CoolCoolCoolCoolCool   紫陽花幻想曲U紫陽花幻想曲U紫陽花幻想曲U紫陽花幻想曲U紫陽花幻想曲U

 室内を漂うピリピリとした緊張感のある空気の只中に黄天化はいた。長旅を経て疲れきった身体には、この空気はひどく重く感じら 
れる。その状態を作り出している元凶は、自分のすぐ横に座る従者と、正面に居る憮然とした顔でいる男である。正確には宮廷道士で 
ある男が従者を徹底的に鬱陶しく思っているせいといえた。 

 宮廷道士は仙人界で修行を経て仙人位を得、独立後君主などに請われて宮廷入りする仙人を示す。なまじ仙人位を得ている事と、要 
人に請われた事も手伝って非常にプライドが高い。中には殷国の聞仲のように、実力的には仙人であっても道士という例外もいるが。
 
 天化の視界を塞ぐ宮廷道士は、例にもれず仙人位を得ている。だからこそ彼は従者が疎ましいのだ。というのも、先程から天化と宮 
廷道士――蓮涼という――との会話に、従者が横合いから言葉を挟むからである。しかもそれが正確に的を射た意見や質問であったり 
する為、余計苛つくらしい。
蓮涼にしてみれば、従者風情に口出されることが我慢ならないのだろう。 
 会見も終了間際だというのに、重苦しい緊張を孕んだ空気は決して心地よいものではない。 
 天化は小さく嘆息すると、彼の従者である清虚道徳真君をそっと見上げた。服装は動き易さのみを重視したシンプルなもので、長旅 
で所々土埃がついている。傍目から見ても決して見栄えが良いとはいえない。それを差し引いても顔立ちは十分整っており、背もすら 
りと高く堂々としていた。しかしどこか掴み所のない男だった。 

 道徳の瞳には悪戯っぽい光が宿り、明らかにこの雰囲気を楽しんでいる。 
「とにかくこれで終わりにして宜しいかな?黄天化殿。王の代理とはいえ私にも用がありますので」 
「はいはい。御依頼確かに承りました。でも最後に1つ」 
「……どうぞ」 
 またこいつか、と額にピクピクと青筋を浮かべながら促す蓮涼の様子から察するに、苛立ちで暴れだしそうになるのを必死に押さえ 
込んでいるらしい。にこにこ笑顔の道徳を視線で殺そうとするかのように睨みつけてくる。 

「怪魔の知能が高い点についてのご見解を」 
「従者である貴君には関係のない話だと思われるがな。そちらの道士殿に述べて貰うがいい」 
 吐き捨てるように言い残すと、蓮涼は足音も荒く部屋を出て行った。彼は余程従者風情が口を出すなと、怒鳴りつけたかったに違い 
ない。それを我慢して遠回しな嫌味を残すに留めるとは、素晴らしい忍耐力だった。 

 蓮涼の消えた扉をしばし眺めていた道徳だったが、不意に天化へ向き直って小首を傾げてみせた。 
「何であんなに怒ってるんだろうな?変な宮廷道士」 

 広大な大陸の遥か上空には、崑崙山脈と呼ばれる巨大な山がある。そこには怪魔と対等に戦う訓練を受けた特殊な戦士がいる。その 
戦士が天化を含む多くの道士や仙人である。 

 怪魔とは、50年から百年周期で封神界と現世界とを繋ぐ封神門という異空間から地上に現れる、異形の者達を総称してそう呼ぶ。 
 ちなみに一般の怪魔を従える強力な怪魔のことは妖鬼、更に妖鬼以上の実力を持つ者は妖魔という。尤もそう呼ぶのは専門職につく 
道士や仙人で、普通の人間は全て一緒くたに考える傾向にある。 

