前回が長かっただけに、余り長くしたくなかったので、今回は少し短めの話になっています。それでも予定より長いんですけどね(汗)。
まだまだ進展しそうにない雰囲気でもどかしいようですが、既にどこかいちゃつき始めているのは許して下さい(笑)。
お約束のパターンがあるのはご愛嬌ということで(汗)。
途中でアキラさんらしくないおかしな台詞がありますが、これは私のちょっとしたお遊びです、ハイ(←コラ)。さるキャラの声をアキラさんの声を当てておられる小林さんがされていて、そのキャラの決め台詞(?)をアキラさんにも言って貰いたくなったんです(笑)。
ラストはちょっとシリアスっぽいんですが、私の書く話ではシリアス展開よりもほのぼのなってしまうので、次回も似たような話になると思います。
14~16巻辺りの話では、頑張ってシリアスにしたいですけど(笑)。
次回は軽めの話でもうちょっと二人には先に進んで欲しいですね。
「ここに来るの久しぶりだな」
ヒカルはアキラの笑顔に跳ね上がった鼓動を誤魔化すように話題を変えて、周囲を見回す。
「うん、夏祭りに行って以来だね」
にこにこしながら頷くアキラを横目で見て、ヒカルは色々尋ねたかったことを呑み込んだ自分のお人好しな性格を反省した。
アキラが余り聞かれたくないようだったので、敢えてあれ以上詮索せずにわざと別の話題をふったというのに、さっきとは違
ってこの態度はどうだろう。すっかりご機嫌で浮かれているようにしか見えないのだ。
公園で二人きりというシチュエーションに、アキラが無意識に有頂天になっているという事実に、本人もヒカルも気付いてい
ない。この点、二人は共通して鈍感だった。
今更怒っていた理由を尋ねたところで、アキラは上手く誤魔化して語ってくれないだろう。さっきも話さなかったのだから、今
も話すはずがない。誤魔化し方を変えるだけのことだ。彼は昔から頑固で頑ななところが多分にある。
その点については、ヒカルも似たところが大いにあるので、人のことを言えた義理ではないが。
「そうだ、進藤。これを渡しておくよ」
アキラは唐突に何かを思い出したようで、鞄の中から封筒を取り出した。
「何?これ?」
「夏祭りの写真だよ。今までずっと渡せずにいたから」
「へぇぇ~」
「ここでは見るなよ」
手渡された封筒をヒカルが開けようとしたので、素早く釘を刺す。ヒカルはムッとしたように睨んできたが、アキラも負けじと睨
み返した。そのまま無言の睨み合いが続いていたものの、やがてヒカルが封筒に眼を落として不承不承頷く。
「ちぇー……分かったよ…」
「じゃあ、しまってくれ」
アキラが眼光を緩めずに念押ししてくるので、ヒカルは渋々リュックに入れようとしたのだが、ふと手を止めてまじまじと封筒
を見やった。どうにもこうにも薄過ぎる気がするのである。写真なら何枚も入っていると結構分厚くなるものだ。
「なんか…薄くねぇ?」
「上手く撮れたと思う写真しか入れていないからね」
その言葉に、ヒカルはすぐさま封を切って中身を確認し始める。
「し、進藤!」
アキラの非難の籠もった声もなんのその、止めようとする腕を見事な身のこなしで素早く避けながら、ヒカルは枚数を数えて
写真の内容にざっと眼を通した。全部見終わった頃には、アキラはベンチに力なく項垂れて座り、恨みがましげな眼を向けて
いた。その目線を頓着せずにさらりと受け流して、ヒカルは写真を持ったまま再びアキラの横に腰を下ろす。
「枚数少な過ぎ」
「……失敗した写真を入れても仕方ないだろう?自分で比較的よく撮れたと思えた分しか入れてないんだから」
すっかり諦めたのか、ヒカルが真横で写真をじっくり眺めていても止めようともせずに、アキラは疲れたように溜息を吐いた。
「上手く撮れたってことは自信作なんだろ?堂々としてろよ。囲碁になると偉そうなくせに」
「自信作ってそこまで言うつもりは…それに囲碁は関係ないだろう……」
ぼそぼそと抗議してきてもヒカルは一切を無視して、一枚一枚を丁寧に見ていく。それを横目で見ながら、頬を微かに紅潮さ
せて居心地悪そうに座っているアキラを密かに窺い、内心ニンマリ笑った。これはヒカルなりの、さっきの仕返しなのである。
