中はひんやりしているが、先が見えないほど続く廊下の両側には松明が等間隔に並んで以外に明るい。内装は豪奢で贅を極め尽くし
ている。金持ち貴族の成金趣味を彷彿させて、天化好みの造りではない。天化が修行していた洞府は家具も屋敷も超一流だったが、シ
ンプルで地味な印象で、それでいて住む人間をリラックスさせる造りになっていた。師匠の性格や趣味を反映したもので、弟子入りし
て初めて家を見ただけで師の人柄が分かる気がしたものだ。
そこで20年修行をし、師匠から怪魔を倒せる特殊な武器――宝貝――を与えて貰えるまでになった。宝貝を使うには仙人骨という百
万人に1人が有する資質を持たなければならない。これがなければ道士や仙人になれず、仙道の特徴である不老長寿の会得も不可能だ。
天化達は外見とは裏腹な年月を生きているのである。
ひたひたと足音だけがこだます回廊を無言で歩いていると、行く手を塞ぐ扉が見えてきた。ここまでずっと1本道で障害物も怪魔も
現れなかったので、かなり怪しい扉である。どのみち先に進むにはここを通るしかない。天化は背後に控える二人にそっと目配せし、
招待状を穴にはめ込んだ。
3人が足を踏み入れた室内は、相変わらず派手なものだった。しかしソファや机があり、広めの応接室のような趣がある。気を抜く
ことなく部屋の中央まで足を進めると朗々たる声が突然響いた。
『ようこそ我が城へ。わざわざご足労痛み入りますが、ここから先は招待状を持つ方以外の入室はお断りさせて頂きますよ。残りの方
はこの控えの間で軽い運動でもしておかれますよう』
話が終わるか否かと言う時、天化の足元の床が忽然と消え失せる。道徳が手を伸ばすよりも早く天化は暗い穴の中へ引きずり込まれ
た。少年道士を飲み込むと速やかに穴は閉じ、続け様に家具が奇妙な生物に変態して残された二人に飛びかかっててきた。頭上からも
数える事すら億劫になるほどの怪魔が舞い降りてくる。
――勢力を分散して各個撃破する腹積もりか
微かに舌打ちすると、道徳は襲いかかってきた怪魔を投げ飛ばした。怪魔は後方にいた数匹の同朋を道連れにしてもんどりうって倒
れる。その僅かな間に道徳の手の中に筒型の柄のような物体が現れ、一瞬後には筒から深い青色の刀身が姿を見せた。それは天化が装
備した莫邪の宝剣と全く同じ形のものであった。彼らは同じ系統の宝貝を使う戦士なのである。
手の馴染み具合を確認するように一振りしただけで、異形の生物達は両断された。背後で宝貝を構えたまま、状況に付いていけずに
半ば茫然としている宮廷道士に道徳は声をかけた。
「蓮涼殿は30匹程相手をして下さい。残りは私が始末します」
その言葉に我に返ったのも束の間、蓮涼は眼前に振り下ろされた怪魔の腕を払う。怪魔の群れに斬り込んでいった道徳に文句を言い
たくとも、攻撃を受け流すだけで話す余裕は無い。どころか、道徳の流れるような剣捌きに声すら出せないと評しても過言ではない。
間合いに近付けば一振りで絶命させ、離れた敵は剣圧のみで薙ぎ払う。全てに無駄が無く、鍛錬を積んだ剣士そのものだ。いや、剣
を極めた剣聖と呼ぶべきか。ほんの数分で怪魔は半数近くにまで減っていた。
それなのに、数はそこから減少する気配はない。倒しても倒しても現れるのだ。
蓮涼は次から次へと湧いてくる怪魔に辟易しながら、傍に近付いてきた道徳に問いかける。
「これだけ封神しているのに…何で減らないんだ。……このままだと…こっちが危ないぞ!」
「封神門の小型版が近くにあるようですよ。見つけて閉じれば何とかなりそうですが……」
癪なことに従者は息一つ乱していない。近寄る怪魔を斬り倒しながら淀みなく淡々と応えてくる。
「じゃあ見つけて閉じればいいだろが!」
「閉じ方も知っているし、場所も見当がついているんですがねぇ。今の私には閉じられないので蓮涼殿にお任せします」
「何を訳の分からんことを……!!」
困惑と焦燥で怒鳴りつけようとしたものの、道徳の口元に浮かんだヒヤリとするような物騒な笑みに慄然として言葉を飲み込んだ。
