海王囲碁部先輩視点のお話でした。
この話はオフ本「Butterfly(完売済)」に掲載している「明日への扉」という話の後半部分を、別の角度から見た展開になっています。
オンとオフに分けた上に視点を変えて書くというのは、私自身初めての試みで、自分でもかなり楽しく書けました(笑)。
「夏の風景写真」から丁度2年後に、二人はこうして落ち着いたわけですが、その間の紆余曲折についてはのんびり書いていこうと思います。よろしければお付き合い下さいませ。
この話における日高と岸本の『賭け』の結果は、「夏の風景写真おまけその2後編」とこの話の翌日にあたる「勝利を呼ぶ者」で明かされます。どういう結果かは読んでのお楽しみということで(笑)。
読まなくても分かる人には分かるかもしれませんけど(苦笑)。
草に覆われて踏み外しそうな石段を、一段一段ゆっくり上がっていく毎に、聞こえてくる声も鮮明になってくる。はっきりとした内容
までは分からないものの、どうやら言い争っているらしい。
「…た………よ……バカっ!!」
「……いっ!………抑え……っ!!」
途切れ途切れに聞こえてくるだけでは、本当に何を言い合っているのか見当もつかないが、こんな所で修羅場かと思うとかなり
頂けなかった。しかし考えてみれば、人気のない場所だからこそともいえる。余り歓迎される雰囲気でないだけに、彼らは知らず
知らず足音を殺して洞穴の出口のように見える、階段の先に近付いていった。
実際、他人の修羅場を覗くのは決して良い趣味とは言えないと思うのだが、下で聞いた声の正体を知りたいという好奇心には勝
てない。祭りの喧騒から離れた場所であるだけに、もしも何かあった時には止めに入る事だってできるだろう。尤も、こんなものは
自己防衛のこじつけに過ぎないのだが。
「……と!?ふざけるなっ!!」
後少しで階段の先から中が見えるというところで、聞き覚えのある声と台詞が響き、耳を疑った。
「……証………み………よっ!!」
もう一人の声も負けずに怒鳴り返しているのだが、素早く階段を上がることに専念していて殆ど聞き流してしまう。
「ああっ!証明してやるっ!!」
上り詰めて石段に隠れながらこっそりと中を窺った瞬間、塔矢アキラの激昂した怒声がこだまし、思わず三人は身を竦めた。
驚いて硬直したままでいる彼らから離れた場所に立つアキラは、青い浴衣の人物を強引に引き寄せて抱き締める。
岸本と青木は眼に入った突拍子もない光景に、完全に石像のように固まり、日高は瞳を途端に輝かせ始めてそれに見入った。
どうやらここは神社らしい。上を見ると鳥居があるし、アキラとその想い人が居るのは祭殿だ。そこの縁側でアキラは腕に収め
た相手に何事か語りかけている。
「…キミが……好きだ。…想い続ける…ずっと…」
風にのって切れ切れに聞こえてくるアキラの声は、先刻の激情をまるで感じさせないような静かなものだった。相手に咬んで含
めるように言い聞かせ、自分自身の想いを真摯に訴えている。静謐な空気が流れていて、さっきまで彼らが言い争っていたように
はまるで見えない。声が聞こえなくなるとほぼ同時に、二人の顔が重なり、青い浴衣の袖がアキラの背に回される。
(ミテハナラヌモノヲミテシマッタ……)
この瞬間、岸本はわが身を呪った。こともあろうに、自分達は塔矢アキラの告白現場に立ち会ってしまったのである。
物凄く気まずい。ただでさえ、人の告白の場に偶然立ち入るなんて気恥ずかしく、いたたまれない気分になるというのに、よりに
もよって顔見知りだ。しかも、後輩で時々指導碁にもやってくる相手である。
さほど付き合いが多いわけでもないが、さすがにこれはかなりキツイものがあった。9月にアキラが指導碁に来る予定になって
いるというのに、どんな顔をして会えばいいのか、考えるだけで気が滅入る。
その上、アキラは自分達が見ているとも気付かないで(気付かれたら気付かれたで更にマズイが)、恋人と口付けを交わしたま
ま離れようともしない。それもただキスではない。年齢的にも高一くらいの少年がするには早すぎるのではないかと思われるよう
な、深く長いものだ。俗に言うディープキスというヤツである。
鮮やかな光の花に照らされて、彼らは互いをしっかりと抱き締めあったまま口付けを交わしていた。
彼らが唇を重ねている場所は、神社の境内のど真ん中。神聖なる本殿だ。確かに神式の場合は祭殿で誓いの杯を交わし、指
輪を交換する。だから、キスぐらいは構わないかもしれない。だがしかし――。
(いくらなんでもここでそれ以上はマズイからやめろ……)
