互いに思いを寄せ合いながらも、恋人未満のノエラとルークには刺激が強すぎる言葉の応酬だった。
大体からしてこの二人がそういうことを行える仲だと知ってはいても、日頃の行動ではまるで結びつかないから余計に
困る。多少はそれらしきものを髣髴させてくれれば気構えができるが、全くないのだから。
『つがい』というのはクリスタとエフィルの種族では恋人や夫婦などの、肌を重ねあうような相手をそう総称すると理解で
きていても、こうもあけすけに話されると第三者としては狼狽を通り越して羞恥すら覚える。
新婚とまでは言わないが、恋人同士のような甘い雰囲気を二人が少しでも漂わせてくれれば、もう少しは対処のしよう
もあったというのに。これではどうしようもないではないか。
ノエラとルークが忍耐力を駆使して耐えている間も、二人の低次元な言い争いは止まるところをしらない。
「一緒に入ると、足を出して洗えという態度をとるのはお前じゃないか」
「あぁ!?喜んで洗ってるのはどこのどいつだ?」
「お前の肌に触れられる特権を喜ぶのは当然だ」
「だったら素直に洗え!」
きっぱりと男らしく言い切るエフィルだが、内容は惚気にしか聞こえなかった。しかしクリスタはそんな事は全く気づい
ていないし、エフィルも御同様にてんで分かっていないらしい。その証拠に二人は睨みあい、二人は今にも掴み合いの
喧嘩を始めそうな勢いだ。
エフィルはクリスタを見下ろし、弟子は師匠の胸倉を掴んで互いに怒鳴りあうが、論点はだんだんといおうか著しくず
れてきている。この余りにも馬鹿馬鹿しい口喧嘩に、ノエラの堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしなさい二人とも!仲がいいのは分かってるから、痴話喧嘩なら余所でして!」
「…は?………いや、別に私達は痴話喧嘩をしているわけでは………」
「痴話喧嘩よ!ルークなんて会話についていけなくて耳を塞いでいるのに……デリカシーがないんだから……」
ノエラの凄まじい剣幕にエフィルは力なく反論するが、踊り子の一睨みで声が小さく消えてしまった。
「そりゃそうだ。ルークは奥手だもんな」
したり顔で頷いているクリスタにも顔を向け、ぴしゃりと言下に切り捨てる。
「お黙りなさい!!クリスタ、貴女もシュラインさんに甘えていないで、少しは自分でしたらどうなの!シュラインさんも、
甘やかしたら付け上がるんだから、放っておいたらいいでしょう!?」
「………は、はい…」
二人は畏まって神妙に返事をして、慌てて身を離した。そうすることで、やっとノエラのつり上がった柳眉が多少なり
とも和み、クリスタもエフィルも内心胸を撫で下ろす。
彼女を怒らせるのだけは止めようと、暗黙の了解を目線で語りあう辺り、余り懲りているようではないが。
「と、とにかく食事も途中だから……早く食べようぜ?」
間に入ってきたルークの言葉に、彼らはひとまず食事を再開する。だが会話はまるで弾まず、誰一人喋ろうとはしな
かった。喋ると空から月が落ちてくると思っているかのような奇妙な緊張感の中、全員が俯いて視線すら合わせない。
重苦しい沈黙は食事が済み、休む時まで延々と続いた。
さすがにこれには参ったのか、少年はいざ寝る段になって、恐る恐るといった感じで踊り子に声をかけた。
「なあ、ノエラ……まだ怒ってるのか?」
寝袋に入ってそっぽを向いたまま寝ようとするノエラの機嫌を、クリスタはこそこそと伺っている。
「怒ってるわ」
返ってきた返事は不機嫌を形にしたようなものだった。
「いい加減機嫌直してくれよ。今度の街で何かおごるからさ〜。ほら、この間の遺跡で綺麗な石を見つけたんだ。あれ
で髪飾りとかを作って渡すよ。ノエラにきっと似合うと思うぜ?」
まるで恋人の怒りを宥めようとする口調である。件の石を見せるクリスタの姿を眺めながら、横で聞いていたルークと
しては、何とも複雑な心境だ。顔付きも微妙な感じで、笑いを押し殺したような、戸惑いを隠せずにいるような、奇妙な
表情になっている。
そんなルークからはノエラの顔が暗がりの中からでも見ることができた。ルークがじっと様子を窺っているのが分か
ったのだろう、彼女は茶目っ気たっぷりの笑顔をみせて人差し指を唇に当てる。
ノエラの機嫌はとうの昔に直っていたのだ。元から彼女は怒りを執念深く引きずるたちではない。ルークはノエラの意
図を察して眼だけで頷き、おろおろしているクリスタと悪戯っ気に満ちた顔をしている踊り子の様子を見守ることにする。
「あたしはそんな物いらない。それにどうせならルークから貰った方が嬉しいもの」
