とこしえに広がる星の海。死の闇に閉ざされながらも、生命の輝きが消えることなく溢れている。
そして広大な宇宙の中には、当然のように命を育む名もなき星系もまた存在する。この星系内にある星の殆どは、ガスや氷の星、
ただの岩の固まりであるような、どこにでもあるありふれたものだ。
これらの星の他には、同一軌道上に四つの星が等間隔に並び、それを縦に割る形で、二つの惑星が同じ軌道で恒星の周りを回
るという、奇妙な特徴を持つ星々もある。しかも、六つの星には生命が誕生する条件に欠かせない、空気と水の存在が確認できた。
当然の如く、五つの星には生物が存在している。だが、四つの惑星が並ぶ軌道の中で、一つの星には生物の気配がない。
この星にも一応空気は存在するようだが、海は赤く濁り、大地には森などの緑が殆ど見当たらない。空気があって水もあるだけで
なく、文明の痕跡すら窺える。つまり、過去には生命が存在した証明である。しかし、今はない。
何らかの原因で、生物が住めない環境となったらしい。
だが、この星の生命力そのものが完全に失われてしまったわけではない。オゾン層が破壊されて紫外線が地上に降り注ぎ、容赦
のない光に照らされて大地は乾ききってしまっているものの、まだ海が存在する。生命の源である海も汚れ、命の育成には不向き
になってはいる。けれど最も深い部分で、大地と共に少しずつ、少しずつ、本来あるべき姿に戻ろうとしているのだ。
死の星となった星の名は、ラングザーム。隣に位置する星はモテッド。更にその隣には、リートという星がある。ラングザーム以外
の星は皆、青く美しく輝いている。
中でもリートという星は、特に自然が豊かであるようだ。またリートには、恒星からの光を受けて、月のように輝く美しい衛星があっ
た。リートに住むの人々にからは、ルーイヒと呼ばれる小さな星である。
その星が淡く青い光を降り注ぐ地上に、一人の少年と一組の男女がいた。
自然豊かな森にある湖の畔で、焚火の炎と夜を支配する星の光に照らされ、彼らは無言のまま休息をとっている。周囲には人と
呼ばれる存在も、獣の気配すらない。湖は時折風を受けて小波をたたせ、どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえる以外、薪がはぜる音
のみが唯一何らかの存在を思わせるものだった。
少年はじっと焚火を見詰めている。だが正確には、少年が見ているものは炎ではなかった。
炎に焙られ、香ばしい匂いをさせているもの――魚である。ついさっき湖で釣り、捕まえた獲物だ。
自然がいくら豊富であっても、食べられる生物と出会い、捕まえられなければ意味はない。事実、広大な森の中で人間と動物が
出くわす確率は意外な程に低い。大抵は出会う事無く通り過ぎる。
しかし、湖の畔では反対に出会う可能性は上がる。
湖は美しく澄んでいるだけでなく、森の動物達の水飲み場であると同時に、泉に棲む魚は彼らの餌ともなる。
水を求めてくる動物達を待ち伏せたりもできるし、魚を捕るだけでも充分な収穫だ。何よりもここには、生命を維持するために最も
必要な『水』がたっぷりとある。
万が一迷っていた時の用心に、疲れた身体を休めて体力を蓄え、今後の行動の糧となる食料を手に入れることができる。休める
場所であると同時に、狩場としても最適な場所に差しかかったのなら、一旦は足を止めるのも必要なことだ。たとえ目的地がすぐ
傍にあるとしても、先にどんな危険があるか分からない。
体力は回復できる時に必ず回復させる。それが冒険者にとっては、基本中の基本なのだ。
この森を通り抜けた先にある目的地まで、普通に行けば十五日以上はかかる距離だが、馬を使っていることもあり、十日間で近
い位置まで来ることができた。決して急ぐ旅ではないものの、早いに越したことはない。
慣れた様子で焚火の番をする少年の名は、クリスタ・エルンスト・ロズウェルという。
炎の明かりに照らされる彼の横顔は信じがたいほどに整っている。人間がどれだけ努力しても手に入れられない、完璧なまでの
造形美。まさに神の手によって丹念に作り出された、美を極めたかのような存在である。
だがしかし、それほどまでに美しい外見であるというのに、クリスタには人を近づけさせないような雰囲気は一切ない。むしろ人懐
こく、親しみやすさすら感じられるほどだ。
どこにいても目立つ容姿ではあるものの、誰とでも彼は友人になれる――そんな気すらさせるに違いない。
肌は抜けるように白く、旅をしながら外での生活を続けているようには少しも見えなかった。愛らしくふっくらとした少女めいた唇は
桜色に染まり、通った鼻筋に色を添えている。顔の輪郭を縁取る髪は闇を切り取ったかのような漆黒。それもただ黒いだけではなく、
銀河を映す夜の闇を湛えた光沢は、まるで星をちりばめているようだった。
この髪と同じ色をした眉は女性的でありながらも凛々しく、少年らしさを醸し出していた。その眉の下にある眼には、鮮やかで濃い
