USJ編でした。キリ番リク用(40,000Hit)の話で、私自身もかなり楽しんで書いた話でもあります。当初書いたのが何と10年前ということもありまして、今回改めて読み直してびっくりしました。
 この当時のUSJと現在のUSJではアトラクションやショーの内容も随分と変わっておりますし、あくまでも話のネタで架空の世界ということで、実際のUSJとは大きく異なりますので、この点のご理解をお願い致します。
 書いた当時のことを思い出すと懐かしいやら、恥ずかしいやらです。
 10年ひと昔と言いますが、ヒカ碁を未だに続けているこのしつこさに、自分でも驚き呆れる次第ですが、今後もお付き合い頂けますと幸いです。
 ――ピンポンパンポーン
『迷子のお知らせです。大阪府からお越しの、社君。社清春君。お連れ様がお待ちです。ゲストサービス内迷子センターまで、支給お越し下さい。―――繰り返します――』

 この放送を聴いた瞬間、社はその場で素晴らしい勢いで滑っていた。
 生まれは東京でも関西で育っただけあり、生粋の関西芸人も真っ青になるほど、見事にまた盛大にずっこけっぷりであった。
 新婚さんの前で、派手なアクションをまじえて椅子から転げ落ちる芸も、社なら完璧にやり遂げられるに違いない。
(な……な、何やっとねん!!あいつらはーっ!)
 こけたままの姿でツッコミを入れている社の努力も虚しく、放送はこれでもか!というほどクリアーにUSJ全体に響いている。
 無意識に入れたツッコミにはたと我に返り、ふと以前どこかで、似たようなことをした経験があるような気がした。
 ただしこんな面白おかしい状況ではなく、シリアスな立場で。
 だがこれと似たようなツッコミを入れるなど、どんな状況なのかさっぱり分からない。どう考えても思い浮かばず、忘れることにした。
 社はアキラとヒカルと友人付き合いするようになってから、余計なことはすぐに忘れるという特技がいつのまにか染み付いていた。
 これも彼らとつるむ上で身を守るのにとても大事な条件なのである。
 どんな状況を見てもさっさと忘れるに限る。そして見て見ぬフリを貫いて関わらない。これらは絶対条件だ。
 それにしもて、自分の地元である関西のUSJで迷子の呼び出しをされるとは予想外だった。信じられないほど恥ずかしい。
 穴があったら入りたいという言葉は、こんな時に使われるのだろう。
 しかもこの歳になっての迷子呼び出しである。
 方向音痴のヒカルならともかくとしても、何だって自分なのだ。
 東京から遠路遥々やってきた友人のためにチケットも用意したのに、どうして迷子の呼び出しをされなければならないのか。
 全ての角度から考えても、理不尽としか表現できない。
 不当な仕打ちに、だんだん怒りがわいてきた。
 腹立ち紛れに勢いよく社が立ち上がるまで、およそ三秒。
 この僅かな間に自身を素早く整理して立ち直るあたり、さすがにこれまで最強(最凶)囲碁バカップルと付き合ってきただけある。
 経験地を積んで培われてきた打たれ強さは伊達ではなかった。
「とにかく迷子センターには、はよ行かんとな。あいつらにまた、あんなふざけた放送されたらかなわんわ!」
 社は地図を見てゲストサービスのあるエリアを確認すると、バトンのように案内図を丸めて握り、全速力で走り出す。
 アキラとヒカルを探しているあいだにすっかり乾いた服に、自分の苦労が染み付いているように感じながら、速度を緩めずに走り続けた。
 若い頃の苦労は買ってでもしろと人は言うが、社としては、こんな労苦を若い身空で経験したくない。
 できれば今後とも非常に避けたいが、傍若無人な夫婦漫才コンビと共にある限り永遠に逃れられないと思い至り、心底諦めたくなった。

「………来ねぇな、あいつ」
 大きな一人掛けの椅子に座って、足を組み直しながら呟くヒカルに、アキラが少し腰を屈めて尋ねる。
