U再会 中編U再会 中編U再会 中編U再会 中編U再会 中編   V蜜月 前編V蜜月 前編V蜜月 前編V蜜月 前編V蜜月 前編
 アキラは器用に体勢を入れ替え、ヒカルの身体を地面に横たえた。 
 より深く唇を合わせ、首筋に顔を埋めて所有印を刻もうとしたところで、潅木がカサリと音を立てる。ビクリと身体を震わせて眼を向けれ
 
ば、リスが下草を懸命に掘っていた。隠していた木の実を見つけて、前歯で齧り始める。
 
 我に返ったアキラは慌てて身を離し、ヒカルが脱ぎ捨てた服を拾い集める。とてもではないが、眼を合わせるなんてできやしない。
 
 きっと首筋はおろか、耳まで真っ赤に染まっていることだろう。同じ男だというのに、アキラは欠片ほどのためらいもなくヒカルに口付け、
 
あまつさえ彼の肌に触れようとしたのだ。
 
 ヒカルもまるで抵抗せず、それどころかアキラを受け入れようとすらしていた。当り前のように。
 
 男であるヒカルに触れようとし、その身体を抱き締めようとしていたのに、全くといっていいほど嫌悪感は無い。反対に自分はずっとヒカ
 
ルのことが好きだったのだと、改めて思い知らされた気がした。
 
 虎の姿をしていたからこそ肌は重ねられなかったが、アキラは確かにヒカルが愛しくて堪らなかった。
 
 ずっと、ずっと、彼のことが好きだったのだ。初めて出会った時――いやきっと遥かな過去から。
 
 アキラは奇妙に確信めいた感覚でそう感じた。驚きはしたけれど、ヒカルがヒカルであったことが嬉しい。
 
 人間でも虎でも、同じ相手だからこそ、感じていた愛情は同質のもので変わることはない。純粋に愛しているのだ。
 
 ただ感情で好きなだけでなく、性的に欲しいとも思う相手として。
 
 さすがに虎の姿のヒカルに手を出すわけにはいかないが、人間の姿になった途端にアキラはヒカルを求めた。
 
 アキラは男が好きなわけではない。今まで男に興味を持ったことなど一度も有りはしない。それなのに、ヒカルに対しては違った。
 
 アキラにとって驚きなのは、ヒカルの裸体を見て欲情した自分である。今までに虎の姿で会っていたとはいえ、人間の姿のヒカルとは
 
初対面だ。なのに、ヒカルが欲しいと心底思った。
 
 リスが音を立てなければ、衝動的にヒカルを抱いていただろう。女性と肌を重ねたことだって、一度もないというのに。
 
 一方のヒカルは脱ぎ捨てた服を慌てて拾いに行ったアキラの背中を、不貞腐れたような面持ちで眺めていた。
 
 折角いい雰囲気になっていたというのに、肩透かしを食らった気分である。しかし、機会ならばまだまだある。
 
(……あれは偶然…?それとも……)
 
 ヒカルはアキラの細身だが引き締まった背筋から眼を逸らし、ついさっきまでリスの居た付近に視線を向ける。リスは餌を食べ終え、
 
次を見つけるべく無心に穴を掘っているようだ。
 
「奴らか……眼のつけどころは悪くねぇが…」
 
 誰に話すでもなく一人呟き、鋭い眼でリスを射抜く。剣呑な光を瞳に湛え、手の先に触れる葉を一枚引き千切ると、ヒカルは徐に指を
 
閃かせた。何気ない仕草であったが、リスの身体が瞬時にして真っ二つに切り裂かれる。
 
 ところが二つになった瞬間、リスは何の変哲もないただの紙切れへと変貌を遂げ、そのまま急激に力を失ったように地面に落ちた。
 
 何故かリスが掘っていた穴はなく、リス自身も消えている。まるでそこに居た存在がまやかしであったと、裏付けるように。
 
 ヒカルは最初から、それがリスではないと気付いていたのだ。
 
「……ったく、人の恋路を邪魔する奴は虎に蹴り殺されて、喰いつかれて死んじまえっていう格言を知んねぇのか」
 
 そんな格言はこの世のどこを捜してもあらわへんわい!と、自称炎の料理人のヒカル専属のコックは言うかもしれない。
 
(ないなら今オレが作ってやってもいいけどな)
 