色合いの翡翠がはめこまれている。恐ろしく強固な意志と、生命の力を宿した輝ける瞳。
クリスタの全ては瞳の力によって、更に美しく際立たせられている。
まさに美少年という言葉通りの綺麗な容姿の持ち主ではあるが、それにありがちな脆弱さやなよやかさは気ほども見当たらない。
自信と尊厳に満ちた高貴さすら漂う顔立ちには、少年というよりもむしろ男臭さが目立つ。
時折そよぐ風がクリスタの髪と炎を時折揺らす。微動だにせず、じっと魚を眺めていた。しかし、彼が注視している魚は淡水魚らし
からぬ大きさの上に、非常にグロテスクな姿だった。勿論淡水魚にも大きな魚はいるものの、ここまで大きくて食欲を失いそうな醜
い姿をした魚はそうそういまい。
彼らにとって魚の容姿などどうでもいいことであった。とにかく食べられさえすればいいのである。
それに少年の知識の中で、このグロテスクな魚は淡水魚の割には泥臭さもなく、巨体に反した繊細で味わい深い身を持っている
と知っていたどこの湖や河にでもいる淡水魚であるのだが、醜悪な外見と凶暴な性質とで、一般的には食用とされていない魚だが、
ちょっとした『通』にとっては大変な珍味なのである。
長年わたって旅を続けてきたクリスタにとっては、この程度の知識は持っていて当然のものといえる。
彼の横に座るのは女だ。豪奢な金の髪が焚火に照らされて眩く輝き、闇の中にある太陽のような印象を与える。どことなく気の強
そうな眼をしているが、口元は優しくたおやかだ。
母性の強さと慈愛を同時に持っている、そんな雰囲気が漂う美しい女であった。
女の横には長身の男が切り株に腰を下ろしている。火のように真っ赤な髪は明かりの中で更に赤々として、そこにもう一つの炎が
あるようだ。顔立ちは中々整っており、男らしく精悍で、頼りがいがありそうに見える。
彼らは充分に美男美女の部類に入るのだが、少年の持つ美しさとは全く印象が違った。いわば人間臭いのである。
クリスタの美貌は強烈な磁力で惹き付ける輝きが有り、誰でも一目会ったら忘れる事ができないだろう。
だがその反面、少年の服装は整った外見とは裏腹に、機能性のみを重視した無骨なものだ。フードのついた旅用のマントを羽織
り、薄汚れた上着には胸当てをつけている。いつもは身に着けている小手は、料理の為に外しているものの、すぐ傍においていつ
でも装備できるようにされていた。
ただじっと魚が焼けるのをまっているだけにしか見えないが、実際のところ彼にはほんの少しも隙が見当たらない。周囲の音に耳
をすませ、風から伝わる匂いを嗅ぎ、僅かな気配も逃さぬように常に意識を向けている。
そのくせ、そこに座っている姿は無防備でリラックスしているようにしか見えない。
事実、彼は確かに休息をとりのんびりとしている。無意識のうちにそれらのことを行ってしまう習性が完全に身についてしまってい
るのだ。戦士として濃密な時間を過ごしてきた何よりの証拠である。
腰に下げているのは長剣で、柄には藍色の石がはめこまれている。脱いだ小手の傍には短剣があり、こちらには翠色の石がは
められていた。どちらも本物ならば、一財産ができるような質の良い高価な品である。剣もそれに見合った立派なものだが、両方共
かなり使い込まれているようだ。これもまた、彼が歳のわりには相当な場数を踏んでいる、裏づけともいえる。
事実クリスタは子供の頃から師匠に剣士として鍛えられ、命のやりとりも幾度も経験した歴戦の戦士なのだ。
男と女もまた、何気なく周囲に気を配っている。三人ともただの素人とみるべきではないだろう。
「そろそろ焼けたな」
言うと同時にクリスタは懐から小剣を取り出すと、香ばしく焼けた魚に突き立てた。味見をしてにんまりと笑い、残る二人に頷いて
みせる。丁度いい具合に焼けたようで、魚を大きな葉を重ねた皿代わりのものに移すと、彼らはこれまで静かにしていたのが嘘の
ように、騒がしく喋りながら食事を始めた。
「明日には街に着くのよね。着いたら早速シャワーを浴びたいわ」
「……?明日でなくても、ここで水浴びすればいいだろ。俺もルークも覗いたりしないぞ」
「それとこれとは話が別。のんびりお風呂でするのがいいの」
「そうか〜?身体を洗うなんて、どこでだって同じじゃねぇか」
「まあそう言うなよ。女の子はやっぱり身体だとかをキレイにしておきたいもんなんだから」
大きく伸びをして感慨深げに言った隣の女――ノエラ・リーランドに、クリスタは怪訝そうな顔を向けた。それを苦笑していなすの
は、真っ赤な髪をした元傭兵、ルーク・グレンローズである。
彼は踊り子をしているノエラの用心棒兼マネージャーで、傭兵時代には『赤き閃光』の異名も持ってもいた。ノエラもまた、さる都
市では舞姫の称号を得た舞い手だ。
ノエラとクリスタは横倒しになった大木に腰を下ろし、ルークはその木の根元らしい切り株に座って、焚火を囲んでそれぞれ魚を
つついている。彼らは先日砂漠の町デュナーミクで出会ってから、四人で旅を続けているのだ。
だが、四人目は未だに姿を見せていない。