COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)COOL(ヒカルの碁)   女王様の下賜品U女王様の下賜品U女王様の下賜品U女王様の下賜品U女王様の下賜品U
 手合を終え、ヒカルはのんびりとロビーの椅子に腰を掛けて休んでいた。中押しで勝ちを収めたものの、今日は取材の為棋院 
に来ているアキラと会うことになっているので、こうして待っているのだ。
 
 ロビーを見るともなしに見ていると、どういうわけか、いつもよりも人が多いように見えた。今日は高段者との手合日で、周囲に
 
は森下九段や白川七段など、見知った顔もちらほら窺える。他にも同期の和谷やプロになった伊角、門脇、同じ門下生の冴木
 
の姿もあった。彼らはさっき対局を終えて、ヒカルの姿を見つけて手を振ってくる。
 
 ヒカルもそれに応えると、リュックから卒業証書を入れるような大きな筒を取り出した。この筒はアキラを待つ間の腹ごなしに
 
持ってきたおやつで、先日の地方のイベントで京都に行き、そこで買った京都限定販売のチョコレートである。
 
 見たところどこにでも売っているマーブ○チョコだが、中のチョコは抹茶味になっている。試食品を食べてみると意外にも美味
 
しくて、五つもこれを買って帰ってきてしまった。一つは棋院の事務局に、もう一つは編集部にお土産として渡してある。残りの
 
巨大な筒は自宅にあり、無くなったら社に土産に持ってこさせようと企んでいる、食い意地のはったヒカルだった。
 
 ヒカルは筒から色とりどりのチョコを掌にのせると、手合が終わった緊張感からの開放もあって、嬉しそうに口に運ぶ。
 
 もくもくと一人で食べていると、和谷と伊角がヒカルの所やって来る。その後に門脇と冴木も着いてきた。
 
「あ!美味そうだな、進藤。オレにもくれよ」
 
「オレも」
 
「じゃあオレも」
 
 和谷の声に引かれるように、「オレも、オレも」と、いつのまにやら顔見知りの棋士達が周囲に集まってきた。
 
 伊角、和谷、門脇、冴木の他にも、何故か森下九段や白川七段も仲間に入り、チョコレートを口にする。
 
「おいしいね、コレ。進藤君、どこで買ったの?」
 
「京都限定販売のマーブルチ○コなんですよ、白川先生」
 
「ほう、中々珍しいもんだな。今度京都に行ったら、しげこに土産に買ってやるかな」
 
 白川の質問に答えたヒカルの言葉に、森下はいい話を聞いたとばかりに頷いた。幸いにも近いうちに京都に対局の為行くので、
 
丁度いい土産になりそうだと内心喜ぶ。口ではなんのかんの言いながらも、娘が可愛い森下だった。
 
 森下と白川が喋り続ける若手棋士達を残してその場を去ると、入れ替わるようにアキラがエレベーターから出てきた。ヒカルは
 
アキラの姿が見えると彼に向かって軽く手をあげる。
 
「ごめん進藤、待たせたな」
 
 一番にヒカルに声をかけてさりげなく横に立つと、
 
「こんにちは、皆さん」
 
 アキラはヒカルを囲んでいる友人達に営業用の笑顔を振りまいて挨拶を行った。
 
 ただでさえ美形揃いの若手棋士の中にアキラも加わり、そこだけが不思議と華やいだ空間になる。
 
 棋院のロビー内はさっきヒカルが一人で居た時よりも人が増えてきていたが、座ったヒカルを囲むように友人とアキラが並んで
 
いるので、彼には分からなかった。もしも誰も居なければ、今日は何かイベントがあっただろうかと、首を傾げていただろう。
 
 彼らと喋りながらヒカルが再びチョコを口にしようとすると、すかさず横合いから友人達の掌が並べられた。
 
「おかわり」
 
「「「「オレも」」」」
 
「わしも」
 
 まるで昔の何かのCMのような光景に、ヒカルは眉を顰めながらも彼らの掌にチョコの粒をのせてやり、数が二つ多かったこと
 
に加えて妙に年をとった声と言葉が混じっていた事にも気付き、首を傾げた。すぐ横を見上げてもアキラは手を出していないし、
 
更に上に視線を向けると、緒方十段・碁聖が当り前のような顔でマーブルチ○コを口にしている。
 
「お、緒方先生!?」
 
「わしもいるぞい」
 
 しわがれた声にアキラとは反対の方向に眼をやると、桑原本因坊が満足気に笑いながらマーブルチ○コを食べていた。
 
 老年のタイトルホルダーを前にしても、席を譲ることなく相変わらずヒカルは椅子に座ったままでいる。しかし、不思議とこの場
 
ではヒカルが座っているのが妙に様になり、自然だった。
 
 下手に譲られると、桑原本因坊が拗ねる可能性も否めないかもしれないが、恐らくそれは有り得ない。彼は譲られたら譲られ
 
たで笑って受ける度量がある。それに事実、桑原本因坊はヒカルの態度を全く気にしていなかった。彼にとってはヒカルがここで
 
こうしているのが当然なのである。
 
 むしろ、ヒカルが悠然と座ったままでいてくれた方が色々と面白いのだ。見る者によっては、臣下に囲まれ、王子を隣に侍らせ
 
る女王様のように見えただろうから。
 
(ヒカル様のお手自ら下賜品を賜りやがって…!嗚呼…羨ましい、恨めしい…呪われてしまえ〜)
 
