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 初夏の爽やかな朝の光の中、青峰山紫陽洞の洞門に向って、二人の人物が階段を上っていた。 
 一人はどこから見ても小柄な十代の少年で、もう一人は燃えるような赤い髪をした青年だった。彼らは旧知の仲であるらしく、楽し
 
げに歓談しながら足を運んでいる。
 
 十代の少年らしき人物に対して、赤髪の青年はぞんざいながらもどこか敬意を払うような口調で話していた。それもその筈、外見
 
には全く関係なく、彼にとってこの少年は兄弟子に当たる人物なのである。
 
 二人の会話から察するに、洞門に続く階段を上ろうとしたところで、丁度鉢合わせしたようだった。
 
「――ったく、封神計画を終わらせた太公望師叔ともあろうお方が、朝飯をたかりにきてるなんてよぉ」
 
 わざとだと見え見えの仕草で大仰に溜息をつき、赤い髪の青年は小柄な少年を見下ろして肩を竦めてみせた。
 
「そういう竜綺お主こそ、封神計画の要であったろうが。どのみち目的は同じとみたが?」
 
「しっつれいだな〜。俺はたかりにきたんじゃねぇぜ?御相伴させて貰おうと思ってるだけさー」
 
「同じことだっ!」
 
 竜綺と呼んた青年の声が終わるどうかであるというのに、太公望はどこからともなく持ち出したハリセンでスパーン!と小気味のい
 
い音が響かせて頭をはたいてやる。典型的などつき漫才だ。
 
「いてぇなぁ、師叔。弟弟子が可愛くないのかよ……?」
 
「勿論可愛いとも。呼び鈴を鳴らしてくれると更に可愛いのう」
 
 口調だけは拗ねてみせる竜綺に太公望がにやにや笑いながら返答すると、彼は心得たとばかりに頷いて呼び鈴を押した。
 
 ここの洞府は大方留守なので、形だけ押しておいて庭の一角にある来客用離れで適当に寛いでいれば、洞主の清虚道徳真君が
 
帰宅するとすぐにお茶菓子を運んできてくれるのだ。飯時なら一言「まだ食べてない」と言えば、都合よく食事に有り付けるという訳
 
である。だが、今朝は勝手が違った。
 
 竜綺が呼び鈴を鳴らすと物凄い勢いで走る音が聞こえ、門を壊さんばかりの激しさで扉が開くと同時に、この洞府に住まう少年道
 
士、黄天化が飛び出してきたのだ。
 
 滅多にないことだけに何が起こったのか分からずぽかんとしている友人二人を見やり、寝巻姿の天化は一気に捲くし立てる。
 
「竜綺!師叔!丁度よかったさっ!!今すぐこっち来てくれよ!!」
 
 挨拶も抜きにして二人を早く早くと急かし、邸内へと必死の形相で招き入れる。
 
 普段だとこんな格好をしていたら、太公望の絶好のからかいの的となるのだが、そんな事すら構っていられないらしい。
 
 仙道のクセに無駄にだだっ広い、俗に言う豪邸と呼ぶべき屋敷の中を3人揃って走る。折角この洞府自慢の露天風呂に浸かろうと
 
