夏祭りT夏祭りT夏祭りT夏祭りT夏祭りT   夏祭りV夏祭りV夏祭りV夏祭りV夏祭りV
 散々食べて人心地つくと、 『浴衣の君』は今度は夜店で遊ぶことにしたようだ。 
 まず最初はヨーヨー釣りで、これは彼女は余り得意ではないらしく、失敗ばかりしている。だがアキラが意外にも上手で、あっさり
 
と一つ手に入れ、更にもう一つも釣り上げて、小癪にも 『浴衣の君』にプレゼントなんぞしていた。
 
 こんなささやかな贈り物でも、嬉しそうにアキラに抱きついたり、アキラも照れながらも抱き返したりなんぞしているものだから、傍
 
から見ていると堪ったものではない。しかも後で我に返って現状に気付くと、泡を食って身を離していたりする。どうせなら、さっきの
 
たこ焼きの件で羞恥を覚えて貰いたいものだが、彼らにそういう常識は通用しない。アレはアレ、それはそれなのだ。
 
 確かに、今の慌てようだとお互いに告白はできていないのだろう。しかし、傍から見れば立派な恋人同士にしか見えない。まさに
 
無自覚も甚だしいというものだ。
 
 ここまで分かりやすい行動をしておいて、何故告白もせずに宙ぶらりんでいるのか…馬鹿臭くて涙が出そうである。
 
(…あんた達…いい加減にしなさいよ……)
 