 これを見て、一部の人々がこのように思っているに違いないと、真偽の程を確かめずとも分かるのである。
 
 桑原に次いで鋭い勘の持ち主の和谷が、嫌〜な視線を感じて首を傾げながら思わず見回すのを横目で確認し、にやりと笑う。
 
 今日も中々面白くなりそうな気配だった。
 
 多忙なタイトルホルダーが二人もこんな所でのんびりしている事実に、若手棋士の面々は驚いてぽかんとしていたが、やがて
 
伊角という彼らの中でも兄貴分らしき人物が意を決したように口を開いた。
 
「何やってるんですか…?お二人とも」
 
 伊角のおっかなびっくりした質問に、二人は平然とした顔で揃って答える。
 
「チョコを食ってるに決まってる」
 
「チョコを食べとるに決まっとるじゃろう」
 
 いや、そうではなくて…と言いかけた伊角だったが、その後に続いた桑原本因坊の台詞に石化した。
 
「何と言っても、今日はバレンタインデーじゃからのう」
 
 伊角は勿論、和谷、冴木、門脇、の四人は無意識のうちにアキラの方の見やり、ゴクリと生唾を飲み込む。今の今までバレン
 
タインデーだったことを、全く意識していなかったのだ。というよりも忘れていた。
 
 独占欲と嫉妬の権化である塔矢アキラの怒りの矛先を向けられる危険性に、今更ながら恐怖を覚える。
 
 そんな彼らの姿を眺めて、二人のタイトルホルダーが内心面白がっている事実にも彼らは気付いていなかった。だが、この二
 
人にとって本命はまた別で、あくまでも若手棋士四名の反応はオードブルに過ぎない。
 
 緒方にとっては鈍感で天然なヒカルを使ってアキラをからかうのが一番の娯楽だ。桑原にとっては、傍若無人な天然女王様の
 
ヒカルに無意識に協力して貰い、アキラを含めた多くの棋士を翻弄するのが大いに楽しいのである。
 
 二人の共通項は、これらのコトにおいて『進藤ヒカル』という存在が欠かせない点だった。
 
「ああ!そっか〜」
 
 桑原の一言で驚愕の事実に気付いた四人の怯えをよそに、アキラに火を点ける着火材こと進藤ヒカルは納得したように頷いて
 
いた。彼らとしては、納得すんのは後でいいからさっさとそこのオカッパ大魔神にチョコをくれてやれ!と言いたい。自分達が貰っ
 
ているのに、アキラにヒカルが何も渡していないとなると、絶対に恨まれる。というか呪われそうで怖い。
 
 しかしヒカルは彼らのそんな願いなど知ったことではなかったらしい。アキラにチョコをやる素振りもみせずに、ポリポリと食べて
 
いる。鈍感さもここまでくると一層見事だった。
 
「けどさー、オレは男だからバレンタインにチョコやったって意味ねぇじゃん」
 
「いや、男でもバレンタインデーは世話になった上司や友人にもチョコをやるもんなんだぞ、進藤」
 
「ふーん、そうなんだ」
 
 緒方の尤もらしい説明に、ヒカルは何の疑問も抱かずに頷いている。
 
(……男からバレンタインに告白ってのは海外では当り前だけど…日本じゃ上司や友人に有効なのは女の子の場合だけだと思
 
う…。チョコレートってのも日本のみの風習だしさ…)
 
