宇宙で最も平和を護る気がなく、とてつもなく暇な正義の味方…それが囲碁戦隊棋士レンジャーだ。
日○棋院地下にある、囲碁戦隊棋士レンジャー日本支部(棋院公認)の作戦司令部に、今日も部隊員は暢気にやってくる。
結成して1ヶ月以上経っているにも関わらず、未だに悪の秘密結社からの攻撃もなく、全くすることがない秘密戦隊だった。
一応名目上は秘密戦隊の筈なのだが、実際は秘密どころか棋士全体で公認である。というのも、次の手合いに出席すると
多くの人々の同情の視線に晒された上に、でかでかと横断幕に「頑張れ!囲碁戦隊棋士レンジャー!」と手合い室に吊るさ
れていたのを見て大ショックを受けたのは、記憶に新しい。
「なんでばれてるんだ〜!?」と彼らが声にすら出せずに入口で唖然としているのを、人身御供に若手を差し出したベテラン
棋士達は同情しつつも、とても楽しそうに見守っていた。棋院内の娯楽が一つできた瞬間だった。
いい恥さらしである。こうも恥ずかしい思いをしなければならない上に、理由もなく3回連続で休むと手合料5回分カットという
恐ろしい罰までもが待ち受けているのだ。割の合わないことも、ここまでくると一層清々しいものすらある。
和谷こと和谷グリーンは師匠の森下九段に「手柄で塔矢アキラに負けるなよ!」と発破をかけられ、「だったら変わってよ!
師匠!」と心で泣きながら叫んだものだ。伊角こと伊角ブルーは篠田院生師範から、「頑張りなさい。きっといい経験になると
思うから」と穏やかに微笑まれ、「いい経験…なるんだろうか…もしかしたら精神力はつくかもしれない…かな?」と首を傾げな
がら頷くという器用なことをした。
それぞれが縁のある人物から有り難〜いお言葉の数々を頂いたが、ヒカルこと進藤イエローには幸いにもなかった。
彼が内心ほっとして、自分の運のよさに胸を撫で下ろしていたことを、恥さらしの刑を受けた隊員達は気付いていない。
結成してから一ヶ月半が経つ。会合の日には殆どの隊員がこの司令部に来るが、作戦を練ったりなんてしたことはただの一
度もありはしない。することといえば休憩室を兼ねた対局室で棋譜の検討をしたり、隊員内でリーグ戦をしたりするぐらいであ
る。ここまでやる気のない正義の味方も珍しい。
とはいえ、それも無理からぬことである。大体からしてまずすることがない。副司令官の緒方はトップ棋士として忙しく、初会合
以来一度も顔を出したことがないし、悪の組織(名前すら未だに分からない)も何もしてこないのだ。これでどうしろというのか。
今ではすっかり、この日本司令本部は彼らの第二の溜まり場と化している。副司令室は鍵が掛かっているので入れないが。
鍵が掛かっているのは当然だ。一度だけ副司令室を覗いた門脇の証言で理由は判明する。
『ソファは革張り、大きなデスクに最新のパソがあってさ、床は高級絨毯で超贅沢!副司令室というより社長室だぞ』
これを聞いた平隊員は全員で「ずるい!」と非難の嵐であった。つまりこれが平(ただの棋士)と幹部(タイトルホルダー)の差
というものである。ずるいという点において、緒方が会合に出席しないことをペナルティーにはできない。地方でイベントや対局、
取材、などなどちゃんとした正当な理由があるからだ。
自分達も対局で無理でした、と言って休みたいところだが、一体どんな方法で全員のスケジュールを把握しているのか、嘘は
しっかりばれてしまうのだ。その為平隊員全員、真面目に出席するようにしている。
本心としては腹いせに副司令室を勝手に使ってやりたいが、やはり緒方は一筋縄ではいかないのだ。頑張れ青少年!
