Ⅱ   闇の胎動

 日本で平和な光景が展開されている一方で、さるアジアの国の一角では、奇妙な会議のようなものが開かれていた。恐らくどこかのホテルのスイートルームか、或いは主催者
の持つ部屋なのか、かなり豪華で手のこんだ作りになっている。時差があるからだろう。部屋に入る光は無く暗い夜が外には満ち、窓の明かりが地面を照らしていた。
「あの方が、三百年ぶりに居を移されたそうだ」
 男の言葉に、その場に居た他の者が動揺の声を上げてどよめく。
「何だと?」
「あそこは拠点としては特に気に入られていたのではなかったか?」
「あの方の行動はいつも先触れがないからな」
 一人が動揺を隠しきれずに呟いた言葉で、更に場は騒がしくなった。
「まさか、奴が再び生まれ変わってきたのでは……」
「馬鹿な!転生するにしてもあれから百五十年も経っていないぞ!?降りてくるものか!」
「しかし、奴はあの方が伴侶として唯一お認めになられた男だ。普通の人間の範疇に納まらん。異例の速さで転生してもおかしくなかろう」
「確かに我らを完膚なきまでに消す能力など、ただの人間とは呼べんな。かといって転生の確証はないぞ」
「だが……もしも降りているなら由々しき事態だ」
「すぐにでも奴の復活を阻止せねばならん!」
 喧々諤々と言い争う彼らには、相当な必死さがあった。それほどまでに『奴』の存在は彼ら一族にとっては脅威となる。
 まさに天敵というべき『奴』が復活するということは、いかに不死に近い肉体を持つ者達にとっても、死が間近に迫ることだからだ。
 自分達一族の存亡がかかっているといっても過言ではない。豪奢で落ち着いた雰囲気のある部屋には、およそ似つかわしくない声ばかりが響くが、それを告げた男は平然と
肩を竦める。この程度の騒ぎは、大して珍しいことではない。
「転生したかどうかわからない奴なんてどっちでもいいね。そんな事よりも、行き先はどこなんです?」
 眼鏡をかけた黒髪の青年は、喚く同席者の言い争いにうんざりしたように髪をかき上げ、テーブルの対角に座る男に尋ねた。彼らにとって『あの方』が少しでも傍にやって来る
ということは、一種のステータスシンボルになると表現しても過言ではない。より近ければ近いほど、認められて上位に居る者達の身分に追いつきやすい。
 即ちそれは『あの方』の傍にも行きやすくなることを表す。
 それまで散々声を荒げてやり合っていたのに、行き先を聞く段になると唐突な静けさが室内に下りた。数瞬の沈黙後、男はもったいぶりも、頓着もせずに口を開く。
「日本」
 あっさり答えると、固唾を呑んで聞き入っていた者達は一様に不満げに鼻を鳴らし、口々に反駁をし始める。室内の喧騒はこれで更に増したに違いない。
 ついさっきまで別の話題で言い争っていたのに、その話題は完全にそっちのけで忘れられ、あっさりすり替わってしまった。
「日本だと?何だってそんなちっぽけな島国なんかに!」
「リゾート大国の我が国なら何の不自由もさせんぞ!」
「我が国は様々な娯楽施設がある。あの方も気に入られるはずだ」
 一族の存亡より、私欲を優先した主張ばかりが目立っている。彼らが持ち出す主義主張の数々は、五輪や有名企業の誘致をかけた争いとも、どことなく似通っていた。
 対して、眼鏡をかけた青年は優越感に浸るようにうっすらと笑みを浮かべる。彼のテリトリーは日本で、現在その国の首都圏を拠点としており、統括しようという目論見があった。
 統括への根回しのためもあって、この会合に出席している。今現在日本の一族を統括する存在は不在となっており、彼は有力候補の一人でもある。ほぼ実力は拮抗しており、
突出して最有力となれる者は居ない。今回の会合の出席は予想外の収穫だった。
 だが青年の余裕の笑みが彼らの感じた不満をより一層煽ったようで、一気にエスカレートする。