 冷たい微笑を口元に張り付かせたヒカルだったが、アキラが衣服を畳んで持ってくると、冷徹な表情を払拭して愛らしく笑う。
 
「全部畳んでくれたんだ、サンキュ」
 
「いや、その…早く服を…」
 
「これから帰るから塔矢が持ってて」
 
「…え?帰るって…ここからだとかなり遠いけど大丈夫なのか?」
 
「人間には遠くてもオレには大した距離じゃねぇよ」
 
 あっけらかんと答えると同時に、ヒカルの身体は人間のものから若い虎へと姿を変える。すぐには慣れられないのか、唖然とするアキ
 
ラのズボンを口で咥えて引っ張った。
 
 子供の頃は上着をよく咥えていたが、今ではすっかり背も伸びて、アキラの注意を引こうと思うとズボンやベルトを使うことになる。
 
 たったこれだけでも、十年という歳月を思わずにはいられない。子供だったアキラは、ヒカルと外見的には同じ歳に成長した。
 
 後生大事にヒカルの衣服を抱えたまま、アキラは子供の頃からしていたように、ふさふさとした背中に跨る。ついこの間に来た時はなん
 
の躊躇も感じなかったが、ヒカルが人の姿になるのを見ただけに、どうも悪いような気がしてならない。
 
 しかしヒカルにとってはアキラの遠慮などどこ吹く風だ。アキラが跨って掴まると、地面を蹴って勢いよく走りだす。
 
 少しずつ夕闇が迫り、夜が近づいてきていた。
 

 ヒカルがリスだった紙切れを断ち切った瞬間、遠く離れた日本で、一人の男が小さく驚きの声を上げて立ち上がる。彼の前には、鋭利 
な刃物のようなもので真っ二つにされた紙が無造作に落ちていた。
 