そうそう贅沢ばかりも言ってはいられまい。副司令室は無理でも、他の部屋は使い放題だし、日本支部作戦司令部にあるパ
ソコンも勝手に自分達の専用にしていたりする。入口から入って左右の壁側に3台ずつ置かれているパソコンは、計6台。右側
にあるのは芦原・冴木共用、門脇・本田共用、越智専用。左はアキラ・ヒカル共用、社専用、伊角・和谷共用といった具合だ。
他にも炊事場や、休憩室を兼ねた検討室、ユニットバス付きシャワールームなんかもある。存外に贅沢な作りだ。
炊事場で勝手に料理を作ったり、休憩室で鍋パーティーや飲み会なんぞする正義の味方…緊張感なさ過ぎである。
今日も今日とて彼らにとってこの日本支部は、本日の対局の棋譜整理や検討をする場になっている。今までマク○ナルドや
碁会所、和谷のアパートの一室で行っていたことが、場所を変えただけの状態なのだ。
伊角との共用パソコンで棋譜整理を行いながら、和谷は横に座って画面を眺めている伊角に話しかけた。
「……伊角さんもパソコン覚えなよ。棋譜整理に凄くいいんだぜ?」
共用パソコンとはなっているものの、実際には和谷が使うことの方が多い。今入力しているのも伊角の今日の対局だ。
「オレこういうの苦手なんだよ、和谷君お願い」
「伊角さん、しげこちゃんの口真似あわね〜」
和谷は口では文句を言いながらも、笑いながら手早くマウスを動かす。なんのかんの言っても、伊角の役に立てるのは和谷
にとっては嬉しいことだ。二人で他愛もない話をしながらパソコンの前でいちゃつく姿は、立派なバカップルだった。
越智ピンクこと越智はそんな二人の様子に苛々しつつ、何で自分の周りにはこんな奴等しかいないんだ、と内心文句たらたら
である。だがしかし、公害認定を求めたくなるはた迷惑な奴等がいるから、伊角と和谷に関しては眼を瞑ってやってもいい。
この部屋のパソコンで越智が一番気に入っていることは、あのバカップル二組に背を向けてできることだ。あいつらに挟まれて
いる社には、心底同情せずにはいられないが、彼はテレビ電話での会合出席なので、真ん中のパソコンは実質誰も使っていな
い。しかし、誰もが共用にして窮屈な思いをしてまでも、絶対にバカップルに挟まれているパソコンを使おうとはしないのである。
アキラとヒカルの共用パソコンは殆どアキラ専用と化しているが、ヒカルにパソコンを教えるという口実でセクハラめいた行為
をしていることに、皆気付いていないはずがない。ここでいちゃつくな!と毎回思わされる身になれというのだ。
例えばぎこちなくマウスを使うヒカルの手に自分の手を重ねる、なんて事はまだ序の口。画面を覗き込むフリをしてヒカルの首
筋に顔を埋めたり、膝を触ったりなどなど、上げ出したらキリがありゃしない。時々ヒカルが気付いて愛の制裁を与えているが、
殆ど知らずに受け流している為、アキラは触り放題で、周囲の者が「見たくないものを見てしまった…」とガックリくるのである。
嬉しいことに、今日はまだ例の二人はまだ姿を現していない。越智にとってこれほど幸せなことはなかった。
「「あ〜やっと終わった」」
本田オレンジこと本田と門脇ブラウンこと門脇は、二人で声を揃えて作戦司令部に入ってきた。
「お疲れ様〜」
「ご苦労さん、丁度良かった。何飲む?」
二人が来ると同時に芦原と冴木が炊事場から顔を出して、飲み物の要望を尋ねる。
「オレはコーヒー、和谷はCCレモンで」
「ボクはオレンジジュース」
「本田君はウーロン茶で、オレはコーヒーをブラックで」
「分かった、ちょっと待っててね」
何故か隊長と副隊長が甲斐甲斐しく働き、他の隊員はいたってのんびり構え、元の作業に戻った。
「……あれ?進藤は?」
本田は荷物を自分の机の下に置くと、メンバーの確認をして不思議そうに首を傾げる。
「進藤?こっちには来てないぜ?オレらが来た時誰もいなかったし。な?伊角さん」
「今日はオレ達が一番乗りだったけど、見てないぞ」
「おっかしーなぁ…。あいつ、伊角さんと和谷よりも早く対局終わらせて出て行ったんだけど」
ピキーンッ!!