 だが怪魔の感覚ではこの世界は彼らの狩場であり、人間は玩具や食料以下の存在である。 
 様々な力を持つ怪魔に対抗する為に、作り出されたのが仙人界なのだ。人にとって害を為すもの以外何者でもない怪魔を倒す事がで 
きるのは道士や仙人のみ。しかし怪魔にはその抵抗は決してよいものではなく、永い年月の間に双方の戦いは激化していっている。 

 各地で頻繁に起こる怪魔がらみの事件を解決し、世界中を旅しながら怪魔を駆逐するのが道士の主な役割だ。時には崑崙本部より連 
絡を受けて任務をこなす事もあるが。
本来天化は地上へ降りることはできない未熟者だ。なのにこうしてここに居るのは、偏に1年前 
に時期外れに封神門が現れ、怪魔による被害が相次ぎ、結果訓練途中の道士までもが駆り出されることとなったのである。 

 命を懸けて戦うからには勿論無償ではない。1人の道士や仙人を育てるだけでもかなりの資金が必要であり、組織を運営するだけで 
莫大な費用がかかる。つまり崑崙にとって今はある意味『稼ぎ時』なのだ。だがしかし力を持たない民衆にとっては、怪魔を唯一倒せ 
る能力を持つ仙道は勇者のような存在である。 

 そして今回、天化の仕事は『一国の姫君を花嫁とするべく攫った怪魔から、彼女を奪還する事』だった。

「しかし、気になるな」 
 突然呟いた道徳の声に天化は弾かれたように顔を上げる。道徳には先程までの悪戯好きな少年のような雰囲気はなく真剣そのものだ。 
思わず見惚れてぼうっとしてしまう自分を叱咤して、わざとぶっきらぼうに尋ねた。 

「何がさ」 
「…怪魔のこと。お姫様を攫って嫁にするなんていう、酔狂な真似をする奴はあんまりいないと思うがね。御丁寧にも結婚招待状まで 
送りつけて挑発するなんて特に。そこら辺に転がってる下等な輩の中に出来る奴はいないよ。あれの知能は低いから、人間はただの食 
料か性欲の捌け口だ。相手を犯して食すことはあっても、自分のモノにすることはない。答えはお前にも分かるだろう?天化」
 
 おおよそ従者として目上の者に対する言葉遣いではなかったが、天化は気にしなかった。彼らにとってはこんな風に会話するのはい 
つもの事である。表向きはどうであれ、彼にとっては道徳は従者ではないのだから。 

「………敵は妖鬼ってことかい………厄介さね」 
 窓から差し込む陽光の為か、道徳の漆黒の瞳に金色がかった色合いが浮かぶ。が、気づいた時にはそれは消え、代わりに物騒な悪戯 
っ気を含んだ笑みを湛えた男が、頬杖をついて見つめてきた。 

「厄介な上に強敵なんだろうな。やっこさん、天化に相手が妖鬼だと教えなかったぐらいだし。下手をすると、妖鬼じゃなくて格上の 
妖魔の可能性もあるぞ。自尊心の塊みたいな宮廷道士が立場をかなぐり捨てて崑崙の道士に依頼した程だ」 

 そう言われてみるとそうだ、と思い当たっても後の祭りである。依頼を引き受けた以上、怖気づいて止めるなんて天化のプライドが 
許さない。どんな強敵だろうと退かずに戦うのが天化のモットーなのだから。 

「崑崙からこいつに関する資料が来てるから、眼を通しておけば大体の輪郭程度は掴める筈だ。到着早々仕事だし、明日に備えて準備 
と休養を怠らない事。という訳で、仕事前だしアレは無しね」 