 床に落ちた紙をもう一人の男が拾い上げ、まだ青年と言って差し支えない、若い男を振り返る。
 
「偵察はどうも失敗だったようだな。だが、自然の気の集まる場所に見当をつけたのは正解だった。それなりに成果があったようだ」
 
 部屋に据えられた護摩壇や護符などにまるで縁がなさそうな白いスーツを着込んだ男が、煙草に火を点けながら一人ごちると、山伏の
 
ような時代がかった服を着た青年も同意を示した。
 
「眷属はああいった自然の気が集まる場所を好みますからね。緒方先生は奴も…『クラウン』もあそこに来ていると思われますか?」
 
 服装こそいかにも古めかしいが、髪型などはいかにも最近の若者風の青年――冴木は煙草の煙を払いながら男に問いかけた。
 
「さて…奴がのこのこ出てくるとは思えんが。尻尾は簡単に掴ませてくれんよ……姿すら未だに知られていないんだからな」
 
「でも……これを斬ったということは相当上級クラスですよ?」
 
 緒方が凝りもせずに煙草をくゆらせるのに辟易しながら、冴木は溜息混じりにぼやく。自分としては、そんな能力値の高い者を相手にす
 
るのはできればお断りしたい。この式神を作ったのは、冴木の師匠である森下だ。偵察用に作っているため、相手の攻撃を想定し、偵察
 
用と操る人間の身代わりになる物とで一組になっている。
 
 万が一偵察が失敗しても、破壊されると同時に、操る者の代わりに身代わりの物が犠牲になるという、二段重ねの式神だった。
 
 師匠が念を込めて作り上げただけに、そんじゃそこらの雑魚の作ったものとは出来が違う。防御性も擬態能力も優れており、相当強い
 
攻撃でなければ潰されることはない。それがこんな風に真っ二つになってしまっているということは、攻撃を行った者は師匠と同等以上
 
の能力者と結論づけられる。つまり、かなりの強敵であるということだ。
 
「『四天王』の側近か『四天王』自身、或いは『クラウン』かも」
 
 『クラウン』も『四天王』もさる組織が最初につけた後、彼らの世界で一般的に呼ぶようになったコードネームである。
 
 その者たちは、一般人が知らない人外の力を持つ存在だ。人間の命を糧として生きる下層の者から頂点に至る一部の者まで、絶対的
 
なピラミッド構造が作られている。『クラウン』は王位、王冠などを現すことから一族の長を示す。『四天王』は『クラウン』の側近中の側近
 
で、直接警護や世話などを行い、その下に控える者達に指示を与える中枢的な役割だ。
 
 桁外れの力量を持つ存在が四人いると報告されていることから、『四天王』と彼らは呼んでいる。そしてその四人に上回る力を持ち、頂
 
点に位置する存在が『クラウン』なのである。
 
 『クラウン』の能力は自然界を自由自在に操ることだ。地震も、台風も、火山の噴火も、津波も、彼にとっては思うままである。
 
 そして『四天王』はそれぞれに『クラウン』の能力の一部をコピーされ、自然界の力を使うことができる。
 
 個々でどのような力を授かっているのかは、全く不明だが。どちらにしろ、人類にとっては最も脅威となりえる存在なのだ。
 
 基本的に、『クラウン』と『四天王』と、他の一族の者とでは大きな隔たりがある。まずこの五人は人間を襲わず、エネルギー源とはして
 
いない。通常は大人しく自分達の生活を営んでいる。
 
 無闇に災害も起こさず、余計な手出しさえしなければ、彼らはただ静かに日々を過ごし、人間に溶け込んでいて分からない。
 
 だが一般的な一族は人間の生命エネルギーを糧として、年間に数十万人の罪もない人々の命を奪っているのだ。彼らの中にも、力量
 
の差によって身分の上下はあるが、厳密には関係ないものだ。ただ一つ共通していることは、一族の者達は頂点に位置する者を『長』や
 
『主人』と呼んで崇拝している点だろう。呼び方こそありふれているが、意味あいとしては世界を創造した神と同義の扱いだ。
 
 随分と大それた崇拝ぶりである。だがしかし、推測される『クラウン』の力を考えれば決して誇張ではないと言えるところが恐ろしい。
 
 昔は一族の者全てを一緒くたに考えていたが、現在では『クラウン』と『四天王』は同系列であるが、他の一族は異端者の烏合の衆が崇
 
拝によって纏まり、組織された別系列と区別されている。彼らは自分達よりも強い存在を崇めているだけで、頂点に位置する者達にとって
 
は他者の動向などどうでもいいのだ。ただし、崇拝してくる者の利用価値を判断して、使い捨ての駒として使用することはあるが。
 
 異端者の能力は個体によって違うが、共通点は幾つかある。人間の生命エネルギーを糧とすることと、不死身に近い肉体を持ち、特殊
 
な能力を個々に持っていることだ。だが、多大なダメージを与えれば、如何に強固な肉体であっても倒すことはできる。
 
