街を離れてしばらく行くと、数台の車が避難民を載せて走ってきた。 
 誰もがたった一晩で疲れきった顔をして、眼も落ち窪んでいる。
 
 アキラはリムジンを道の脇に停めて、通りやすいように場所を空けた。状況を少しでもいいから聞きたくて、先頭車両に合図する。
 
 難民を満杯に載せた先頭車両を運転していた壮年の男は、高級車から降りて合図をしてきた少年の姿に驚いて眼を剥いた。
 
 こんな非常時にリムジンに乗っているなんてどんな酔狂な輩かと思ったら、運転していたのは子供なのである。それもまだ十五歳か十六歳で、明らかに
 
無免許運転だ。けれど非難する気はなかった。
 
 今は法律がどうのこうのなんて言ってはいられない。自分たちにとっては生き残ることが最優先なのだから。
 
 男は車を一旦停めると、後続車に先に行くように指図をする。砂埃を上げながら、難民を載せて車両は次々に追い越していった。
 
「すみません、この先がどうなっているのか教えて頂けませんか?」
 
 車の音に掻き消されないように怒鳴るような声で喋っているが、いかにもいいとこのお坊ちゃんらしい、話し方だった。
 
「オレらこれから東京に行くつもりやねん」
 
 スーツ姿のお坊ちゃんの隣に立っている少年は、関西弁で気さくに話しかけてくる。そして後部座席にはもう一人の少年が所在なげに鞄を抱き締めて座り、
ぼんやりとこちらを見ていた。
 物腰柔らかな少年以外はいかにも今時の子供の服装で、男から見ても、かなりみょうちきりんな取り合わせだった。しかしその取り合わせについて質問す
 
る気はない。ちょっとしたことで時間をとられ、命を危険に晒したくなかった。とはいえ、少年達が向かう首都について、噂で知らされていれば別になる。
 
「行くのは止めといた方がええんちゃうか?聞いた話やと関東方面は壊滅的らしいぞ。ここらも似たり寄ったりやけどな」
 
 自分でもお節介だと思うが、思わず口からついて出ていた。
 
「ボクや彼らの家族は東京なんです。だから戻らないと」
 
「なんや…旅行でこっちに来たんか?」
 
 尋ねながらも首を傾げる。この三人には共通項が見当たらない。
 
「オレら囲碁のプロ棋士でな、セミナーで九州に行っててん。そしたら変なのが出てきて、ホテルの車を拝借してここまできたんや」
 
 さすがはプロ棋士と自ら言うだけあって、咄嗟に車に乗って脱出する辺り中々の度胸だ。子供といえども侮れない判断力だろう。
 
「この先の道は自衛隊が通ったから粗方行ける筈や。けどどこまで行けるかまでは分からんで。…ほな、行くわ」
 
 子供三人というのは男としても心配だったが、自分達とていつまでもこんな場所で立ち話をしているわけにもいかないのだ。
 
 彼らと話している間に、後部座席の少年も外に出てきて周囲を見回している。荒れ果てた街の様子や、疲れきった避難民の姿も眼に入っている筈なのに、
 
まるで気付かず落ち着きなくきょときょとしていた。
 
 スーツ姿の少年を眼の端に捉えると、彼は小走りに寄ってきて手を握り、しがみ付いてくる。
 
 スーツの少年は同年代の少年に片腕を抱きこまれてよろめいたものの、怒らずに頭を撫でてやっていた。
 
 金髪の少年は男には一切気づく素振りも見せず、スーツの少年にくっついて安心している。どう考えてもおかしい。
 
 もしも気づいていれば、それなりに反応するはずだ。ところが、少年は男のことも他に誰が居るのかすら少しも頓着していない。
 
 この少年の眼には、スーツ姿の少年しか映っていないのだ。
 
 前髪が金髪で後ろの髪が黒という少し変わった髪型で、いかにも今時の若者らしく見えるが、その心は繊細なのだろう。顔立ちもどことなく幼く、まだ子供
 
らしさが残っていた。それだけに、彼の精神の不安定さを垣間見て男は不憫さを感じた。
 
 男は長距離トラックの運転手をしていて、妻子もいる。今はとりあえず田舎の親戚に預けているが、どうなるのかは分からない。 
 子を持つ親であるだけに、少年の様子がひどく気になった。
 