「もう一回呼び出して貰おうか?」
 ヒカルは肘掛に肘をついたまま、当り前のように頷いた。
 女王様とお伺いを立てるお付の王子様みたいな二人の姿に、伊角と和谷は隣の椅子に座ったことを後悔する。ここはなるべく他人のフリをしなければ、迷子センター内の一般
市民の視線が刺さってイタイ。
 どうしようもないほどイタくて堪らない。
 何が楽しゅうてこんな悪目立ちする二人組と一緒に居ねばならないのだろう。でもここで離れたら、他人のフリなんて絶対に無理だ。
 だって女王様に名前を呼ばれてしまうから。
 あの二人もアトラクションやショーの一環だと思われていたらどうしよう。
 妙にはまっているだけに有り得そうで怖い。
 アトラクションの内容は、怖いから考えたくないが。
 しかし実際、多くの人の視線を集めているのは、ヒカルとアキラだけではなかった。健康的で活発そうな格好良い系の美少年と、真面目で優しげな美青年との取り合わせも
かなり眼をひいていたのである。
 気付いていないのは当の四人だけであった。
 だがそうとは知らない伊角と和谷は、社が一刻も早く来ることを祈りながら、この苦行が終わる瞬間をただひたすら待ち侘びる。
「すみません、友人の呼び出しをもう一度……」
 アキラが迷子センターの放送嬢に営業スマイルを振りまいて、再度放送してもらう交渉を行い始める。
(うわぁ……こいつら鬼だ…)
(…社、早く来ないと恥の上塗りだぞ)
 良心に従って心の声で社に呼びかける和谷と伊角に応えるように、センターの自動扉が、この時主役の登場に相応しく勢いよく開いた。
 入ってきた人物の意思を尊重してか、心なしか劇的な雰囲気だ。
 外からの光を受けて立つシルエットの少年が、ゼイゼイと肩で息をしながら近付いてくる。足取りは疲労で重いものの、床を一歩ずつ踏みしめる足は力強い。彼の決意の
ほどが伝わってくるようだった。
「すみません、もう結構です」
 しかしアキラはそれに気付いた風もなく放送嬢ににっこりと上品に笑いかけると、必死に走ってきたであろう社に向き直る。
 その姿は普段と変わらず、冷静そのものだった。
「どこに行っていたんだ?はぐれたら皆に迷惑じゃないか、社」
「お……おま………」
 この期に及んでエライ言われように、アキラに何とか反論したくて口を開閉させるが、いかんせん息が乱れて社は声が出ない。
「おせぇぞ、社。道草くってんなよ」
 椅子に座ったまま立ち上がりもせず、いかにもご不興あそばす女王様という風情で、態度もでかいヒカルにも一言もの申したかった。
 しかしながら、呼吸が困難になるほど肺が空気を求めていて、恨み言の一つも出てくれない。そんな暇があったら酸素の補給だ。
 社は逸る気持ちを押さえて一旦息を止めると、深く深呼吸をして乱れた息を整える。
 そして落ち着いたところで、肺一杯に空気を吸い込み、二人の少年に向かって盛大に喚いた。
「おまえらなぁ…ええ加減にせんかいっ!呼ぶんやったら、手っ取り早く携帯にかけたらええやろがっ!!」
 迷子センターで盛大に怒鳴り散らす社の様子にも慌てることなく、柳に風とばかりにヒカルとアキラは平然と答える。
「だってオレ、携帯の電源切れちゃったし」
「ボクの携帯は進藤専用だ」
 二人の全く悪びれた風もない態度を眺めて、社は怒りよりも一気に脱力した。これでは二人は反省どころか、普通のことをしたと思っているに違いない。
 悪気云々の話ですらないのだ。
(オレ……一生こいつらに勝てんような気ぃする…)
 凄まじい疲労と同時に何ともいいようのない無力感に、眼の前が真っ暗になっていくような気すらする。
 彼らの感覚では、社がはぐれたら迷子センターで真っ先に呼び出す、という図式が完全にできてしまっているのだ。
 携帯を使って呼びつける、との発想自体がまず全くない!
