天化は逸らしていた顔を上げ、道徳を真正面から見詰める。
それに応えて道徳も天化を見詰め返してきた。
「あのさ…師父…。俺っち……その……怖くって…」
「………怖いって何が?」
案の定道徳は怪訝そうに訊き返してくる。道徳にとって怖いものなどこの世界に全くといっていいほどないだろう。恐怖
心というもの自体に疎いのだ。それを確認できて、天化は内心ほくそ笑む。しかし上辺はあくまでも、如何にも怖がってい
ますという感じで身震いしてみせた。
「…実はさ…昼間師叔に怪談話を聞かされて………。俺っちそういうのって苦手だから、夜になると怖くなってきたんさ。
ここは広いし、暗くて音もあんまりしないから……」
道徳は瞳を大きく見開いてぽかんとしていたが、しばらくすると吹き出しかけるのを必死に堪えて、真面目な顔を作ると
いうややこしい事をしていた。
笑っちゃ駄目だ、笑っちゃ駄目だ、そう繰り返し自分自身に念じはするが、顔を引き締める努力をしても笑いそうになっ
てしまう。怖がっている天化は可哀想だし、気の毒だと思うのに面白くて堪らない。
――やっぱりこの手はイマイチかね……?笑い上戸の師父にゃ格好のネタだったかも……
一応怖がる演技を続けつつも、道徳の様子に自分の浅はかさを呪いたくなる。今更ながら馬鹿みたいな行動をしたと思う
が、始めてしまったものは仕方がない。毒を喰らわば皿までだ。
「そ……そうか……。怪談話ね……天化は苦手だったよな」
誠意をみせて真顔を作った道徳に、唇の端が吊り上ってるさ、と内心指摘しつつも天化は気付かないフリをして頷いた。
これ以上道徳を笑わせることがないように、言葉を慎重に選ばねばならないと自身に言い聞かせながら、彼の胸元に顔を
埋めて隠す。こうすれば表情も見られることがないから、バレる可能性が更に低くなる筈だ。しかしこれはこれで結構辛い。
男らしい精悍な広い胸と、ふんわりとした石鹸の香りに身体が熱くなり、震えてしまう。
「一人ぼっちで部屋にいると凄く怖くて、師父の傍なら安心できると思ったんさ……」
不安を打ち消したいのか、頭を押し付けてくる天化はとても可愛い。後衿の隙間から項の白さと背中の線が浮き出て婀娜
っぽいのに、こういう仕草は子供の頃から変わっていなくて、見ていると護りたいという気持ちが湧いてくるから不思議だ。
「大丈夫だ。傍に居るからもう怖くないよ……?」
小刻みに震える身体が可哀想で殊の外優しい声が自然と出、抱き締める腕に力を込めた。道徳は天化の震えが恐怖の為だ
と思い、背中を優しく擦って頭に口付けを何度も落とす。
一方天化は考えた以上に都合のいい展開にニヤリとほくそ笑みながら、駄目押しとばかりに縋るように首に腕を回して身
体を密着させた。
今夜のように怖がる天化は、日頃の勝気な様子とは打って変わりひどく弱々しげで、滅多に見せない姿であるだけに新鮮
だった。いつもの可愛さとはまた違うのに、それでいて普段と変わらぬ誘うような色香があって鈍い道徳ですらそそられる。
こんなにも怖がっているのに、師匠としてただ安心させる腕を与えるのではなく、男として抱きたくなってくる。見た目
以上に華奢な肩が小刻みに震えるのを眺めていると、いたたまれない気持ちと求める想いが綯い交ぜになって苦しかった。
だが天化をこれ以上怯えさせない為にも、今夜は子守唄でも歌って早く寝かしつけてやった方がいいだろう。そう師とし
て判断し、道徳はしがみ付いたままの天化の唇に啄ばむようにして触れ、湧き上がってくる想いを押し留める為に息をつく。
「コーチ……お願いさ……怖くないようにして」
タイミングを見計らったように耳元に囁かれた言葉の意味をどう取ればいいのか道徳は決めかねた。恐怖を忘れる快楽が
欲しいのか、それとも不安を取り除く腕が欲しいのか、全く分からない。結局不謹慎だからという理由で後者を選び、子供
にするように頭を撫でてやった。
「……いい子だからもうおやすみ。そうすれば怖くないよ……?」
眠ってからもちゃんと傍に居るから…と吹き入れられた囁きに、天化は全身の力を抜いた。これは安心したのではなく、
道徳の鈍感さに呆れて脱力したのである。どうせなら手を出せばいいものの、変なところで真面目な道徳は、このまま子守
唄でも歌って自分を寝かしつけかねない。
――ひでぇ音痴の師父の歌じゃ、余計に目が冴えちまうって分からんもんかね……
やはりからめ手より直接攻撃のようだ。はっきりダイレクトに告げねば彼には分からないらしい。天化は道徳の寝巻きを
バレた時逃がさないようしっかり握り締めて、行動とは対照的な消え入るような声で伝えた。
「俺っちを抱き締めて欲しいさ………師父」
「……ああ」
そっちの意味だったのかと自分で自分に呆れながら、表面上は何食わぬ顔で頷いてやる。何だかとんとん拍子に進み過ぎ
で少しばかり疑いたくなったが、ぎゅっと自分の夜着を握る天化の手に考えを拭い去った。内心天化がグッと握り拳を作っ
ているとは露ほども思わず、寝台にそっと横たえて覆い被さり、慣らすように口付けを徐々に深くしてゆく。
「天化……明かりはどうする?……消すかい? 」
首筋に赤い印を残したところで尋ねると、天化はぼんやりした顔で見詰め返してくる。
口付けに夢中になって瞬時には意味を理解出来なかったが、少し考えると得心できた。道徳は自分が怖がっているので、
暗くすると益々怯えるのではないかと心配してくれているのである。本当は怖くもなんともないから彼の優しい気遣いに良
心の呵責を覚えて心が痛いが、敢えてそれを無視して頷いた。
「暗くなると怖いけど……やっぱり恥ずかしいから、消して師父……」
今夜の天化はまるで初めての時のように怯えていて愛らしい。が、妙なひっかかりを覚える事も確かだし物足りないのも
事実である。手に帯を握らせてきたり、夜着を脱がせようとしてまで欲しがる天化は天化で艶やかでいい。自分を積極的に
求めてくる天化を見たくて、わざとはっきり誘わないのだから。
――おえ〜!自分で言ってて気色わりーっ!!
そして天化は女の子みたいな言い方に全身に鳥肌が立ちそうだった。もうフリを続ける事すら難しくなる程、今の台詞は
ぞっとする。面に出てしまう前に明かりを消して貰いたい一心で、道徳を急かした。
「師父……早く」
例え暗がりでも夜目のきく道徳には普段通りに見える事は分かっている。でもやはり恥ずかしいのだ。
「分かってるよ、天化」
道徳はそれもお見通しなのか、言葉と共に唇が重ねられ、瞳を開けた時には部屋は暗闇に包まれていた。肌をまさぐって
くる掌に身を任せながら、天化はさりげなく道徳の腰帯を解く。
いつも通りの天化の行動に道徳は喉の奥で微かに笑い、首筋に顔を埋めて低く囁いた。
「……怖くないくせに…騙したね?」
「今は、師父のお陰で怖くないのさ。だからこうやって抱き締めててくんなきゃ駄目さ」
「はいはい。怖いなんて感じる余裕もないぐらいにね」
悪戯っぽい光を瞳に宿し、艶やかに笑って見詰めてくる少年に意趣返しを込めた深い口付けを与えた。
――夜はこれから始まる。
The End
2001.1.21