本当に痛かったのだから、これぐらいの意趣返しをしても罰は当たらないはずだ。
アキラの様子にヒカルは溜飲を下げて、にっこりと笑顔で告げる。
「おまえって写真撮るの結構うまいんじゃねぇの?囲碁でメシが食えなくなったらカメラマンに転職しろよ」
「……その時はキミに専属モデルになってもらうよ」
ヒカル的には褒めたつもりなのだが、この言われようには、さしものアキラも怒るよりも苦笑が零れてしまう。
「おまえの棋力なら一生無い話だろうけどな。……けど専属モデルの件は受けといてやるよ」
アキラの制服を掴んで引き寄せると、ヒカルは悪戯っぽく二ッと笑って内緒話でもするように囁いた。
「あ、うん」
間近にあるヒカルの唇が告げた言葉に頬を赤く染め上げ、アキラはなんとか頷く。まるでヒカルがアキラの傍にずっと居ると
確約してくれたような気がして、ひどく嬉しい。
さっきのことなどすっかり忘れ果てて、今にも触れそうなほど傍にあるヒカルの顔から離せなくなる。心臓が破れそうなほど
激しく脈打つ。まるで長距離を全速力で走った後のように鼓動が胸の奥を叩いて、全身の体温が上昇していく。ただヒカルの
体温を感じているだけなのに、どうしようもないほど彼に心が向かっていくのを止められない。
薄い色合いの砂色の瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「……塔矢…」
傾き始めた太陽で赤く色づいた唇が微かに開いて、アキラを呼ぶ。その声に誘われるように、アキラは知らず知らずのうちに
ヒカルに顔を寄せようとしていた。ヒカルもそれに応えるように、無意識に瞼を閉じていく。
木立からはひんやりとした秋の風が流れ、噴水の雫が夕日に照らされてオレンジ色に輝いていた。
二人の細長い影が、完全に重なろうとした時、不意に梢から鳥が飛び立った。
――バサバサバサッ!
「うわぁっ!」
「えぇ!?」
突然周囲にこだました鳥の羽ばたきにヒカルとアキラは同時に身を離し、ベンチの端と端に飛びのく。二人とも今自分達が何
をしようとしていたのかも全く意識していなかっただけに、ひどく驚いて動揺していた。
しばらく二人揃って和太鼓を打ち鳴らすように激しく脈打つ胸元を押さえていたが、やがてどちらからともなく笑いだす。
「ぶふっ!塔矢情けねぇ~!鳥の羽音にびびってやんの!」
「それはキミだって同じだ、進藤…」
目尻に溜まった涙を拭い、アキラも腹を抱えこんで笑いで語尾を滲ませる。
もしも、今二人の唇が重なっていたら、彼らの関係は大きく変わっていただろう。互いの気持ちに気付くのも、ずっと早くなって
いたに違いない。だが歴史に『もしも』ということがないように、彼らの間柄においても、それは必要のないものだった。触れ合わ
なかったことで、二人にとってこの時点でそれぞれの想いに気付くのは、まだ早かったといえるのかもしれない。
散々大笑いしてやっと落ち着いた頃には、ヒカルとアキラは何故か元の位置よりも更に身体をぴったりとくっつけていた。
「こんなに笑ったの、何だか久し振りだよ」
「オレ、おまえがあんなに大口開けて笑うところ初めて見たぜ」
「お、大口なんて開けてない!」
「あ~今のも大口だな」
「……っ!」
ぐっと言葉に詰まったアキラにしてやったりとばかりの笑顔で覗き込み、ヒカルは声を立てて笑う。しかしそれも束の間で、何
かを思いついたように品のよくない笑いを浮かべながらアキラに眼を向けた。
「ところでな塔矢。今日都合よく渡してきたってことは、オレの写真をいつも持ち歩いたりしてんじゃねぇだろうな?」
「…人を変態扱いするな。今日持っていたのは、プロ試験も終わって落ち着いた頃だし、院生研修が終わったら棋院で渡そうと思
っていたからだ」
いくらヒカルのことが気になるからといって、そんな事をしようものなら、アキラは真正の変態になってしまう。それに、写真を持
ち歩くのは非常に危険なので例えしたくてもできないのである。
同級生の津川と中村は、ヒカルの後姿を写した夏祭りの写真を見て以来、鵜の目鷹の目でアキラの動向を探っていて、何とか
して『浴衣の君(彼らが勝手につけたヒカルのニックネーム)』の正面からの姿を見ようと躍起になっているのだ。というのも、彼ら