「それなら我が国に来て頂きたい。最高級の場所を用意する」
「馬鹿を言え!おまえの国なんぞ映画会社だけが取柄だろうが」
「あの方はこの宇宙の化身、自然を愛される。ならば、自然が豊かな我が国こそが相応しい!」
「いい加減になさい、見苦しい。あの子の怒りを買いたいのですか?」
 喧々囂々と言い合う彼らの間に、美しい声が割り込んだのはその時だった。一体いつからそこに居たのか、長い黒髪を垂らした青年が、端然と上座の位置に立っていた。
「佐為殿……」
「いやしかし、我々としては…」
「あの方に少しでもよい環境をと…」
 しどろもどろに言い募る男達に、佐為と呼ばれた美貌の青年は深々と溜息を吐いた。彼らが光に惹かれてしまうのは、闇という属性を持つ者の性とも言えるが、かといって好き
にさせるわけにはいかない。彼らが長と崇める者の考えを覆すなど、不可能なのだから。
「これは既に決定事項なのですよ。今更変えられません」
 佐為の言葉に、男達は不服そうにしていたがそれ以上敢えて意見を述べようとはしなかった。そこに絶対的な上下関係があるように。
 その上下関係ゆえに、彼らの中には佐為への嫉妬も見え隠れする。
「楊海殿、貴方が居ながらこれでは困ります」
 それまで面白がるように眺めていた、事の発端の言葉を言い放った青年――楊海というらしい――に佐為は苦言するが、楊海はにやりと人の悪い笑みを浮かべただけだった。
 まるで悪びれる様子もない。再び佐為は大きな溜息を吐いて、ゆっくりと首を左右に振った。そんな佐為を眺めながら、楊海は声を出さないままに尋ねる。
『どうせ誰が言っても連中は不満なんだよ、放っておけばいいのさ。それよりも、我らが女王様はどうされてる?』
『相変わらず逢瀬に夢中ですよ。こちらが恥ずかしくなるほどです』
『それを知ったら連中は更に色めき立つだろうな。たかだか人間風情に自分達の長が虜になっているってだけでも我慢ならないのに、その相手が最大最強の敵となると……』
 楊海の言葉は予想通りのもので、佐為は神妙に頷いた。
『あの子の眼を盗んで彼を殺そうとするでしょうね。だからこそ、彼には自分を護る力が備わっているのですよ』
『当然、その力にはもう目覚めてるんだろう?』
『……いいえ、それがまだなのです。目覚める兆候すらありません』
 楊海にとっては当り前の事柄だったが、意外な答えに眼を剥く。
『そんな状態で日本へ行ったのか!?』
『ええ、私にはあの子が何を考えているのかさっぱりです……』
 佐為にこれを言われると、自分としては立つ瀬がない。
 何せ佐為は、一族の中でも非常に特別な存在なのである。ある意味、百華仙帝とも呼ばれる彼らの主人に最も近しい位置にいるとも言えた。
『あんたにそれを言われるとこっちは堪ったもんじゃないな。何せ、我らが最愛の我侭女王様との付き合いは、最初の一族であるあんたが一番長い。そう、四天王よりもずっとね』
 佐為は癖になったように溜息を吐いた。確かに創造主であり『世界の王』である者との付き合いは、この星に生きる者としては一番長いだろう。しかし、だからといって、全てが分
かるわけではない。自分と彼との関係は、魂と肉体を溶け合わせるような深いものではないのだ。いくら付き合いが長くても、それとは意味が違う。
 彼のことを真に理解できるのは、伴侶のみなのだから。
『私はなるべくしてなったのですよ。私の弟を伴侶にと、あの子が選び望んだ時から、既に全ては決まっていたこと……これはこの宇宙の自然の流れであり理なのですから』
 この世に生れ落ちて力を授かり、全てを知った時から、自分の運命は決まっていたのかもしれない。けれど、逆らう術など最初から有りはしなかった。
 全ては既に決まっていたのだから。
『絶対的な力の前には我々は流されるしかない……か。それにしても解せないな、何故村上の居る日本へ?あいつは特に彼への敵愾心が強い。しかも嫉妬深さ故に手段を選