軽く片目を瞑ってみせられ、ルークは苦笑を零した。まさかこっちに話をふってくるとは思わなかったのだ。しかし例え
フリであったとしても、ノエラに何かを買って欲しいと言われると、妙に照れくさい。
「じゃ、次の街に着いたら二人で見に行こうか」
「そうね、クリスタにはお留守番と荷物番をさせてね」
同調しあう二人の様子に、仲間はずれにされそうになっている少年は神妙になるどころか、急に水を得た魚のように
なって、俄然力を盛り返して元気一杯に笑った。普通ならこんな事を言われれば悄然とするところだが、付かず離れ
ずで煮え切らないノエラとルークが、とうとう一歩を踏み出したと勘違いして、喜んでいるのである。
「そんなの一日と言わずに三日は余裕でするって。二人の初デートを邪魔をしにいくのは野暮だしな。どうせなら二人
っきりで泊まってこいよ。それか次の宿では同じ部屋に泊まるってのはどうだ?」
すっかり意気揚々としているクリスタの様子に、ノエラもルークもこの作戦が失敗に終わったと判断してに思わず笑
ってしまいそうだった。とはいえ、未だに恋人未満の彼らにいきなり同じ部屋に泊まるというのは刺激が強すぎる感が
互いにある。こればっかりは、想いが通じ合っていてもそうそうできることではないのだ。
付き合いの長い恋人同士ならまだしも、二人とも告白もできずにいる初な恋愛初心者達では尚更である。
「彼らにいきなりそんな事をさせることこそデリカシーがないよ、クリスタ。今まで通り、それぞれ別の部屋をとった方
がいい。それよりも、次の街までノエラさんと仲直りしないままで済ませるつもりなのか?」
クリスタをからかってやろうという目論見が外れ、どうしようかと思案していたノエラとルークにとっては、エフィルの言
葉は予想外の助け舟だった。
どうやらエフィルには、二人が演技をしているとすっかりばれていたらしい。だがここで弟子に教えるのではなく、反
対に一緒になってからかおうとするとは、彼は意外にも悪戯小僧のような一面があるようだ。
「そんなの嫌に決まってんだろ。なあノエラ、俺何でも言うこと聞くからさ………機嫌直してくれよ」
本気で困っているらしいクリスタに背を向けたまま、ノエラは声を返した。
「何でも言うこと聞いてくれるの?どんな事でも?」
「命に関わるようなこと以外ならな」
「ほんとに?」
「男に二言はない!剣士の魂である剣にかけて誓う」
力強く言い切ったクリスタである。ノエラはというと、獲物がしっかりと網にかかって満足気に笑っている。勿論そんな
事とは露知らず、少年ははらはらしながらどんな返事があるか畏まって待っていた。
「じゃあ、あたしと一緒にお風呂に入って」
「……………へ?……あ〜…いや…、それは……ちょっと……」
「…できないの?さっき言った言葉は嘘なの?」
「うぐ……分かったよぅ」
「それからあたしの選んだ服も着て頂戴」
「服ぅー!?なんだよそれ?………まさか……その服って…」
それを聞いた途端、少年の顔色は徐々に青ざめる。いくら剣に誓ったとはいえ、自分にとって一番遠慮したい要求を
求められる予感がしたのだ。そんな事をさせられるぐらいなら、命に関わるような真似の方がマシな気がする。
「決まってるでしょ?ドレスよドレス。どうせだから、エステも一緒よ」
少年の心とは裏腹に、ノエラは起き上がってにっこりと嬉しそうに笑うと、瞳をキラキラと輝かせた。
「クリスタならすごく綺麗になるわ。どんなドレスがいいかしら?街に着いたら早速見に行かなくっちゃ!」
今や完全に上機嫌のノエラは、クリスタにどんなドレスが似合うか想像し、算段している。対してクリスタは、まさにこ
の世の不幸を一身に背負ったかのような情けない表情をしていた。
自分のドレス姿を想像しただけで不気味な上に、ノエラと風呂に入ってエステも受けねばならないのである。
前に居た町では、クリスタはノエラに誘われても一度としてエステはしなかったし、風呂だってなるべく別に入るよう
にしていた。一緒に入らざるを得なくなった時も、ノエラを見ないように必死でそれどころではなかった。
女の子と一緒に風呂やエステをするだなんて、想像するのも恥ずかしい。
気後れどころの話ではなかった。そんな事はとてもではないができる筈がない。しかもエステとなると、女の園に入
るようなものなのだ。周りは女だらけで、しかも全員が下着同然の格好でいるのである。
考えるだけでくらくらした。そんな真似をしたら、自分は男として、紳士として地に落ちてしまう。
師匠とルークも一言止めてくれればいいものの、すっかり面白がっているのだ。