三色のバンダナT三色のバンダナT三色のバンダナT三色のバンダナT三色のバンダナT   三色のバンダナV三色のバンダナV三色のバンダナV三色のバンダナV三色のバンダナV
「玉麒麟、始めるぞ」 
 気持ちよくまどろんでいると、道徳の呼ぶ声が聞こえた。彼の元に走って戻ると天化が大きな瞳を輝かせて、首筋に顔を押し付けてくる。
 
 天化は猫科の動物特有の柔らかな毛並みに頬を摺り寄せ、耳に触ったり撫でたりしてきた。すっかり上機嫌になっているらしく、はしゃい
 
で首にぶら下ったもするが、玉麒麟は少しも気にしなかった。3m以上の巨体を持つ虎にとって、子供の体重など羽のようなものだ。
 
 顔を大きな舌で舐めてやると、天化は擽ったそうに首を竦めて、弾けるように笑った。
 
「これ、天化。玉麒麟と遊ぶのは修行が終わってからだよ。さあ、操縦席に戻って。玉麒麟に飛ばすところを見せてあげなさい」
 
「はーい」
 
 道徳は苦笑を浮かべながら天化を促し、玉麒麟に人間の姿に戻るよう声に出さずに指示を出す。仙人らしく精神感応をしているように思
 
えるかも知れないが、ただ単に面倒なので心話で伝えただけだ。今のところ乗騎をするつもりもないし、天化は玉麒麟が動物の姿だと遊
 
びたがって落ち着かないので、人間形態になって貰う方が無難なのである。
 
 天化が黄巾力士に乗って元気よくこちらに向って手を振ると、道徳は地上から少年に飛ばしてみるよう声をかけた。
 
 どうやら天化は自分が眠っている間に黄巾力士の操縦の仕方を道徳から粗方教わったらしい。この様子からして、道徳がしばらく傍に
 
ついて飛ぶ練習をし、これから天化が一人で飛ばさねばならないのだろう。そう大方の予想をつけて、玉麒麟は大きく欠伸をした。
 
 今の状態だと自分の出番は全く無さそうである。まあ、こうして傍観者に徹するのも中々面白いので構わないのだが。
 
「おっしゃ!行くさっ!!」
 
 天化は気合たっぷりに掛け声をかけて、レバーを勢いよく引いた。それに応えて黄巾力士はふわりと浮き上がる。
 
 道徳も玉麒麟もよっしゃ!と内心ガッツポーズを決めて、やはりウチの子は天才だと親馬鹿丸出しに優越感に浸った。道徳など、密か
 
にカメラを持ち出して写真を撮ろうとすらしている。
 
 ここまでくると親馬鹿というよりただの馬鹿な親やな、と横で玉麒麟は冷めきった眼で道徳を見やったのだった。
 
 だがその安心しきった空気が漂ったのは束の間だった。何と、前触れもなく黄巾力士が近くの浮遊石に向って突進したのである。
 
 驚いたのは天化本人よりも道徳と玉麒麟だ。というのも、天化は黄巾力士の急発進に対応できず、操縦席から弾き飛ばされてしまった
 
からだ。あれ?と思った時には地上に向って真っ逆さまである。
 
 その頃地上では、一人と一匹が黄巾力士の突然の暴走に顎を落とさんばかりに驚愕していた。続け様に振り落とされた天化が落下して
 
くる様子が眼に入り、道徳は猛然と凄まじい勢いで走り始める。
 
 天化を無事に保護することが彼にとっての最優先事項で、受け止めようと全力で疾走した。
 
 黄巾力士の行方など頭の片隅にも浮かばず、むしろ完璧に忘れ果てて必死に足を動かす。何千年も鍛えて、決して遅くはない筈の足
 