 各地域の宗教の影響を受けて、弱点も見つけられる。狼男やバンパイア伝説も、デフォルメされた同じ存在だ。
 
 つまり、聖水や呪符、真言や呪文などの攻撃も有効なのである。
 
 対して『クラウン』とその眷属である『四天王』の場合は、完全な不死身の肉体を持ち、歳をとることもなければ死ぬこともない。
 
 弱点もないとすら伝説には記されているのである。
 
 遠い昔、異端者は皆個別で単独行動をしていたために、制御することも倒すことも比較的行いやすかった。
 
 ところが、『クラウン』という存在を崇拝することによって纏まり、組織されるように変化し、彼らの脅威は一気に増大した。
 
 人間がその対抗措置として密かに作ったのが、各国政府でも密かに公認されている、緒方が現在属している組織である。
 
 その組織は、世界に破滅をもたらし均衡を乱す恐れのある一族と『クラウン』に属する眷族を倒し、消し去るために活動を続けている。
 
 いわゆる秘密結社というものである。名はご大層なもので『薔薇十字団』。活動は五千年以上前に遡り、四千年前には各地に支部も
 
作られていた。昔から、本部が置かれているのがドイツであるため、ローゼンクロイツと呼ばれている。
 
 緒方は組織の一員で、冴木は陰陽師とも修験者とも呼ぶ能力者だ。
 
 ローゼンクロイツとは別に活動をしているが、協力体制が昔からとられているため今回はこうして手伝いめいたことをしている。
 
 緒方は真っ二つに断ち切られた紙切れを興味深げに眺めながら、冴木を振り返って器用に肩を竦めてみせた。
 
「確認する術はないな。誰も知らないとはいえ、君の師匠や桑原の爺あたりなら、『クラウン』の情報はある程度仕入れているだろうが」
 
 桑原はここを提供した老人で、この道数十年のベテランである。式神を倒した相手が『四天王』や『クラウン』ではなく、一族の中でも凶
 
悪なものであったなら、排除するしかない。それでも強敵なのはかわりないだろう。
 
「どうなんでしょう?『絶対に関わるな』の一点張りだから」
 
 自分の師匠は決して臆病ではないが、こと『クラウン』の件に関しては近付くのはやめろと言うに留まっている。裏を返せば、下手に手
 
を出せば返り討ちに遭う危険性を孕んだ相手ということだ。
 
「まあ…君達は関係ないと無視するつもりであっても、オレ達は命令もあってそうもいかんのでね。協力はして貰いたい」
 
 緒方は吸殻をケースにしまい込み、締めきった障子戸を開けて歩き出した。広い庭に面した渡り廊下は、足を進める度に軋んだ音を
 
立てる。夕刻の空気は湿気を含んで蒸し暑い。
 
「はあ……できる限り日本からサポートはしますけど…」
 
 冴木は緒方に対して強行に逆らえる立場ではないのか、渋々頷く。
 
「あれー冴木君は一緒に来ないの?」
 
 別の声が廊下を歩く二人の間に割って入り、庭からもう一人の青年が顔を覗かせた。今回緒方と同行している芦原という男で、とても
 
秘密結社に在籍しているようには見えないお気楽そうな人物だ。
 
「この件については師匠から許可が下りないんですよ」
 
 冴木が苦笑しながら答えると、芦原は一頻り盛んに残念がってから、緒方に声をかける。
 
「冴木君が無理だから、別に助っ人を呼ぶことにしたんですかぁ?一応本部に掛け合って韓国から一人呼ぶように手配しましたけど」
 
「ふぅん…何という奴だ?」
 
「高永夏という名前しか…今はまだ…」
 
 少し寂しそうな面持ちで報告する芦原の様子からして、彼は気心の知れた冴木が同行できないことがかなり残念らしい。
 
 しかし冴木は芦原の気持ちに気付いた風もなく、言葉を添える。
 
「高永夏は道教の祈祷師をしています。相当腕がたつらしく、最近では天才として名高い存在ですよ」
 
「ほほう…信用できるのか?」
 
「信用は別にしても腕は確からしいです」
 
 説明する冴木の言葉に頷いて、緒方は芦原に顔を向けた。
 
「その高永夏はいつ来るんだ?」
 
「来週か再来週には……多分」
 
「遅いな、急がせられないのか?」
 
「無茶言わないで下さいよー緒方さん。式神が特定した国に入るだけでも幾らかかると思ってるんです?二人で一千万ですよ」
 
 芦原は情けない声を出して、緒方に追いすがる。
 
「金に関しては本部に掛け合えばまだどうにかなるだろうが…問題は四天王の動きだ。四人とも十五年以上前から完全に消息不明に
 
なっているのがどうも気になる……オレの勘が正しければ、『クラウン』は新しい生贄を見つけたのかもしれん」
 
「再生するつもりだと?早すぎませんか、前は約百四十年前ですよ?身体だって古くなってない筈でしょう」
 
 有り得ないと首を左右に振る冴木に、緒方は厳しい視線を向けた。
 