思っていたのに、当てが外れて太公望は情けない気分になる。あわよくば、果樹園に無断進入して桃を食べようとも考えていたのだ。
 
 下手にそんな事をすると天化と道徳が悪戯の応酬に作った罠にかかる可能性があるのだが、それも始まりの人の力を使ってどう
 
にかしようと安直に算段してもいた。周囲の者がそれを知ると、もっとまともな方向に使って貰いたいと嘆くに違いない。
 
 広大な庭に咲き誇る花々を見る余裕も無く邸内に入り、長い廊下を走ってやっと奥まった部屋に通された。
 
 二人が天化に案内されて訪れた場所は、寝室であった。天化が薄絹の帳を除けたので寝台を覗き込むと、見知らぬ男が横たわっ
 
ていた。規則正しい寝息から察するに眠っているらしいのだが、この状態で眠っていること自体が彼らには奇妙に映る。
 
「………誰だ?こいつ……?」
 
「……これは…人間なのかのう……?」
 
 しばらく寝台で眠る人物を眺めた末、竜綺は思いっきり不審げに、太公望は顎に手を当ててしきりに首を傾げながら、後ろに振り返
 
って天化に尋ねた。
 
「二人とも変なこと言ってんじゃねぇさ!師父に決まってるさねっ!!」
 
 ムキになって言い返してくる天化の額に太公望は手を当ててみる。バンダナをしていないのですぐに平熱であることが分かり、額に
 
手をやったまま竜綺に目配せした。
 
「熱は無いようだぞ」
 
「じゃあ眼か?おかしいのは」
 
 彼らが真顔であるだけに天化は苛立ちを募らせたらしく、太公望の手を払い除けて寝台を示した。
 
「俺っちは熱も無いし、眼だって正常さ!それより師父を診てくれよ!!」
 
「これのどこが道徳だぁ?どこから見ても怪物マタンゴかひしゃげた饅頭じゃねぇか」
 
「……竜綺の言う通りだ。仮に元は人間でも、原型を全く留めとらんぞ」
 
 太公望と竜綺に揃って指摘され、天化はぐっと言葉を詰まらせる。確かに彼らの意見は事実であった。天化が師父と呼ぶ男の両頬
 
はぶっくり膨れ、まるでアンマンを3つ、4つ重ねているかのようである。顔の形自体が変わってしまい、元々の造作がどんなものであっ
 
たのか想像することすらできない状態なのだ。
 
「………仕方ねぇだろ。ゆすっても叩いても起きねぇから、つい…その…2、3発ぶん殴っちまったんさ……」
 
 ぼそぼそと弁解する天化の声を聞きながら、2、3発どころか、少なくともその3、4倍は絶対に殴ってるな、と彼らは確信する。この変
 
わり果てた道徳の状態を見れば一目瞭然だ。少し弟子に叩かれた程度で、打たれ強い道徳の顔がここまで変形する筈がない。
 
「……平手にしときゃよかったって、今ちょっと後悔してるさね」
 
 ボコボコになった哀れな道徳の顔を撫でて、天化は悔恨の篭もった息を大きく吐いている。
 
(…平手とか拳とかそういう問題じゃないだろうが……)
 
(いくら何でも、師匠の顔を何発も殴んなよな……)
 