ぼうとしない危険分子だ』
『だから心配なのですよ。村上は遠からずあの子の伴侶が戻ったことを知り、力に覚醒していないことにも気づくでしょう。彼が危険に晒されることは日を見るよりも明らかです。
それなのに、四天王が全員護りに入ることを拒否したと、水の四天王が私に告げてきました』
 考えるだけでも気が滅入るのか、佐為はこめかみを指で押さえる。
『それは穏やかじゃないな…世界の王は何を考えているのやら』
『彼が殺される心配がないと、高を括っているとしか思えません』
『まあ確かに、何をされても今までのように死ぬ心配はないだろうな。この世界の化身に命を繋がれては、自殺したくなっても死ねやしない。執着するにしても、そこまですること
もないだろうに。この先の人生の長さに耐え切れずに発狂するんじゃないか?』
『あの子が居る限りそれはないから心配するだけ無駄ですよ』
 これだけは、佐為にもはっきりと確信できた。『世界の王』の誘惑と魅惑の力の前では、どんな存在も無力な赤子以下に成り果てる。彼に心を奪われ掴まったら最後、永遠に
虜となるだろう。そうなれば時間の感覚など無意味だ。その者の世界の全ては『彼』となり、それ以外のことはさしたる問題ではなくなる。
『それもそうか、見るだけで恥ずかしくなる熱々ぶりだからな。だったら佐為殿は何が不安だ?』
『死ぬことはなくても痛みは感じます。繋がった命のお陰で身体の傷の治りも少しは早くなるでしょう。でも傷つけられた痛みに、心も身体もボロボロにされる可能性はあります』
『村上なら確かにやりかねないな。あいつは人間をいたぶり殺すのが一番楽しいという、厄介な趣味の持ち主だし』
『それに憎しみが加わって御覧なさい、どうなるか分かるでしょう?』
『ふーむ…本当に百華仙帝は何を考えているんだ?』
『分かれば苦労しません。でもあの子は負ける算段は全くしませんし、負けたこともありませんから。唯一負けを喫するのは、愛する伴侶を相手にする時だけです。心配するだけ
無駄かもしれませんね』
『とにかくこの場は適当に納めるよ。あんたは国に戻って今後の準備を整えた方がいいんじゃないか?百華仙帝がお呼びのようだ』
『そのようですね。楊海殿も、日本での手配をお願い致します。では、後を頼みましたよ』
『了解』
 楊海が小さく頷くと、佐為はすぐに背中を向けて部屋を出て行った。彼らの会話は誰に聞かれることもなく、また時間的にはほんの数秒にも満たない時間であった。
 二人以外の殆どの者は、佐為が楊海に苦言だけを言って立ち去ったように見えただろう。だが実際には、彼らの間には様々な会話が成立し、またそれ以上の意思のやり取り
が行われていた。 一族でも特に長い年月を生き、最高位の力を持つ者だけができる技である。ほんの一握りの者だけの特権なのだ。
 佐為の姿が消えたことで、再び人目も憚らずに言い争いを始めた者達を見るともなくぼんやりと眺めている楊海を、村上と呼ばれた青年は冷たい視線で見据えていた。

「佐為!」
 少年期の甘さを残した少し高い声の持主に呼ばれ、つい先ほどまで遠く離れた場所に居たはずの藤原佐為はゆっくりと背後を振り返った。
「そんなに大きな声で呼ばなくても聞こえていますよ、ヒカル」
 身体に白いシーツのようなものを巻いただけの、前髪が金髪で後ろ髪が黒髪という虎を髣髴させる少年がそこに立っていた。
 顔立ちはまだ幼さが残っており、佐為を前にする声は年上の兄弟に対する甘えを含むような親しみがある。
「おまえさっき出かけてたろ。オレが呼んだらすぐ帰って来いよ」
「はいはい。それで、塔矢は学校に行きましたか?」
 居丈高に告げるヒカルに笑いながら頷いてみせ、佐為は問いかける。
「行ったよ、オレのこと放ったらかしにしてさ」
