アキラは社が背中を向けて寝転がったのを確認すると、ヒカルを立たせて三人掛けの大きめのソファに移動して座らせる。
「塔矢…オレとしたくない?」
「そんな事あるはずないだろう?」
ヒカルをできる限り優しく宥め、口付けを落としながらゆっくりと噛んで含めるように言い聞かせる。
「……でもね進藤、する前に少しだけ準備をさせてくれないか?キミに辛い思いはさせたくないんだ。すぐできるからね」
不安げに瞳を揺らしているヒカルの手の甲を擦り、了承を得られるまで辛抱強く待っていると、彼はこくりと頷いた。
ヒカルの頬に唇を落とし、アキラはソファにかけられていた薄汚れた布を洗濯用の紐に広げてかける。
これで、社が寝返りをうったとしても、二人の行為を見ずに済む。
アキラなりの、気を使ってくれている社への配慮だった。
次に荷物の中から潤滑剤などを取り出し、手近なテーブルに置いておいた。そして最後に棚から新品のシーツを見つけ出してソファに掛けると、もう一度ヒカル
を座らせる。ホテルでヒカルと同室だったので持ってきたのだが、まさかこんなところで役に立つとは考えもしない。
捨てずに荷物に入れておいて良かったと、アキラはぼんやりと現実逃避気味に思う。
ヒカルは座ったまま不安げに視線を泳がせていたが、アキラが上着を脱ぎ、シャツのボタンを外し始めると明らかにほっとした顔をした。
おずおずと手が伸び、アキラを手伝うようにボタンを外す。アキラはヒカルを裸の胸に抱き寄せて口付けると、ゆっくりと驚かさないようにソファに横たえる。
腕を回してきたヒカルの手首に唇を寄せ、所有の証を刻んだ。
「う…ん」
微かに吐息を零した少年の金色の前髪を掬い、引き裂かれた服を脱がせる。露わになった胸元や首筋に、幾つもの赤い花弁を散らしながら、着実にヒカルの
肌を高めていった。今夜のヒカルはいつもより敏感だった。アキラの手に、舌に、唇に、肌に、鋭敏に反応を返すことで、彼に対する愛情を示すように。
うっすらと汗ばんだ肌はアキラの指に吸い付くようで、桜色に染まった白い柔肌はとてつもなく甘く官能的に応えてきた。
アキラは優しく、時に貪欲にヒカルの身体を暴いていく。
これまでヒカルと肌を重ねる時は、大抵はアキラの部屋かヒカルの部屋だった。清潔で、安心して肌を合わせられる場所だ。
それが今はどうだろう?一歩間違えれば命の危険に晒されるだけでなく、この地下室は薄汚れて不衛生だ。ヒカルをこれまで抱いてきた環境がどれだけ恵ま
れていたか、実感できる。しかしそれでも、アキラにとってはヒカルとの行為は変わらない。
いや、むしろ今まで以上に神聖で厳かな気持ちで肌を合わせている。
どんな場所であってもヒカルと触れ合うことができるのなら、そこは穢れなき神の神殿と同じもののような気がした。
アキラは唇を重ね、肌に触れながら、何度もヒカルに言い聞かせる。
「進藤…キミは綺麗だ。とても綺麗だよ。ボクだけのキミだ。穢れてなどいない。キミは綺麗だ、何よりも愛してる」
何度も、何度でも、ヒカルの耳元に囁いた。愛していると、好きだと、綺麗だと、穢されてなどいないと、飽きることなく幾度も言い聞かせる。
自分の想いを伝えるために。ヒカルの不安を取り除くために。
アキラ自身が彼への想いを再確認するために。
その度にヒカルは涙を零しながら、アキラにしがみつく。アキラもまた、ヒカルに応えて抱き返した。
お互いに一瞬でも離れていたくないというように。
「……ぁ…は…ん」
時折零れる吐息すらも惜しくて、唇を重ねた。
赤い突起を含み、舌先で弾くと更に甘い吐息が零れ落ちる。同性のものでも、アキラにはなんの躊躇もなかった。
ヒカルと一つになる喜びもまた、とても神聖なものに感じる。
これはきっと、ヒカルだからこそだ。アキラだけが触れることが許される、神の愛し子。アキラに与えられた唯一の特権。
その特権を最大限に行使してヒカルを抱きしめる。
甘い嬌声を口付けて自分だけのものにしながら、アキラは何よりも愛する大切な宝物に、全身全霊の愛を注いだ。