はヒカルのことをアキラの恋人の少女だと思い込み、好奇心剥き出しの野次馬というかデバガメと化しているのである。
この間は「持ち物検査」と称してアキラの鞄を探って定期入や生徒手帳を出し、ヒカルの写真を入れていないか捲って見ていた。
今回のように写真が鞄に入っていたら、確実に見付けられていただろう。そういった危険を回避する為にも、アキラはヒカルの
写真を持たないように心掛けている。何だって津川と中村に可愛いヒカルの写真を見せてやらねばならないのだ。そんな勿体無
い事が出来るはずがない。
ヒカルの写真は撮ったアキラと被写体になってくれた彼のものであって、その他大勢のものではないのである。
『人の鞄を断りもなく探るなんて何を考えてるんだ!それに他人の撮った写真を許可無く勝手に見るのは著作権と肖像権の侵害
だぞ!訴えて勝つよっ!』
『おまえ独占欲でキャラが変になってるぞ』
『嫉妬深い男はやだね~。独り占めしときたいだけのくせにさ』
あの時は津川と中村の行動にさすがに腹が立って、滅多に荒げない声を荒げてしまったが、二人は飄々としたものだった。反省
の『は』の字も有りはしない。
結局、その後も彼らの攻勢は衰えるどころか、日々加熱していっている。学校に行かない日が続くと、電話をかけてきてまで動向
を探るほどなのだ。そんなに他人の恋愛の進展具合を眺めて楽しいのかと嫌味を言ってやりたいが、間違いなく力一杯『楽しい!』
という答えが返ってくるのは分かりきっているので、そんな愚も冒せないのが何とも情けない気がする。
事実、家に帰るとヒカルの写真を毎日眺めたりもしているのだが、アキラはその点については全く意識していないのだった。
「なんだ、つまんねーの」
いかにも面白くなさそうなヒカルの様子に、アキラはがっくりと肩を落とす。
「あのね……キミはボクを何だと思っているんだ…?」
「気にすんな。けど棋院じゃなくてあそこで会えて良かったぜ。オレプロ試験が終わってから院生研修行ってねぇし」
「……そうなのか?」
「うん。だから会えて良かったよ」
ヒカルがそう言って笑顔をみせると、アキラもつられて笑い返したが、ふと眉根を寄せて耳を澄ませた。
微かに聞こえてくる鐘の音に、顔を上げて公園の時計を見やる。噴水の水の音に混じって響く鐘の音はこの付近にある教会の
もので、一時間毎に時刻を知らせる時報代わりになっていた。針は4時をさしていて、道理で周囲も薄暗くなりはじめている筈だ。
秋の日は釣瓶落としというように、日が落ちるのも早い。隣のヒカルが小さく身を震わせてくしゃみをしたのに、アキラは我に返っ
た。既に気温も随分低くなってきているようで、肌寒く感じられる。これ以上ここに居ると冷えて本当に風邪をひいてしまう。
「寒くなってきたし、そろそろ帰らねぇ?」
「ああ……」
ヒカルの言葉に、ひどく名残惜しい気分を引き摺りながら、アキラは頷いた。
「手首はもう痛くない?」
「うん、平気。赤みもひいたし。ハンカチありがとな、洗って返すよ」
「いいよ、そんな事。ボクが悪かったんだし」
アキラが断りの文句をのせてさりげなくヒカルの手からハンカチを取り戻すと、ヒカルは不服そうに見上げてくる。
「うーん…じゃあさ、お礼にモデルでもなんでもしてやるよ。明日また会えるか?」
「あ、うん。明日は何も予定は入ってないから」
本当は自分から誘うつもりでいたのに、ヒカルの方から言ってきてくれたことがとても嬉しくて、ついつい頬が緩んだ。
「そうだ、これ渡しとく」
さっき渡したばかりの写真入りの封筒を掌に載せられて、アキラは驚いて眼を丸くする。
「…え?いらないの?」
もしかして気に入らなかったのだろうかと、急に不安になってヒカルを恐る恐る窺うが、彼はあっけらかんと笑っていた。
「ううん、いるよ。でもオレ整理とかって苦手だから、何枚かずつとかだと失くしそうなんだもん。アルバムに入った状態だったら
失くさないと思うし、ポケットアルバムでいいからさ、それが一杯になったら渡して」
「……分かった。じゃあ前に渡した写真も明日持ってきてくれないか?一緒に整理するから」
「へ?あ、うん…サンキュ」