 ぷっくりと頬を膨らませて拗ねた顔で言うヒカルは大層愛らしい。どんな者でも、機嫌を損ねた彼の機嫌をとりなくなってしまう。けれど、この綺麗で魅惑的な少年からの誘いを
強固な意志の力で何とか退けて、塔矢アキラは学校に行ったようだった。
 内心で拍手喝采した佐為だが、ヒカルには一切気づかれないように細心の注意を払う。下手に察せられるとご機嫌が斜めになるのだ。つむじを曲げたヒカルの機嫌をあれこれ
と手を尽くして直す作業もまた楽しくて、ついつい甘くなってしまうのだから困る。全くもって楊海が言うとおり、ヒカルは我侭女王様である。
 しかしそんな佐為の心を知らぬげに、ヒカルはころりと傾きかけた機嫌を直して、上目遣いに彼を見上げた。
「なあなあ、塔矢の学校はどうなった?オレまだなの?」
 キラキラと瞳を輝かせるヒカルをまじまじと見詰め、彼は改めて聞き返した。どう考えても、ヒカルを学校と呼ばれるものに行かせるのは危険な気がしてならない。
 勿論、外見年齢だけなら彼は学生生活ができる歳ではあるが、いかんせんこの少年は育ちが普通ではないのだ。
 彼自身に危険が及ぶことは全くないだろうが、周囲にとってはどれだけ傍迷惑なのか、想像するだに恐ろしいものがある。
「本気で塔矢と一緒に学園生活をするつもりなんですか?」
「うん、するよ」
 あっさりと頷く少年の姿に、佐為は恐ろしく不安だった。
(心配ですね……本当に大丈夫なんでしょうか…)
 彼は何せ普通の人間ではない。それだけでなく、これまで学校に行ったこともなければ、集団で生活したこともないのだ。多くの者に傅かれ、敬われ、何もかも自分の思い通り
にしてきた。そう、大切な恋人のこと以外に関しては。
 この少年にとっては、物事は全て自分の思った通りに進むことが当り前で、ただの我侭という範疇に収まらないほどスケールが大きい。空気が当り前にあるように、彼にとっては
この世界が自分の思うがままにならないことなどあるはずがないのだ。 面倒臭いからほったらかしにしているだけで、気に入らなければ、人間がゴミ箱に物を捨てるようにあっさり
と消し去ってしまう。学園生活の中で、先生に注意されたというだけで短気を起こして、この世界をどうこうされるようになってしまう事態だけは避けたい。
 今までぐずぐずと入学手続きを遅らせてきたのは、学園の経営を完全に掌握する必要があったことも含まれるが、一番の理由は眼の前の少年が一般常識の通用しない相手で
あるからだ。彼と共に学校に行く者には、厳重に監視を頼まねばなるまい。
「多分来週からは行ける筈ですよ。入学手続きはこの間済ませてきましたから。私は国に戻りますが、いい子にしているんですよ」
「オレはいつでもいい子にしてるじゃんか」
「そうですね、ヒカルはいつもいい子ですよ」
 佐為が頭を撫でてやると、ヒカルは擽ったそうに肩を竦めて、楽しげに笑う。こんな姿を見ていると普通の少年と何ら変わりなかった。
 しかし、この少年はその姿だけで推し量れる存在ではない。
 花のように華やかで美しく、近づく者達を魅了する。誰もその魅惑の力に抗えはしない。
 また、見た目のみ美しいだけの魅力的な花ではなく、驕慢でいて不遜な傲慢さと王者の気風を持つ、絶対的な支配者でもある。その力の前には、この星も銀河も玩具のように
扱われる、ただそれだけの存在に過ぎない。塵や芥と何の変わりがあろうか。
 さる神話において『世界の王』とは、この世に神も悪魔も、全てを作り出した真の創造主とされる。
 決して誇張ではない絶対者の存在は、華やかで美しいだけでなく、とてつもない危険を孕んだ魅惑の香りに満ちている。
 アジア方面においては『世界の王』と表現する者よりも、花々の王という意味合いから『百華仙帝』と呼ぶ者が多いのもそれらを踏まえているのだろう。綺麗な花には棘があると
