湖畔にてT湖畔にてT湖畔にてT湖畔にてT湖畔にてT   湖畔にてV湖畔にてV湖畔にてV湖畔にてV湖畔にてV
「確かに、安全な街の旅館とかで身体を晒すのと、こういう場所とでは勝手が違うのは認めるけどよ……」 
 クリスタが不承不承頷く姿を眺めた二人は、大きく嘆息する。全然この辺りの女心を理解していない。
 
 日頃、クリスタから女心を分かっていないと言われ続けているルークですら納得しているというのに、この少年は妙なところで
 
まるで鈍いのだ。
 
 ノエラは安全であるかどうかを特に重要視しているのではなく、女性としてお洒落を気遣う心から言ったのである。いかにもそ
 
れに無縁そうな格好をしているクリスタが、理解できないのもある意味無理はない。
 
「あのねぇ、クリスタ。あたしが街のお風呂に入りたいのは、女として旅であれた肌のケアをしたいから。バラやラベンダーのエ
 
ッセンスや、ハーブの入った香のいいお湯に浸かってリラックスしたいの」
 
「………なんだそりゃ?」
 
 クリスタは不審さも顕わに眼を見開いてぽかんとしている。
 
「おいおい……最近じゃちょっとした旅籠ならどこでもしてるサービスだぞ。それをしらねぇのか?」
 
 少年の反応に、ルークですら驚いた。余程小さな宿屋なら別だが、そこそこの規模を誇る旅籠では大抵行っていることだ。宿
 
泊者が基本的に利用する大浴場に、疲れがとれやすいようにとハーブを入れるサービスは。
 
「見たことあるでしょ?お風呂に花や葉が浮いてたり、袋に花が入っていたりとか……」
 
 ノエラが具体的に説明すると、初めてクリスタは納得したように手を打った。
 
「ああ!あのゴミのことか」
 
「ゴミじゃない!」
 
 二人同時にツッコミを入れられても、少年は一向に堪えた様子もない。
 
「だってさぁ…、あんなのどう見たってゴミだぜ。ゴミ」
 
「ゴミに見えるお前が変なんだよ」
 
「そうそう、それだからお風呂に入っても、まともに身体も洗わないし、髪もいつもくしゃくしゃなのよ」
 
「俺はいつだってちゃんと洗ってるじゃねぇか」
 
「洗ってないわよ!足の指先も首筋も、おざなりにしてるだけじゃないの」
 
「なんで?形だけでもしてるだけましだろ?」
 
 きょとんとした顔で小首を傾げるクリスタは、本当に可愛い。可愛いのだが、ノエラとしては呆れて二の句が告げない。その場
 
に脱力してしまったノエラの肩を、ルークが慰めるように叩いてやる。
 
「クリスタ、ノエラさんの忠告は当然だ」
 
 ――とそこで四人目の人物の声が割り込んできた。しかし、姿はどこにもない。
 
「風呂に入ったら身体はちゃんと洗いなさい。いつも言ってるだろう?」
 
 彼ら以外に周囲には人影らしきものはないのに、それはやけに近くから聞こえてくる。
 
「そこまで綺麗にする必要はないって。エフィ以外に誰も見やしねぇんだからよ」
 
 少年は当り前のことだとばかりの暢気な口調で、背中に垂らしたフードに向かって話しかける。すると、その中から小人が出
 
てきて、おしおきだとばかりに少年の耳を引っ張った。
 
「いてー!なにすんだよ!」
 
 払いのけてくる手をひらりとかわし、小さな男はクリスタの傍に置いてあった短剣の横に危なげなく着地する。
 
 次の瞬間、彼は普通の人間の大きさへと身を変じさせていた。まさにとんでもない現象であるが、彼らにとっては日常茶飯事
 
のことであるのか、全員表面上は平静に受け止めている。
 
 人並みの姿になった男は若々しい姿とは裏腹な、重厚な風格を漂わせていた。すらりと背が高く、無駄なく引き締まった体躯
 
を濃い青のマントで覆い、何気なく立っているだけなのに妙な貫禄がある。
 
 クリスタの持つ長剣と同じ深い藍色の瞳に、黒っぽい琥珀の髪。ただそこに居るだけで少年と一対となるような男だった。
 
 クリス
タに負けず劣らず整った容貌は、見る者の心を一瞬にして掴んでしまうような魅力がある。どことなく童顔気味なとこ 
ろが、更に親近感と好感を与えた。
 