が、こんな時に限ってひどくのろく感じられた。このまま走っても間に合わないかも知れないと思うと、背中に冷たい汗が流れる。優秀な
 
弟子を失うという考えよりも、大切な天化を失うかも知れないと不安がよぎるだけで怖くて堪らなかった。
 
 近付くにつれて立っていては天化を受け止めることができないと判断すると、道徳の方針即座に決まった。思考が纏まるかどうかも分
 
からない刹那の一瞬、後数mで少年に届くという距離にきたと同時に、道徳は本能に従ったように滑り込む。全くの躊躇もなく、両手を差
 
し出してのヘッドスライディングだった。
 
 天化と自分との距離を計りながら、祈るような想いで少しでも少年に手が届くように伸ばす。それが功を奏したのか、土埃を立てて滑る
 
道徳の腕の中に間一髪天化の小さな身体は収まった。あと一瞬でも遅れていれば、地面に叩きつけられていたに違いない。
 
 道徳は大きく安堵の溜息を吐いて座り込むと、天化を腕にひしと抱き締めて頬をすり寄せた。土がついて少しざりざりした感じに天化は
 
眉を顰めたが、暖かく優しい胸に安心しきって、自らも身体を預ける。
 
「コーチったら慌てん坊さね。術使えばこんなに服を汚したりしなくて良かったのにさ」
 
 ぎゅうぎゅうと抱き締める腕の力が少し収まったところで、天化は道徳のすっかり土で変色した道服を摘んで師を見上げた。
 
 昨日感じたドキドキと胸が高鳴っている感覚にどこか戸惑いながら、それを誤魔化すようにわざと明るく冗談めかした口調で。
 
「そんな事考える余裕なんてないよ。お前に何かあったらと思うだけで心臓が止まりそうだったのに……」
 
 聡い弟子の言う通り、あの時天化に浮遊落下の術でもかければ余裕で受け止めることができたのも確かである。だが道徳には弟子の
 
一大事にその判断をすることすらできなかったのだ。
 
 こういう時こそ冷静にならねばならないと弟子に教えられたようなもので、師匠として非常に面目が立たない。
 
「けど、師父がここまでして俺っちを助けてくれて、すっごく嬉しいさ!」
 
 しかしそんな情けない気分も、天化の全開の笑顔が吹き飛ばしてくれた。
 
「……天化…」
 
「苦しいさ〜、コーチィ……」
 
 瞳に涙を浮かべてしまいそうなほど感動して、道徳が天化を強く抱き締めると、言葉とは裏腹に天化は嬉しそうに道徳にしがみ付く。
 
 その様子は、まるで世界は二人の為だけにあるような雰囲気であった。お互いをしっかりと抱き合う姿は、そのものとしか言いようがない
 
だろう。点描のトーンが周囲に撒き散らされるのが見えそうだ。
 
 玉麒麟はそんな師弟の姿を悲惨な状況で眺めながら、完璧に忘れ去られた自分を憐れむような、情けないような気分で言葉を紡いだ。
 
いくらなんでも、これは無いんでないかい?と心底思わずにいられない。
 
「ラブラブファイアーなところ悪いんやけど……。わて、死にそうやねん……はよ助けてんか………」
 
 実は、天化を落とした黄巾力士はそのまま浮遊石にぶつかり、玉麒麟に向って情け容赦なく降ってきたのである。逃げるどころか悲鳴を
 
上げる間もなく、玉麒麟は何十トンもあろうかという黄巾力士の下敷きとなったのだった。
 
(いちゃついとらんでさっさと助けんかい!それ以前に気付けっちゅうねん!こちとら死にかかっとんのに……!)
 
