あの時はアキラに棋院から半拉致の勢いで塔矢邸にお持ち帰りされ、そのまま碁も打たずに済し崩し的に進んでしまったのだ。
風呂に入りたいとどさくさ紛れに言ったら、あんな場所で押し倒すのだからこの男の神経には呆れてしまう。
それでも結局付き合ってしまったあたり、自分自身も同罪なのかもしれないけれど。
「バッ…バカ!オレの家の風呂なんて狭いのに、一緒に入れるわけねぇだろ!」
羞恥から的の外れたことを言い返したヒカルを見下ろし、アキラは逆襲のチャンスとばかりにしれっとわざとらしく肩を竦める。なまじ顔も良くて
身体つきも男らしくなってきているだけに、彼がこんな行動をとると妙に様になって余計嫌みったらしいと思うのは、ヒカルの勝手な僻みだろうか。
「狭い方が何かと楽しいと思うよ、進藤」
あんな恥ずかしい体験を自分の家でするなんて冗談ではない。ヒカルは噛みつかんばかりの勢いでアキラを睨んだ。
「うるせぇ!むっつりスケベ!さっさと行きやがれっ!!」
ヒカルが碁笥を掴んで投げつける素振りをみせたので、アキラもこれ以上からかおうとはせずに、くすくす笑いながら風呂に向かったのだった。
ヒカルの家の風呂は、彼の言う通り確かに狭い。だからといって寛げないわけでもなく、四肢を伸ばすだけのスペースもあるので充分快適だった。
アキラの家の場合、家の広さにに比例して湯船などの風呂場全体の規模が無駄に大きいともいえる。来客が多いので、それなりにゆったりとした
空間が必要なのかもしれないが。
碁打を長年続けてインドア生活が大半を占めるため、アキラは殆ど日焼けもせずに肌が白い。だが身体は意外に引き締まっている。囲碁は精神
の消耗も激しいが体力もいる為、幼い頃から護身術に合気道や柔道を習ったり、スポーツジムに時折通ったりして身体を鍛えるようにしているのだ。
護身術に合気道などを習っていても、あくまでも基礎体力の保持の為で、級も段もとっていない。それでも子供の頃から続けているお陰で身体
は健康そのもの、病気らしい病気もしたことがないのは有り難いことだ。
アキラは成長期に入って肩幅も背中も広くなり、背も伸びた。それでも同年代の男にしては細身の体躯は、いかにも貴公子然とした彼の容姿に合
っている。ヒカルも男にしては随分と白く、肌は白磁のように滑らかで肌理も細かい。初めてヒカルと身体を重ねた夜、アキラはその吸い付くようなし
っとりとした柔らかな肌と肢体に溺れた。女性を抱いたことはおろか全てが初体験であったにも関わらず、ヒカルを抱き締める感覚を覚えてしまうと、
今まで以上に女性に関心を持たなくなった気がする。
これまでも囲碁が中心の生活を送っていたので元々からさほど興味があったわけではないが、誰よりも好きな相手との一体感を味わった今、ヒカ
ル意外と寝るなんて考える気にもならなかった。だがアキラは基本的に性的思考はノーマルでストレートである。
男を抱きたいと思ったことは一度もないし、男に欲情したことも恋情を抱いたこともない。ただし、ヒカルを除いては。
そういった面で考えると、彼の愛情と性的思考は別の意味においてストレートだ。
つまりアキラの好みというものは一点集中して、『進藤ヒカル』に尽きるということである。
風呂に入ってさっぱりとすれば、時間が時間だけに、自然と身体は眠りを要求し始める。
ここ最近仕事詰めだったこともあり、疲れているのかひどく眠かった。欠伸を噛み殺しして渡されたジャージに袖を通す。
ジャージは彼には大きめなのかもしれないが、ヒカルよりも幾分体格のいいアキラには少しきつい。それでも着れたから良かったものの、着れなか
ったらヒカルの機嫌はきっともっと悪化しているだろう。
風呂から出たことを台所でお茶を飲んでいたヒカルに告げ、生返事を聞いて二階に上がる。