恍惚感を残しながら、安堵の笑みを浮かべるヒカルの頬に優しく唇を落とすと、アキラは負担をかけないように身を離した。
手早く身支度を整えてヒカルの様子を見ると、瞳を閉じ、眠そうにしている。行為に疲れているだけでなく、緊張から放たれた安心感もあって眠気が一気にきたのだろう。
ヒカルの額に口付けを落とし、耳元に心を込めて囁いた。
「おやすみ、進藤。愛してるよ」
「うん…オレも………あいしてる」
アキラはヒカルに微笑みかけると、後始末にとりかかる。水で濡らしたタオルで丁寧に身体を拭き、新しい着替えを取り出した。
「腕を上げて、進藤」
「…ん」
半分船を漕ぎながらであっても、ヒカルは大人しくアキラの言葉通りに腕を上げる。いつもヒカルがしているようにシャツを重ねて着せ、新しい下着を履かせた。
ズボンは着古したジーンズのままだが仕方がない。これ以上他に着替えはないのだから。
ソファのシーツを入れ替えて粗方の後始末を終えてしまうと、最後に仕切りにしていた薄汚い布を外し、隅に丸めて放っておいた。
侍従のようにヒカルに服を一枚一枚着せたアキラは、ひざ掛けを畳んで枕代わりに使い、子供にするようにソファに寝かしつけ、社のボストンバックから肌布団を取り出
して寒くないように掛ける。ヒカルは眠たそうにしているが落ち着かないのか、なかなか寝つけないらしい。アキラはそんなヒカルの傍らに腰を下ろし、手を握る。
握り返してきた手の甲や指先に口付け、優しく髪を撫でた。
「塔矢…」
「眠れないの?」
不安からか震える声で呼ぶヒカルに問いかけると、こくりと頷く。
こんな風に眠れぬ夜を過ごすのは、佐為を失って以来になる。最近はとても寝つきがよくて、殆ど夢もみないくらいだった。
特にアキラの傍が一番落ち着けて、ぐっすりとよく眠れる。佐為がいた頃は、ヒカルが眠れずに寝苦しさを感じていると、佐為が優しい声で子守唄を歌ってくれた。
触れることはできなくとも背をあやすように叩いて。幼い子供にするように。
子供扱いをされてちょっとむっとしたけれど、それでもとても安心できて、ヒカルは佐為にそうして歌って貰えるのが嬉しかった。
頬に触れ、髪を梳くアキラの温かい手の感触を感じながら、ヒカルは寝たまま上目遣いに彼を見上げる。
「………塔矢…子守唄歌って…?」
「いいよ。ボクが知っている歌なら、何でも歌ってあげる」
「……うん」
「大丈夫、怖い夢は見ないよ」
安心を与えるようにヒカルに唇で何度も触れ、ゆっくりと歌いだした。殆ど囁くような小さな声で。
歌に合わせて背中を叩き、ヒカルの瞼が徐々に下がってくるのを見詰めながら、子守唄だけでなく自分が思いつく歌を歌っていく。
やがてヒカルの指から力が抜け、穏やかな寝息が聞こえてきた。
ヒカルが寝入るとアキラは歌うのを止めて、握り締めた指に大切そうに飽きることなく唇を寄せ続ける。
「…大丈夫…大丈夫だ……ボク達は離れない。ずっと一緒にいる」
眠るヒカルに対して聞かせるというよりも、自分自身に言い聞かせるように何度も呟き、ヒカルの手に頬を摺り寄せる。
この先に行くには更なる絶望があるかもしれない。
けれどアキラはヒカルと共に歩むと決めた。離れないと、ヒカルに約束した。だからこそ乗り越えなければならない。
明日を掴むために、前に向かって進むことを心に誓ったからこそ。
飽きることなく寝顔を見詰めていたアキラだったが、やがて自分も眠気を覚え始め、最後の始末をするべく立ち上がる。
ヒカルの身体を拭くため、洗面器に入れておいた水をまだ捨てていなかったのだ。アキラは男が掘っていた穴に水を捨てて部屋に戻ると、社が起きて欠伸をしていた。
「すまない、起こしたか?」
「腹減って眼が覚めただけや。終わったんか?」
「ああ」
アキラは頷きながら、社の隣に腰掛ける。
「うるさくなかったか?」
「すぐ寝てもうたからな……それよか自分の腹の音がでかかったわ」
社はバランス栄養食を食べながら肩を竦めて笑う。明かりが灯っていない室内には、割れた窓から入ってくる月明かりが唯一の光源だ。青白い光に照らされて眠るヒカル
