ACTY  金曜日(FRIDAY)


 朝まで続いた戦闘が終結するまでの長い時間、明け方にほんの少しまどろんだだけで、三人は眠ることがなかった。
 砲撃の音が地下室を揺らす度にヒカルはひどく怯えて寝るどころではなく、アキラはそんなヒカルをあやし続けていた。社も外の様子を警戒して気を緩めるなど
できるはずもない。
 そうして朝までの間に、自分達をここに匿ってくれた男が既に精神を崩壊していることに、否が応でも気づかされた。
 三人が入ってからしばらくして、男の行動に奇異な点が幾つも見受けられるようになってきたからだ。
 あの時の彼はたまたま正気に返っていただけだったのだろう。
 男は四十がらみの、十分働き盛りの年齢であるから、彼はこのペンションの経営者ではなく、たまたま見つけて入っているだけなのかもしれない。
 尤も、三人にはあずかり知らぬことであったが。
 アキラとヒカルは地下室の中央に据えられた二人掛けのソファに座り、社は端に置いてあったソファに落ち着いた。
 洗濯物を干すロープが天井から縦横に張り巡らされ、まるで蜘蛛の巣だ。社には自分達は蜘蛛に捕まった昆虫のように思える。
 男は彼らに構うことはなかった。それよりも、侵略者に支配された地球を想定して、地下に王国を作ることに夢中になっていた。
 ひたすら奥で土を掘り返し、ぶつぶつととりとめもないことを呟いている。時には何かに喚き、罵り、また泣いたりしてもいた。
 アキラも社も、当初から無視することを暗黙の了解事項としている。
 彼もこの侵略戦争で何かを失い、そして狂気に至ってしまったのだと分かるだけに、構うことが相手にとって不幸になりかねない。
 男は現実から逃げたがっている。ならば好きにさせておけばいい。
 ただ時々急に喚いたりするとヒカルが怯えるので、それだけは止めて欲しいとうんざりしながら思うだけで。
 男が作業している場所は、三人が居る部屋とは扉で仕切られている。
 地下室を広げる計画を当初していたのか、或いは作っている最中だったのか、部屋と仕切られた先はむき出しの土壁が四方にある狭い場所がある。
 そこで男はせっせと土を掘っていた。地下に自分が王として君臨する帝国を作るために。
 彼の幻想計画にアキラも社も付き合う気はなく、戦闘が落ち着いた頃合を見計らってさっさとここを出て行くつもりだった。
 例え時期尚早でも早々に動くべきだと思っているのは、男がヒカルを妙に気に入っている点である。三人の中で一番力弱い存在と判断して、精神的に不安定なヒカル
におかしな真似をされたくない。
 確かに今のヒカルは手間のかかる子供のようになってしまっているが、本質的に彼はあの男が手出しできるような少年ではないのだ。
 多くの棋士が恐れ、同時に崇拝する、強さと美しさを秘めた虎と対等に渡り合い、また御すことができるのはアキラだけだ。
 そして竜であるアキラと対等に渡り合えるのもヒカルだけ。
 竜と虎は、互いに表裏一体の存在なのである。
 気高く美しい虎は、今はまどろんでいるだけで、覚醒の時を待っている。何かのきっかけで、ヒカルは必ず元に戻るだろう。
 彼は目覚ましが鳴るのを待ち侘びているのかもしれない。
 アキラは眠るヒカルの隣に座り、優しく背中を擦ってやりながら額や頬に幾度も口付けを落とした。明け方近くに少しまどろんだ頃になって、やっと戦闘は終わり静か
になっている。ヒカルも今は落ち着いたらしく、ソファに丸まって眠っていた。
 昼を過ぎれば出発しようと、アキラと社はすでに話し合っている。
 いつまでもここに居るのは危険でもあった。いくら戦闘が終わったからといっても、侵略者が栄養源を求めて付近の家を探索しないとも限らない。
 彼らはただ人類を滅ぼすのが目的ではないのだから。
 眠るヒカルのために彩を連れてきてやろうと思ったアキラは、起こさないようにそっとソファから離れて彩を探した。
 だが、あの可愛らしい子猫の姿はどこにもない。あの騒ぎの最中でも、ヒカルは子猫を放さずにちゃんと連れてきていた。
 明け方にまどろんだ頃には、ヒカルの傍で眠っていたはずである。
 それなのに今は居ないだなんて、やはりおかしい。
 アキラは念の為に地下室を探し回ったが、やはり彩はいなかった。
「社、彩が居ない」
 一通り探し終えると、一人掛けのソファでぐっすりと眠り込んでいた社を揺すり起こし、アキラは簡潔に伝える。
「おらへんて…どっかに隠れてるんとちゃうん?」
「この地下室を探したが、居ないんだ」
 社は驚いたように起き上がり、アキラをまじまじと見詰め返した。
「あいつ賢いから、勝手に出て行ったりせぇへん筈やけどな…」
「でも外に探しに行くよ」
「分かった、オレも行くわ」
 脱いでいた靴を急いで履き、立ち上がる。
「塔矢、進藤はどないすんねん?」
「よく眠っているから、起こさないでおくよ。なるべく居なくなったことを知らせたくないしね」
 ソファで眠るヒカルの髪を撫でるアキラの瞳はとても優しく、本当に愛しげに視線を注いでいた。
 社にしてみると、何故二人が惹かれあうのかよく分からない、というのが正直な本音である。
 それに男同士という点で、社にとっては既に理解の範疇外だった。
 自分としてはやっぱり可愛い女の子が好みである。いくらアキラとヒカルが下手な女の子よりも美形だからといって、恋愛の対象になどなるはずもなかった。
 彼らが男であることには変わりないのだから。
 アキラが言うには、自分が惹かれたヒカルがたまたま男であったというだけで、元から男女の性は関係なかったそうだ。
 ヒカルだからこそ欲しいと思い、ヒカルだからこそ好きだと感じた。
 それが正直な気持ちで、同性愛者であるかどうかはわからないが、そう思うのならそう思っていればいいと、アキラは端的に言っていた。
 多分二人の間にある感情は、恋や愛情であっても、本当に命がけの駆け引きを孕んだ恋愛なのかもしれない。まるで囲碁のような。
 社が彼らを見るにつけ、二人がこれほど強い絆を持っている事実が奇跡のように思える。ある意味水と油のように対照的な二人だからだ。
 だが本来ならばけっして混ざり合うことがない二つのものも、石鹸によって溶け合う。
 彼らにとってそれは囲碁であるかもしれないし、また違う何かの導きがあるのかもしれない。
「あのおっさんもまたこもっとるみたいやし、早よ行こ」
 扉から微かに漏れ聞こえてくる土を掘るシャベルの音に、男がまた穴を掘っていることを確認すると、社はアキラを促した。
「…ああ」
 二人は音を立てないように、こっそりと地下室から出て行った。