 自分達で呼び出すという考え以前に、傍にあるセンターで他人を使って呼びつけるとの選択を行うのに、微塵も迷うことはなかったのだろう。自分の手を煩わすことなど
考えもしないのだ。二人で努力して探すなんてこれっぽっちも思い浮うかびもすまい。
 呼び出させて来させることが大前提としてあるのである。
 例え今後どんな事があろうとも揺るがないほど、しっかりと。
 まさにそれは、天然オレ様体質の女王様と王子様コンビならではの発想であった。自分勝手極まりない。
 これまで他人のフリを続けていた和谷と伊角が、慰めるように社の肩に手を置いて厳かに頷く。言葉はなくても、彼らの周りに居るもの同士、通じ合うものが三人にはあった。
(この人らに悪気はない。それは分かる…分かるんやけど……)
 自分とはちょっとだけ微妙に立場が違うと敏感に察して、社は心のどこかで釈然としない気持ちを抱えていた。
「なあ…社も戻ったし、次はどこ行くの?」
 愛らしく小首を傾げておねだりモードで尋ねるヒカルに、社はすっかり諦めきった息を吐いて肩を落とす。もう怒鳴る気力もない。
 悪気の欠片はおろか、自覚もなく行動した相手に喚いたところで、こっちが疲れるだけだ。ここは自分が大人になってぐっと堪え、最大限の忍耐を駆使して譲歩してやらねば
ならない。これもまた社が培ってきた精神力と努力の結晶であった。
「メインどころで残っとるのはウォーターかETや」
「オレはETがいい」
「へぇへぇ…仰せのままに」
 力なく答えた社の様子に気付かず、自分の意思を貫いてしっかりと要求するとはさすがだ。とはいえ、単純で物事に頓着しないヒカルは、女王様気質でも基本は天然なので
それなりに扱いやすい。ただ、天然であるが故に、時に傍若無人で無慈悲なのがたまに傷なのだが。
「進藤が行きたいところなら、ボクはどこでもいいよ」
 アキラは柔らかく微笑んで、あっさりと同意を示す。
 ヒカルが世界の中心であるアキラは、ヒカルにさえ害が及ばなければ基本的には大人しく素直な少年だ。王子様という形容通りに、上品な物腰で態度も柔らかく、礼儀正しい。
 これだけなら王子様の見本にしてもいいくらいだ。
 ただし、王子という身分からくる人種であるからか、強引で押しが強くてプライドも高く、傲慢と不遜を地でいくが。
「社、パレードではぐれたなら、携帯で連絡するなりしてくれないと分からないだろう?」
 さりげなくヒカルの手を引いて椅子から起こしてやりながら、アキラに言われた台詞に何となく気まずい気分になる。
「おまえあんまり心配かけさせんなよ」
 立ち上がって顔を覗き込んできたヒカルの言葉に眼を何度も瞬き、社は半信半疑で二人の少年をまじまじと見やった。
 この二人に限って非常に疑わしいが、もしかしてもしかすると……。
「塔矢も進藤も……まさかとは思うけど心配しとったん?」
 アキラとヒカルは二人揃って盛大に溜息を吐き、対局時にみせる刃のように鋭い眼で睨みつけてくる。
「当り前だ」
「オレたち北斗杯で一緒に戦った仲間じゃんか」
 溜息混じりで呆れたように言いながらもアキラは頷き、ヒカルは心外そうに怒ったような声で答えた。
 社としては信じ難いのだが、彼らなりに心配してくれていたらしい。
 現金にもたったこれだけのことで、胸の奥が仄かに暖かくなった。
(こいつらに悪気があったわけでもないし………もうええわ)
 自分でも不思議だが、どうあってもこの二人を嫌えない。
 それにいつまでも引きずるのは、自分の性にも合わないのだ。
 無事に合流できたことだし、今回は何も言わずに眼を瞑ろう。
(ネズミーリゾートで仕返しはしたるけどな)
 社は内心呟くと、悪戯を思いついた子供のようにこっそり笑った。

 合流後は決めた通りにまずETに行き、次にウォーターで水上での派手なアクションと壮大な演出を眺めた。そして最後に当初のヒカルの希望通り、もう一度クモ男に乗る
ことにする。二度目に乗ったにも関わらず十分堪能して、出口で写真の出来具合を確認しに行った。前回は微妙だったが今回はどうだろうか。