 太公望と竜綺はツッコミを篭めた呆れた視線を天化に向けると同時に、道徳に対して憐憫の情を感じずにはいられない。
 
「……はぁ〜あ…。とにかく師叔は天化から詳しい事情を聞いてくれ。俺は道徳の顔を『気功』で治すから」
 
 朝っぱらえらく疲れた気がするぜ、と溜息混じりに呟きつつ、竜綺は友人の頬に手をかざして術を唱える。
 
 そこから少し離れた所で、太公望は天化に昨夜から今朝にかけての行動を問い質した。
 
「えっと……昨夜は師父と寝て、朝までずっと一緒だったさ。いつもだったら師父が先に起きて、朝飯を作ってくれんだけど、今朝はま
 
るで起きる気配が無くて……。腹も減ってきたし、それでその…起こそうと思って……ちょっと殴っちまったさ」
 
 天化は刑事に事情聴取を受ける被疑者のような顔つきで、神妙に応える。それを聞いて太公望は少し考え込み、寝台の傍にある卓
 
に置かれたままの果実酒に眼をやった。飲み干されて空になった瓶を振って、天化に向き直って尋ねる。
 
「寝る前に、道徳がいつもと違う酒を飲んだとか、何かおかしなものを食べたということはないのか?」
 
 この洞府に幾度となく足を運ぶ親しい友人なら誰もが知る、寝酒を飲むという道徳の習慣から得た太公望の言葉に、天化の顔色が
 
明らかに変わった。
 
「あっ!もしかして……けど………」
 
 竜綺の方をちらりと見やり、太公望と交互に視線を移して不安そうな、困ったような顔をする。
 
「はっきりせい!!ソッチ系統なら、竜綺には黙っておいてやるぞ。阿奴は余り免疫がないからのう」
 
 その言葉に勇気付けられたのか、天化は僅かに逡巡したものの、太公望の耳にゴニョゴニョと耳打ちした。内容を聞くに従って太公
 
望の頭はだんだん下がり、最後には呆れ返った様子で面を片手で覆ってしまった。
 
「この……大馬鹿者!雲中子から貰った、催淫剤(微量)入り性欲増進剤を盛っただとぉ!?お主という奴は……!!」
 
 太公望が説教をする前に天化は素早く遮り、小声で自身を弁護する。
 
「で、でもよ、前に使った時は次の日ちゃんと起きてたさ。修行もしてたし。まぁ……かなり疲れてたみたいだったけどさ……」
 
「……初犯でなくて2回目かい」
 
 頬をひくひくと震わせながら、げっそりとした様子で一人ごちる太公望から天化は瞳を反らした。
 
 実は3回目だとは口が裂けても言えやしない。
 
「恐らくそれに遅効性の睡眠薬が含まれておったと考えるべきだのう。……で、どんな具合だったのだ?」
 
 さっきまで呆れた態度だったのはどこへやら、他人の色物話好きな太公望はにんまりほくそ笑み、天化の腰を肘で小突いて探りを
 
入れる。天化は天化で竜綺に見えないよう気を配りながらも、力強く拳を握って親指立てると、嬉しげに破願した。
 
「もう最高さ!いつもは1回なのに、昨夜は3回!明け方まで放してくんねぇで、スッゲーよかったさ〜」
 
 天化はいかにも満足した体で昨夜を振り返り、完全に味を占めた様子でうっとりしている。
 
 またしようと心密かに企んでいることは明白である。
 
「…つまり、道徳は一晩中腕立て伏せをしておった訳か……」
 
 太公望の独語に、天化は頬を染めて小さく咳払いをした。暇な人は腕立て伏せと媚薬の関係について考えてみるのも一興であろう。
 
 二人が不真面目な会話を展開する間も、竜綺は真剣に道徳の顔を治し続けていた。3段重ねの餅に赤い着色料を塗ったような頬は、
 
ほんの少し触ることすら躊躇われるほど痛そうだ。ここまでされて起きないとは、普通では考えられない。呪いでもかけられたか、強力
 
な睡眠薬を飲まされたかとでも推測するのが妥当だろう。
 
 とにかく早々に犯人を突き止めて目覚めさせないと、自分達は朝食にありつけないのだ。いや、勿論の身を案じていることも確かなの
 
だが、腹が減っては戦はできぬとも言うし、やはり食事はしたい訳で……。友人を心配しているのか、していないのか分からない思考を
 
巡らしているうちに道徳の顔は元に戻り、竜綺は後ろを振り返って天化に声をかける。
 
「おう天化。こんなもんでどうだ?」
 
「元のカッコイイ顔に戻ってるさ。師父ィ、次からは平手にするから勘弁な。竜綺、本当にありがとさ」
 
 眠る道徳の頬を撫でながら、どこか的の外れたを語りかけると、天化は竜綺向き直り礼を述べた。
 
「別にいいってことよ。……で、原因は分かったのか?師叔」
 
 竜綺は天化に手を挙げることで応え、太公望へと視線を移す。
 
「うむ。恐らく睡眠薬か何かを盛られたのではいか……と推論をたてられるがの、腑に落ちぬのだ。例え薬を使っても、あれだけ殴られた
 
ら眼が覚める。薬に呪術的なものを加えて相手に飲ませたとしたら……」
 
「納得できるって訳か。確かにそうすりゃ呪いを解除しない限り目覚めることは難しいもんな」
 
 太公望の後を引き継いで竜綺は頷いた。薬に呪いをかけるとは中々の方法である。触媒としても使えるし、洞種類の薬に混ぜてしま
 
えば相手に気付かれずに飲ませることも簡単だ。
 
 知らなかったとはいえ、結果として自分が媚薬を使った為に道徳が起きないのだ。天化は自分自身に腹を立て、きつく唇を噛み締め
 
て俯く。自分達の会話にも入らず、堅い顔でいる天化の肩に太公望は手を置いた。
 
「とにかく腹ごしらえだ。腹が減っては戦はできんからのう」
 
 太公望の声を合図に、彼らは昏々と眠りつづける道徳を寝台に置いたまま、寝室を後にしたのだった。