V蜜月 前編V蜜月 前編V蜜月 前編V蜜月 前編V蜜月 前編   V蜜月 後編V蜜月 後編V蜜月 後編V蜜月 後編V蜜月 後編
 アキラに抱き締められると、幸せでどうにかなりそうになる。ヒカルはうっとりと息を吐いて、身体をゆったりと預けた。 
 今までで一番短いサイクルでの降臨だったからこそ、待っていられなかった。一刻も早く会いたくて確かめたくて。
 
 特に、前の別れはヒカルにとって一番辛く悲しいものだった。だからこそ、アキラをすぐに呼び寄せることにしたのである。
 
 アキラはヒカルの呼びかけに無意識に応え、来てくれた。幼い彼を見付けた時は喜びで震えると同時に、内心ひどく驚いた。
 
 初めて出会った時の姿のままのアキラがそこに居たから。
 
 あの時に時間が戻ったのかと錯覚しそうになったけれど、よく見ればアキラはほんの子供で、ヒカルのことも知らない様子だった。
 
 以前の記憶が残っていないのだとは、すぐに分かった。けれど、その程度ではヒカルは落胆しない。再会できただけでも喜びに胸
 
が一杯で、だからこそもう一度出会いから始めて愛されたいと思った。最初に出会った時のように、新鮮な気持ちで。
 
 同時に、彼との大切な約束を思い出して胸が高鳴った。
 
 眼の前に居るアキラは、初めての出会いと変わらない年齢にまで成長している。でも、ずっと、ずっと綺麗になった。
 
(もう…二度と離れたくない。おまえと一緒に居たいんだ)
 
 ヒカルはアキラの背に腕を回すと、胸に顔を埋める。決意を固めたからこそ、今回は自ら行動を起こしてアキラを呼び寄せた。
 
 彼と離れ離れになる苦痛は、もう一度だって味わいたくない。
 
 何を犠牲にしても、ヒカルはアキラを自分のものにしたい。手に入れたいと、これまで以上に強く思っている。その為ならば、手段を
 
選ぶつもりはなかった。既に準備は整っている。後はアキラがヒカルを招き入れ、手をとってくれるかどうか。
 
 アキラが自分を選んでくれるかどうかに全てはかかっている。望まないことをするつもりはない。アキラがヒカルと共に生きることを
 
選べば、躊躇は捨てる。二度とその手を離さない、と。ヒカルは顔を上げると、掠めるようにアキラの唇を奪った。
 
 途端に真っ赤になってうろたえる少年に笑いかけ、湖に再び飛び込む。水を感じると同時に虎に姿を変え、岸に向かって泳ぎ出した。
 
 アキラが意図に気付いてオールを漕いで横に並ぶ。そのまま岸までの短い距離を、一人と一匹は湖上の奇妙なデートを満喫した。
 

「今日の晩飯のメインは、南仏プロヴァンス風牛ヒレステーキや!」
 
 自信満々な声と共に、テーブルに置かれた料理をアキラは一瞥する。ヒカルは何の疑問も持たずに「うまそう!」と瞳を輝かせている
 
が、どう見てもこれはただのステーキだった。
 
「どこがどう、南仏プロヴァンス風なんだ?」
 
 ナイフとフォークを持って冷静に疑問を口にすると、コック姿の背の高い少年は手を休めないままからからと笑う。
 
「細かいことは気にすんなや〜。ま、味は保証するで」
 
 その台詞に、高級さを醸し出すように『南仏プロヴァンス風』という言葉を入れたかっただけなのだと、すぐにアキラは理解した。
 
 とはいえ、確かにただ肉と野菜を載せているだけファミリーレストランのステーキとは違い、大きめの皿に瀟洒に飾り付けを施して配
 
置されたステーキは高級感が漂っている。関西弁を話す大柄な少年が作ったとは信じがたい繊細な料理だ。
 
 アキラとヒカルが食べるテーブルのすぐ横には、簡易のコンロが備え付けられ、そこで専属コックである社がステーキ肉を焼いては
 
素早く盛り付けている。奈瀬とあかりはできた料理をテーブルに運ぶ役回りだ。
 
 前菜は既に終わり、スープやパンが厨房から持ち込まれ、冷めないように湯銭やトースターにかけられている。社はそれらを全て、 
一人でてきぱきと取り分け、皿に盛る作業を行っていた。一口切り分けて食べてみると、味は保証すると豪語するだけあって美味しか 
った。アキラは両親に連れられて三ツ星シェフの居る店で食べたこともあったが、その味に全く引けをとらない。 驚いたことに、料理
 
