理由を。碁を打たなくなったわけを。
……ボクはもう…我慢する気はない。


◇月▽日(130局/若葉の迷宮6)

もう打たないだと!?ふざけるな!
なんのためにプロになったんだ、キミは!ボクと戦うためじゃなかったのかっ!!
進藤が手合に来ない理由も、なぜ打たないのかも、何も分からないままだった。
今日は手合もなかったから、進藤の通う中学校に直接赴いて彼から事情を聞くことにしたけれど、進藤はちゃんと理由を告げないまま逃げてしまうしで、原因も曖昧なままになっている。無駄骨だったのだろうか……?
ボクにはキミが何を考えているのか分からない。キミが何を思ってあんな事を言ったのか分からない。
今まで近く感じられたキミの気配が、今はひどく遠く感じられるのは何故なんだろう?
図書室で何をするでもなく、椅子に座って顔を伏せていたキミ。随分久しぶりに会ったと思ったのに、まだ二ヶ月経っていなかったなんて信じられない。それほどキミの様子は、会えなかった短い期間に大きく変わっていた。
少し見ない間に身体は細くなって、急に背が伸びていた。細くなった身体が背丈が伸びるのにまるで追いついてないみたいに。
顔の線には柔らかさはまだあったけど、雰囲気も変わって全体的に小さくなっていた。
会えない間に子供らしさよりも大人っぽさが増していて、正直驚いたのが本音で……綺麗だった。
対局に出ない理由を聞きに行ったのに、思わず一瞬見惚れてしまった。
でも……進藤に直接会ってみて、収穫が全くなかったわけじゃない。
進藤は本心では碁を打ちたいと思っている。本音では打ちたくて堪らないのに、無理に打とうとしていない。
棋院に対してもはっきりとした態度をとれないのも、ボクから逃げ出したのも、その想いからだ。進藤が手合に出ない理由、打たない理由……これらについてはボク自身にもはっきりとは分からない。けれど、彼の言葉の端々にそのヒントがあったように思う。
「オレなんかが打ってもしょうがない」と進藤は言っていた。恐らく、進藤は自分に才能がないから、実力がないから打っても仕方ないと言ったつもりなのだろう。彼の少ない語彙からではそう解釈するしかなかったが、多分間違っていまい。
一途にプロを目指して、ボクを追ってきたキミが何故急にそんな事を考えたのか理解不能だ。
ボクは、キミに才能がないとは思わない。むしろ「天賦の才がある」とはっきりと断言できる。
囲碁部の三将戦でのあの拙い初心者の碁から、一年半にも満たない期間でプロになれる者がどれだけ居るだろう?
そんな存在は滅多に居ない。それこそ天文学的な確率になるに違いない。
越智とのプロ試験最終戦や、韓国の研究生との一局には、進藤の眠れる才能がどれほど溢れているか。
進藤が気付いていないだけで、その片鱗はそこかしこに見られる。
彼がどれほどの大器なのかボクにも全く推し量れない。それだけ進藤の才能は底知れない。
進藤は不朽の名作と呼ばれるような絵画のデッサンであり、ダイヤモンドの原石であり、蕾の花だ。
これから絵画として色が与えられ、宝石として研磨され、大輪の花を開くために水や栄養を吸収せねばならない時だ。
絵画は鮮やかな色付があってこそ名作となり、宝石は輝いてこそ宝石だ。
そして花は栄養を与えられなければ枯れてしまう。今ここで彼が歩みを止めてしまっては、何もならない。
ボクは何のためにキミと出会ったのだろう?その答えは最初から出ていたのかもしれない。
自惚れでなければ、ボクはキミと出会えた理由をこう思いたい。
不朽の名作のカンバスに色を塗るための筆であり、ダイヤモンドをより輝かせるために研磨する石であり、花に栄養と水を与える役目を担っていると。ボクはキミのためだけに用意された存在なのだと。
デッサンのできているカンバスを仕上げるために、一番肝心な色を決めるのはキミ。
カッティングによって宝石をより輝かせられるように、研磨用の石の硬度を自由自在に変えるのもキミ。
花に与える栄養素の種類や与える水の分量なども決めるのもキミ自身。
時と場合によって、進藤に一番必要なものを与えられるように用意されたのが、ボクだと思いたい。けれど進藤は…自分に才能などないと思っているのだろうか。それとも、ボクが彼の才能を認めていないと信じず、そして理解する気もないのだろうか。
キミは何を考えている?何故「もう打たない」と言い切れる?何を求め、思い悩んでいるの?
ボクではキミの力になれないのか?けれど、ボクが進藤に手を差し伸べたとしても、キミは手をとることはない。自らの力で這い上がることを選ぶだろう……そんな気がする。だが今の進藤は全てから眼を逸らして逃げようとしている。ボクの眼の前から逃げ出したように。
そういえばあの時、逃げる進藤を追いかけようとしたボクを、咎めるように見詰めたてきた険しい視線…。
覚えがある。あの視線はどこかで……感じたことがあった。
ボクはオカルトは信じない。しかし、あの時感じた視線は確かに、初めて進藤と碁会所で打った時に感じたものだった。
葉瀬中で確かに、見えない誰かがボクを見ていた。ひどく厳しい目で、進藤を追い詰めようとするボクを責めるように。
視線の主は誰なんだろう……もしかすると………。
いや、考えても仕方ない。答えがあるとするならば、それはきっと進藤が持っている。
進藤、キミをこれまでにないほど遠く感じる。どうか……ボクを置いて行かないで。独りぼっちで彷徨わないで。
お願いだから、ボクのところへ戻ってきて……キミをもう見失いたくない…進藤。