 瀕死の状態でありながら、二人が無意識に発する熱々の空気に当てられ、こめかみに青筋を浮かべてひくひくと頬を引きつらせる。
 
 完全に二人の世界を作るこのバカップル予備生と今後も付き合っていくのかと思うと、玉麒麟は頭が痛くなりそうだった。
 
 今回は道徳が黄巾力士を持ち上げてどけたお陰で助かったが、あのまま忘れられたままだったら、確実に死んでいただろうと分かるだ
 
けに、自分の存在意義を提起したくなる。
 
 それにしても、青峰山では師弟のみならず、霊獣までもが頑丈にできているらしい。
 
「……お前ねぇ、黄巾力士の下敷きになる暇があるなら、天化を助けに行ったらどうなんだ」
 
 道徳の血も涙もない言い分に、並みの者なら無言で脱力する(それ以前に死んでいる)ところだが、さすがに何千年も付き合っているだ
 
けあって、例え救出直後でも玉麒麟には言い返す気力も体力も十分にあった。
 
「そんな無茶な注文あるかい!わては死にかけてんや!ちったぁこっちを同情せぇー!!」
 
 道徳はわざとらしく耳を塞いで玉麒麟のことはさっさと無視すると、天化に怪我はなかったかい?などと質問している。因みに、怪我をし
 
て重症なのは玉麒麟、天化は道徳のお陰でかすり傷一つない。
 
 今度こそ、玉麒麟は何も言う気力がなくなった。呆れてものも言えないと評した方が正しいかも知れないが。
 
「無いならいいんだよ。でも、もしもの時の為に何かしておかないとね?天化。……ふむ、そうだな………」
 
 怪我は無いと首を横に振った天化の頭を撫でて、道徳は顎に手を添えて考え込む。しばらく考えた末、おもむろにポケットを探って白い
 
ハンカチを取り出した。それに術をかけ、バンダナのように天化の頭に結んでやる。
 
「衝撃の吸収と緩衝の術もかけてあるから、頭から落ちてもこれで大丈夫だ。さて、続きをしようか」
 
「うん!……けどその前に、玉麒麟の手当てと同じ術もかけてあげて欲しいさ」
 
(師匠とちごぉて、なんちゅう優しい子や……)
 