 見ているだけで苛々してきそうな煮え切らない二人の関係に、一発かましてやりたくなる日高先輩だった。
 
 彼らは照れくさそうにしながらも、やはり手は繋いだままで再び夜店の散策を続けている。彼氏も彼女も居ない立場の者から見れ
 
ば、見ているだけで熱さに当てられそうになる暑苦しい光景だ。このクソ暑い中でべったりくっついて手まで繋ぎやがって…、と悪態
 
をつきたくなる者が居ても誰も責めはしまい。
 
 しかし、そんな事はこの二人にとっては知ったことではないのだろう。
 
 『浴衣の君』は見るよりも実践派のようで、嬉々として輪投げの屋台にアキラを連れて行き、楽しそうに景品に輪を投げていた。
 
 そうして彼らが輪投げに興じていると、小さな子供が足元で転げて、突然泣き出した。どうも転んだ衝撃でお気に入りのヨーヨーが
 
破れてしまったのが、癇癪の原因らしい。
 
 余りに間近で子供がこけたこともあり、アキラが宥めようとするが一向に泣き止む気配もない。すると 『浴衣の君』が頭をぽんぽん
 
とあやすように叩いて、目線を合わせてしゃがみこみ、自分の持っていたヨーヨーを子供の手に押し付ける。驚いたように泣き止んだ
 
幼い頭を軽く撫でてやり、二つ目のヨーヨーも差し出した。
 
 アキラはその様子に苦笑を零したものの、自分を見上げてきた 『浴衣の君』に笑って頷いてみせる。
 
 すっかり機嫌を直した子供に別れを告げ、二人は再びあてどころもなく歩き出した。彼らの後をついていきながら、アキラの想い人
 
は優しく広い心根の持ち主なのだと、三人はまるで彼の保護者のように新たな発見に仄かな感動を覚える。
 
 なるほど、あの堅物で傍若無人で頑固者の塔矢アキラが惚れているのも分かるというものだ。どんなに男勝りで粗暴で大食いで
 
鈍感な美少女でも、心は誰よりも優しく広い。そこは見逃せない重要な点だ。
 
 アキラは相当に人を見る眼がある。その筆頭ともいえるのが『進藤ヒカル』だろう。
 
 『進藤ヒカル』を追って海王中囲碁部に入り、その相手の弱さに失望した彼だったが、今や『進藤ヒカル』は塔矢アキラと北斗杯に
 
日本代表として出場し、韓国の天才棋士を追い詰めるほどの実力を持つまでになっている。岸本が諦めたプロの道を、院生になっ
 
て僅か一年足らずで走破し、最近では囲碁界の龍虎とも呼ばれ、アキラとは双璧の扱いで注目されてさえいるのだ。
 
 塔矢アキラが進藤ヒカルの未来の姿を無意識に追って囲碁部に入ったのだとしたら、今なら頷けるし納得できる。
 
 しばらく歩くと『浴衣の君』は射的の屋台を見つけ、またもやアキラを強引に引っ張って中に入り、景品を差して何やら要求をしてい
 
るようだ。アキラはヨーヨー釣りは上手いが射的は見事なまでに下手で、花火セットを欲しがる恋人に少しもいいところを見せられず
 
にいる。それに業を煮やしたのか、アキラから銃をひったくり、今度は『浴衣の君』が自ら構えて狙いを定めた。
 
 アキラよりも遥かに様になるその姿は、少女とは思えない程格好良く勇ましい。何と言おうか、身体つきは華奢な感じで細いのに、
 
頼りがいがありそうに見える。この行動だけを見ても、アキラに劣らず負けん気の強い性格に違いない。
 
 まるでそれを裏付けるように、 『浴衣の君』は最初の一発目は当てても目当ての花火セットを落とせなかったものの、二発目には
 
確実に落として決めてみせ、アキラに向かって勝ち誇ったように当てた景品を自慢げに見せびらかせていた。
 
 少年のようなその仕草に、日高はどことなく違和感を感じて首を傾げる。
 
 さっきからずっと不思議に思っていたのだ。一つ一つの行動に、あの青い浴衣の人物からは『女』というものが一切感じられない気
 
がする。女の子なら、いくらおてんばでももう少し違った風になるだろう。岸本や青木は男だから気付かない点だが、『女』である日高
 
にはその違和感は見逃せないものだった。
 
 よくよく見ると、青い浴衣は一見すると女性が着そうな凝った意匠でありながら、男性的な雰囲気も漂っているし、浴衣の結びもそ
 
の他大勢の女の子達とは明らかに趣が異なる。浴衣の型も女物というよりも男物に近い。
 
 『浴衣の君』は塔矢の彼女、という先入観からずっと女の子だと思っていたが、この少女は本当に『女』なのだろうか?
 
(そういえば…あの子…進藤に似てる気がするわね……)
 
 遠目であることと夜の闇で『浴衣の君』の容姿をちゃんと確認できないからよく分からないのだが、彼女は『進藤ヒカル』に似ている
 
ように思う。北斗杯の写真で最近の『進藤ヒカル』は知ってはいるが、実物にはもう三年も会っていない。実物と写真とでは人によっ
 
ては隔たりがある上に、人間三年も経てば成長して容姿も変わってくる。
 
 事実、『進藤ヒカル』の北斗杯の写真を見た時は随分雰囲気が変わったものだと驚いた。
 
 やんちゃ坊主で落ち着きのない子供だった彼は、大人びてどことなく中性的な印象の少年になり、こんなに綺麗な子だったろうか
 
と正直に思ったものだ。アキラもこの三年ほどの間に、背も伸びて顔立ちも凛々しくなり、年下だとは思えない落ち着きがある。
 
 少年から青年への過渡期を迎えた彼らの成長した姿に、三年の歳月の長さをしみじみと実感したものだ。
 
(塔矢と進藤はライバル関係だけど、私生活では仲がいいって話よね……)
 
