西暦1930年代、第一次世界大戦後の一時の平和から、第二次世界大戦へと傾れ込もうとする血生臭く混沌とした時代――南米
の熱帯雨林に潜む巨大な遺跡で、二人の少年は出会った。
この出会いが彼らの人生を大きく左右し、全ての始まりになるとも気付かずに。
熱帯の鬱蒼と茂る密林が唐突に開けた場所に、古代の神殿は堂々と建っている。容赦なく照らす太陽と一緒に、鳥の囀りと虫
の声が響く。神殿の上空を飛ぶ鳥の影が、所々ひび割れた石畳から階段状のピラミッド型の建物の上を走り抜けた。
じりじりとした日差しに焼ける神殿には中に入れる入口がある。石造りの神殿は屋内まで外の暑さが届き難いのか、気温が少し
低めだ。しかし僅かな気温の低さすらも、その場にいる二人の少年の発する熱で霧散する。
一人は前髪が金色の小柄な少年。もう一人は漆黒の髪に切れ長の瞳をした日本人形のような少年。
二人が対峙しているその場所は、入口から離れて少し奥まっている。本来ならば外と同じように石畳に覆われているはずだが、
長い年月の間に土が堆積し、日が当たらない場所であるにも関わらず、雑草が生えていた。程よくできた草地で足場も柔らかい。
穏やかな外の風景とは裏腹に、少年達の雰囲気は決して友好的なものではなかった。
彼らはその場で引っ掻き合い、髪を引っ張り、汚い暴言を吐きながら、互いの手を行き来する銀貨のようなものを奪い合う。
二人の姿は見るも無残であった。顔には幾つもの引っ掻き傷ができ、服は泥だらけ、髪も乱れてぼさぼさだ。元の面影もない。
だが彼らはそんな些細なことには全く構わず、眼の前の相手にだけ集中している。
「オレが先に見つけたんだ!」
「いいや、ボクだ!」
年の頃十二、三歳の子供の喧嘩の割には、激しいものだった。しかし、所詮は子供である。どんなに必死でも、言い争い罵りあう
内容は悪口程度の域を出ていないところが可愛い点だ。
「おかっぱっ!」
「まだら頭!」
「こけし!」
「虎縞!」
「離せよ!」
「誰が離すかっ!」
二人は睨み合ったまま互いの主張を押し通し、断固たりとも譲ろうとしない。
これまで何度も上下を入れ替えて取っ組み合いの喧嘩をしていたが、離さないまま立ち上がった。大地をしっかりと踏ん張って、
銀貨の端と端を掴んで互いに引っ張る。まるで短い綱引きをしているように、銀貨が二人の少年の間を行きつ戻りつした。
だがそれも始めのうちだけで、少年達の力が完全に拮抗すると、銀貨は元の位置からピクリとも動かなくなる。
――パキン!
不意に乾いた音が響いて、銀貨が真っ二つに割れた。
彼らは慣性の法則に従い、分かたれた銀貨を持ったまま派手に草地に転がり、強かに背中を打ちつける。衝撃にまともな声も出
せずにしばらく呻いていたが、二人は同時に立ち上がり、互いに責任を擦り付けるように睨み合う。
彼らが責任転嫁のために、口喧嘩の口火を再び切ろうとしたした瞬間、第三者の声が割り込んできた。
「おい、こっちで音がしたぞ!」
「探せ!アレがなければここまで来た甲斐がない!」
複数の足音が石壁に反響し、近付いてくる。
二人は同時に舌打ちすると、一瞬瞳を交錯させ、互いに背を向けて走り出した。
後ろを決して振り返ることなく――。
月明かりが差し込んで青く染める室内を、甘く濃密な空気が支配していた。
広い部屋に見合うような大きな寝台の上で、二人の人物が互いを貪り合っている。ベッドのスプリングが軋む音が微かにする度
に、下に組み敷かれた少年が背を仰け反らせて高い嬌声を上げた。
「あん!……塔矢…も、ダメ…!」
「く…もう少し、我慢して。進藤……」
切り揃えられた漆黒の髪を幾筋か汗で頬に貼りつかせ、眉を僅かに顰めながらもう一人の少年が囁きかける。