言葉は喉の奥に引っかかったままで声には出せず、束の間押し黙る。
「………場所を教えてくれ……」
もしかすると、自分はとんでもない輩と共に居るのではないか、という気が今更してきた。とにかく今は疑問よりも身の安全が先決
である。蓮涼は道徳の指した部屋の隅に向かって走りだした。
そこは今までいた中央より遥かに怪魔が多かった。躱しても躱しても出てくる怪魔の群れの中をただひたすら突き進む。やっと道徳
の指した、部屋の隅にある柱の陰に辿り着くと、そこには直径1mほどの穴があった。今まさに2体の怪魔が穴から出ようとしている。
宝貝ですかさず攻撃して穴の奥へ追い払い、術を唱えだす。穴がゆっくりと小さくなるに従って、海岸で潮が引いていくように床が
見え出した。やがて穴は完全に消滅し、後には何事も無かったように床板があるだけだった。
封神門は怪魔がこの世界に出る為に開く穴である。直径1m〜5m足らずの小型のものなら、並の仙人でも閉じる事ができるが、数十m
にも及ぶものだと強い力を持った仙人で無ければ不可能だ。
50年から百年毎に開く封神門は、全て数十mの巨大な穴と相場が決まっており、それを閉じる作業は仙人の中でも能力の高い崑崙12
仙が行う。崑崙の最高幹部である彼らは、そんな時でもないと滅多に地上に降りてくる事がない。だが噂では、12仙の中でも3指に入
る実力の持ち主の1人が、身分を隠して降りているそうだ。剣術等の武術、術ともに極めた実力者で、霊獣を伴って弟子の武者修行に
付き合っているらしい。先刻の従者は長い年月を経た、他者を圧倒させる威厳と重厚な雰囲気を身に纏っていたような…。
まさかとは思うがこの男がそうなのだろうか。最後の怪魔を斬り伏せた道徳を蓮涼は見詰めた。
「そんなに見詰めないで下さいよー。恥ずかしいじゃないですか」
お茶らけた態度で、気色の悪い声で恥じらい加減に頬に手を当てる道徳には、つい先刻垣間見せた野生の虎が獲物を葬るような怜悧
な鋭さは微塵も無い。今ここにいるのはどこかぼーっとした人好きのする青年だ。
初めて会った時と印象は変わらない筈なのに、背筋を流れる汗は、疲労によるものと違って恐ろしいほどに冷たい。それが何なのか
分かっていたものの、蓮涼は敢えて答えを導き出そうとは思わなかった。一方道徳は蓮涼の事など気にせず、自分達が入ってきた扉と
は反対側の壁にある扉に興味を移していた。ノブに手を掛けようとして触れた指先に、一瞬ピリッと走った感覚に眉を顰める。
「……蓮涼殿は中級以上の術も心得ておられますね。では鍵開けの術で開けて頂けませんか?」
「あれだけ剣術ができるクセに、この程度の術もできないのか?」
扉に手をかざして意外そうに尋ねる蓮涼に、道徳は頬をぽりぽり掻いて曖昧に笑ってみせた。
本来は使える術も、今の自分には何一つ唱えることができない。天化が戦士として育つに従って封印は解けるのでそのうち元通りに
なるだろう。地上に降りる為の絶対条件がコレだったから仕方ないし、これはこれで楽しめる。
宝貝も使えるし、自分自身の能力は封じられていないので差し当って不便は感じていないのだ。
「初歩の攻撃系、防御系、回復系、補助系と一応全般はできるんですけどねぇ……」
蓮涼は男の答えを上の空で聞きながら、自分の横で扉が開くのをわくわくした様子で待ちわびる人物を眺めた。この道徳を見ている
と、先程までの疑念と彼に対する底知れぬ恐怖が薄らいでゆく。
そう、少し考えてみればすぐ分かることだった。初歩の術しかできない者が仙人である筈がない。道徳のことを見くびっていた自分
を反省し、従者を多少見直したものの、腑に落ちない点には無意識に眼を瞑って、扉にかけらけた術の解除にとりかかる。
一つ大切な事に蓮涼は気づいていなかった。どんな物体であれ、術のかかっている物に触れただけで術の性質や強度、解除法を察す
る知覚は、相当な熟練に加えて高い能力を持つ者のみにできる限られた力であることに。