 和谷、伊角、冴木、門脇の四人は心の中で呟いたが、敢えて意見せずに黙っておいた。緒方がこの台詞を言ったのは、未だ
 
にヒカルからチョコを貰っていないアキラへの当てこすりだと分かっているからだ。彼はどうやら、このマーブルチ○コをネタに
 
アキラをからかう魂胆らしい。いかにも緒方の考えそうなことに、彼らは内心大きく溜息をついた。チョコを食べたばっかりに巻き
 
添え決定だと思うと、涙すら覚えてしまう。
 
「さっきはおやつで渡しちゃって悪いからさ。今度はバレンタインデー用に改めて渡そっか?緒方先生」
 
「そうか、すまんな進藤」
 
 自分の言葉を鵜呑みにして改めて渡すと言い出したヒカルを眺め、緒方は唇の端を満足気につり上げて笑った。口ではすまな
 
いといいつつも、内心は面白くてたまらない。睨みつけてくるアキラの視線に、悔しさに歯噛みしているのが分かって楽しかった。
 
 緒方は止めとばかりに、アキラの耳元に小さく囁いてやる。
 
「本命の筈なのにチョコすらも貰えないなんて残念だな、アキラ君」
 
 アキラがキリッと音を立てて奥歯を噛み締めた音が聞こえてきて、緒方は腹を抱えて笑いたくなる。
 
 他の男が貰っているのに、自分には無いというのはさぞかし不満だろう。しかし、この場ではそれを面と向かってヒカルには言
 
えない。アキラの持つ高いプライドが、それを自分に許すはずがないからだ。
 
 後でヒカルが嫉妬に狂ったアキラにどんな目に合わされようと、緒方にとってはどうでもいい。とにかく今は、これをネタにアキ
 
ラの怒りや独占欲を煽って、とりすました顔の裏を見て楽しみたいだけだ。
 
 彼にとって、ヒカルを使ってアキラをからかうことは、純粋な娯楽の一つなのである。
 
 だがそこには一つだけ落とし穴があった。それはヒカルの持つ鈍さと無邪気さに並ぶ、世間知らずの傍若無人な無礼者という
 
最大の武器による攻撃だった。ヒカルは改めて渡すという言葉通りに、友人達と緒方と桑原の掌に一粒ずつのマーブルチ○コ
 
レートを配ると、にっこりと無邪気な笑顔で告げたのだった。
 
「じゃあこれ、義理チョコ」
 
「「「「「「義理チョコ?」」」」」」
 
「そ、義理チョコ」
 
 はっきりきっぱり、『義理チョコ』。どんなに聞いても『義理チョコ』は『義理チョコ』。見も蓋もないとはこのことである。
 
「…ぎ…義理……」
 
 たった一粒のマーブルチ○コを眺め、呆然と呟く緒方に気付いた様子もなく、ヒカルはにこにこ笑っている。
 
 緒方はこれでもかなりもてている方で、義理チョコなどと呼ばれるモノは、今の今まで一度も貰ったことはない。貰う物は全
 
て本命チョコだ。だがヒカル相手だと義理チョコ。面と向かって「義理チョコ」とはっきり言われてしまったのも衝撃的だった。
 
 普通にチョコレートを貰うのならともかく、マーブルチ○コが一粒である。それもたったの「一粒」だけ。
 
 人の気持ちは数や量で決まるわけではないが、これはさすがにひどいだろう。
 
 しかしヒカルは平然としたものだった。むしろ当然とすら思っている節もある。
 
「上司や先輩や友達に配るのなんて、義理チョコに決まってんじゃん。だから全員義理チョコな」
 
 血も涙もない、容赦の欠片も無いお言葉である。無礼者、ここに極まれり。
 
 さすがは我らが女王様。相手がタイトルホルダーでも臣下への下賜品も徹底している、と一部の人々は思ったかもしれない。
 
「一人一個って公平でいいと思わねぇ?塔矢」
 
「…え゛!?…あ…その……」
 
 我ながら名案だと一人満足気に頷いたヒカルに同意を求めてこられ、アキラは何とも言えずに言葉を濁した。
 
 何せタイトルホルダーに対しても一粒だけなのである。せめて全員にさっきと同じぐらい渡してもいいと思うのだが…。
 
 アキラは幼い頃から年上に囲まれていたこともあり、義理チョコとは盆暮れ正月の行事に関わる品と似たものだ、と分かって
 
いるので、ヒカルよりもこの点に関しては遥かに常識的な感覚を持っている。それで考えてみてもこれはちょっとひどい。
 
 その場に立ち竦む五人の棋士に思わず同情の眼を向けてしまう。何も本命のように気合を入れなくても構わないが、例え義理
 
チョコを渡すにしても、マーブルチ○コをたった一粒とは、余りといえば余りな話である。さすがのアキラも言葉がない。
 
 因みに、同情の視線の相手に緒方は含まれていないので、アキラはこの機会を逃さず仕返しを行った。勝負において、相手の
 
弱った機を逃すようでは棋士は務まらない。
 
 アキラは貴公子のようにフッと口元に勝ち誇った笑みを浮かべると、緒方にだけ聞こえる小さな声で逆襲する。
 
「義理というより憐憫の一粒ですね、緒方さん。本命としては心底同情しますよ」
 
 ひくりと頬を震わせ、緒方は奥歯を噛み締めた。義理に貰ったのがマーブルチ○コ一粒というのは事実なので、からかいたい
 
相手からの逆襲に、二重三重のショックを味わう。
 
(少し会わない間に、男としての余裕と貫禄が身についてやがる…)
 
 ヒカルの本命としての自信に満ち溢れるアキラのふてぶてしい態度に、緒方は今後の戦法を変えることを心に誓ったのだった。
 
 ヒカルにしてみるとアキラと緒方の水面下の戦いなんぞどうでも良いことである。恐らく、正しい義理チョコとして渡したので、自
 
分の中ですっきりしているのだろう。こういうところが現代っ子といえばそうなのかもしれないが、ただ単に何も考えていないともと
 
れる。何も考えていないが故に、ここまで無邪気に容赦なく振舞えるのだろう。
 
 さすがは進藤ヒカル、侮りがたい天然な傍若無人ぶりである。