この話をまず書きたいと思ったのは、クリスマスに二人で雪を見るというシチュエーションを書きたかったというのがありました。
それから、焦りまくるアキラさんと天然で全く気付かないヒカルですね(笑)。二人の料理風景も書きたいシーンでした。
最初にネタを思いついたとき、タイトルに使っている言葉と同じ名前の曲をさる女性歌手の方が出されてまして、イメージにぴったりだったのが印象深かったです。
当初は翌朝まで書こうと思っていたのですが、これをするとどうも雰囲気が益々壊れそうに感じて止めました。二人の朝は皆様のご想像にお任せするということで(笑)。
UPしてから完結まで、諸事情もありまして随分時間がかかった話ですね。でも私としては中々に楽しんで書けました。
こういった季節ネタは面白いので今後も書きたいですね〜。
夕食の後片付けも終わり、時間としてはまだ早いが風呂にも入ってパジャマにも着替えた。九時過ぎという寝るには早い
時間だったが、ヒカルの部屋に上がって一人でアキラは棋譜並べをしている。
今頃、ヒカルが風呂に入っているだろう。二人きりでこの家に居ることもあって、ついつい意識がヒカルに傾いてしまう。
風呂場に居るであろうヒカルの姿を考えそうになる自分を落ち着かせるため、碁に集中しようとするが、中々そうもうま
くいかない。それでも一通り並べ終えたところで、ヒカルがうきうきしながらケーキを持ってきた。
ふんわりと漂ってきたボディーソープの香りと、ほんのりと湿り気を帯びて淡い色に染まった肌に眼が奪われる。
ケーキよりも遥かにおいしそうにアキラの眼には映った。思わず生唾を飲み込みそうになったところで、意識を眼の前の
彼の持つ箱へと慌てて向ける。ヒカルはこれからケーキを食べるつもりらしい。
夕食が終わったのにまだ食べるつもりなのかと、アキラは内心舌を巻く。しかし表面上は表情一つ変えずに碁石と碁盤
を片付け、ケーキが置けるように場所を空けた。
「へへへ〜折角のイブなんだし、ケーキ食わなきゃな!」
「キミ…昼にも食べてなかったか?」
「いいの、オレが食いたいんだから」
ヒカルはアキラの冷静な問いかけを一蹴すると、いそいそとケーキの箱を眼の前に持ってくる。
「塔矢も食うだろ?どれがいい?」
「え?…えーっと…進藤から選んだら?」
既に自分も食べると決め付けられていることに少し戸惑いつつ、アキラは反対に尋ねた。
「いいよ、昼はオレが先に食ったしさ」
「そ、そう?じゃあ、このブッシュ・ド・ノエルにするよ」
「ぶっしゅどのえる?」
「ボクも詳しくは知らないけど、丸太を模したケーキでクリスマスによく作られるらしいよ。この二つのロールケーキがそう」
「へー…おまえって物知りだな。じゃあオレもこれ食べてみよ」
嬉しそうにケーキを皿に移し、ヒカルは箱を再び階下に下ろして今度はお茶を運んできた。ティーパックの入った紅茶ポ
ットにマグカップが二つと、ミルクピッチャーにはちゃんと牛乳も入っている。ヒカルにしてはきちんと用意できているのが
意外だが、実は母の美津子がアキラが来ると朝に聞かされ、慌てて紅茶セットを出してヒカルに言い含めていたからだ。
こうして二人きりでケーキを食べていると、クリスマスらしい雰囲気に思えてくるから不思議である。
談笑しながらケーキを食べ終わり、歯も磨いてしまえばもう後は寝るか碁を打つだけになる。
この段になって、今更のようにアキラはそわそわし始めた。これから二人きりで寝るのだと、否応もなく思い知らされる。
気のせいだと思いたいのだが、ケーキを食べてから妙に雰囲気が甘いような感じがするのだ。
自分の勝手な思い込みであって欲しいと、アキラは無意識に願う。余計な期待をしてはならない。何せ相手はヒカルだ。
天然で無邪気な彼に過分な期待をすると、後で恐ろしいしっぺ返しを喰らうことになる。さりげにアピールし、過去に幾度
となく玉砕しているアキラだから分かる。鈍感なヒカルの強烈な天然ボケ攻撃に押されっ放しの彼ならではの実感だった。
「そろそろ寝るかー」
「…そうだね」
窓辺でカーテンに手をかけながら上機嫌に声をかけてくるヒカルに曖昧に頷く。ヒカルはどういうわけか外から眼を離さ
ない。アキラが不審に感じて話しかけようとした途端、嬉しそうに振り返った。
「塔矢、こっち来いよ」