 よほど恐ろしい思いをしたのに違いない。同情まじりに二人を見詰めていると、スーツの少年に声をかけられて我に返る。
 
「お引止めしてすみませんでした」
 
 大人びた口調で謝罪した少年の言葉で、初めて彼にも他人が傍に居ると気付いたらしく、一緒になっておずおずと頭を下げている。
 
 同年代の少年が傍に居るお陰で、彼はそうひどい状態ではないようだった。完全に現実を見失っているわけではない。
 
 どことなく安堵を覚えて笑みを浮かべ、頷き返した。
 
「ああ、道中気をつけてな」
 
 彼らに手を挙げて答えると、男はステアリングを握った。車を再び走らせようとしたところで、幼い少女の声が漏れ聞こえてきた。
 
「ママー…おのどかわいた…」
 
 荷台に載っている避難民の親子の誰かだろう。満員電車のようなすし詰め状態で、何人が荷台にいるのかすら把握できていない。
 
 男は少女の顔すら思い浮かべることができなかった。それに、水などこの車にはないし、誰もが飢えと渇きを我慢している。
 
 幼い子供に対して酷な話かもしれないが、与えられる余裕もない。誰もが着の身着のままで飛び出し、避難しているのだから。
 
 ところが、そのか細い声に応えたのはあの少年だった。
 
 彼は自分が大事そうに抱えていたディバックから三百ミリリットルのペットボトルを取り出して、少女の手に握らせてやる。
 
「ありがとう、おにいちゃん」
 
 嬉しそうに微笑んだ少女に笑みを返すと、残る二人の少年も安堵したような笑顔を見せた。考えた以上に、ヒカルの状態は悪くないのかもしれないと、
 
そう思えたのだ。母親が何度も礼を言う声を後に残しながら、車は乾いた道路に土煙を起こして、ゆっくりと走り去っていった。
 
 車を見送った三人はしばらくその場で休憩をとることにした。
 
 アキラの時計は夕方の四時前をさしているが、よくよく考えると、朝から食事をとっていないことに気付いた。
 
 昨日の晩は食事をする気分でもなかったし、誰も食欲がなかった。
 
 朝一番に今後の方針を話し合って決め、リムジンを漁って食料や飲料水を確保して運転を始めてからは、空腹を覚えるよりもとにかく先に進むことで
 
頭が一杯になっていた。今更のように空腹感で腹がなり、ヒカルのディバッグの中から僅かな食料を取り出して三人で分け合う。
 
 実のところ、ヒカルがしてやったように少女にやれるほど、ミネラルウォーターがあるわけではない。食べ物についても同様で、リムジンにあったのは
 
つまみ系統ばかりで空腹を満たせるものではないのだ。まだないよりはマシという程度で。
 
 五百ミリリットルのペットボトルの水も、三人で分け合うとすぐになくなってしまう。残り本数を数えてみても、最低限必要な摂取量を計算するまでもなく、
 
二日ともたない量だった。ディバッグをリムジンに戻し、晴れ渡った空を見上げる。
 
 空とは裏腹に溜息をつきたい気分でいたが、敢えて表情には出さずにヒカルに少し多めに水を飲ませてやり、廃墟を見回した。
 
 とにかくどこかで水と食料を確保しなければならない。潰れたコンビニなどを見つけたら、片っ端から瓦礫を掘り起こして確認する必要がある。
 
 そこに水などが埋もれていたら、手に入れなければ。
 
 自分の考えに没頭していたアキラは、社が少し離れた場所で瓦礫を見て回っていることに気づかなかった。
 
「どうした?社」
 
 社はいつのまにか道から奥に入った場所で、下を覗き込んだり耳を澄ませたりして、うろうろと落ち着きなく歩いている。 
「……何か子猫の声がしてんねん」
 
「子猫?」
 
「ああ、気づいた以上放っておくんも可哀想やろ?」
 
 社の気持ちもアキラには分かるが、今は子猫の面倒にかまけてはいられない。いつまでもぐずぐずしていて、奴らに襲われたら大変だ。
 
 休憩を始めて十分も経っていないが、出発しても悪くはないだろう。
 
「早くしろ、そろそろ出発するぞ」
 
「へーい」
 
 生返事をする社の声に被さるように、金属が擦れあいながら低い笛を鳴らすような、そんな奇妙な音がこだました。
 
 三人は顔を強張らせ、思わず音がした方に反射的に身体を向けた。少し離れた山に、数体の機械が立っている。
 
 頭に円盤のようなものをのせて、三本の足が下についた、出来損ないのコンパスを思わせるあの物体だった。
 
 それ以外にフリスビーのような形をした物体も、機械の上に幾つか浮遊している。どうやら侵略者は新たな戦闘機を導入したらしい。
 
 地上戦だけでなく、空の戦いをも想定しているのだろうか?
 