 アキラと社が出て行ってしばらくしてから、朝の作業を終えた男は地下室に戻ってきた。彼にとっては二人が居ないことなどどうでもよかった。
 というよりも、子供を三人匿ったことも忘れてしまっている。
 男はいつものように保存食を食べて、仮眠をとるためにソファに近づき、金髪の少年が寝ていることに気づいた。
 そういえば、子供が三人ここに居るのだと男は思い出した。
 狂気と正気を何度もいったりきたりしているので、時間的感覚はぼやけているが、今の男は比較的正気に近い状態だった。
 眠る少年はあどけなく、まだ幼さが残っている。身体全体が細くて、どこか頼りなさそうな印象を受ける。寝顔は少女のように儚い。
 ふと、身体の奥から覚えのある欲望が擡げてくる。
 男は今まで同性に対して性的な意識を持ったことがなかった。
 だが正気を半分失っている彼には、禁忌など元から関係ない。
 ここしばらく男が誰とも肌を重ねていないことも、彼に躊躇いを与えなかった要因の一つであった。また、男の眼の前で無防備に眠る子供を護る二人の少年
が居ないことも、要因にある。
 二人が居ない理由も、正気が狂気に勝っている今の状態にいるお陰ですぐに理解できた。彼らは猫を探しに行っているのだろう。
 男は猫が嫌いだった。だから子供三人が連れてきた猫は、彼らが眠っている間にできるだけ遠くへ捨てに行ったのだ。
 彼らがすぐには戻ってこないことが分かると、完全に躊躇いは消える。
 この少年はそこらのブスよりも見目がいいし、欲望を満たすためなら、別に男でも構わなかった。
 突っ込んで出すだけなら、男でも女でも関係はない。

 人間や生物の気配がしないひっそりとした草原を、アキラと社は気を使いながらできるだけ大きな声で彩を呼びながら歩いた。
 奴らに見つからないようにするためにも、余り大声で呼ぶわけにはいかない。だから殆ど小声といっても差し支えのないものであったが、それでも動物の聴覚
には十分聞こえるものだった。
 彩を探して外に出て結構な距離を歩き、諦めなければならないかと思ったところで、か細い子猫の鳴き声が聞こえた。
 社とアキラは何度も呼びかけながら、耳を澄ませては方角を確かめ、壊れた家屋の傍に繋がれている彩をやっとの思いで見つけた。
 誰がやったのかは知らないが、彩の首輪に粗末な紐を括りつけ、柱に繋いでいる。
 捨てられたと思ってひどく心細かったのか、彩は二人を見つけるとしきりに鳴いていた。
「彩!」
「誰や、ちっちゃい猫にこんなことしよってからに…!」
 紐を解くと飛びついてきた彩をアキラは抱き締め、社は怒りも露わに子猫を束縛していた柱を蹴りつける。
 アキラは彩の小さな頭を撫でながら、社の言葉に引っかかりを覚えた。誰かなんて決まっているのだ、あの男以外に捨てる者などいない。
 何だか胸騒ぎがする。一人残していたヒカルのことが気になった。
「社……すまないがボクは先に帰る。彩を頼む」
 こうしている間にも、嫌な予感は増すばかりだった。アキラは彩を社に預けると、踵を返して走りだす。ヒカルの居る家に向かって。