は、儚く消えてしまいそうに見える。社が知る傍若無人なまでに元気で明るい少年が、人形のように虚ろで危うい存在になっていることを示すように。
隣に腰を下ろしているアキラは、健やかな寝息を零すヒカルを見詰めていた。その瞳は愛しく大切な人だけを映している。
「おまえ…ホンマに進藤が大事なんやな」
しみじみと呟いた社を、訝しそうにアキラは見返してきた。彼にとっては何を当たり前のことを今更、と思っているのだろう。
「塔矢は進藤が鬱陶しいて思たことないん?」
不思議そうにアキラは首を傾げた。ヒカルに鬱陶しがられたことはあるが、自分が彼をそんな風に思ったことはない。
社は真剣に考え込むアキラのつむじを見て溜息を吐く。頭の回転の速い彼らしくなく、社の言わんとしていることが分からないらしい。
「進藤はあれ以来、ずっとあんな調子やんか。おまえが世話したらんと何もできへん。でっかい幼稚園児とおんなじや。もしオレが塔矢の立場やったら、ええ加減にせぇ!て
ぶち切れとるわ」
ここまで社が語って、漠然とアキラも理解してきたようだった。
「昨日散々おまえと言い合ったやん?そん時気づいてん、オレは進藤が足手纏いやと思てる、て。あいつは仲間で大事や、けどそれと同じくらいの気持ちで疎ましかったんや。
それやのに、塔矢は進藤の世話は自分で率先してやっとるし、大事にしたってるやろ?オレからしたらホンマにおまえは凄いと思うわ」
アキラは社の言葉を反芻するように顎に手を当ててじっくりと聞き入り、やがて苦笑を零して頭を左右に振った。
こんな生活の中でも艶やかな黒髪は綺麗なままで、さらりと動く。
「なるほど、そういう考えもできたんだな」
「……なんやて?」
今度は社が訝しげに聞き返す番だった。
「いや、すまない。キミに言われるまで全く気づかなかったよ。ボクは本当に手一杯で考える余裕もなかったから……」
「おまえ…それはそれで凄いで……」
「いや…ボクは進藤の保護者代わりになることで、自分の心を護ろうとしたんだよ。進藤を支えるつもりで、自分も同じくらい寄りかかっていたと思う。だから進藤の状態をひど
くしたのはボクかもしれない。支えるつもりで支えられて、余計な負担をかけたんじゃないかな」
「……互いに支えあってるのは確かやろうとオレも思う。けど進藤の状態云々はおまえの勝手な憶測や、関係あらへんわ」
きっぱりと言い切り、社はソファの上で胡坐をかいて腕を組む。
「オレなぁ…塔矢が『見捨てるな』なんて言いよるなんて思わへんかってん。どさくさ紛れで覚えてへんかもしれんけど、おまえ『ボクと進藤を見捨てるのか!』ってオレにいう
たんやで?」
アキラはくすりと笑って肩を竦める。
「覚えているよ、自分でも言いながら驚いていたけど、それがきっと本音だったんだろうね」
「おまえがそう叫ぶまで、オレは『塔矢が進藤と一緒おればええ』と思っとった。せやし何を寝惚けたことぬかしとるんや!て腹立ったわ。けどな……それと同時に分かって
もうてん。オレもおまえも進藤も、お互い様で、全員で支えてあってるんや、て。一人でも欠けてもうたらオレらは終りになるんやって分かった」
アキラは社の言葉に同意するように、深々と頷いた。彼も全く同じ意見だったに違いない。
ダイヤモンドの構造が正三角形という最も安定した原子の形からできているように、彼らもまた同じだった。
互いが互いを支え、影響しあって、正三角形の状態を作り上げた。一人が欠けるだけで最も安定した形を失い、脆く崩壊してしまう。
アキラは心のどこかでそのことに気づいていた。だからあの時、社を必死に引きとめ、殆ど無意識に本音を曝け出したのだ。
そうでなければプライドの高いアキラがあんな台詞を言う筈がない。
「キミはボクと進藤を見捨てなかった。でも例えボクが居なくても、キミは進藤を放っておかなかったと思うよ」
日頃は取り澄ました感のあるアキラから大真面目に告げられると、妙に照れ臭い。何だか尻がむず痒いようで変な感じである。
社は眼を逸らして頬をぽりぽりと掻くと、照れ臭さを誤魔化すように、わざとぶっきらぼうに答えた。
「オレはそこまでお人よしやあらへんわ」