青白い月の光は、ほんのりと桜色に色付いた二人の肌をより一層際立たせるかのようだった。
あられもなく広げられたほっそりとした足が、伸し掛かる少年が腰を進めるたびに中空を掻き、揺れる。
熱い吐息としゃくり上げるような甘い声が混じり合い、互いのことにのみ、意識が集中していく。
「いやぁ……アキラ!アキラ!」
「…ヒカル…」
その名を聞いた途端に、アキラと呼ばれた黒髪の少年は満足気な笑みを浮かべた。縋りついてくる自分よりも幾分華奢な少年
を愛おしそうに抱き締め、動きをより一層激しくする。
そのたびに室内に淫猥な音が響き、空気の密度が更に濃くなっていく。
彼が今その腕に抱いている進藤ヒカルという少年は、感極まってくると無意識にアキラを『アキラ』と呼ぶのだ。
本人は意識して声に出しているわけではないので、そんな風に自分が呼んでいるとは全く気付きもしていないし自覚もしていな
い。それだけ行為に没頭している表れだろう。普段ヒカルがアキラを名で呼ぶことはないので、ベッドの中だけとはいえこんな風
に呼ばれるのが嬉しくないはずがない。口元を綻ばせてアキラはヒカルに唇を寄せる。
二人の首元には、半月の形をした銀色のペンダントトップが月明かりに反射して鈍い光を放っている。
月光が揺れ動く影を床に刻み込み、卑猥な影絵が映し出した。
やがてヒカルが一際高い声で彼を呼び、悲鳴じみた嬌声を上げた瞬間、月は雲に隠されて部屋を暗闇に落とす。
アキラは荒い息を吐きながら、再び顔をだした月に照らされて輝く、愛しい少年の額に貼りついた金色の前髪を指先でそっと掬
ってやる。ヒカルはうっとりと心地よさげにアキラの指の感触を受け入れた。
呼吸がある程度落ち着いてくると、砂色の瞳を開いてアキラを見上げる。
「おまえ……今日はえらくがっついてねぇか?」
「いつも通りだと思うけど……」
アキラはヒカルを抱き込んだまま四肢を伸ばして横になり、腕の中の少年の指先に口付ける。それだけの行為でも感じやすい
少年はピクリと身体を震わせていた。
「…昼にもしたろ?」
「昼と晩はまた別だよ」
憮然とした声と一緒に指を引っ込めて睨みつけても、アキラはしれっ答えて指先から手首へと愛撫をずらしただけだった。
「コラ、そんなとこに痕つけんな」
手首の内側の柔肌にくっきりと赤い所有印を刻む不埒な男の頭を押しのけ、ヒカルは不満そうに唇を尖らせる。
文句こそ言いつつも、目元が僅かに赤らんで瞳が潤んでいては牽制の役には立っていない。むしろアキラを煽るだけだろう。
「それよりも、これがどうやってあそこにあったのかは分かったのか?」
「ああ」
眼を逸らしたヒカルが銀色のペンダントトップを弄びつつ尋ねた言葉に、アキラは迷いなく頷く。再び傾れ込まないよう彼が無理
矢理ふった話にわざとのってやりながら、しっかりと少年の細い身体を抱き締めた。
「ボク達が出会ったあの遺跡には、宣教師が何人か滞在していた記録が残っている。恐らくその内の一人が所有していたんだ。
本来あの辺りの遺跡にある筈のない物だから、原因はそれしか考えられないな」
「それだけかよ。結局コレが何かは分からずじまいか?」
不満そうなヒカルに、アキラは肩を竦めてみせる。
「仕方ないだろう?宣教師もコレにそんな仕掛けがあるとは知らなかったようだから。知っていたのなら、仕掛けについて何らかの
記述が残っていてもおかしくない」
「それはいえてる。一番の問題は……何のために作られたかってことだよなぁ…」
「……そうだな」
アキラの説明にヒカルはうつ伏せに寝転がり、考え込むように拳を赤く色付いた唇に押し当てた。
進藤ヒカルと塔矢アキラが初めて出会ったのは、南米のさる遺跡だった。
