CoolCoolCoolCoolCool   長い夜U長い夜U長い夜U長い夜U長い夜U

 洞府は夜になるとどことなく怖い感じがする。広い庭は暗闇に紛れ、渡り廊下の柱は月明かりに細長い影を落とし、床を 
歪んだ縞模様に彩る。どこからか梟の鳴き声が聞こえてくると、より一層暗い雰囲気が醸し出された。 

 黄天化は渡り廊下を歩きながら、梢の擦れる音や屋根の軋む音がする度に足を止めて周囲を見回した。 
 いつもならこの廊下も何一つ気にせず歩くのだが、今夜は少しばかり勝手が違う。太公望に気味の悪い怪談話を散々聞か 
されたお陰で、日頃気にしない事まで気になって仕方がないのだ。
 
 封神計画が終わって姿を見ないと心配していたら、ひょっこり顔を出して天化の大嫌いな怪談話をたっぷりした上に、食 
事も食べるだけ食べて姿を消してしまった。あちらこちらをふらふら歩き回って、皆をやきもきさせた挙句にこれである。 
文句を言おうにも、逃げ足の速さでは太公望には誰も適わない。 

 バサバサと鳥の飛び去る羽ばたきが耳を打ち、思わずビクリと身体を竦める。知らずすっかり立ち止まってしまっていた 
自分の不甲斐なさに大きく溜息をつくと、再び歩を進め始めた。 

 多くの妖怪仙人と戦い、勝ってきたのに今更幽霊話にビクビクするなんて馬鹿みたいだと思う。別に女の子のように大騒 
ぎするほど恐怖感がある訳ではない。ただあんな話をされると、どうにもこうにも気になってしまうだけなのだ。言い訳め 
いていてすごく嫌な感じはするが。 

 角を曲がると明かりが漏れて廊下を照らし出す光が見え、今度は安堵の息をついて歩みを速める。 
 ノックもそこそこに駆け込むように入ると、自分とは対照的に、寛いだ様子で髪を拭くこの部屋の主人と眼が合った。誤 
魔化すように笑いかけて、師であり恋人でもある清虚道徳真君の傍に腰を降ろす。 

 真横に来ると仄かに寝具に焚き染められた香が鼻孔を擽り、情事の予感を感じて天化は頬を僅かに赤く染めた。 
 夜具に香を染み込ませるのは、道徳なりの誘い方なのである。身も心もほぐすような柔らかな香りに乗せ、言葉の代わり 
に天化にそれを告げる。初めての夜を含めても回数は多くないが、たまにこうされると道徳も求めてくれているのだと思え 
て凄く嬉しい。さすがに最初はそんな事に気付く余裕はなく、何度目か行為で記憶を掘り返し初めて合点がいったのだが。 

 久々のことに胸が高鳴り、天化は瞳を早くも瞳を潤ませ始めていた。 
 だが道徳はそのことに少しも気付かず、弟子に微笑みながら問うように首を傾げてみせた。 
「今夜は随分早く来たね。珍しく露天風呂にも入ってなかったし」 
 肌を重ねるようになり、褥を共にするのが当然になって随分経つ。道徳には天化の訪問は日常の出来事になっていた。 
 それが多少早くなったところで、道徳にとってはさして驚きではない。そんな事よりも、天化が特に気に入っている露天 
風呂に浸かっていなかったことの方が彼には意外に感じられる。 

 毎晩露天風呂で長湯をする天化が今夜に限って部屋にしつらえてあるシャワーを浴びるに留めたのだ。 
 天化の生活習慣を知る道徳としては、この行動は妙である。しかし理由は何一つ思い浮かばない。 
「今日はちょっと気分を変えたかっただけさ」 
 怪談話のお陰で露天風呂に入るのが少し怖かったとは、天化としては口が裂けても言えやしないのだ。 
 内心舌打ちをしたい気分だったが、平静を装って答えたのが功を奏したらしい。幸いにも道徳は納得したようだ。余り突 
っ込んだことを訊かれて応えられなくなる前で良かった、と天化は胸を撫で下ろす。
 
 昼間、太公望の食事作りに追われて怪談話を全く聞いていない道徳には、想像もできない理由だから無理もないのだが。 
 道徳は手拭を首元から外して椅子に掛け、天化に用を尋ねるように、にこりと笑いかけた。早く天化が来る時は修行の事 
などで用事があるのがもっぱらで、今夜もそうだろうと彼は解釈したらしい。 

 しかし、今夜の天化にとってその笑顔は気が引けるだけである。何故なら大した用がある訳でなく、ただ単にたった一人 
で広い部屋にいるのがちょっぴり怖かっただけなのだから。修行になると真面目な道徳の事だ。きっと剣術などで天化に何 
か思うところがあると考えているのだろう。 

 安心させるようににっこりと優しい笑みを浮かべる道徳に、果たしてどう応えるべきか天化は悩んだ。 道徳の傍に来た 
だけで恐怖心はすっかり無くなってしまい、今はちっとも怖くない。それどころか、足を組んで微かに首を傾げ、自分を見 
詰めてくる道徳の姿に見惚れてしまっている。 

 バンダナを外しているため長く感じられる髪から、強い意志を宿した双眸が見え隠れする様は鼓動が跳ね上がるほどに格 
好良かった。湯上りで上気した肌がやぎの合わせ目から見え、項にかかる濡れた髪が妙に色っぽくて、天化は頬を赤らめて 
瞳を逸らす。
その行動に道徳は不審げに眉を寄せ、天化の手を取って頬に当てると、促すように顔を覗き込んだ。 
「黙っていては分からないだろう。私はちゃんとお前の話を聞くから、行ってごらん」 
 真剣に話を聞こうと思ってくれているのは有り難いのだが、生憎と天化の思考はまるで別方向に向いつつある。指先から 
伝わる意外に滑らかな肌の感触と、暖かな手がどうしようもなく天化を煽るのだ。 

――俺っちは悩みよりも、師父に抱き締めて貰いたいさ…… 
 本心を告げることができない状況に、益々困ってしまう。 
 道徳が師匠らしい態度をとればとるほど、そういった方向に話がもっていきにくくなるではないか。珍しく今夜は道徳も 
する気になっているというのに。 

 思い返せばここ数日修行が厳しくて、寝台に入るとすぐに眠ってしまい、道徳と肌を重ねていない。 
 それを考えてある閃きが天化の脳裏をよぎった。これは使えるかも…と心の奥から声が聞こえる。 
 かなり恥ずかしい事だと分かっていたが、躊躇は一瞬だった。