専門と紹介をされた社清春という少年は、どんな料理も自由自在に作るだけでなく、味もトップレベルのシェフにひけをとらないのだ。
 
「どうや?」
 
「うん、美味しいよ」
 
 アキラが頷いて微笑むと、社は満更でもなさそうに胸を張る。
 
「オレはもうちょっと胡椒がきいてる方がいいな。おかわり!」
 
 アキラが一切れを食べただけの時間で、ヒカルは綺麗に皿の上に載っていたものを平らげてしまい、スープに手を伸ばした。
 
 鋭く批評しながらも、社に次を持ってくるように要求する。
 
「もうちょっと味わって食べぇや、進藤。他にパンも作ってあるんやし、誰もおまえのメシとったりせぇへんぞ」
 
「だったらもったいぶらずにさっさと持って来いよ。おかわり」
 
 あかりが持ってきたステーキもぺろりと食べてしまうと、半ば呆れたように嘆息する社に、ヒカルは態度も悪くおかわりを連呼する。
 
「うるさいわよ、進藤!ほら、スープとパン。ステーキも」
 
 慣れた仕草で食事をテーブルに運ぶ奈瀬に叱られ、ヒカルは首を竦めた。そんな姿は本当に姉に叱られる弟にしか見えない。
 
「なあ、社。明日の晩飯は?」
 
「晩飯食っとる最中に明日の心配かい!呆れた食い意地やな。一応、明日は中華の予定やけど…?」
 
 思わずツッコミを入れながらも、社は数種類のパンを綺麗に盛り付けつつ律儀に答えている。
 
「ラーメン作る?――っていうか作れよ」
 
「へいへい、作りまんがな。女王様」
 
 本日四枚目のステーキを食べ、パンに噛り付いて要求するヒカルの食欲に驚いた風もなく、全く手を休めないまま頷いていた。
 
 アキラは決して小食な方ではないが、ヒカルの前では随分と自分の食事量が少ないように感じてしまう。
 
何せ、ヒカルときたら一世を風靡したフードファイターに引けをとらないくらいの量を食べるのだ。大抵の人間は、ヒカルの前では小食に
 
しか見えないに違いない。虎の姿とほぼ同じだけの量を摂取している。
 
 だが、社を含め、奈瀬やあかりが食事をしている姿を見たことはない。先に食べているといつも聞かされるのだが、何故か彼ら三人から
 
は人間臭さのある生活臭というものが感じられないのだ。一緒に暮らしているといっても食事は別で、部屋もちゃんと備え付けられている
 
のだが、どこかに違和感がある。
 
 この屋敷の構造は意外にも複雑で、一部は四階で残りは三階建てという一風変わった造りになっている。
 
 最上階にヒカルの部屋、その下にアキラの部屋があり、二階に社達のそれぞれの部屋、一階に厨房やリビング、客室などがある。
 
 屋敷自体が広いので一階に様々な設備が集中していても、少しも狭苦しさは感じられない。アキラが住む部屋は三階になっている。
 
 今回気付いたことなのだが、アキラとヒカルの部屋は階段で繋がっており、自由に行き来できるようになっているのだ。
 
 十年間ずっと鍵が掛かっていて開かずの扉だと思っていたものは、上へ行ける階段室に繋がる扉だったのである。
 
 初日の衝撃に疲れきって眠ろうとしたところへ、開かずの扉が開いて虎が現れたのには、さしものアキラも度肝を抜かれた。
 
 今までヒカルは別の出入り口から入ってきていたから、いきなり開かずの扉が開いて登場するとは思いもしなかっただけに、驚きに眠
 
気もすっかり吹き飛んでしまったものである。後で階段を上がって確かめてみると、そこにはいかにもヒカルらしい部屋だと思えるものが
 
あった。ほぼ四階部分を全て使ったような広々とした室内には、いかにも年頃の少年が持ちそうなゲーム機器やテレビ、大きなベッド、
 
本棚にはマンガ本などが入っていた。
 
 広めのバスルームやトイレなども設え付けられている点など、アキラの部屋と同じ構造になっている。違う点は広さだけだろう。
 
 ヒカルは階段室も含めてほぼ四階の全域、アキラは三階部分の三分の二ぐらいだ。残る三分の一は、吹き抜けの中二階から玄関ホ
 
ールに繋がっている。アキラの部屋の下に社達の部屋があるのだ。
 