(やべぇ…アレどこにやったっけ?今晩家捜ししなきゃ。失くしたりしたら、こいつ絶対に根に持ちそうだもん)
ヒカルは内心冷汗をかきながら、どこに写真を置いたのか必死に記憶を辿っていた。決して長い付き合いでなくても、ヒカルは
アキラの性格をそれなりに理解している。こういったことをないがしろにすると、怒るだろうことも予想ができるだけに、今夜は必死
に探さねばならないと密かに自分に発破をかけた。自分から言い出しただけに、疎かにすればまた「ふざけるな!」とこんな場所
で怒鳴られかねない。さすがにそれは恥ずかしいし、格好悪いというものだ。
「塔矢、おまえあっちからだろ?オレこっちだから」
「送っていくのに」
「へーき、へーき。道だって分かってるし帰れるよ」
アキラとヒカルは家に帰るのに、公園の出口がそれぞれ反対方向になるのである。離れたばかりの温もりの名残惜しさに、アキ
ラは食い下がるが、ヒカルは笑って辞退した。余りしつこくするわけにもいかないので、アキラは不承不承諦めることにする。明日
も会えるのだし、ここで夜風にあててヒカルに風邪をひかれてしまう方が、もっと辛い。
「塔矢!また明日な」
「うん…明日また会おう」
歩き出したアキラに向かって大きく手を振ると、彼の後姿が見えなくなるまで見送り、掌に残る温もりに擽ったそうに瞳を細めると、
ヒカルは佐為を振り返って笑いかけた。
(帰ろうぜ、佐為)
――はい…
佐為はベンチの端に座っていた身を起こして、ヒカルの後について歩を進めた。明日になれば、この塞いだ気持ちも晴れるのだ
ろうか。今日弾けるように笑った二人の少年と一緒に、笑えるだろうか。
先に行く少年の背中を眺めていると、まるで自分は置き去りにされるように思えて、無意識に歩みを止めてしまう。
(さーい!早く来いよ)
ヒカルが振り返って呼びかけても、佐為はその場から動かずにいた。自分に打たせる気がないヒカルについていっても仕方がな
いような気がして、その考えに更に自分への嫌悪感が募る。そうすると余計に足が動かなくなった。
(何やってんだ、佐為。今日も打つんだからな、帰るぞ)
ヒカルは佐為の元まで駆け戻ってくると、子犬のように纏わりついてくる。
――そうですね。今日も明日も打ちましょう
(ああ)
何故だろう、ヒカルが戻ってきたのを見て、不思議とほっとした。ヒカルが自分の傍に居てくれることで、まだ自分はここに居ても
いいのだと、どこかしら安心できた。
――ヒカル、あなたは塔矢が好きですか?
公園の出口に向かおうと一歩を踏み出したところで、不意の質問にヒカルは大きな眼を丸くしたが、すぐに破願して頷いた。
(うん!好きだよ)
佐為は柔らかく微笑んで、そっとヒカルの頭を撫でてやる。ヒカルはそんな佐為をきょとんとした顔で見詰めていたが、すぐに嬉し
そうに首を竦めて笑う。まだヒカルにはアキラに対しての『好き』は、友人や家族に対しての『好き』と分かれ目が曖昧な状態になっ
ている。無邪気なヒカルの『好き』という言葉は、アキラの求める答えではないのだろうけれど、佐為にとってはその想いはこれか
らも育むべき大切なもののように思えた。
(けど、和谷も、伊角さんも、あかりも、じいちゃんも、お母さんも、お父さんも、河合さんも、みんな好き。その……おまえのことだ
って…オレは好きだぞ)
照れくさそうに瞳を逸らして俯き、頬を掻いて小さく呟いた素直で優しいヒカルが、何よりも愛しい。
――…では碁も好きですか?
(そんなの当り前だろ!大好きに決まってんじゃん!)
ヒカルの笑顔に眩しげに瞳を眇め、佐為は歩き始めた。ついさっきまで動かなかった足が呪縛を解かれたかのように、あっさりと
動く。どんどん暗くなる道をヒカルの後をついて行きながらも、佐為の不安は尽きない。どれほどの言葉を聞いても、どうしても拭
えない不安が残ってしまう。いつもなら打てるというだけで喜びで胸が一杯になるというのに。
暖かな光の中に居たヒカルの姿は、まるで未来へと続く輝きを頭上に頂いているように見えた。終わりなき道を導くように。
取るに足らない不安だと思いたい。けれど、小さな背中を見守る佐為の心は、ヒカルを照らした日向を作り出した太陽のように明
るくなることはなかった。
2003.11.13