 日高は、さっきまでの 『浴衣の君』の少年のように元気な行動や、大食いで豪胆というか鈍いところや、さりげない優しさや、津川と
 
中村から得た『同い年で囲碁も相当強いプロ棋士』という情報から、頭の中でシュミレートしてみる。
 
 結果的に出た答えに「まさか…」と思ったが、決して否定できない、無視もできない解答の一つだと考えた。
 
 いや、むしろ一番信憑性が高い。何故なら一昨年のプロ試験でアキラと同年齢の合格者は『進藤ヒカル』ただ一人なのだ。
 
 アキラの趣味や趣向に一々口を出すつもりもないし、自分の勘違いという可能性も逃せない。
 
 しかし、例え 『浴衣の君』が『進藤ヒカル』であったとしても、日高は驚くよりも納得できる。いくら碁が強いといっても、そんじゃそこら
 
の女流棋士を、あの塔矢アキラが相手にするとは思えないのだ。
 
 大体からして、アキラと並び称されるような同い年の女流棋士なんて今まで聞いたこともない。アキラと対等に闘える同年代の棋士
 
は『進藤ヒカル』以外に有り得ないのだ。そこに至って、日高は完全に確信した。『浴衣の君』は『進藤ヒカル』にほぼ間違いない。
 
 これに気付いていない津川と中村はまだまだである。岸本と青木に至っては刺激が強過ぎて教えるわけにはいかない。
 
 日高は自分の考えた答えに一人納得して、ほくそ笑んだ。自分が誰よりも一歩先じていることを知るのは、何よりも楽しいものなので
 
ある。美形同士でくっつくのは女としては勿体無い思いはするものの、客観的な立場ではこれ以上にないほど面白いものだと思えた。
 
 そうして自分の考えに没頭していると、日高は岸本に声をかけられ、はっとして顔を上げた。色々と考え込んでいたお陰で歩く速度が
 
落ちたのか、二人から随分離されてしまっている。
 
 『浴衣の君』もとい『進藤ヒカル』の青い浴衣も、アキラの姿も人込みの中で微かに見え隠れしている程度だ。慌てて追いかけていく
 
ものの、やはり男二人だと歩く速度も速いのか、雑踏の中で完全に見失ってしまった。
 
「……参ったわね…」
 
「どうする?」
 
 髪をくしゃりと掻き混ぜて嘆息した日高に、岸本が尋ねる。
 
「見失ったものは仕方ないわ。この夏祭り会場に居るうちに、縁があればまた逢えるでしょうよ。それよりも、折角ここに居るんだから私
 
達も夜店を回らない?」
 
 何が何でも探し出すと言い出すのかと、内心戦々恐々としていただけに、青木と岸本には日高の言葉は予想外だった。偏に日高が
 
行動を起こさなかったのは、『浴衣の君』の正体に確信を得たからに他ならない。その心の余裕が、見つかるかどうか分からない二人
 
を探して無駄な時間を過ごすよりも、自分達も楽しむ方がいいという選択を引き出したのだ。
 
「そうだなぁ、楽しそうだったしオレ達も童心に帰って遊ぶとするか」
 
「まずは、腹ごなしをしてからな」
 
 青木がほっとしたように頷くと、岸本はおやつのように手頃な食品を扱っている屋台の群れを指し示す。そう言われてみると、彼らが
 
食べるのは見ていたものの、自分達は一切何も口にしていないのだ。時間的にも丁度夕食時で、食事をするにも頃合だろう。
 
 三人はそれぞれ食べたいものの意見交換をしながら、これまでろくに見ていなかった夜店街を改めて歩き始めた。
 

 夜店も大方堪能し、メインの花火大会が始まる頃になると、岸本が暑さがしのげる静かな場所で観たいと言い出した。
 
 日高も青木も、人込みと暑さにいい加減辟易していたので、岸本の意見に否やはない。
 
 だが現実問題として、そんな都合のいい所がこの近くにあるかどうかは、かなり微妙だ。夜店街を歩いている間にそれらしき穴場も
 
無かったし、せいぜい行けそうな場所でビルの屋上ぐらいだろう。花火大会が始まった今では、ビルの屋上は花火見物の客で埋まっ
 
ているに違いないだけに、行きたくない。
 
 どうしたものかと思案していると、青木がアイスクリームの屋台の後方から少し離れた所に、小さな路地を見つけた。屋台の影に隠
 
れて分かりにくい道である。ものは試しと全く人通りのない路地を歩いていくうちに、河に向かう訳でもなく住宅街に抜ける道でもない
 
ことが徐々に分かってきた。
 
 夏祭り会場の喧騒もいつのまにかすっかり聞こえなくなった頃、狭い路地から突然開けた場所に出る。そこは都内とは思えないほ
 