ヒカルのことだから、アキラの分の布団は持ってきていないだろうし、絶対にひいていないと踏んでいたが、やはり布団は影も形も有りはしなかった。
最初から期待はしていなかったものの、実際に毛布はおろか座布団すらないのを見ると物悲しさすら感じる。
碁盤だけは片付けているだけまだマシだが。
(ベッドに潜り込んでやろうかな……)
眠気のためか、礼儀正しいアキラらしくもなく主人不在のベッドを無断借用することまで考えてしまう。
もしもヒカルと同じベッドに眠るとしたら、絶対にすることは決まっているのだが、今は眠気の方が勝っているような状態だった。
王子様と呼ばれる整った顔で、ファンの女性が悲鳴を上げるような大きな欠伸を平然とし、涙の滲んだ眼の端を軽く擦る。
そんな仕草をすると、アキラも年相応の十五歳の少年だった。十二月を迎えれば十六歳になるとはいえ、大人びていても彼はまだ十代後半の子供
である。ふと見せる行動の端々には年齢通りの若さが溢れ、どこか可愛らしい。
「あ〜さっぱりした」
アキラが部屋の真ん中で正座し、あどけない寝顔で舟をこぎ始めたところで、ヒカルが上機嫌で戻ってきた。
短パンにTシャツといったラフな格好だと、ヒカルの成長途中の伸びやかな肢体が露わになり、風呂上りでほんのりと上気した頬や、血色がよくなっ
て桜色に染まった手足には否応にも眼が引かれるだろう。
濡れた後れ毛のはりつく項に、大きな襟ぐりのシャツからは鎖骨も覗いて色香すら醸し出している。
アキラが眼を覚ましていれば、確実に押し倒していたに違いない。風呂上りの色っぽさを醸し出して部屋に戻ってきたヒカルだが、湯加減と対局の
結果を経てすっかり機嫌を直して満足気な顔で部屋に入った瞬間――。
「ぎゃあ!」
色気もへったくれもない声で叫び、思わず一歩退いていた。
部屋のど真ん中にジャージを着た座敷童、というアヤシゲな光景にヒカルは身を竦ませる。
勿論座敷童とは他ならぬ塔矢アキラのことであるが、余りにも見慣れない彼の姿と自室にそぐわない風景に、ヒカルの意識の許容範囲を超えてい
たのだ。それだけ彼の姿はヒカルの眼には異様に映った。
「…ん……?」
だがそんなヒカルの心を知らず、声に反応してアキラはどこか夢現でぼんやりと顔を上げる。
滅多に見れない塔矢アキラの寝惚け面も秀麗な顔だと不可思議tな色気があったが、ヒカルは少しも感銘を受けることはなかった。
それどころか彼の姿をしげしげと眺め、やがて盛大にふき出した。
「ぷっ!」
「……ぷ?」
アキラはまだ目覚めきっていない様子で、ヒカルを茫然と眺めながら小首を傾げる。
「ぶふっ!何それ?おまえ……その格好……!」
ライバルの問いにアキラは完全に覚醒し、自分の姿を眺めると瞳に鋭い光を湛えて、ヒカルを見やった。
「この格好って……キミが貸してくれたジャージじゃないか」
その場に蹲って笑いを堪えるヒカルに、アキラは眉を顰めて事実を冷静に述べる。
だがそんなアキラの様子にすらも笑いが誘われるのか、ヒカルは今度こそ腹を抱えて笑い出した。
「ひ〜!笑える!似合わねぇーっ!!」
そう、アキラにヒカルのジャージは全く、ほんの少しも、これっぽっちも似合っていなかったのである。ヒカルが着ると自然なジャージも、切り揃えら
れた黒髪に眉目秀麗な美貌を持つアキラが着ると、とてつもなく浮いていた。
ヒカルは元からスポーティで元気な印象があるためジャージも似合うのだが、見た目貴公子で王子様のアキラでは、ここまでそぐわないともう笑う
しかない、というほどに似合わない。
普段から着慣れているジャージとライバルの塔矢アキラとの取り合わせが、こうも笑いを誘うものだったとはヒカル自身も考えもしなかった。