岸本は内心懇願しながら疲れきった大きな溜息をついて、次に本殿で繰り広げられた光景に我が眼を疑った。とてもではない
が、これ以上は見ていられない。顔面蒼白になっている青木と一緒に、背を向けて完全無視を決め込む。
自分は何も見なかった。アキラの告白なんて聞いてもいないし、その後押し倒したのも知らない。見ていない、聞いていない。だ
から何も言わない。知らぬ存ぜぬを貫き通すのだ。
岸本と青木が必死になってぐるぐると思考を巡らせている横で、日高は一人楽しそうに本殿を見入っている。まさか、こんな所で
アキラの告白劇を見れるとは思いもしなかったのだ。これはまさに天の与えたもうた最高の見せ場である。
藪蚊なんて気にならないし、花火だってそっちのけだ。そんな物よりもこっちの方が気になるに決まっている。
アキラは『浴衣の君』こと進藤ヒカルを神社の本殿に横たえ、その上に乗りかかっていた。神聖な神社の境内の中ですることで
はないとは思うが、日高は止めるつもりは毛頭ない。むしろ「いくところまでいってしまいなさい!」だった。
傍観者というものは、ある意味全てにおいて非情な存在なのである。
離れたここからでも、浴衣の裾を広げて不埒な真似をしているのが分かったが、不意にヒカルの白い足が動いてアキラを押しや
ると、彼は慌てて脇にどいてちょこんと座った。
「……つまんないわ」
知らずぼやいてしまう日高だが、これはこれで構わないと考え直した。さすがにここでコトに及んでしまうのはまずいし、二人の
関係に影を落としかねない。この程度の引き際で丁度いいのだ。
二人は境内に下りて何やら話しているようだが、残念ながら声はまるで聞こえてこない。だがしかし、日高は青い浴衣の人物の
前髪が、花火に照らされて金色に燃え立つように輝いたのを見て、自らの推理が正しかったことを確認した。
この位置からだと、花火に照らされた青い浴衣の人物の顔がよく見える。北斗杯の写真で見た進藤ヒカルに間違いない。本当
にあの囲碁部の大会の頃とは印象が変わり、随分と面変わりしたものだ。
背はすらりと伸びて、子供っぽく丸みを帯びた顔もすっきりして大人っぽくなっている。背が高くなったからか、全体的に細身に
なって中性的な雰囲気も持つようになっていた。 前々から可愛い少年だったが、ここまで雰囲気が変わっているとは思いもしな
かった。相変わらず大きな瞳の奥には、どこか神秘的な色合いがあり、深みを増していて、自分が知らない間に彼が人間として
も棋士としても大きな成長を遂げたことを感じさせる。そしてその成長がこれで終わりでないことも。
(あの子ザルといおうか子豚がねぇ……子猫ともいえなくもなかったけど…)
一言で済ませるならば、綺麗になった。元から顔立ちは悪くなかったが、彼の行動や回りを巻き込むような傍若無人な元気さが
それを感じさせず、埋もれさせていたに過ぎない。彼本来の明るく元気で天真爛漫な気質は変わらないのに、こうも変わって見え
るのは、偏にこれまでよりも落ち着いた雰囲気を持つようになったからだろう。
保護者の庇護の元で甘やかされ大切に育てられ、我侭に好き勝手にしていた子猫は、一人立ちして美しい虎へと進化した。
それはまさに成長という言葉で言い尽くせないような変貌振りだった。
男らしく格好よく成長しているだけでなく、中性的な雰囲気も加わって魅力を増したからだろうか、綺麗になったと思うのは。
「日高そろそ…、……っ!」
岸本が振り返って日高に声をかけようとしたのは、決して境内の様子が知りたかったからではない。むしろ、見ないで済むなら
それに越したことはなく、できれば知り合いのラブシーンは見たくないという思いは誰よりも強かった点は確かだ。
しかし彼にとっては不幸なことに、振り返って見た光景は、ヒカルがアキラにキスするところだった。
岸本にとって浴衣を着ているヒカルは少女という刷り込みのままなので、アキラが女の子からキスされたようにしか見えず、か
なり驚いて絶句しているのは言わずもがな。それも襟元を掴んで強引にした口付けを目撃し、唖然と口を開いて硬直している。
男である岸本の気持ちも分からないでもない。普通女の子からする時は、相手の男の胸倉を喧嘩腰で掴み、引き寄せてキス
したりはしないからだ。大抵は腕を背中や首に回し、背伸びをして可愛くするものである。
(……バカ…)
大人しく呼ぶまで待っていればいいものを、振り返ったりするから見る羽目に陥るのだ。
日高は横でまたもや固まってしまった岸本に呆れた一瞥をくれてやりながらも、花火が丁度終わって良かったと内心ほっとす
