V蜜月 後編V蜜月 後編V蜜月 後編V蜜月 後編V蜜月 後編   W薔薇十字団 中編W薔薇十字団 中編W薔薇十字団 中編W薔薇十字団 中編W薔薇十字団 中編
W   薔薇十字団

 肌を重ねた初めての夜から、何度互いに触れ合ったか分からないほど、アキラはヒカルに溺れていた。
 
 それこそ、二人きりで居る時間があればどこででもヒカルを押し倒し、抱き締めずにはいられないほどに。まるで発情期がきた猫の
 
ようだと自分でも呆れてしまうくらい、アキラはヒカルを求めていた。ついこの間までは、手を握ることすらできずいた純情で奥手な少
 
年だとは思えないほど、積極的にヒカルを欲しがる。
 
 新婚夫婦でもこんな風に抱き合ってばかりはいないだろうと理性では分かっているのに、アキラは愛しい少年を手離せなかった。
 
 今も湖で水浴びをして虎から人間に戻ったばかりのヒカルを組み敷いて、ベッドで散々啼かせたばかりである。
 
 自分の胸に頭を載せて眠るヒカルの髪を優しく梳き、溢れる愛情を込めて頬や額に口付けを落とし、アキラは満足げに微笑む。
 
 ヒカルにも変化が訪れていた。これまでは虎の姿から人間になってからも平気で素裸でいたというのに、アキラの前では恥ずかし
 
がって布などで肌を隠すようになったのだ。
 
 最近ではアキラのすぐ眼の前では人間に戻るのは極力避けるようになり、物陰で隠れて変身して、衣服を着込んでから傍に来る。
 
 アキラが積極的にヒカルを求めるように変化した分、今度はヒカルが照れて恥ずかしがるようになったらしい。それでも甘えたい時
 
はアキラにくっついたり、さりげなく欲しがったりもする。照れ屋のくせに意外と甘え上手で、ヒカルをついついアキラが構ってしまって
 
いると、その様子を見ていた三人は呆れたように「甘やかし過ぎ」と溜息をついていることを、彼らは知らない。
 
 二人の蜜月はまだ始まったばかりだった。
  
 
 ホテルの一室に軽快な着信メロディー音が響き渡り、芦原はサブディスプレイの表示に、嬉しそうに折り畳み式の携帯を開いた。 
「芦原、冴木君から調査結果がきたのか?」
 
 届いたばかりの携帯メールを確認するかどうかというところで、背後から緒方が近づいてくる。ざっと内容を読んだ芦原は、出し抜け
 
の問いに答える代わりにさっさと携帯電話を渡した。
 
 文面に眼を走らせていた緒方の瞳は、元々鋭い眼光が益々厳しく鋭利なナイフを思わせるものに変化していく。
 
「つまり、生贄は転生して日本に居るということだな?」
 
「今のところは。名前は調査中みたいですね」
 
「まあ……日本に居るというのならまだ安心だ」
 
 あの後すぐに日本を発ったお陰で、今彼らは目的地にほど近いホテルに宿泊している。おりよく動物保護の調査団チームがこの国
 
に行く予定であるとの情報を入手し、密かに潜り込んで入国したのだ。
 
「ウチの専属占い師によると『クラウン』や四天王はこの国に潜伏している可能性があるらしいですけど…本当なんですかね?」
 
「百パーセント確実とは言えん。占いというものは、腕のいい占い師でも成功率は七十パーセントがせいぜいだ。それに潜伏先の候補
 
はここだけじゃないぞ。占い師によって言い出す国が違うんだからな、ここは候補の一つに過ぎんのさ。情報が皆無の『クラウン』の所
 
在を調査するのに、占いが一番有効というのもおかしな話だと思うが、背に腹は変えられん」
 
「潜伏していたとしても、相手が『クラウン』だと政府に圧力をかけるなんて無理ですよ。奴は常に要人クラスで天文学的な金持ちです
 
もん。下手したら口封じに殺されるか、対応が甘くてもこっちが国外退去させられますって」
 
「その程度のことは承知の上だ。一番の目的は生贄の保護、そして奴の居場所の特定のみに絞る。『クラウン』を相手に大博打を打つ
 
つもりなんぞ、オレにはない。いくらなんでも命が惜しい」
 
「オレだって嫌ですよ」
 
 一族の長だけあって『クラウン』の力は底知れないものだ。これまでの記録からでも、ただの人間が太刀打ちできる相手ではない。
 
 『クラウン』は生贄を連れて姿を隠す際、火山を噴火させて追えなくさせたことや、台風を呼び寄せて足止めをするといった真似を、
 
何度もしてきている。この程度のことはまさに氷山の一角で、他にも様々な特殊能力を持っているのは間違いない。
 