ヒカルはベッドから動かずに、アキラを手招きする。何があるのだろうと疑問に思いながら、ヒカルのベッドにのり上がっ
て同じように外を覗いた。
「珍しいな、ホワイトクリスマスだね」
「…うん…」
小さくヒカルは頷く。アキラの言葉通りに、外は真っ白な世界だった。雪が音もなくゆっくりと降り積もり、聖夜を更に神秘
的に美しく彩っている。見慣れた住宅街の風景なのに、雪が積もっているだけでまるで別世界に来たような錯覚に陥りそう
だ。銀世界の作り出す幻想的な雰囲気に言葉すら無くしてしまう。
いつまでもこうして見ていたいと思っていたが、唐突に現実に立ち返らせる音が響いた。
「――くしゅん!」
隣で可愛らしくくしゃみをしたアキラを見て、ヒカルは思わず笑ってしまった。それに少し拗ねたような、ばつが悪そうに眉
を顰める様子が、更に笑いを誘う。どことなく人形めいて硬質なイメージのあるアキラでもくしゃみをするものなのだ。
何だか彼が急に人間らしく感じて親近感を覚えてくる。見ると、タイマーを設定していた部屋のエアコンはいつのまにか
切れてしまっていた。道理で室温が下がってきている筈だ。アキラのパジャマはヒカルのジャージよりも薄手だから、寒
さの感じ方も強いだろう。少し冷えるのか、ベッドから下りて腕を擦るアキラを見てヒカルは名案を思いついた。
「しばらく雪見しようぜ。折角のホワイトクリスマスなんだしさ」
「いいけど」
ヒカルの提案にアキラも否やもない。都会では珍しいホワイトクリスマスなのだから、ヒカルもゆっくり見たいだろう。
「じゃー電気消して一緒に寝ながら見ようぜ。暗い方が綺麗だし」
「……はい?」
アキラはヒカルの爆弾発言に、一瞬思考停止状態に陥った。
(今何か物凄い台詞を聞いたような…。それにボクの布団はどこにあるんだろう?)
電気を消すということは、もう寝るという意味だ。ならばこの寒い夜に自分の布団がないと眠れないではないか。
物凄く現実逃避気味な思考をしながらも、意外に的確な事実を思いついたアキラだった。
しかしこの程度で驚くのは、彼の認識はかなり甘いといって差し支えない。何故なら続けてのヒカルの行動には、顎が床
板をぶち抜いて落ちてしまいそうになるほどアキラは驚愕したからである。
「おら、ボーっとしてねぇでここ入れよ」
ベッドの布団に包まり、隣を開けてヒカルはぽんぽんとシーツを叩く。まるでアキラを誘いかけるように。
(○▼×#△□◆$▽ー!?)
前世で使っていた言語なのか、それとも宇宙語か妖怪語か、一体どこの国の言葉なのかさっぱり分からないが、アキラ
は心の中で信じ難い驚きの余り大絶叫した。奇跡的にも表情は冷静そのもので、顔も端整に整ったままだったが、思考は
ホワイトクリスマスならぬホワイトアウトしたように真っ白である。
「……?」
茫然と立ち尽くすアキラを見上げて、ヒカルは布団を軽く持ち上げたまま小首を傾げた。彼が潜り込んで来ないのが不
思議でならない。ヒカルには自分がどれだけアキラを煽る行動をしているかという自覚はなかった。幼稚園児じゃあるまい
に、普通は同年代の少年同士が同じベッドに二人一緒に入るということはないと、思い浮かびもしなかった。
ヒカルには自分の行動が一般的な基本常識から逸脱しているという考えが、これっぽっちもわいていないのだ。
布団を持ってきてわざわざひくのも面倒だし、寒いから二人一緒に寝れば暖かいという単純な思いつきである。ヒカルに
とっては相手がアキラだからこそ、何の含みもなくこういう行動をとったに過ぎない。これがもし和谷や伊角だったりしたら、
そもそも一緒の布団に入ろうという考え自体わかなかっただろう。
この時点で、ヒカルのアキラに対する想いは普通の友人に対するものとは違うという裏付けになっているのだが、鈍感な
ヒカルは全くその事実に気付いていなかった。むしろヒカルとしては、いい加減寒いから早く入ってきて欲しいという気分だ。
だがアキラは何故か動こうとしない。それもそのはず、アキラは立ったまま半分失神していたようなものだったのだから。
思考停止状態のアキラの脳裏には、かろうじて冷静に事を見極めようとする箇所が極僅かにあった。とはいえ、それも混
乱の最中であることを示すように、まるでライブカ○ドの宣伝のようなものだったのだが。
(どうする!?どうすればいいんだ!ボクはっ!!)