は、言いえて妙である。華やかなる花々の王を示すこの『百華仙帝』という称号は、ヒカルのためだけに作られたというのも、佐為には確かに頷けた。
 佐為がヒカルと出会ったのは随分と昔のことである。最初はヒカルの存在と内に秘めた力に圧倒されたものの、一緒に居るうちに彼の持つ子供のような無邪気で明るく素直な
性格が可愛くなり、気も合ったこともあって今ではすっかり保護者のようだ。
 あの頃から、ヒカルは何一つ変わっていないように見える。確かに外見的にはないが、内面的には多少変化した部分もあるかもしれない。彼が大切な伴侶との出会いから、独
断で全てを決めるのではなく、ある程度は他人の意見を受け入れ譲歩するようになった。これは大きな前進であり一歩であるといえるだろう。
 とはいえ、耳に聞き入れる相手は極僅かであるが。少なくともアキラの言葉には頷くことも多いから、学校生活は何とかできると思う、というか思いたい。
 だがそれよりも佐為にとっての目下の心配事項は、ヒカルの伴侶となったアキラに及ぶ可能性の高い危険だった。どうも、村上という男の態度が気になる。彼はもしかしたら、
既にアキラの存在に気づいているのかもしれない。例え気づいていなかったとしても、ヒカルが同じ学校に通い始めれば否応なくばれる。
 そうなれば、どんな方法を使って危害を加えてくることか――。
 やはりヒカルは学校に行かず、ここで大人しく待機させるのが一番いいように佐為には思えた。そんな佐為の横顔を、ヒカルはにこにこ笑いながら見ている。
「何ですか?ヒカル」
「おまえの百面相って見てて飽きねぇよな~」
「…あのね……ヒカル…」
 思わず脱力した佐為を見上げて、ヒカルは唇に意味深な笑みを浮かべると、近くのテーブルに腰をかけて足を組んだ。そのまま膝に肘をつき、悪戯っぽい顔で佐為を見詰める。
 行儀が悪いと叱りつけようにも、すんなりとした白い足を組んで座るヒカルの姿が嵌まっていて、まるで当然の作法のように見えるのだから始末に悪い。ヒカルの我侭がまかり
通るのは、こういったところもあるに違いない。佐為としても頭が痛かった。
「まあ、そう心配することもねぇよ。あいつには今は永夏がついてるし、オレも学校に行くようになれば奴らも手出ししにくくなるさ」
 どうやら自分の考えは相手に筒抜けだったらしい。佐為は小さく息を吐いて、ヒカルに向き直った。
「あなたが百華仙帝だと最下層の者は気づきませんよ。そんな事すら分からないはずがないでしょうに。ヒカル、何を企んでいるんです?」
 人間は月を地上から見上げているからこそ、自分自身の大きさと比較することもない。離れているからこそ美しいと感嘆する。
 地上に立っている人間が地球の大きさに気づかずに日々を過ごすように。
 それと同じことが一族にも、特に力の弱い者ほどその傾向がある。一族から見たヒカルは離れていると月や太陽のように美しく輝いて見えるが、一定の距離に近づくと光に気づく
ことができなくなるのだ。日常生活で外から窓の光を見て明るさを感じても、光の中に居るとその明るさが当り前になってしまうことと、同じような現象である。
 佐為や楊海のように強い能力を持つ者には、ヒカルの存在を一際違う輝きとして認識できるが、力の弱い者になればなるほど、包まれた光の中で相手を判断できなくなってしま
うのだ。日本のような狭い島国だと、ヒカルが無意識に放つ光にすっぽりと覆われてしまう。日本やその近隣諸国に居る一族は、ヒカルを百華仙帝として認識できず、ただの人間
と判断するに違いない。四天王についても同じことがいえる。末端の一族程度の能力では、彼らと人間との区別がつかないのだ。
 一族と違い、彼らはそれだけ気配を上手く溶け込ませる。力の低い者も含めた殆どの一族は、人間を餌としか見ない傾向が高いだけでなく、自身を特別視した歪んだ自尊心を
持っている。強い力を持っていると気づけば、その力を得るために、ヒカルや四天王を人間と思って襲ってくる可能性もある。