 二人が住む部屋は、別の部屋からの直接的な出入りを遮断するような、独立した形に設計されているようだった。
 
 夕食を食べてからは、大抵アキラは自分の部屋のバルコニーで夕涼みがてら読書に耽る。ヒカルは湖に泳ぎに行ったようで、湖を見
 
下ろすと、星と月の光に照らされて金色の毛並みが輝いていた。広い湖には、夜空に浮かぶ銀河と月がくっきりと映っている。
 
 まるで天然のプラネタリウムのように、全ての星々がそこにあるようだ。上空を見上れば天の川がかかり、星に囲まれていると錯覚しそ
 
うになるほど近く感じられる。日本では決してみることのできない光景だ。
 
 アキラは本を閉じて欠伸をすると、夜風が通りやすいように窓を開け放したまま部屋に戻る。備え付けのバスルームでのんびり湯に浸
 
かり、パジャマに着替えた。正面扉の鍵を閉めたことを確認し、ヒカルの部屋に通じる扉の鍵はかけないでおく。
 
 バルコニーの窓はそのまま開けておき、カーテンだけを引いてベッドに潜り込んだ。
 
 いつもならバルコニーの窓は鍵こそかけないものの、閉めるのが常だったが、今日は夜風が気持ちよくて開放したままにしている。
 
 ヒカルが出入り口に使っているのもあるが、何故か、その晩に限ってはそうしたいと思ったのだ。ヒカルが入りやすいようにと。
 
 部屋の明かりを落とし、読書用のランプだけを点けて本を開く。数ページ読み進んだところで、ふわりと大きくカーテンが揺れた。
 
 眼を向けると、虎の姿のヒカルが水浴びを終えて、当然のように中に入り、のしのしとベッドの横を横切っていく。ヒカルはアキラの部屋
 
のバルコニーを出入り口にしているので、こんな風に歩き回るのはいつものことだ。そうして自室に一旦戻って身支度を整え、アキラの
 
ベッドに潜り込んで眠る。大抵アキラは先に寝入っている為、朝起きてヒカルの姿に驚くこともしばしばだ。
 
 ただ、一つだけ普段と違ったのは、階段室を通って自分の部屋に向かわずに、前脚で器用にバスルームの扉を開けたことである。
 
「塔矢、おまえ風呂は?」
 
「もう入ったけど…」
 
「借りるぜ」
 
 中に入ったヒカルから今度は人間の声で問いかけられ、首を傾げつつアキラは答えた。普段なら自分の部屋で風呂に入るのに、今日
 
に限ってアキラの所で入るなんて、おかしなことをする。心に浮かんだ疑問を払拭して本を読んでいると、バスルームの扉が開いて鼻歌
 
まじりにヒカルが出てきた。そのまま部屋に戻るかと思いきや、すぐ傍でベッドが小さく軋んでへこむ。
 
 生々しさを感じる音に何となくだが妙な予感がして、気付かないフリで本に顔を伏せていると、いきなり取り上げられた。
 
 抗議しようと顔を上げたアキラの瞳に映ったのは、彫像のように美しい肢体を持つ少年の見事な体躯だった。
 
 水気を帯びた肌はしっとりと光り、石鹸の香りに混じって彼本来の甘い体臭が鼻腔を擽る。裸体を惜しげもなく晒して、タオルで髪につ
 
いた水滴を拭いながら艶やかに微笑んだ。
 
「さてと…やるか」
 
 言葉の意味が把握できずに完璧な身体に見惚れている間に、ベッドサイドのランプがヒカルの手によって消されてしまう。
 
 手の形を本を持ったままにして呆気にとられていたアキラは、ここで初めて我に返った。これは非常にマズイ状況のような気がする。
 
 暗くなった部屋の光源は、バルコニーのカーテン越しに入ってくる月と星の光だけだ。その中で、ヒカルの眼が妖しく輝いている。
 
 思わずヒカルから少しでも離れようと、後ろ手について後ずさる。
 
「し、進藤!キミ…何故ここに?」
 
「何でって…分かんない?」
 
 愛らしく首を傾げ、自分に伸し掛かってきた少年を見詰めたままごくりと生唾を飲み込む。分からないというよりも、分かりたくないのか
 
もしれない。アキラとて男だ。今の状況で察しがつかないほど鈍感ではない。本来ならもう既にヒカルと閨を共にしてもおかしくないと自
 