『一緒に布団に入って大人しく寝る』 『やんわりと断る』 『据え膳喰らわば男の恥』
思い浮かんだ選択肢はこの三つである。
一つかなりアブナイ選択肢が紛れ込んでいるが、アキラは大真面目に三つの選択を前に冷汗をかきながら挑んでいた。
さながら黒と白の死活を考えるようなものだ。この場合、一番の安全策は『やんわりと断る』であろう。
逃げともとれる考えだが、誘いを断って別の布団で寝るのがアキラにとってはベストな回答といえる。これならば誘惑に
負けてヒカルに手出ししたりしない。
『一緒に布団に入って大人しく寝る』は、下手をすれば『据え膳喰らわば男の恥』になり兼ねない。そして『据え膳喰らわ
ば男の恥』は最初から問題外だ。だがもしも、もしもヒカルが本気でアキラを誘ってくれていたら?
(いや、それはない!)
一瞬、希望的観測にぐらりと揺れてしまいそうになったが、冷静な自分が素早く指摘して即座に我に返る。
相手は天然で鈍感なヒカルである。この行動の裏には他意はない…筈だ。
(よし…別の布団で寝よう)
しっかりと決意を固めてアキラは一人頷いた。
「もう!早く来いよ」
「……えぇ?」
アキラが断ろうと口を開きかけると同時に、ヒカルに腕を引っ張られる。たたらを踏んでバランスを崩したところに、ベッド
があった。期せずしてベッドに横になる結果となったアキラはひたすら焦る。攻め碁に定評があるのも何のその、逃げ出
せるものなら逃げ出したい心境だ。しかしそんなアキラに追い討ちをかけるように、ヒカルは布団をかけてくっついてくる。
15歳になったばかりのうら若き少年は、ショックの余り危うく心臓が止まりそうになった。
(%▼◇×#△♭○□◆@▽ー!!)
再びアヤシゲな言語で大絶叫したが、勿論心の声はヒカルに届くはずもない。
「へへ〜あったけー」
肩口に頭をもたせかけてくるヒカルからは甘い体臭が立ち上り、魅惑の香りがアキラの脳を蕩けさせようとする。必死に
なって理性を総動員しなければ、この状況に負けて手を出してしまいそうだ。けれどこんな風にヒカルと密着し、体温を感
じられるのはとてつもなく幸せである。かなり役得かもしれない。
(本因坊秀策の棋譜でも思い浮かべよう。煩悩を捨てて忍耐、忍耐だ!……でも嬉しい。進藤って柔らかい…って違う!)