元はスペイン軍が占拠していた廃墟の遺跡にあった、奇妙な銀貨を奪い合ったことが最初の発端である。
アキラは考古学者だった両親に連れられて南米に渡り、ヒカルは育ての親のような存在であった、トレジャーハンター兼考古学
者であった藤原佐為と共に南米に訪れた。ヒカルはたまたま散歩がてらに立ち寄り、アキラは父が調査する遺跡の傍にあったこ
とでよく足を運んでいた、その神殿遺跡で二人は出会った。
彼らは偶然にも同時に同じ物を見つけ、取っ組み合いの喧嘩の果てにこの銀貨を分かち、別れたのである。
その後数年、二人が関わりあうことは全くなかったが、第一印象の悪さもあってか、記憶の中からお互いの姿が消えることは万
に一つもなかった。金輪際あり得ないほど鮮明に覚えていた。
まるで運命に定められた宿敵のように、鮮烈に刻み込まれていたのである。
二人が再会したのは、初めての出会いから三年の月日が流れてからだった。
佐為は旧華族という家柄で特異な経歴の持主だったが、考古学者としてもトレジャーハンターとしても非常に優秀な人物で、孤
児として引き取ったヒカルをとても大切に可愛がって育ててくれた心優しい青年であった。幼い頃の記憶をなくしていたヒカルは佐
為の姉夫婦に慈しんで育てられていたが、10歳頃くらいから海外に連れ出されるようになった。
姉夫婦の反対を押し切ってヒカルを連れて日本を出た佐為の目的が何だったのかは、今は関係ない。
ヒカルは十四歳の時に保護者でもあり親友ともいえる佐為を病で亡くし、トレジャーハンターとしてたった一人で細々と暮らしな
がら永世中立国であるスイスに流れ着いた。当時、佐為の姉夫婦が行方を捜しているとも知らず、彼は一人で生きるために身体
を売ることすら一時は覚悟を決めねばならぬほど、生活に困窮し追い詰められていた。
元から天涯孤独であったヒカルは外見の容姿もあって日本では非常に暮らし難く、海外を点々と渡って生きていくしかなかった。
ヒカルに遺されたものはトレジャーハントの技術と考古学の知識、育ての親であり師匠でもある佐為がくれた手帳、そして旧華
族であった彼が最期まで持っていた扇子だけだった。
アキラもまた、戦禍によって両親を喪い、親の遺してくれた財産と家で、スイスで一人暮らしていた。
日本に帰ることも考えたが、混沌としたこの時代では非常に厳しい。それもあって二人は偶然にも再会したのである。
年若いヒカルには当然ながらろくな仕事がくるはずもなく、生活にいよいよ困窮して身体を売ってでも生きていかねばならない
かと、覚悟を決め始めていた時、考古学者が日本人の住み込み助手を求めているという新聞広告をたまたま見つけたのだ。
今夜寝る場所はおろか、一食の食事の費用すら手許になかったヒカルにとって、記事はまさに天の救いであった。佐為と共に
暮らしてきたことで、考古学の知識を豊富に持つヒカルにしてみれば、まさに渡りに船といえただろう。
まさかその考古学者が南米で喧嘩別れし少年だとは思いもしなかったが。
アキラは若いながらも、戦乱による人手不足ということもあり、スイスの小さな大学で講師を行っていた。幼い頃から英才教育
を受け、たった十四歳で大学を卒業し、講師となった天才少年がアキラだった。とはいえ、研究のためには人でも足りず、費用
も少ない。そこで、住み込みの日本人助手を求めることにした。
日本人限定にしたのは、微妙なニュアンスは人種と生活環境の違いで、上手く意思の疎通をはかれないという点からだった。
語学に堪能なアキラでも、日本人同士なら分かり易いことでも他人種では通じ難い点は如何ともしがたい。こればかりは非常