分でも分かっているが、中々それに踏み切れなかっただけに、期待感が無意識に膨れ上がってきていた。
 
 ヒカルから求めてきてくれている事実に、嬉しさが湧き上がる。それと同時に、自分を戒めようとする理性的な声も聞こえた。
 
 まだ十代の子供なのに、そんな不埒な真似をするつもりなのかと。
 
 いつもさっさと先に寝ているのも、ヒカルと一線を越えないための防御策の一つである。眠ってしまえば、手を出さなくて済む。
 
 ヒカルのことは好きだし、肌を重ねるという意味での欲望も持っていることは否定しない。むしろ欲しいとすら思っている。
 
 ヒカルを愛しているという気持ちは、嘘偽りない。けれどいざとなると、どうすればいいのかさっぱり分からない。
 
 若い欲望を持て余して中々寝付かれずにいて、ヒカルが潜り込んでくると慌てて狸寝入りを決め込んだことも何度もある。
 
 ヒカルがそんなアキラに焦れているのも分かっている。だが、アキラは今年でやっと十七歳になるかどうかという少年だ。
 
 こんな状況でうろたえない筈もなかった。経験豊富な大人とは違い、青臭い子供なのだ。ヒカル以外にキスすらしたことがない。
 
 これで自分にどうしろというのか。
 
 想定外の事態にすっかり動揺し、アキラは冷凍マグロのように凍りついて、固まってしまう。ヒカルはアキラが抵抗しないのをいいこと
 
に、さっさとパジャマのボタンを外して上着を脱がせていた。上半身が涼しくなったのに気付き、アキラは本気で慌てだす。
 
 おろおろしても始まらないと分かっても、日頃の冷静さは銀河系の彼方に飛び去り、すっかり恐慌状態に陥っていた。
 
 しかも、ヒカルは今にもアキラのパジャマのズボンをずり下ろそうとしているのだ。咄嗟に腕を掴んで引き留めようとしたが、一瞬遅く、
 
ズボンはアキラの手の届かない場所に投げ捨てられていた。ヒカルの傍から離れようにも、密着せんばかりに覆い被さっている体勢で
 
は厳しい。それだけでなく、アキラより線の細い少年だというのに、ヒカルの力は恐ろしく強かった。
 
 アキラは囲碁だけをしているわけではなく、それなりに身体も鍛えている。そんじゃそこらの少年より腕力はあるだろう。
 
 ところがそんなアキラですら、ヒカルの力には舌を巻いた。スマートにやんわりと腕を振り解いて「こういうやり方は感心しないね」とで
 
も格好よく言えればいいのだが、満身の力を込めてもびくともしないのである。
 
 下手に抵抗すれば、みっともなく押さえつけられるのがオチだ。迂闊に動くことすらできない。
 
 本気で抵抗できないのは、自分自身にも求める気持ちがあるからだ。愛しいと想い、欲しい相手だからこそ余計に力が入らない。
 
 ヒカルの肢体の見事さに眼が吸い寄せられるのもあるだろう。
 
 気温は低くないのに、背中に冷汗が流れた。このままでは本当にアキラはヒカルに押し倒されてしまう。
 
 今のアキラは下着一枚で、防護できるものが一切ないのだ。防衛ラインギリギリのここで、あくまでも抵抗を試みなければ。
 
「し、進藤!ボクは初めてなんだ!だからその…」
 
 情けなさ大全開の、アキラが精一杯振り絞った抗議の声にも関わらず、ヒカルは嫣然と笑いかけてくる。
 
 余りにも綺麗な笑顔に続けられずに声を失って見惚れていると、ヒカルは愛らしい笑みを浮かべてとんでもない台詞を言った。
 
「オレも初めてだぜ、塔矢。だから優しくしろよ?」
 
「はい?」
 
 自分の耳を思わず疑ったアキラである。まさかこんな真似をするヒカルが初めてだなんて、考えもしなかった。
 
「疑うのかよ?」
 
「いや…その……この状況でそれを言われると驚いて」
 
 剣呑な眼で睨みつけられて慌てて言い添えたが、頬が緩んでしまいそうになる。ヒカルが初めてだと知って喜ぶ自分が居るのは確か
 
だ。だがそこで気を抜いたのがまずかった。ヒカルは一瞬の隙を逃さずに、手を素早く動かしていた。
 
「……しよ?塔矢」
 
 言葉と同時に最後の一枚までも取り払われ、アキラはあんぐりと口を開けて唖然としてしまう。これまでも防戦一方であるどころか、
 