 他人事のようにのんびりお茶を啜っての、どこか嬉しげな道徳の言葉に天化は内心舌打ちし、そんな事分かってるさ、と言いながら 
も残念そうにがっくりと肩を落とした。 

 霊獣の背に乗って護衛兵と共に出発して1時間。先頭の兵は浮遊術のかかった乗物で天化を先導し、後の者は両脇を用心深く固めて 
いる。既に怪魔の住処が見える場所にまで近づき今降りようとしているところだ。だが現実には兵達からは余り緊張感が漂っていない。 
 それどころか天化に向かってちらちらと視線を飛ばし、何やら話し合っている。恐らく天化は
167歳の少年、道徳は20代前半の青 
年の姿をしているからだろう。
余り頼りになりそうにないと言い合っている声がここまで聞こえてくる。道士の外見は実年齢とは反す 
るという言葉を教えてやりたいと天化は思った。 
 いやそんな事よりも道徳の実年齢を教えてやろうか、それを聞いたらここにいる兵達はきっと卒倒するに違いない。 

 怪魔の居城は依頼国から徒歩で2日の距離にあるが、霊獣や飛空術での移動の為1時間で着いた。 
 長く地上にいる怪魔は、大抵人里離れた場所に人間の住む城の数倍の広さと豪華さを要する居を構える。そして、力が強ければ強い 
程城も大きい傾向がある。先刻城の建つ丘の上から見下ろしただけで、その規模を測ることができた。道徳が見せてくれた資料通り、 
姫君を攫ったのは上級怪魔の妖魔であることは間違いない。 

 この城の主人の名は劉環。実力は怪魔の中でも上位に位置する。地上に降りて半年、いろいろと仕事をこなしてきたが、さすがに妖 
魔を相手にしたことはない。だが相手にとって不足はないともいえる。そろそろ自分の実力を試したいと思っていたところなのだ。 

 天化は戦いに赴く気分を高揚させるように、頭の中で劉環に関する資料を反芻した。 
 劉環はこの国の宮廷道士だったが、姫君に恋心を抱く余りストーカーとなり、その暗い心を付け込まれて怪魔と同化した。決して珍 
しくはないケースではあるものの、元人間だけに扱いが難しい。
性格は執念深く、一度執着を覚えた相手は決して離そうとはしない。 
 受け入れられないと相手を殺してでも手に入れようとするようだ。こういうタイプは逆上すると何をするか分からないので、姫君の 
安全の為にも迅速かつ冷静に対応する必要がある。使用する武器は火鴉壷と万里起雲煙と呼ばれるもので、詳しい能力は不明である。 

「一番知りてぇ武器については分からねぇだなんて、詐欺みたいな話さ」 
「…まあそう言うんじゃない。これだけでも集めるのは結構大変なんだぞ」 
 霊獣の背から降りながらブツブツ文句を呟く天化に、道徳は苦笑を零して招待状を手渡す。どうもこの結婚招待状が彼らを居城内へ 
と通す鍵のようなものになっているらしい。
 
 巨大な門扉からかなり離れたところに兵達を待たせ、天化はパーティ編成を改めて見回した。 
 まず自分、従者の道徳、宮廷道士蓮涼。蓮涼は道徳が同行する事に難色を示していたが、最終的には了承した。 
 入る前に彼らはそれぞれの装備を確認する。天化も腰につけたポーチの中身を再確認した。天化の師の教えでは、宝貝は力を高めや 
すい自分と同じ属性を使うのが基本とのことだ。相手は武器の名前からして火属性の宝貝使いと判断すべきで、となると同属性攻撃を 
吸収して自らの力に変換する技を身につけている可能性もある。尤もこの技はかなり高いレベルの敵でないと有り得ない。 
 しかし火属性攻撃が効き難いことは確かだ。
術の心得のない天化は、火属性の攻撃をかわしやすい易い水属性の結界陣を多めに入れ、 
莫邪の宝剣と鑚心釘を身に着ける。これらの宝貝は火属性の他にも光・風・無属性を持つ為便利なのだ。 

 道徳は武器すら持たずに僅かな薬丹を無造作にポケットに入れただけで、後は何も持たなかった。 
 誰からともなく頷き合うと扉の前に立つ。眼前に立ちはだかる観音開きの扉に招待状を差し入れ、音もなく開く様を眺めた。さなが 
らそれは貝が獲物を捕らえる為に殻を開ける姿のように見えた。