 彼はエフィル・シュライン・トルーザ・ハーブ・リンフォスト。クリスタの師匠で、さる事情で伸縮自在のこの身体に仮住まいをし
 
ている身の上の者だった。
 
 十日前まで居た町外れの遺跡でこの身体を手に入れ、彼はこうして弟子とその仲間と意思の疎通をはかれるようになった。
 
砂漠の遺跡の冒険に関してはまた別の話で語るとして、エフィルが小人になったり人間並の大きさになれるのは、彼ら仲間に
 
とっては当然のことなのである。
 
「お前ときたら………こればっかりはどれだけ注意しても直らないね」
 
「シュラインさん、もしかしてクリスタは子供の頃から……」
 
「……まともに身体を洗ってなかったと?」
 
 しみじみと嘆いているシュラインと呼ばれた男は、ノエラの言葉を継いだルークに向かって肩を竦めることで肯定した。少年
 
を育ててきた彼にとっても、こればかりは相当な困りものだったのだろう。
 
 ノエラとルークが『シュライン』と呼ぶことに対して、クリスタは彼を『エフィ』と呼ぶ。これはクリスタと彼がただの師弟でないこ
 
とを表しているのだ。
 
 クリスタとエフィルの種族では、共に生きると誓い合った相手とだけ、互いに特別な名で呼び合うという風習がある。
 
 クリスタの場合は、名に込められた真の意味や与えられた力を相手に教えることによってそれは成立する。何の意味も解釈
 
も知らない限りは、それはただの呼称に過ぎないということになるのだ。
 
 エフィルは風習のまま、特別な『エフィ』という名があるので、ノエラもルークもそうは呼ばずにいる。
 
 『エフィル』とも呼ばないのは、『エフィ』と語調が非常に似ていることと、過去から彼が『シュライン』で通してきている点にも理
 
解を示して敬意を払っているからだ。
 
 それは、彼らがエフィルに対して話す口調でも読み取ることができる。
 
 ノエラとルークにとっては、『シュライン』も『エフィル』も女性名なので、呼ぶ時に多少なりとも複雑なのだが。それも当然であ
 
ろう。エフィルは実に男らしい男なのだから。
 
 ところで、クリスタにとっては彼らの会話は決して面白いものではなかった。むしろ自分ばかりが責められて理不尽だとすら
 
思っている。風呂のことでうるさく言われるだけで彼にとっては気分は悪いのだ。
 
 それにクリスタは元から風呂好きという訳ではない。むしろ風呂などさっさと終わらせたいと思っているし、そこらの泉や河で
 
水浴びをするだけで充分だとすら考えている。
 
 入浴するにしてもたまにゆっくり浸かるぐらいは好きだが、身体を洗うのは面倒で正直言って嫌いなのだ。
 
 反対にエフィルは風呂好きで、クリスタと一緒に入った時は、いつも手を抜いてばかりいる弟子の身体を丹念に洗うことを信
 
条にしているぐらいである。
 
「へん!結局はエフィが洗うんだから同じじゃねぇか。頭だってちょっとさぼったらすぐに洗いに来るしよ。別に多少洗わなくて
 
も死ぬわけでもあるめぇに」
 
「お前の多少は1ヶ月以上も洗わない事か?それはまたご立派な言い分だな」
 
 弟子の身勝手で傲慢な態度にも眉一つ動かさず、エフィルはそれ以上に尊大で嫌味な言葉でクリスタに応戦した。
 
 二人の間に火花が散り、たかが風呂に入って身体を洗う、洗わない、で師弟は完全な臨戦態勢に入ったようである。
 
「私が洗わないといつまでも方っておくのはどこの誰だ?師匠をこき使って毎回洗わせるとはいい度胸だな」
 
「一緒に入りたいって言ったのはあんただろ。風呂場で俺を抱いた事がないとは言わせねぇぞ、コラ」
 
「それがどうした。『つがい』であるお前に触れて抱くことがのどこが悪い」
 
「開き直りやがったな、この野郎!二回してから風呂に入ったらまたやったくせに。疲れてる相手に発情すんな」
 
「発情とはなんだ、失礼な!愛情と言え、愛情と」
 
「やってんだから発情だぜ、色魔のくせに」
 
 こうして始まった言い合いは、頑固者同士のつまらぬ意地の張り合いも加わって、地を這うような子供っぽいレベルのまま
 
延々と続く。子供の方が、内容が可愛いだけまだマシだ。