 天化の台詞に玉麒麟は瞳をうるうると潤ませる。対照的に、別に必要ないのに、という内心を示すように忌々しげに舌打ちした道徳へは、
 
すかさず睨みつけるような視線を送った。わざとそっぽを向こうとした道徳だったが、天化の訴えかける碧の瞳に渋々頷き、玉麒麟に治癒
 
の術を唱えてバンダナを渡してやる。
 
 玉麒麟の傷が治り、再びフルメンバーに戻ると、彼らは早速練習を再開した。
 
 天化は今回は急発進させることなく、すいすいと黄巾力士を動かしてみせた。ちょっと習っただけで見事な上達振りだ。はっきり言って、
 
この時点で師匠の立つ瀬が無いこと甚だしい。
 
「へへへー結構簡単さね。ホント、師父ってヘタクソさ〜」
 
 余裕で自由自在に飛ばす弟子の、悪気は無いが率直なお言葉に、道徳は眼を泳がせて乾いた笑いをたてた。
 
「は……ははは……。そ、そうなんだ……」
 
 事実なだけに、反論できないところが虚しい。師匠の威厳は下降する一方である。
 
「ぶふっ!…くくく……」
 
 道徳の傍らでは、玉麒麟が我慢できずに吹き出していた。眼に溜まった涙を拭きながら笑いを呑み込もうと努力している。尤も、努力だ
 
けで笑いはしっかり外に漏れていた。
 
 無論、その音を聞き逃す道徳ではない。首を回して玉麒麟ににっこり笑顔を向けると、グニッと力一杯霊獣の足を踏みつけた。しかも、
 
グリグリと足で踏み躙る執念深さである。
 
「いった〜!何すんねん!エセ仙人!」
 
「黙れ。うるさい」
 
 痛みに飛び跳ね、今度は激痛に涙を溜めて道徳を睨みつけるが、冷ややかな声に一言で切って捨てられる。
 
 彼の醸し出す威圧感に仕方なしに黙り込むと、道徳は満足げだが物騒な笑みを向けて言葉を続けた。
 
「私は一旦邸に戻る。天化が遠出しないようにちゃんと見ていろよ。あの子にもしものことがあったら、霊獣鍋にしてやるから覚悟しておけ」
 
 かくかくと頭を振って了解したと示す玉麒麟に片手を上げて応え、道徳は邸に通じる階段を上っていった。
 

 邸で道徳は家事を全て済ませて昼食の仕度粗方終え、食事に呼ぼうと天化が練習する広場に戻った。ところが、広場には天化も黄巾
 
力士もなく、玉麒麟が岩の陰で暢気に琵琶を爪弾いていた。
 
 道徳の額にピクリと青筋が浮かんだが、それをおくびにも出さずに殊更優しい声と笑顔で玉麒麟に問いかける。
 
「天化はどこに行ったのかな?玉麒麟」
 
「洞府の周りやら飛ばしてくる言うとったで〜」
 
 上機嫌でメロディーを奏でる玉麒麟の首を絞めてやりたい衝動を必死に抑え、代わりに頭を拳で挟んでグリグリと力を込めて捻り込む
 
ように動かした。
 
「ぎょ〜く〜き〜り〜ん!?お前には天化が遠出しないように見ておけと言った筈だな?例え遠出を許したとしても一緒に着いて行くぐら
 
いのことはできるだろうが!?なのに何故お前はこんな所で暢気に楽を嗜んでいるのかなぁ?」
 
 玉麒麟の役目は、きっと調子にのって遠出するであろう天化のお目付け役と、非常時のサポート役だ。一人で勝手に出かけさせない為
 
に後も任せたというのに、こんな事ではどうしようもない。道徳が怒るのも無理はないかも知れない。
 
「いででででで〜っ!眼ぇ色変わってるがな!この程度のことでそんな怒んなや〜」
 
 滅多なことでは見れない、道徳の僅かに金色がかった瞳に玉麒麟ですら驚いて、悲鳴じみた声で哀れっぽく頼み込んだ。
 
「アホ霊獣!子供一人で黄巾力士を操縦させてるんだぞ!?もし失速でもしてみろ?重症だけで済むと思うのか!?」
 
「天化は道徳はんとちゃうんやから、そんな失敗せぇへんって。心配性やなぁ、もう……!」
 
 ずきずきと痛む頭を押さえて反論を玉麒麟は試みる。案の定、道徳は言葉にぐっと詰まった。
 
 自らの運転技術のヘタクソさ加減を知り尽くしているだけに、玉麒麟の指摘は的を射ている。確かに初めてであれだけ上手く運転でき
 
ていれば、失速する心配はないかもしれない。だがしかし、道徳の胸には何かしら嫌な予感が残っていた。
 
 それにしても、道徳の天化への溺愛ぶりは今までの弟子の比ではない。比べることすら可哀想なぐらい、道徳は天化を可愛がってい
 
る。修行にしろ、日常生活にしろ、甘やかしはしないがその全てに愛情を持って接し、大切に育てているのだ。
 
 今までの弟子との扱いの差を、改めて玉麒麟は認識する。他の弟子に対して道徳がここまで必死になったことは一度としてない。
 
 過去の弟子よりも天化には遥かに才能があり、その上初めて幼い頃から引き取って育て、親のような愛情を持っていることも確かだが、
 