に難しい点だろう。それだけでもなく、両親を亡くしてから海外で暮らす日々が長くなり、母国語である日本語が懐かしかったの
理由の一つに挙げられるかもしれない。
ヒカルが最初大学でアキラと再会してから住居に訪れてからも、アキラが南米の遺跡で出会った少年だとは分からなかった。
――というのも、アキラはいかにも大学講師らしくスーツを着込んで伊達眼鏡をかけ、前髪を上げて秀でた額を出して普段と
髪型も変えており、どこから見ても研究員にしか見えない姿だったからである。
南米でのアキラは眼鏡もかけておらず、髪も下ろしていて、服装も探検家が着るような動きやすそうなものだった。
対してアキラはヒカルを一目見た瞬間に、因縁の相手だとすぐに気付いていた。
即採用したのも、あの時の雪辱を晴らす機会が欲しかったからだ。
一緒に暮らすようになってすぐにヒカルもアキラが南米での仇敵だと勘付き、当初の二人の仲は険悪そのものであった。ところ
が、生活を共にしていくうちにいつのまにか過去の出来事はどうでもよくなってしまい、彼らは互いに惹かれるようになっていった。
アキラは自分の知らない実践的な技術を豊富に持つヒカルに興味を持つようになり、ヒカルはアキラの持つ博学な知識と論理
的な思考に驚き、興味を抱いた。実践と論理という違った部分を補いあいながら、幾つもの遺跡探索を行っていくうちに二人は互
いを認め合うようになったのである。彼らが男同士でありながらもこういった関係になったのは、およそ二年半ほど前からだ。
意識をしだすとやがて惹かれあい、二人は紆余曲折の果てに結ばれた。互いに生涯のかけがえのない伴侶として。
二人が出会って六年の歳月が流れていたが、長く続く戦時下では食料も栄養も不足がちで、実年齢よりも彼らが幼い印象を受
けるのも仕方なかった。元から日本人は実年齢よりも年若くみられるため、周囲の誰もが二人を十六、七歳だと思っている。
ヒカルは特に幼く見られがちで、大抵十五歳かせいぜい十六歳だと思われていた。
尤も、そのお陰で世界的批判を浴びている日本人であっても、子供としては比較的暮らしはましな状況だった。
日本の国際連盟脱退や日中戦争の勃発、隣国ドイツでファシズムを掲げるナチスの台頭など、文字通り戦火の火種は世界中
に広がっている。聞こえてくるニュースはどれも暗いものばかりだ。
実際、永世中立国のスイスは戦時中でも栄誉ある中立を貫いたこともあり、反対に生活状態は困難であった。
交戦国や諸外国は戦争が激化するにつれて経済封鎖でも対抗したため、食糧供給及び原料輸入は途絶し、物価の高騰など
により労働者の生活は困窮していた。しかしまだ、この国は他国に比べれば平和ではあるのだが。
「それにしても…コレにあんな仕掛けがあるとは思わなかったけどな」
ヒカルはコインを指先で弄びながら小さく呟いた。
「ああ、そうだな」
頷きながらアキラは背後からヒカルを抱き込んで、陶磁器のように滑らかな背筋や肩甲骨に口付けを落としていく。
「コラ……!」
「まだ足りないんだ。もっとキミが欲しい、進藤」
後ろを振り返って睨みつけようとしたヒカルの瞳を、熱く濡れたように輝くアキラの瞳が真正面から捉えた。
「………う」
熱情を宿した真剣な彼の瞳にヒカルは弱い。アキラの綺麗で真っ直ぐな瞳に、自分しか映っていないことを知るのは堪らない
快感の一つになる。アキラもそれが分かっているのだろう。視線を逸らさぬまま、ヒカルの指先を赤い舌で舐め上げる。
敏感な身体が小さく震えた進藤が爪の先から伝わり、喉の奥でアキラは低く笑った。
「……ワガママ……」
「キミには負けるよ」
ヒカルが身体を捻って腕を伸ばしてきたのを了承ととり、アキラは深く唇を重ねた。
熱の交歓が再び始まる……。