「あっ!進藤、おまえずるいじゃねぇか!これが目的だったな!?」
 写真を見た途端、和谷が不満そうにヒカルを睨みつける。ヒカルはというと、満足気ににんまりと笑っていた。
「へへ〜まあな。結構うまく撮れてんじゃん。さすがスパイダ○マン」
 その写真は、他の四人は3Dサングラスを掛けているにも関わらず、ヒカルだけがサングラスを外し、カメラに向かって全開の笑顔で写っている、というものだった。
 アトラクションの最後で写真を撮るシーンがあるのだが、この時、ヒカルはタイミングを上手く見計らってサングラスを取り、カメラに笑顔を振り撒いていたのである。出し抜か
れた和谷と社は悔しさに歯噛みし、写真に興味があまりない伊角はただ沈黙を守っていた。
 そしてアキラはヒカルの写った写真をちゃっかりと購入している。
(……相変わらずやなぁ、こいつは…)
 アキラが嬉しそうに何故か二枚も購入しているのを見た社は、呆れつつも見て見ぬフリを決め込んでいた。
 効率よく回って一日でメインアトラクションをほぼ制覇し、ハプニングもあったが充実した休日を過ごした五人はゲートに向かった。
 夜の営業時間まで居たくても、これからヒカルとアキラは東京に戻ることになっており、伊角と和谷も明日はイベントに出る予定である。
 社もまた明日は半日だが授業があるので、家に帰らねばならない。
 それぞれ予定もあるので、夜まで居るのはやめることにしたのだ。
 明日のイベントのメイン対局のことや、今日体験したアトラクションのことなど、好き勝手に喋りながら歩いていく。
 そのまま横一直線に並んで進みながら、出口前にあるUSJのシンボル近くに差し掛かったところで、彼らは思わぬ人物と出くわした。
 まさかこんな所に居るとは夢にも思わず、全員揃って足を止める。
「あれ〜?アキラ?それに進藤君も。伊角君に和谷君、社君もかい?へぇぇー五人でUSJに来てたんだ」
 ばったりと出会った人物が発する、聞き慣れたお気楽で暢気な声に、彼らは耳を疑った。正直、幻聴だと思いたかった。ここで見つかってしまったことと、声をかけられた
ことに心底後悔せずにはいられない。
 他人のフリをしたくても、これではできないではないか。
 今すぐ回れ右をして中に駆け戻るか、聞こえなかったことにして、出口に向かって猛ダッシュしたいのが彼らの本音だ。
 残念ながら出口に行くには、行く手を阻まれている。
 名前もしっかりと呼ばれているので、今更無視もできない。
 何故だろうか。こんな風にアヤシゲな姿をしている二人組を見た瞬間、非常にイヤな既視感を覚えた。
 タカラジェンヌも真っ青な超ど派手な衣装を着た二人の姿と今の姿が重なり、冷汗が背中を伝う。
 物凄く逃げ出したい気分だった。できれば他人のフリを貫きたい。
 だがしかし、声をかけられてしまったからには答えねばならない。
「芦原さん。それに緒方………さん?」
 兄弟子二人の姿を直視しないように微妙に視線を逸らしつつ、意を決してアキラは声をかける。いつもの営業スマイルにも力がなく、引きつっているが、これも仕方ないだろう。
 兄弟弟子であるだけに、アキラの気分は何ともいえず複雑なのだ。
 まさかこんなところで出くわすとは予想外だったのだから。
 他の四人にとってもその点は同じだが、とにかく全員度肝を抜かれていて、それどころではない。
 明日のイベントで合流するはずの二人の棋士とUSJで会うとは少しも想像しなかっただけに、伊角と和谷は驚きで声も出せなかった。
 ただ会うだけならまだしも、信じ難い光景も付随していたものだから、彼らは意識が遠退きそうになったほどである。
 かろうじて踏み止まって意識を保てたのは奇跡に等しい。
 社も声をなくして口をあんぐりと開け、石像のように硬直している。
 ヒカルはというと、驚きと好奇心を交えた遠慮のない不躾な視線で、二人の先輩棋士を眺めていた。
 全員の共通した感想はただ一つ『うわぁ……奈落…』である。