似合いそうにないと気付くことなくあっさりわたしただけに衝(笑)撃的だ。
「おまえ……その姿だけ…で十分、笑いがとれるぜ……。吉本行けよ」
笑いながら切れ切れに話すヒカルを、アキラは憤慨したようにムキになって見下ろす。
「キミが着ろといったから着てるんだ!吉本に行く必要なんて……って吉本?吉本とは何だ、進藤」
正座をして大真面目に尋ねられても、ヒカルは更なる笑いの波に飲み込まれて答えるどころではない。
手足をばたつかせて散々笑い倒し、落ち着くまでに相当時間がかかったが、アキラは辛抱強く待ち続けた。
伊達に二年四ヶ月もヒカルとの対局を指折り数えて待っていたわけではない。忍耐力にはそれなりに自信がある。実際的には、彼の忍耐力は物事
によって相当な隔たりがあるが、ヒカルがやっと笑いを収め、床に胡坐をかくまで奇跡的に耐え抜いて大人しくしていた。
「――で?ボクはどこで寝ればいいんだ?」
別のことを訊いたのは、『吉本』の話を持ち出したら、きっとヒカルは再び笑いの発作に見舞われると見越しているからだ。敢えて知りたい情報でも
ないので、わざわざ聞くだけ時間の無駄である。
胡乱げに見詰めてくる視線に、さしものヒカルも少しは申し訳ないと思ったのか、バツが悪そうに頭を掻いた。
「えーっと……」
「……もういいよ。毛布だけ貸してくれ」
視線を空に彷徨わせるヒカルを眺めて、アキラは諦めたような溜息を吐く。散々人のことを笑っておいてこれなのだから困りものだ。それでもこの
少年が愛しくて堪らず、あっさりと許せるあたり自分は重症だが。
ヒカルはベッドの端に腰かけて軽く伸びをすると、何でもないことのように口を開いた。
「布団敷くのって面倒臭いから、一緒にベッドで寝ようぜ」
思ってもみなかったヒカルの申し出に、瞳を見開いてまじまじと見詰めてしまう。
「……ボクは構わないけど………キミはいいの?」
「あん?別に。狭いけど眠れないことはねぇだろうし、クリスマスの時も一緒に寝たじゃん」
「去年はその……キミとそういうことをする関係じゃなかったけど、今はそうじゃないから……」
躊躇いながらかすかに頬を染めるアキラを見詰め、ヒカルは場にそぐわないこと甚だしくも、盛大にふき出した。
「お……おまえ……、オレにその格好で迫るつもりなのかぁ?」
アキラの整った唇が僅かに引きつり、瞳が剣呑に細められたが、ターゲットにロックオンされた少年はまるで気付かずに明るい笑声をたてる。
「悪いか?」
悪びれもせず、仁王立ちをしてつんと顎を反らして、アキラは傲慢な態度で冷徹に尋ねた。
「塔矢。おまえオレを笑い死にさせるつもりかよっ!」
失礼にも、ヒカルは再び大爆笑した。アキラのことなどおかまいなしに、ベッドの上で笑い転げる。
ヒカルの言い草にアキラの機嫌も一気に急降下していた。それはもう、滝つぼに転落するような勢いで。
対してヒカルは笑いのツボにはまったままで、身の危険も顧みずにげらげら笑っている。怒れる竜が眼の前で爪と牙を研いでいるとは気付かずに。
「安心するといいよ。キミを笑い死にさせるつもりはないから」
そう告げたアキラの声が氷点下まで下がっていることで、ヒカルは初めて自分が下手を打ったことに気付いた。今更のように危険信号が脳裏で
点滅するが、時は既に遅い。
胸の前で腕を組み、アキラはにっこりと極上の笑顔を見せるが、眼はこれっぽっちも笑っていなかった。
(ひえぇぇぇぇ〜)
思わず生唾をごくりと呑み込み、ヒカルはひくひくと頬を震わせながら、誤魔化すように曖昧に笑いかけるだけで精一杯だった。
冷汗を背中に流して上目遣いに見上げ、反応を窺う。相変わらず似合わないジャージ姿は滑稽だったが、ここでまた笑おうものならどんな仕置き