 ヒカルは息苦しさと、ずっしりとした重みで眼を覚ました。
 ふと見上げると、見知らぬ男が自分を見詰めている。心なしか男の息は乱れ、身体に妙な物が当たる。それが気色悪かった。
 寝起きでまだ茫然としていたヒカルだったが、いつも知っている手ではないものが肌をまさぐっていることに気づき、全身が総毛立った。
 自分の身体を、塔矢アキラでないものが触れている。
 赦し難かった。いや、赦すつもりもない。
 男の侮辱行為が、ヒカルを半覚醒の状態から一気に覚醒へと促した。
 身の内からゆっくりと、本来のヒカルが身を起こし始める。
 碁の神の神聖なる寵児であり、神の代わりに彼を育てた藤原佐為が愛した無垢なる神童に、選ばれもしていない者が触れるなど、分不相応を通り越して不敬
ですらある。ヒカルが選び、佐為が選び、碁の神が選んだ相手だけが自分に触れていいのだと、ヒカルは本能で理解していた。
 だからこそこの事実に、悲しみと恐怖で萎縮していた心が、これまで感じたことのない怒りによって一気に膨らむ。
 繊細な心が吐き出すことができずに溜め込んでいた、鬱屈していた負の感情の攻撃が、眼の前の男を対象にして放たれる。
 虎の凶暴かつ猛悪な攻撃本能を前面に出しながら。
 この瞬間、文字通りヒカルは跳ね起きた。
「てめぇ!何しやがるっ!」
 眼を覚ましてもしばらくぼんやりと天井を見て、人形のようにじっとしていた少年がいきなり上半身を起こしたのに男は驚いた。
 借りてきた猫のように大人しい子猫が、突然獰猛な野生の虎に変貌したような、とんでもない豹変振りだった。
 唖然としたまま固まり、少年を間抜け面で見返す。
 だがいきなりな展開についていけていない男に一切構わず、ヒカルは胸倉を掴んで頭突きを食らわせ、身体の上から乱暴に蹴り落とす。
 当然ながら、ヒカルにとっての怒りはこんな程度では収まらない。
 男にとっては、まだ何の手出しもできていない状態でのお預けだ。
 まだ服もまともに脱がせず、上着に手を入れて少女のように滑らかな肌を味わっていたところでの、突然の暴挙だった。
 頭突きをされて痛む額を撫でながら、男は呆然と尻餅をついてソファから下りようとしている少年を見上げる。男の中では、ふつふつとさっきまでの大人しさが
別人のような少年に反対に怒りがわいてきた。
 自分が思う通りにならない相手に対しての、身勝手なまでに理不尽な八つ当たりめいた怒りである。
 感情に任せて奇妙な唸り声を上げて、男は少年をソファに押し付けると、力任せに衣服を引き裂いた。
 男の反撃に、ただの少年ならば怯えて萎縮していたかもしれない。
 ここ数日間のように、ヒカルが情緒不安定な精神状態のままでいたなら、きっとここで大人しくなっていただろう。
 だが、違った。ヒカルは服を引き裂かれようとも全く怯むことなく、むしろ更に力を込めた鋭い眼光で男を射抜いた。
 獲物に対する攻撃態勢に入った虎の、冷徹で冷酷な恐ろしい瞳で。
 見た目は華奢な少年なのに、とんでもない威圧感に男は息を呑んだ。
 咄嗟に少年の身体から離れようと思いもしたが、露わになった肌の美しさに、極上の獲物を逃したくないという打算も働く。
 その一瞬の躊躇が、男の運命を決定づけた。


                                                                  7DAYS ACT5 木曜日(後編)7DAYS ACT5 木曜日(後編)7DAYS ACT5 木曜日(後編)7DAYS ACT5 木曜日(後編)7DAYS ACT5 木曜日(後編)   7DAYS ACT6 金曜日(中編)7DAYS ACT6 金曜日(中編)7DAYS ACT6 金曜日(中編)7DAYS ACT6 金曜日(中編)7DAYS ACT6 金曜日(中編)