ど長閑で牧歌的な田園風景の広がる場所だった。
 
 まだ刈り取られていない稲の生き生きとした葉が月明かりに反射し、風が緑の匂いを運んでくる。人工的な光で満ちていた夏祭り
 
会場とは対照的に、ここにある光は星と月明かり、そして夜空に咲く巨大な花だけだ。街灯も何もないものの、虫の声と風の囁きに
 
混じって聞こえる花火の炸裂音が、風景の中で溶け合って不思議とあっている。
 
 汗もすっかりひいてしまうほどに涼しく、何よりも静かだった。
 
 まさかこんないい穴場が夏祭り会場から少し離れた所にあるとは驚きで、三人は偶然の行幸に内心満足しながら上空を見上げる。
 
 色とりどりの光に照らされる稲の傍で観る花火というのも、中々に乙なものだった。
 
「あそこ…花火を観るのによさそうじゃないか?」
 
 玉込めの為に一旦花火が鳴り止むと、岸本が田を縫うようにして走る田舎道の奥にあるこんもりとした緑の山を差した。山というより
 
も丘のような小さなものではあるが、確かに少しでも高台の方が観やすいことは確かである。
 
 近付くに従って予想よりも大きいことが分かったが、登れないほどのものでもない。ただ問題は、どこから入るかだった。道の突き当
 
たりにあるというのに、登るべき階段も坂も有りはしない。鬱蒼とした林と雑草に覆われていて、まさに人跡未踏の地という感じだ。
 
 どうやらこの山には登山道と呼べるものは無く、あるとすれば獣道ぐらいなのだろう。仕方なく諦めて、しばらく山の麓の小さな広場
 
で風に当たりながら花火を見ていたが、不意に日高が周囲を見回して、怪訝そうに首を傾げた。
 
「どうした?日高?」
 
「……何か…人の声みたいなのが聞こえなかった?」
 
「や、やめろよ…こんな所で……」
 
 青木は大柄な外見に似合わず、幽霊といった類のものにとても弱い。街灯もない田園の中、背後には原始的な林の山というシチュ
 
エーションに、顔色を青くして二人に縋るような眼を向ける。
 
「ほら…また……」
 
「そうか?オレには何も聞こえないが…」
 
「は、離れよう!今すぐ!ここから!」
 
「うるさいわよ、青木!黙ってなさい。田んぼに突き落とすわよ」
 
 すっかり怯えている青木を一喝し、日高は耳を澄ませて背後の山に眼を向けた。
 
「やっぱり誰かここに居るのよ。さっきから声が聞こえるもの」
 
「声ってどんな?」
 
「そうね…なんていうか…か細くて聞こえにくいんだけど…」
 
 思案げに瞳を揺らす日高の横で、岸本も耳をそばだてる。青木はというと、そんな二人の傍でおろおろと歩き回っていた。
 
「……あ!」
 
「どう?聞こえた?」
 
「ああ……誰かが喋っているような感じだな」
 
 二人は納得したように頷いたものの、肝心の相手の姿は見えない。しかしだからといって、青木のように幽霊だと決めつける気はな
 
かった。声は距離が遠くて聞こえにくいがとても現実的で、幽霊といった類のものだとは思えない。
 
「……うわぁ!」
 
 どこから聞こえてくるのか互いの意見を出し合おうとした瞬間、山の麓の外れで青木の悲鳴が上がり、見ると派手にこけて草まみ
 
れになっている。
 
「何やってるんだ…青木…」
 
「面目ない……」
 
 青木は頭を掻いて身を起こすと、自分が躓いた辺りの雑草がすっかりひしゃげているのを眺めて、僅かに眉を顰めた。
 
 付着した夜露を服から払い落とす度に、青いむせるような香が漂ってくる。
 
「青木……あんた大手柄よ」
 
「はあ?」
 
 自分がこけていた付近を注意深く観察している日高の言葉に、青木は間の抜けた返事を返して近付いた。
 
「ほら、良く見て。倒れた草のところから見えるのは階段よ。上に向かって続いているわ」
 
「……なるほど…雑草と木の枝で隠されて見えなかったんだな」
 
「多分、声の主は上に居るのよ。何があるのかちょっと見てきましょ」
 
「日高……それはまずいんじゃ……?」
 
「ここで留守番したいならいいわよ。好きにしなさい」
 
 納得して頷く岸本には林に覆われて暗闇に閉ざされた石造りの階段の上を指してみせ、抗議めいたことを口にする青木には冷た
 
い台詞を投げつけると、日高は先頭に立って足場の悪い階段を慎重に上り始めた。