が待ち受けているか、想像にかたくない。
それにアキラから流れてくる暑く冷たい怒りのオーラのお陰で、格好云々に言及するような余裕は、ヒカルにはなかった。
「あ……あのさ、塔矢………――ぅん」
口を開きかけたのを塞ぐように顎を捉えられ、アキラから深い口付けを受け、彼の身体の下で小さくもがく。
「…う…ん………ふぁ…」
長いキスに唇を紅く染め、ヒカルはぼんやりと涙で滲む視界にアキラの整った顔を捉えた。手荒い口付けとは裏腹に優しい指先が眼の端を拭い、
頬に柔らかな感触が落ちてきた。
「これならキミも文句はないだろう?」
アキラはヒカルに伸しかかったまま、徐にジャージのジッパーに手をやり、一息に下ろして開ける。
そのまま素早く脱ぎ捨てると、不遜な笑みを口元に浮かべて、押し倒したヒカルを淫蕩な眼で見詰めた。
「あ、いや、そのぅ……」
「電気は消すから。いいよね?しても」
造作の良い顔に刻まれた笑みは実に鑑賞の価値が高いのだが、ちょっとどころかかなり怖い。整っているだけに怨念めいたものを感じさせる。
蛇に睨まれた蛙という言葉通りに硬直し、ヒカルはこくこくと何度も頷いてみせた。
台詞自体は疑問系を使っているが、実際は拒否権のない断定に等しい。
王子様は優しい声と美しい顔と気品のある仕草で、その実押しが強くて強引だ。今更ながら、アキラは傲慢と不遜を地で行く、我侭で誇り高い男
だったと、ヒカルは思い出していた。その彼のプライドを散々コケにしたのだ。機嫌が悪くなるのも当然である。
代償に梳き放題させてやっても構わないかと考えるくらい、ヒカルは彼のことが好きだから、敢えて抵抗しようとも思わない。
明るい光の下だと薄手のシャツ越しにも組み敷いてくるアキラの意外に広い胸板や、しっかりとした身体つきが分かる。
切り揃えられた髪のかかる項が細く、白いことも。
宣言通りに光を落とし、再びヒカルに口付けながら、シャツの裾から手を潜り込ませて肌の感触を味わう。
湯上りのヒカルの肌は吸い付くようにしっとりしていおり、アキラに馴染んでその温もりが愛しい。
怒っていたから多少乱暴にされるかと覚悟していたものの、予想に反してアキラのキスはとても優しく、いつも以上に丁寧でうっとりさせられる。
「……と、うや……」
「うん、何?」
「……もう…怒ってない…?」
「さあ…?どうだろうね」
口付けの合間に問いかけてくるヒカルに、アキラはくすりと悪戯っぽく笑ってシャツの中をまさぐった。いつも通りの優しい眼の輝きにどこか安心し
て、アキラの首に腕を回すと、更に口付けを強請る。
ヒカルに応えて羽根のように柔らかなキスを何度も落として、折をみては互いの衣服を取って生まれたままの姿に帰っていく。ヒカルと折角肌を重
ねているのに、いつまでも怒っているわけがない。そんな感情でヒカルとの大切な時間を無駄にするなど、アキラにとっては有り得ない話だ。
乱暴にしたくもないし、少しでもヒカルには快感を感じてもらいたいと思っている。
仕置きをするにしても、痛みなどを味あわせるような酷い真似は一切しない。それよりもヒカルに一番有効なのは、快楽と羞恥を煽ることだろう。
ヒカルは悦楽が過ぎると辛すぎて泣くほど、随分と感じやすい肌をしているのだ。
髪ですら敏感で、頭を撫でたり髪を梳いたりすると、いつもうっとりとしている。キスも好きな傾向にあるが、身体全体が触れ合うのを最も好む。
だから体位も後背よりも正面からの方が安心できて好きなようだ。
抱き締めてすると感じ方も明らかに違い、打てば響くように素早く反応を返してくる。
とはいえ、ヒカルとこういったことをするようになって二ヶ月にも満たない。まだまだデータは足りないし、今後も学ぶところは多いだろう。