頭の中で一人でノリツッコミを入れている時点で、アキラの混乱振りが分かるというものだ。
ヒカルはアキラの幸せな苦悩など知ったことではないようで、窓から見える風景に見入っている。寝転がってだと、範囲
が狭まって雪が微かな月明かりに照らされて上空から降る様子しか見えない。しかしその光景が実に美しい。
雪がほんのりと銀色に色づけされて、まるで真珠の一粒一粒がゆっくり空から舞い降りてくるようだ。
アキラもヒカルの視線に誘われるように、繰り広げられる冬ならではの幻想的な景色に眼を奪われる。
「……綺麗だな…」
「うん」
雪明りに照らされるヒカルの横顔を見詰めたまま、アキラは頷いた。一体どちらを綺麗だと思ったのかはアキラにも分か
らない。美しい冬の風景も素晴らしく、儚い光に照らされるヒカルも綺麗で眼が離せなかった。
ついさっきまで邪な方向に頭がいきそうになっていたのも忘れるほど、ヒカルは無垢で綺麗だった。
それにしても、シチュエーションとしてはとてつもなくいい状況であると、彼らは少しも気付いていない。同じベッドに入り、
雪景色を一緒に見ている。ただの友人でも、ライバル同士の距離でもなく、雰囲気でもない。誰が見ても恋人同士だと思う
だろう。本人達に自覚はないが。
二人は無言のまま、ベッドに寝転がったまま雪が静かに降る様子を時を忘れて見入っていた。
アキラも冷静さを取り戻して雪を見ていたが、ふとヒカルが余りに静かなのが気になって眼を向けると、案の定すっかり寝
入ってしまっている。規則正しい寝息が部屋の空気を微妙に揺らしていた。ヒカルを起こさないように腕を伸ばしてカーテン
を閉め、布団を被り直す。自分もそろそろ寝ようと瞳を閉じたアキラだったが、妙に眼が冴えて眠れない。
理由は簡単だった、隣のヒカルだ。雪のお陰で一旦消えかけていた欲望が再び頭を擡げようとしている。
「う……ぅん」
微かに焦りを覚え始めたアキラに、いきなり危機が訪れた。ヒカルが小さく唸って身体をより一層密着させてきたのだ。
色っぽい声を聞いただけでも理性が飛びそうなのに、寒いのか身体全体をアキラにくっつけるような体勢になっている。
(足を絡ませるな!首筋に息を吹きかけるなっ!進藤ー!!)
寝ているヒカルを起こすこともできずに、声にならない抗議をする。涙にくれる隣の状況など完全無視で、ヒカルは気付か
ずに更に身体を絡みつかせるようにしてやっと落ち着いたのか、気持ちよさそうに深い眠りの中へと入っていった。
(……助けて、神様)
滅多にしない神頼みをしたくなるほど、アキラは追い詰められていた。
悲惨すぎるとしか言いようがない。先刻の状況でも死にそうだったのに、今はそれ以上になっている。
足が絡みつき、腕は胸元に置かれ、肩口に頭が載り、身体全体が隙間なくぴったりとくっついているという、まるで事後の余
韻に浸っているような体勢だ。こんな状態のまま朝まで迎えなければならないなんて、苦行そのものである。
ちらりと横を見やると、ヒカルの寝顔が間近にあった。これだけで意識が遠退きそうになるが、見惚れてしまうのも当然で。
ほんのりと色づいた唇は、雪明りにリップグロスを塗ったように艶光り、頬にかかった髪が何とも色っぽい。
無意識に顔を寄せそうになって、アキラははたと我に返った。
(ダメだ!寝ている相手に何をしようとしていたんだっ!ボクは!)
大慌てで必死に自制したものの、愛らしい寝顔についつい頬が緩んでしまう。
(……可愛い…)
だらしなくにやけた表情で寝顔を見られているとは露知らず、ヒカルは静かな寝息を立てて寝入っていた。
(可愛いんだけど……この体勢を何とかして欲しい…)
アキラとしては、自制心と欲望との戦いを強いられる強烈な状況である。
その前に、激しく脈打つ心臓が負荷に耐え切れずに破裂するか、興奮で脳の血管が切れるかどっちが早いのだろうかと、
他人事のようにアキラは思った。どのみちこれではもうダメだ。
(お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許し下さい。――こういうのは腹上死とは言わないだろうな…)
とりとめもなくまるで関係のない思考をするあたり意外と余裕なアキラである。
自分なりに悶々と悩んでいたアキラであったが、ものの数分もたたないうちにもう一つの寝息が壁を打っていた。
絶対にこんな体勢では眠れないと思っていたのに、程なくすっかり寝入ってしまったらしい。これまでの疲れと、人肌の
温もりが意識しないところで緊張を解したのだろう。
いつの間にか身体を向きを変えて、宝物を護るようにヒカルを腕の中に抱き締めて、アキラは眠っていた。
彼らの枕元に、赤い服を着たサンタならぬ烏帽子を被った麗人が寄り添い、そっと祝福を捧げていたことを知らずに。
二人きりのクリスマスは白い雪に見守られるように穏やかに更けていった。
2005.12.25