茫然自失の体で防衛するどころの話ではない。
 
 囲碁ならば「ありません」と頭を垂れる寸前のところまで、追い詰められているといっても過言ではなかった。
 
 桜色に色付いた唇が接近してきて、アキラは真っ赤になった肌とは裏腹に白くなりそうな思考を必死に巡らせる。
 
「ちょっと待て!キミはボクの気持ちはおかまいなしなのか?」
 
 これには苛烈な攻撃を仕掛けていたヒカルも動きを止めた。押さえていた腕を緩めて、少し考え込むように首を傾げる。
 
「ちゃんと窓を開けて待っててくれてたじゃんか。おまえはオレとしたくないわけでもないんだろ?嫌いでもないよな?」
 
 上目遣いに見上げられて問われると、ついついバカ正直に頷いてしまった。こんな時にそんな可愛い仕草をされれば、アキラはあっさ
 
りとヒカルに篭絡されるのだから困りものだ。
 
「当り前だ!キミを愛しているし、したいに決まってる!…いや、それはおいといてだな…つまり…その…」
 
 思わず叫んでから、アキラは自分の迂闊さに頭を抱えたくなる。
 
 何とかヒカルを怒らせずにこの場を収めようと思うのだが、唇から零れる言葉はどれも意味不明で支離滅裂である。
 
 それでも本人は一生懸命なのが涙ぐましい。しかし、ヒカルは躊躇するアキラに対して僅かな猶予も与える気はないようだった。
 
「だったら問題ねぇだろ?」
 
 では早速とばかりにヒカルに口付けられそうになって、アキラは必死になって肩を押し返す。
 
「だからちょっと待てっ!」
 
「何だよ!好きならしたっていいだろ!おまえもしたいってさっき言ったじゃねぇか!バカッ!」
 
 憤然と言い募るヒカルはまるで駄々っ子のようだった。通じ合わない意思の疎通に疲れを覚えて、投げやりになりそうになる自分を叱
 
咤し、重い口を開く。アキラとしても一層のことマグロになってしまった方が楽だとも思うが、さすがに自分のプライドが許さない。
 
 選択肢など最初からないのだから、抵抗するだけ無駄な足掻きだと自分でも分かっている。アキラがヒカルを拒むなど、絶対に有り得
 
ない事実である。ヒカルを求める想いとアキラを求めるヒカルの想い。二つは常に重なっているのだから。
 
 分かっていても中々首を縦に振れないのは、今の状況が自分に全く主導権がなくて受身になっているからだろう。かといって、主導権
 
を渡されてもアキラにはどうすればいいのか見当がつかない。尤も、アキラの複雑な心境などヒカルにはばれているだろうが。
 
 本心としては欲しがっているのも、気付かれているに違いない。
 
 何故なら、アキラの身体は隠しようも無く何よりも正直にヒカルに伝えているのだから。
 
「キミを好きで愛しているけど、ちょっと気が進まないんだ」
 
 噛んで含めるようにゆっくりと話したアキラを見やり、ヒカルはほっそりとした指先を顎にあてて少し上向いた。しばらく真剣な面持ちで
 
考え込んだ末に、やっとアキラに確認する。
 
「…気分が乗らないってことか?」
 
 曖昧に頷いてみせると、両頬を優しく包まれて顔を真正面に向かされた。覗き込んできたヒカルの眼には、何とも言えない色合いの輝
 
きが煌いている。さながら超新星の放つ光のように。アキラの台詞がその場を誤魔化す詭弁だと、完全にばれている。
 
 確かに、何よりも自分の身体が正直なのだから、ヒカルに誤魔化すこと自体がさかしい真似だ。
 
 どことなく剣呑さのある眼で見詰められるのも当り前である。
 
「そいつは困ったな……オレは今、おまえが物凄く欲しいんだ」
 
 蠱惑的に唇の形を吊り上げながら、甘く囁く声はひどく濃密で魅惑に満ちていた。だが、醸し出す雰囲気は獰猛な野生の虎の気配を
 
滲ませている。まさに絶体絶命の危機的な情勢だった。
 
 喉笛に牙を立てられ、喉元に爪を突きつけられ、そんな追い詰められた状況を彷彿せずにはいられない。
 
 この究極の殺し文句の前には、アキラは投了せざるを得なかった。