 どこから見ても、奈落の底に堕ちたファッションセンスだった。だが何も知らない緒方は落ち着いたもので、アキラに平然と話しかける。
「久しぶりだな、アキラ君。今日は進藤と一緒にグループデートか?」
 紫煙をくゆらせながら、揶揄するような口調で話す兄弟子を見詰めたまま、アキラは頬を引きつらせて無言で突っ立っていた。
 何の反応も返さず、弟弟子が黙したまま一切語らずにいるのは却って変な気分だった。長い付き合いの緒方なら分かる程度に、僅かながら表情や雰囲気が微妙に変化する
筈が、今回はどうも反応が鈍い。
 いつもは少しからかってやると、顔を嫌そうに歪めたり、眉を顰めたり、鋭い眼で睨んできたりして、普段の取り澄ました顔とはまるで違った表情が見られて実に面白いのだが。
 けれど今日はこの小さな変化がなかったばかりか、無表情を装っているのに、自分の表情を選択できないような微妙な顔つきでいる。
 実のところ、この反応はヒカルや他の三人にも共通するものだった。
「オレ達はもう少しここに居るんだが、アキラ君はどうするんだ?」
「ボクと進藤はこれから東京に帰る予定です」
 一刻も早くここから立ち去りたいとでもいうように、アキラは少し後退りしながらも愛想笑いを精一杯浮かべて答えてくる。
 さりげなくヒカルを背中に庇って近づけないようにしているが、何故そんな真似をしているのか緒方には理解不能だった。
 そんなアキラとは対照的に、ヒカルは面白い見世物でも見つけたように、好奇心に満ちた眼でじろじろと眺めてくる。
 この二人の反応も普段とは違うが、彼らの後ろに下がった三人も珍妙な表情をしていて、緒方の疑念を更に煽った。
 だがそんな不審感は一切表面に出さずに頷き、タイトルホルダーとしての余裕と貫禄を醸し出して、若手の三人にも声をかける。
「……そうか。キミ達もこれから帰るのか?」
「オ、オレは……地元なんで…家に……」
「…オレ達は明日のイベントに備えて、ホテルに戻ります……」
 どういうわけか三人とも何気なく視線を逸らしつつ、早くこの場から離れたいと言わんばかりに、及び腰で答えてきた。
 緒方としては社交辞令で尋ねているだけなのに、五人のおかしな態度には不審を覚えずにはいられない。
 ただ若手がタイトルホルダーに気後れしているのではなく、明らかに何かに相当驚いているのだ。
 アキラとその隣に立つヒカルの食い入るようなイタイ視線。
 二人の後ろに立っている若手三人の、信じられないモノを見ているというような驚愕に満ちた瞳。
 緒方は怪訝に思いながらも彼らの見詰めるその視線の先を眼で追う。
「あ、あの……緒方さん…。その帽……」
 勇気を振り絞って声をかけてきたアキラが全てを言うまでに、緒方は今の今まで自分が被っていた星条旗をプリントした山高帽を、かなぐり捨てるように脱いだ。
 そのまま芦原の手に押しつけ、ステッキも同様に持たせて誤魔化すように白々しく笑う。
 笑顔がどれだけ引きつっていようとも、緒方はギリギリで羞恥の余り叫びだしそうになる自分を押し止め、威厳を損なわない最大限の努力を行った。決して報われているとは思え
ないが、自分なりに何とか踏み留めているつもりであった。
 その心意気は若手に伝わったらしく、曖昧な笑顔が返ってきた。
 俗に言う微妙であやふやなジャパニーズスマイルである。
「アキラ君これは土産だ。新幹線で食べたまえ。オレ達はこれで」
 世界一有名なビーグル犬の容器に入ったままの手付かずのポップコーン(メープル味)を強引に渡し、緒方は早口に辞去の言葉を告げた。
「じゃあね、アキラ。今度食事を作りに行ってあげるからさー。進藤君も楽しみにしといてね」
 暢気に手を振る芦原を引きずるようにして緒方は素早く踵を返すと、後ろを振り向くことなく凄まじい勢いで歩き去っていく。
 登場した時と同じく唐突な行動で、あっという間に夜の帳の中に消え去った二冠棋士の姿を見送った五人は、無言のまま少し肌寒い秋の風に晒されたまま茫然と立ち尽くした。