 たった一日で人間はなす術もなく駆逐されているというのに、彼らはより徹底的な殲滅作戦を展開するつもりなのかもしれない。
 
 地球上に居る人類を徹底的に駆除するために。
 
 機械は山に姿を現すと殆ど同時に、容赦なく光線を放った。方向はこちらではなく、難民を載せた車が向かった方角だった。
 
 ヒカルの顔色が一気に青ざめ、アキラと社も声を失って立ち尽くす。
 
「ダメだ!進藤っ!」
 
 アキラが茫然とした僅かな間に、ヒカルが弾かれたように元来た道を走って戻り始めた。追いかけようとしたアキラを遮るように、二人の間を光線
 
が割り込む。熱戦でおきた爆発は小規模だったが、アキラの身体は数メートル吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
 
「塔矢!」
 
 駆け寄ってきた社を手で制止し、すぐさま跳ね起きる。
 
「進藤を連れてすぐ戻る!車を見張っていろっ!」
 
 リムジンの傍まで戻ってきた社を振り返って言い捨てると、アキラはすぐにヒカルを追って駆け出した。
 
 燻っている炎を飛び越え、煙と砂埃が舞う道を走りながら見上げると、侵略者達は山の陰に姿を消そうとしていた。恐らく無差別に照射した熱線
 
だったのだろう。自分達に気づいていれば、こちらに何度も打ってきているはずだ。距離も離れていたから威力も弱く、爆発の規模も小さい。
 
 あの機械が別方向に行ったことに安堵しながら、アキラは別の不安に胸を重くしていた。もしもあの無差別な攻撃でさっき出会った難民が被害に
 
遭っていたら……。そしてその現場にヒカルが先に辿り着いてしまったら――最悪だ。
 
 ただでさえ安定さを欠いているヒカルの精神に、強烈な鉄槌がもたらされることになってしまう。それだけは避けたい。
 
 走りながら、アキラは自分の考えに自嘲気味に唇を歪めた。
 
 自分はこんな時までも、他人の安否よりもヒカルの心のことばかり心配してしまっている。ここまでくると冷血としか言いようがない。
 
 他人に冷酷非情だと、自分勝手だと罵られても、残酷だと罵倒されても、アキラにとってはヒカルが全てだった。
 
 こんな状況だからこそ、ヒカルの大切さをアキラは感じるのだ。どんなものよりも、ヒカルが一番大事だと。
 
 アキラは全速力で足を動かしながら、革靴の走り難さに眉を顰めた。今更のように、換えの靴を持ってきていなかったのが悔やまれる。
 
「進藤!進藤ーっ!」
 
 廃墟の街を横目にヒカルを呼びながら走っていたアキラは、前方が赤く染まっていることに気づき、足を速めた。
 
 近づくに従って、徐々に周囲の空気が熱気を孕んでくる。
 
 離れていても爆発の威力は相当なものだったのか、火が周囲に飛び散って無人の街に火災が発生していた。
 
 建物の影に隠れるように燃え盛る炎の照り返しが見える。ビルだったらしい倒壊した瓦礫を迂回すると、炎に包まれた大きな通りに出た。
 
 そこにヒカルは居た。声もなく茫然と立ち尽くし、踊り狂う烈火の狂宴を見詰めている。
 
 ヒカルの視線の先には、破壊しつくされ、火達磨になっているトラックが無残な姿で横たわっていた。
 
 そして彼の足元には、ひしゃげたペットボトルが転がっている。
 
 ――生存者は居なかった。
 

 アキラがヒカルを連れて戻ってきた時、社はリムジンに背中を預け、子猫を膝に抱いてぼんやりと所在なげに座っていた。
 
「……子猫、見つかったんだね…」
 
「まあな、あの爆発で瓦礫が吹き飛ばされて、出てこれたみたいや」
 
 努めて明るい口調で話しながら、社は俯いたままでいるヒカルの様子を横目で見やり、アキラに目線で問いかける。
 
 それにアキラは瞳を伏せ、ゆっくりと頭を振った。
 
 無言のままのヒカルを車に乗せてやると、ヒカルはまるで自分の殻に閉じこもろうとするかのように、ディバッグを抱き締める。
 
「進藤、こいつだっこしといてくれへんか?」
 
 社が子猫をヒカルに見せようとしても、顔も上げず反応もしない。顔を強張らせて、頑なな態度で膝に額をつけて押し黙っている。
 
「塔矢……何があったんや……」
 
「さっきのアレの攻撃で、進藤が水を上げたあの子の一団が全滅した」
 
 端的なアキラの台詞に社は息を呑んだ。
 