それ以上のものが彼らの間にはある。本人同士は気付かずとも、第三者として傍で見てきた自分には分かることもあるのだ。
 
「大体お前は2曲しかレパートリーが無いくせに、変な歌を天化に教えて……」
 
 いつのまにかお小言になっている道徳の文句を、玉麒麟は溜息をついて遮った。
 
「自分は音痴で子守唄すらまともに歌えへんかったくせに、何言うとんねん。悔しかったらなんぞ歌ってみいや」
 
「音痴で悪かったな。誰にだってできないことが一つや二つあるんだよ」
 
 殆ど子供の口喧嘩になりつつあるというのに、一人と一匹は地を這うような毒舌の応酬を始め兼ねない雰囲気で睨みあう。
 
 さすがにそんなものは聞くに堪えないと天の神が判断したのか、都合よく雲海に丸い影が映った。今日は来客の予定もないので、恐ら
 
く天化だろう。いち早くそれを見つけて玉麒麟は弾んだ声を上げる。
 
「お!道徳はん帰ってきたで。ほれ、わての言う通りやないか」
 
「私の教え方が上手かったから、ちゃんと戻ってきたんだ」
 
 えっへんと胸を張る玉麒麟に負けじと、道徳も自慢げに言い返した。余りの子供っぽさに呆れてはいはいと頷いてやり、玉麒麟は琵琶を
 
着陸の際に舞い散る砂塵から保護するため、袋にしまおうと道徳の傍を離れる。袋の中に丁寧に琵琶を戻し、後ろを振り返るともう影は広
 
場に入ってきていた。そろそろ着陸態勢になるだろうと判断して、その場を動かず誘導する道徳の姿を手頃な岩に座って眺める。
 
 黄巾力士は飛ばすのは簡単だが、いざ着陸となると結構難しいそうだ。そこで、玉麒麟はふと疑問を感じて首を傾げた。
 
 その瞬間、凄まじい轟音が周囲に響き渡った。突風に煽られて玉麒麟は岩から転げ落ち、咄嗟に岩陰に身を潜める。続け様に襲ってき
 
た砂埃と小石が、それでも身体にぶつかり眉を顰めた。
 
 何とか収まってきたところで未だに砂煙を吹き上げている物体に恐る恐る近付くと、それは上体を倒して中途半端な逆立ち状態になって
 
いる黄巾力士だった。
 
 恐らく、着陸しようとして操作を誤ったのだろう。そう言えば、道徳が着いて教えている時、夢うつつの中で発進してから飛ぶ音は聞いたけ
 
ど、着陸の音は全然聞かなかったよな、とこの時冷静に玉麒麟は思った。
 
 操縦席では天化が上体を起こそうと、何やら一生懸命いじっている。では道徳はと周囲を見回すが、彼の姿はどこにも無かった。
 
(ま、まさか……あ…有り得へんわな……)
 
 非常に嫌な予感を覚えながら玉麒麟は出っ張った腹を思わせる、土にめり込んだ胴体へと視線を移した。だがそこには、彼の予感を的
 
中させるものがあった。なんと、道徳の道服の切れ端が挟まっていたのである。
 
(どっひゃ〜!!もう逃げるしかないわ!……待てよ?しぶといからまだ生きとるかも知れへんな…)
 
 そのまま回れ右をして荷物を纏めてとんずらしようとした足を止めて、思い直した。あの道徳がたかだか黄巾力士の下敷きになったぐら
 
いで死ぬとは思えない。今すぐ上体を起こせば生きている可能性だって十二分にあるのだ。
 
「天化、天化!道徳はん黄巾力士と一緒に埋まっとるみたいやねん。どけたってんか〜」
 
 天化の負担にならないようわざと明るく言ってやったが、少年は事実を聞いただけで顔面蒼白、今にも貧血を起こしそうな顔色になる。
 
「あ……えと、すぐに起こしたら大丈夫やから…うん」
 
 半分逃げ腰になりながら力なく声をかけると、天化は我に返ったように頷いた。この辺りの切替の速さは天化ならではである。
 
 しっかりとレバーを握り、大きく深呼吸をした。きっと今の天化の胸中には、道徳を救い出すことしかないに違いない。
 
 玉麒麟に目配せをして、天化はグイッと勢いよくレバーを引く。
 
 再び盛大な砂煙が上がり、こともあろうに黄巾力士は更に地面にめり込んだ。玉麒麟は一瞬自分の眼の前が真っ暗になった気がした。
 
 いや、真っ暗になったのではなく恐ろしさに両目を閉じたのだ。今にも骨の砕ける音が聞こえてきそうな状況に堪らず耳を塞ぎ、直視でき
 
ずに眼を背ける。天化は何が起こっているか分かっているだけに、焦りで躍起になってレバーを力一杯引き続けた。
 
 道徳と書かれた文字が本人を押し潰しているとは何とも皮肉な光景だった。しかも、運転しているのは彼の愛弟子である。
 
 天化がパニックを起こして操作すればするほど、宝貝ロボは推進バーニアを吹き上げて圧力をかける。玉麒麟にはもうもうと砂を吹き上
 
げて埋まってゆく黄巾力士を見ることもできず、為す術も無く茫然と立ち尽くすことしかできなかった。