 当然ながらアキラのことも極上の餌としか見ないだろう。ヒカルや四天王は自分自身の身を自分で護れるが、今のところただの人間であるアキラには身を護る術がない。
 ヒカルにそのことが分からないはずがない。これが何か含むところがないと考える方が奇異に思える。
「企むだなんて人聞きが悪いぞ、佐為」
 ムッとしたように唇を尖らせたヒカルの愛らしさに、佐為は騙されなかった。視線を緩めずに見詰め続けていると、ひょいと軽く肩を竦めて、ヒカルは諦めたように頭を掻く。
「自由に力を使える方が、塔矢だって便利じゃんか」
 僅かに佐為は瞳を見開いた。ヒカルの考えがその一言で理解できたからである。だがこれはアキラにはかなりの荒療治になりそうだ。
「……そういうことですか。しかしそれでは危険が有り過ぎますよ」
 いくらヒカルの短い言葉から全てを察したとはいえ、唯々諾々と頷ける計画ではない。アキラに危険が及ぶことには変わりないのだから。
 四天王がこのことを知っていれば、必ず大反対するだろう。
 だから、ヒカルは誰にも何も話さずにいたのだ。
「掃除も兼ねて頑張って貰わないとダメなの。このくらいできなきゃオレの伴侶として、他の奴も納得しねぇだろ?」
「懐に入れた者以外の存在には本当に容赦ありませんねぇ…。これをされたら、納得どころか立派な脅しとして通用するでしょうよ」
 ヒカルの視線が他言無用を告げていることもあり、誰にも話すわけにはいかないが、厭味の一言くらいは言いたくなる。
 厭味を交えた佐為に、ヒカルは愛らしい唇に不敵な笑みを刻んだ。
「オレの伴侶に下手に手を出せばどうなるか、分かるようにしてやるだけさ。学習能力の低い奴でも痛い目をみれば納得するじゃんか」
 あっさりと少しも悪びれずに言い放つヒカルを見詰めて、佐為は再び溜息を吐いた。今日はこれで何度溜息をついただろうか。
 どの道どれだけ進言したところで、聞き入れる少年ではない。彼の考えを覆すなど、滅多にできることではないのだ。
「……で、学園の理事長は誰がなるんだ?」
 ヒカルはこの話は済んだとばかりに、次の質問をしてくる。
「楊海殿に頼んであります。余りワガママを言って困らせないであげて下さいね。彼はとても有能な人物なのですから」
「分かってるよ。言われた通りちゃんと入学試験も受けただろ?」
 学校に入るためにわざわざ試験をするなんてと文句を言いつつも、ヒカルはちゃんと試験を受けてかつてない成績で合格した。
 佐為からすれば当り前だが、一介の教師には驚愕ものだろう。何せ全て満点であるだけでなく、ほんの数分足らずで問題の全てを解いてしまったのだから。
 天才だと思っていても不思議ではない。しかし、ヒカルは彼らの思うところの天才とはまるで違う。
 ヒカルは世界の理を司り知る者だ。彼には数式も何もかもわからないことなど何一つない。
 人間の考えた稚拙な試験問題など、欠伸をしながらやる気もなさそうに解くのは当然だ。人間が求める全ての答えを彼は最初から知っているのだから。
 今後のことを考えると不安で堪らない佐為であったが、既に賽は投げられた。自分ができるのはここまでだ、後は結果を見届けるのみ。
 佐為は世界の王に敬意をはらうように身を屈めて辞去を伝えると、本来の役割へ戻るため、優雅に姿を消した。


                                                                         百華仙帝 Ⅰ誘惑者(後編)百華仙帝 Ⅰ誘惑者(後編)百華仙帝 Ⅰ誘惑者(後編)百華仙帝 Ⅰ誘惑者(後編)百華仙帝 Ⅰ誘惑者(中編)   百華仙帝 Ⅱ闇の胎動(中編)百華仙帝 Ⅱ闇の胎動(中編)百華仙帝 Ⅱ闇の胎動(中編)百華仙帝 Ⅱ闇の胎動(中編)百華仙帝 Ⅱ闇の胎動(中編)