 車のドアを開けて運転席に乗り込んだアキラは、バックミラーでヒカルの様子を確認すると、ステアリングを握る。
 
 子猫を抱いたまま慌てて助手席に座った社は、顔の表情一つ変えずに車の運転をしようとするアキラを、驚きと呆れが入り混じったような目線
 
で見やり、ヒカルを振り返る。そのお陰で彼は、アキラの手が小刻みに震えていることに気づかなかった。
 
「かなりショックを受けている。しばらくそっとしておこう」
 
 表向きは平坦な声を出しているアキラも、相当に辛かった。
 
 正直、参ってもいた。実際に炎上しているトラックを見て、ガソリンの焼ける匂いを嗅いで、今もそれが鼻の奥に残っている気がする。
 
 立ち尽くしていたヒカルの後姿が、目の奥から離れない。
 
 あそこからヒカルを連れ帰るのはさして難しい作業ではなかったが、それでもヒカルが受けた衝撃を考えると気が重くなる。
 
 自分が水をあげた相手が、ほんの数分後に殺されたのだ。
 
 ショックを受けないはずがない。それもあんな風に無惨に、幼い命が奪われたのである。直接的に殺される現場を見なかっただけマシだというの
 
は慰めにはならない。あんな状況を見させられた方が、ある意味一番辛いこともあるのだ。
 
 それから数時間、三人の間で殆ど会話はなかった。
 

 星が瞬き始め月が中空に昇った頃に社は街道沿いにスポーツ用品店があるのを見つけ、駐車場に車を滑り込ませた。
 
 こういった店ならばアウトドアグッズもあるし、非常用の食料もあると判断しての行動だった。
 
「塔矢、起きろや。ここなら水も食料もあるんちゃうか?」
 
 横で子猫を抱いて眠っていたアキラを揺すると、彼はひどく億劫そうに眼を開いたが、用品店を見るとすぐに身を起こした。
 
 ひざ掛けをそれぞれ持って車外に出て、店の扉に向かう。案の定、既に誰かが来たのだろう。表の自動ドアは壊され、ショーウィンドウのガラスも
 
砕かれてマネキンが倒れていた。粉々になったガラスを踏みしめると、耳障りな音がする。
 
 ヒカルは最初眼も向けようともしなかったが、アキラが社と一緒に行こうとすると慌ててついてきた。
 
 アキラに子猫を預けられて素直に抱いても、一方の手を握ってぴったりとくっつき、離れようとしない。
 
 リムジンから持ってきた懐中電灯で、荒らされた店内を照らした。
 
 棚は倒され、あちらこちらにガラスの破片が散らばり、懐中電灯の丸い光に反射してミラーボールのように輝く。
 
 夜の闇に浮かんだ荒れ果てた店内は、遊園地のお化け屋敷のような不気味さが醸し出されていた。
 
 アキラはヒカルの手を握ったままゆっくりと店内に足を踏み入れた。社も後に続いて中に入り、三人で固まって行動したまま床に落ちた物や、棚に
 
ある物を一つ一つ丁寧に見ていく。食料品や水の類は一切残っていない。社もアキラも、落胆の色が隠せなかった。
 
 今後のことを考えると不安があっただけに、ここでならそれなりに何か手に入るかと期待をしていたのだ。
 
 食料も水も後一日分くらいだ。なるべく早く入手しておかないと、子供である以上、三人は大人に対抗しきれない。
 
 必要なものは少しでも多く手に入れておかねばならないのだ。店内を見渡した限りでは、既に何も残っていそうにない。
 
「塔矢…アレ」
 
 諦めて踵を返そうとしたところで、ヒカルが腕を引っ張ってドアを指差した。『関係者以外立入禁止』と書かれている扉だった。
 
「……倉庫じゃないと思うけど…鍵がかかってる」
 
 駅のトイレのような安っぽいつくりのドアで、重要なものがあるようには見えないが、ドアノブを押しても引いても動かない。
 
「事務所やろか?」
 
「分からない。とにかく中に入ってみよう」
 
 取り敢えず中の様子をみないことには、必要な物があるかどうかすら判断できないのだ。
 
 見た上で物資を調達できればいいし、できなければその時はその時である。
 
「鍵かかっとるやん」
 
「関係ないよ」
 
 社の指摘に当り前のように返したアキラは、懐中電灯をヒカルに預けて一歩下がると、徐に足を振り上げた。
 
 扉に渾身の力を込めて蹴りを入れると、ノブがだらりと下がった。ヒカルの腕の中では、大きな音に驚いて子猫が耳を動かしている。
 
 アキラの意図を理解した社も同様に扉に向かって体当たりし、再度アキラが止めとばかりに蹴りを叩き込むと、降参したように扉はちょうつがいか
 