何気ない本田の発言に、その場の空気が一瞬にして凍りつく。
「……今日は低段者の対局日だよな…塔矢はその…来て…ないんだっけ?」
本田、門脇、伊角は和谷に何度も頷いてみせる。聞いていないふりをしつつも聞いていた越智は、耳をダンボにして聴覚をとぎ
すませ、ことの成り行きに不安を覚えながらパソコンの前で動きを止めた。
彼らの頭の中では、ヒカルとアキラは常にセットの状態になっている。「ヒカルが居ない時はアキラもいない、アキラが居る時は
ヒカルも居る」と彼らは考えているのだ。しかし、二人は四六時中一緒にいるわけではない(アキラにはそれが不満でヒカルは何
とも思ってないが)。ただアキラとヒカルが一緒に居る印象が強いので、どうしてもセットでいると思い込んでしまいがちになる。
その為、ヒカルが今居ないという事実に対して、アキラも一緒にどこかにいる筈だという答えに直結してしまうのだ。ただ問題は、
それがどこかということである。
「進藤と塔矢…今どこに居るんだろう?」
疑問形使いながらも、全員の視線は対局室、もとい休憩室の堅く閉ざされた扉に吸い寄せられる。
休憩室に視線が集中するのは、ヒカルがよくこの部屋で昼寝をしたりお菓子を食べたりしているからだ。昼寝をしている時はア
キラがいつの間にか持ってきた高級羽根布団にくるまり、下に座布団をひいてすやすやと気持ちよさそうに眠っている。
羽根布団をヒカルにプレゼントしたアキラだが、当初敷布団まで持ってこようとしてヒカルに大却下されていた。あの時はヒカル
が彼らの眼には天使に見えたものである。
いつもなら、ヒカルが居ないとなればさっさと対局室に探しに行くのが常だ。だがしかし、居ないのはヒカルだけではない。困った
ことにアキラまでもがいないのだ。アキラとヒカルの二人が居ない…彼らは誰も認めるバカップル…そして閉ざされた休憩室…。
(ま、まさか……ね)
いくらなんでも、正義の味方の本拠地でコトに及ぶような真似はするまい。冷汗をだらだらと流しながら、彼らは必死に否定しよ
うとする。だが、ヒカルはともかくとして相手はあの塔矢アキラだ。あの男ならここでだってやりかねない。っていうか絶対やる!
『進藤……ボクはもう我慢できない』
『けどよー塔矢、ここは皆の……』
『気付かれなければ大丈夫、ボクを信じて、進藤』
『信じろったっておまえ…』
『いいから』
『…塔矢…ダメだって………あ』
こんな会話(?)をする姿すら想像できた。したくはないが、二人の関係を知っているだけに分かってしまう。
(嫌だ〜!嫌過ぎる!)
(もうダメだ!二度とあの休憩室には足を踏み入れられない!)
(くっくそぅ!害虫どもめー!)
(ううう〜泣けてきそうだ!)
彼らは思い思いの心の叫びを漏らし、休憩室の扉を仇のように睨みつけた。お互いに扉を開ける役を押し付けるように、目線だ
けで牽制しあう。誰も開けたくないのは無理もない。しかし、ヒカルがどことなく疲れた顔で、対してアキラが妙にすっきりした満足
気な表情で、二人揃って休憩室から出てくる姿を見たくないのも確かだ。
そんなものを見せられるぐらいなら、今すぐこの部屋から出て行くに気まっている。会合なんてクソくらえだ!…と思えたらどん
なに幸せだろう。ただ、ただ、自分達の不幸を呪いたくなる。今日に限って出席しなければならないなんて、間が悪いにも程がある。
運の悪いことに、今回は緒方も久々に出席するフルメーバーでの会合なのだ。ここで出ないなんてことをしたら、緒方の独断と
偏見で手合料カットにもなりかねない。
逃げたい、でも逃げられない。だが逃げねばどんな不幸な目に遭うか分からない。そして逃げても不運に遭遇するに違いない。
究極の二者択一を迫られている彼らの苦悩が室内に満ちる。給料カットか、それとも……考えるだけで頭が痛い。
しかしそんな異様な沈黙が落ちた司令室の扉が、なんの遠慮もなく突然開き、彼らは一斉に新たな人物に眼をやった。