「サイクルとしては確かに異例だ。だがしかし…奴が好む魂が降りてきているなら話は別だぞ。その辺りは調べられるか?」
 
「『クラウン』が求める魂は非常に稀有ですから、過去の記録を調べれば特定は可能だと思います。でも…こんなにも早くに降りるなんて
 
普通は考えられませんけど」
 
 『クラウン』は基本的に人間を襲いはしない。だが数百年に一度、自分の身体を新しく再生させる時には人間を誘惑してその命を使って
 
新しい身体に生まれ変わる、と言われている。そしてこの時、多くの一族を生んで作り出すのだと。
 
 『クラウン』は非常に我侭で、ある特定の魂を宿した人間にしか接触しない。そして相手を巧みに誘惑し、自分の虜にして命も身体も捧
 
げさせ、全てを喰らい尽くして姿を消す。一人の人間の命を犠牲にして『クラウン』は生き続けているのだ。だが実際、誰も『クラウン』が
 
生贄の魂を喰らっている姿を見たことがあるわけではない。けれど状況証拠はいつも揃っている。
 
 『クラウン』に生贄は連れ去られた後、ひっそりと息を引き取る。その際に遺体は残らず、代わりにこの時期になると一族が大量発生す
 
るのである。まるで生贄の命と引き換えにしたように。状況としては、これ以上にないほどしっくりとくる。
 
 だがしかし、緒方と芦原が属する組織や、世界中のある種の能力者が『クラウン』について調べられているのはこの程度だ。
 
 肝心要の容姿などの外見的特徴、性別すらも不明である。だが相手を常に篭絡するのだから、相当な美形と予想できる。
 
 自分自身を生み出すことと、誘惑する相手が常に男であることから『女性』という見解が大多数を占めているが、詳細は不明だ。
 
 人間の転生ペースは各魂によって違う。彼らが調べた限りでは、大体は三百年から五百年というのが通常だ。
 
 『クラウン』が求める魂は、一定のペースを守らないため把握しにくい。ただ、その稀な輝きから位置を特定したりするのは難しくない。
 
 それでも、今まで『クラウン』の手から犠牲者を救出できたことは一度もなかった。彼らが行動を起こした時には大抵生贄は息絶え、敵
 
は生贄を使って再生し、新たな肉体を得て姿を消しているのだ。
 
 見つけられない理由は幾つかある。
 
 一つ目は、『クラウン』は非常に警戒心が強く姿を見せないこと。
 
 二つ目は、生贄自身が誘惑されてしまうこと。それによって自らも姿を隠して命を捧げてしまう。――非協力的なこと甚だしい。
 
 三つ目は、側近の『四天王』が行く手を阻むこと。
 
 これらが複合的に作用し、いつも手遅れになってしまう。特に二つ目の理由になると、救おうとする本人から拒絶されるという、最悪の
 
パターンだ。過去にそうして姿を消し、ローゼンクロイツの面々は何度辛酸を飲まされたか分からない。
 
 しかし最近の調べでは、二つ目の理由には別の要素が大きく絡んでいるという。その要素とは、『クラウン』の力の影響で、生贄は彼
 
と波長が合った者にしか姿が見えなくなるのだ。『クラウン』に魅入られた時から、生贄は彼の眷属と『クラウン』、そして自分自身にしか
 
姿は確認できない。例え肉親であったとしても、本人と『気』の波長が合わなければ、姿を見ることも触れることもできなくなってしまう。
 
 だからこそ過去においても現代においても、生贄を見つけ出すことは困難な作業になる。
 
 『クラウン』に魅入られてさえいなければ、まだ保護はできるが。
 
 どちらにしろ、生贄の立場からすると、愛する者から一方的に引き離そうとする悪者にしか見えないのだろう。
 
 彼にとっては、唯一無二の絶対的な恋人なのだから。
 
 そこが薔薇十字団としても、難しい問題でもある。騙されていると気付かず、道具にされているとも知らずに、これまでずっとその魂を
 
持つ人物は『クラウン』に殺されている。心底愛して身も心も捧げた相手に、長い歴史の中で何百回何千回と命を奪われ続けているの
 
である。痛ましい事実であると同時に、信じ難い残虐さだった。何の恨みがあってこんな真似をするのかと、尋ねたくなるほどだ。
 
 それともただ好みの魂だから常に同じターゲットしか狙わないのか。答えることができるのは『クラウン』のみだ。
 
 どんな場合にしても、生贄に命に対する危機感を全く抱かせない『クラウン』の狡猾さには感心するばかりだ。
 
「もしも降りているなら…すぐにでも保護せねばならん。『クラウン』の虜になってからでは、全ては遅過ぎる。死ぬのを待つだけだ」
 
 緒方の言葉に冴木は無言で頷き、今師匠の傍で修行に励んでいるであろう、弟弟子に携帯でメールを打ち始めた。
 
 修験者や陰陽師、エクソシストと呼ばれる前時代的な存在が、近代機器を連絡手段に使うのも奇妙なものだと、内心苦笑しながら。