る。この位置からだと明るい光に当たると顔が分かってしまうだけに、岸本にこれ以上のショックを与えるのはマズイと思ったか
らだ。今は境内がかなり暗くなっているので、二人の様子は分かっても顔までは判別できない。
その場に茫然と立ち尽くしたアキラを残して、ヒカルは本殿の脇にある林へと足早に向かっていく。数瞬してアキラは我に返り、
慌てて後を追って神社の奥へと走っていった。
後に残ったのは、未だに石化したままの岸本と、のんびり虫の声に耳を澄ませる青木と、一人満足感に浸る日高だけだった。
帰り道を歩く岸本と青木は終始無言で過ごした。特に岸本は、アキラの恋人に抱いていた第一印象のイメージが、どれもこれ
も本人の行動によってことごとく粉砕されただけに、とにかく疲れていた。
大和撫子で大人しく、可愛くて気立てが良い、内助の功を立てるタイプだと、一番最初は思っていたし、いかにもそんな風に見
えたのである。アキラの母親の雰囲気からして、彼の選びそうなタイプだと思った。
それが蓋を開けてみれば、男勝りで粗暴で大食いで負けん気が強く、極めつけは恋人の胸倉を掴んでキスするような男前ぶ
りだ。あの少女が相手だと、アキラが押し倒されるのではないかと危惧したくなる。
あれで女の子だなんて、信じられない。むしろ男だと言われたほうがしっくりするが、そうなると塔矢アキラは…考えたくない。
だからどんなに男らしい女の子でも、性別が違うならそれでいい。岸本は無理やり自分を納得させることにした。
「岸本も青木も、塔矢に追い越されちゃうわね〜」
唐突にそんな事を言い出した日高に、岸本と青木は怪訝そうに眉根を寄せてみせる。言っている意味が全く分からなかった。
「多分、塔矢は今晩きめるわよ」
「「……何を?」」
「あら?分かんない?」
「「………?」」
「賭けてもよくってよ。塔矢は今晩お持ち帰り決行するわ」
「い、いくらなんでも早過ぎるだろう!塔矢の性格上、ちゃんと送り届けるんじゃないか?」
「何言ってんの、岸本。あいつがそんな殊勝なタマなわけないでしょ。碁の内容見たら一目瞭然じゃないの。あんなに強引に相
手をねじ伏せて勝利をもぎ取る、攻めの碁を打つ塔矢よ?大胆不敵で傲慢な性格まんま出てるじゃない。今夜みたいに雰囲気
的にもいい感じになってる絶好の機会を、あいつが逃すはずないわ。ホント、付き合わされる相手も可哀相よね〜。ああいうタイ
プは、嫉妬深くて独占欲の固まりのムッツリスケベでしかも絶倫と相場が決まってるもの」
「そ……そこまで言うか……」
「まあ、『浴衣の君』も、傍若無人、尊大、不遜、我侭な同類だけど、根本的な部分は違うかしらね。あの子は相手を受け入れる
タイプだから。そうでなきゃ磁石みたいにくっつかないだろうけど」
「……まるで知ってるみたいだな?」
「ただの憶測よ。見た感じそうじゃないかと思っただけ」
青木が首を捻ったのを軽くいなして、日高はにんまりとほくそ笑んだ。
「だが…ついさっき告白したばっかりだぞ」
岸本はどうにも納得できない様子で、首を傾げる。
「じゃあ、賭ける?私が勝ったら『ローズマリー』のジャンボフルーツパフェを奢るのよ」
「いいだろう。オレは『しない』方に賭ける」
「オレはそういう賭けはちょっと…辞退しておくよ」
日高と岸本が見えない火花を散らせる横で、青木は早々に辞退する事にした。下手に一緒に賭けたりして、塔矢アキラにば
れたりしたらどんな事になるのか想像するのも恐ろしい。別の意味で日高のことも怖かったのだが。
「私は勿論『する』よ。お持ち帰りだけじゃなく、全部ね」
日高はわざわざ『全部』を強調し、勝ち誇ったようにふふんと鼻を鳴らして笑った。
「………で、どうやって確かめるんだ?」
自信たっぷりな日高に、岸本は臆せずに確認方法を尋ねる。
「津川と中村を焚き付けて、夕方にでも電話をかけさせるわ。あいつらなら、冗談で余計なことも訊くと思うしね。電話をかける間、
私達も傍で聞いていたら問題ないでしょ?」
「いいだろう。勝ったらオレに何か奢って貰うからな」
「あら、勿論よろしくてよ。私が勝つに決まってるけど」
高飛車に笑う日高の姿に、岸本と青木は、こいつもあの二人と同類ではなかろうかと、内心思うのだった。
そして後日、『ローズマリー』という喫茶店で、ジャンボフルーツパフェに舌鼓を打つ上機嫌な日高とは対照的に、渋い顔でブラ
ックコーヒーを啜る岸本の姿があったとかなかったとか。
唯一の証言者である青木は黙秘を貫いている為、事実は確認されていない。
2004.1.3