 誰もが見てはいけないものを見てしまったという思いで胸が一杯になり、言葉が全くでない。
「芦原さん……頭…鮫に食われてたぜ………」
 和谷は唖然としたまま、独り言のように呟く。
「なんか……USJを堪能してるって感じだったよな…」
 あの姿はとことんまで満喫せねばできない格好だと、伊角は思った。
「アレ…ホンマに二冠の緒方先生やったん?」
 社は未だにさっき見た米国かぶれのトンチキな白スーツ男が、タイトルホルダーだと信じられず、茫然と答える者のない質問を行う。
「ある意味スゲーよな。あの格好でアトラクションを回れるなんて」
 ヒカルも感心とも呆れともつかない様子で、呆然と口を開いた。
 彼らの台詞に、アキラは何も答えることができなかった。それよりも何よりも、同じ門下でいることが、今ほど情けないと感じたことはない。
 できることなら、違う門下に入りたいほどだった。
 アキラの気持ちは他の四人にもイタイほど伝わり、共感を覚える。
 こればっかりは、アキラに同情したくなるというものだ。
(…………見なかったことにしよう……)
 至極普通にUSJを堪能し、満喫した五人は、最後の最後に見てしまったものに関して『自分は何も見なかった』ことにする。
 UMAを見つけた善良な隊員は見たことを胸の奥に封印するものだ。
 彼らをそっとしておくことを、未知の領域でUMAを発見した探検隊諸君は、暗黙のうちに全員で了解しあったのだった。

 明日は囲碁イベントに出席する伊角と和谷とは夕食をとってから別れると、ヒカルとアキラは東京へ帰るために、社は二人を見送るために新大阪駅へ向かった。ホームで次
はネズミーリゾートに行くことを約束し、手を振って見送る社に応え、彼らは一頻り別れを惜しんだ。
 昨日は対局で今日はテーマパークで遊んだこともあり、指定席に座ってしばらくすると疲れが出てきたらしい。
 新幹線に乗ってから少しの間は打ち合っていたのだが、珍しくアキラが眠気に勝てずに、先に寝入ってしまった。
 仕方なくヒカルは棋譜並べをしていたものの、不意に肩に重みを感じて眼を向ける。さっきまで窓に頭を凭せかけるようにして寝ていたアキラが、いつのまにやらヒカルに寄り
かかって眠っていた。その寝顔はどこかに幼さが残っていて、何だか微笑ましい。
「これじゃ打てねぇな……」
 ヒカルは小さくぼやきながらも、口元には笑みを浮かべて碁盤をしまう。
 間近に彼の整った顔があるのに少し照れてしまうが、すぐ傍にアキラの気配と呼吸を感じられてとても安堵した。
「…う……ぅん……」
 程なくアキラが小さく吐息を零して背凭れに移動してしまい、離れた体温に反対にヒカルは寂しさすら感じる。
 しばらくアキラの規則正しい寝息を静かに聞いていたが、やがて彼が起きないのを確認して、そっと手を握り身体を寄せた。
 これだけでとても安心できて、急速に睡魔が近付いてくる。
 いつのまにか二人で肩を寄せ合い、寄り添って寝入っていた。
 お互いのことだけを思って、ただ気配を感じ、碁を打っている時間も大好きだ。いや、どんな時であったとしても、そこにヒカルが、アキラが居ればそれだけでいい。
 その幸せは、心地よい眠りへと導いてくれる。
 一緒に居られる。それが何よりの幸福なのだから。

                                                                          2004.9.20 脱稿/2007.3.3 改稿/2014.0920 再改稿












                                                                                    V迷子と鮫&星条旗(中編)V迷子と鮫&星条旗(中編)V迷子と鮫&星条旗(中編)V迷子と鮫&星条旗(中編)V迷子と鮫&星条旗(中編)   COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)