ら外れて床に寝転がった。斧でもあればそれで壊すところだが、ないのだからこうするしかなかった。社からみると、アキラの意外な粗暴な一面を
 
見た気がしたが、アキラにとっては、自分ができることをしただけである。
 
 自分と大切な人の命を護るために。
 
 無免許運転に不法侵入、それに加えて器物損壊は、立派な犯罪行為であるが、アキラも社も敢えて法律からは眼を背けていた。
 
 法律と呼べるものは既にあってないようなものである。生きていくために誰かを傷つけたりしないだけ、まだ常識がある方だ。
 
 三人はあの機械によって命の危険に晒されたが、同じ人間同士の争いも十分危険を孕んでいることを理解している。
 
 もしもここで他の誰かと鉢合わせでもしたら、その誰かは彼らを傷つけてでもここにあるものを手に入れようとするかもしれない。
 
 それは仮定ではなく、現実に起こりうる危険だった。人間は極限状況においては、他人の命よりも自分の命を優先させる。
 
 それはエゴともいえるが、命を護るための当然の本能でもあった。少なくとも三人はまだ協力しあっているだけ、理性的な部類だ。
 
 主の居なくなったスポーツ用品店に入るのは確かにマズイことであるのは分かっていても、彼らにとっての『生きること』の前では些細な事柄に過ぎ
 
ない。三人にとって必要なのは食料や水で、東京へ帰る為に必要な物資なのだ。
 
 三人で生きていくために、こうするのは当然の権利だとも思う。
 
「行こう」
 
 壊れた扉の上を歩いて中に入ると、そこはどうやらスタッフの休憩室を兼ねた事務所のようだった。更にその奥には、倉庫用の鉄製のしっかりとした
 
扉が見えた。さすがにこの扉は蹴り開けるなんて無理だ。事務所を懐中電灯で照らして、キーボックスの中から倉庫の鍵を見つける。
 
 倉庫は手付かずのままで、在庫と思しき水や食料もたっぷりとあった。恐らく三人が来る前にここに来た人々は、奥までは探さなかったのだろう。
 
 店内だけで探す必要もなかったに違いない。
 
 ひざ掛け用の毛布を広げて、ミネラルウォーターやスポーツドリンク、固形のバランス栄養食などを置く。他にもアウトドア用のガスコンロとレトルト食品、
 
スニーカーまでもアキラは調達した。風呂敷代わりのひざ掛けをそれぞれ持ち上げると、ずっしりと重い。
 
 ヒカルのディバッグにも猫の缶詰や栄養食など、入れられるだけのものを詰め込むと、いびつな形に膨らんでいた。
 
 リムジンに戻った三人は、スポーツ用品店の建物の影に隠すように車を停めると、遅い夕食をとることにする。
 
 ガスコンロでレトルトのカレーや米を温めて食べられるだけでも、随分と豪勢な夕食のような気がした。
 
 昨日から温かい食事など一切とっていない。水すら気を使って飲めなかったことを思うと、随分と満ち足りた食事だ。
 
 しかしこれはあくまでも今夜だけに許された贅沢でもある。この先にこんなにも恵まれた場所があるとは限らない。
 
 できるだけ必要なものは持っていっても、限界はあるのだから。
 
 スキムミルクを溶かしたミルクを子猫に与えてやっているヒカルの横で、アキラは革靴を脱ぎ捨ててスポーツ用品店で見つけたスニーカーを履いてい
 
た。この先、いつまで車に乗っていられるか分からない。革靴のままでは徒歩の旅はできないと判断してのことだった。
 
 空腹が落ち着いて満ち足りた気分になってから荷物を整理整頓する。
 
 ヒカルのディバックに入りきらない分は社のボストンバックに詰め込むと、散らかった車内は元通り綺麗になった。
 
 瞬く星空の下で、彼らはしばしの眠りについた。この眠りが、永遠の眠りにならないことを心のどこかで祈りながら。
 



                                                                7DAYS ACT2 月曜日(前編)7DAYS ACT2 月曜日(前編)7DAYS ACT2 月曜日(前編)7DAYS ACT2 月曜日(前編)7DAYS ACT2 月曜日(前編)   7DAYS ACT3 火曜日(前編)7DAYS ACT3 火曜日(前編)7DAYS ACT3 火曜日(前編)7DAYS ACT3 火曜日(前編)7DAYS ACT3 火曜日(前編)