 『クラウン』を相手に戦うことは、象に対して蟻が喧嘩を売るのと同義であると、囁かれているほどだ。本部の方針では『クラウン』の
 
存在を確認しても、潜伏している国の特定をするだけで、「監視のみで何もしない」というのが、ここ百数十年の傾向である。
 
 下手に刺激して攻撃されたくないが、自分達の安全を確保するためにも、ある程度の動向は把握したいという腹積もりなのだろう。
 
 人間というものは、常に脅威に対して怯えては攻撃しようとする。
 
 相手が構われること自体を煩わしいと思っていても、疑心暗鬼にかられて脅威を排除する方向に走ろうとするのだ。
 
 確かに一族の者達の大部分は人間には強敵となる。しかし『クラウン』を相手にする時は明らかに勝手が違う。
 
 『クラウン』の力は強すぎて、人間が手におえるレベルを遥かに超えている。だからこそ、今では手出しをしないことを暗黙のうちに
 
了承しあっている。過去においては『クラウン』を相手に戦いを挑んだ者は数多く居たらしいが、誰もがその力の前に敗れ去った。
 
 昨今のローゼンクロイツ本部の意向は『触らぬ神に祟りなし』が主流となっている。むしろ『クラウン』と四天王の存在自体を無視す
 
る方が賢明との意見も数多い。お陰で緒方や芦原としても無謀な戦いを挑まなくて済む分助かっている。だが本部が『クラウン』に拘
 
らない理由はそれだけもない。
 
 百四十年前、極度に一族が増えたこともあり、人員をさくことができないほど慢性的な人手不足に陥っているのだ。今をもってして
 
も、急激な増加の理由は謎のままである。一族がこれまでにないほど極度に増えた影響は、薔薇十字団に殺人的な忙しさを与えた
 
だけではない。あの頃爆発的に増加したお陰で、人類の文化にも影響が出ている。
 
 人類全体がどことなく殺伐としだしたのも、一族に影響されたからかもしれない。そして組織が突然『クラウン』を観察のみにすると
 
いう方針を打ち出したのも、この頃からである。煙草を灰皿に押し付けると、緒方は腕時計を見やった。
 
「そろそろ韓国の友人を迎えに行く時間だな。『クラウン』がこの国に潜伏していると確証を得たら、すぐにでも日本に戻って生贄を
 
保護することにしよう。上級クラスなら淘汰の方向で動くぞ」
 
「ええ〜そんなー。折角なんだし、自然保護区を見に行きましょうよ。凄く綺麗だって話なのに」
 
「おまえはこの国に観光に来てるのか?仕事だろうが」
 
 殊更に残念で無念そうな、情けない表情をする芦原に呆れた口調で窘めながら、緒方は痛みだした頭痛を抑えるためにこめかみ
 
を指で揉んだ。何だってこう芦原は緊張感がないのだろうか。
 
 薔薇十字団ことローゼンクロイツの幹部でもある緒方にこんな口のきき方をするのは芦原ぐらいのものだ。
 
「いいから早く仕度しろ。観光は後で考えてやる」
 
 疲れた声で譲歩案を出して手を振ると、芦原は嬉々として立ち上がり、いそいそとクローゼットから外出用のジャケットを取り出す。
 
「ホントですね、約束ですよー緒方さん」
 
「ああ、分かった。分かったからちゃんと前見て運転しろ」
 
 駐車場で車の運転をしながら念押しする芦原に、うんざりしたように緒方は頷いた。『クラウン』や生贄の居場所を突き止める前に、
 
事故に遭ってお陀仏では洒落にならない。
 
 緒方のぞんざいな対応にも芦原は気分を害した様子もなく、意気揚々とアクセルを踏み込んだのだった。
 

「買出しはこんなとこね。欠食児童を抱えていると、食費が嵩むわ」
 
「ヒカル用のおやつだけでトランク一杯になっちゃうね」
 
 ぶつぶつ文句を言いながら、車のトランクに荷物を積め込む奈瀬とあかりに、アキラは後部座席から振り返って声をかける。
 
「荷物がまだあるなら、運ぶの手伝うよ?」
 
「いいの、塔矢君はそこで車番してて」
 
「もし何かあったら、私達がヒカルに怒られるんだから」
 
 最近の生活態度が余りにも不健康だという自覚が多分にあったアキラは、買物に出かける奈瀬とあかりに強引にくっついて来た。
 
ヒカルの傍に居ると、我慢がきかなくなってついつい手を出してしまうこともあり、例え半日でも離れて過ごす時間を作りたかったの
 
である。今のところその試みは成功している。ヒカルと共に過ごすようになって一ヶ月以上、屋敷の周辺から離れていない。それが
 
不満というわけではないのだが、ヒカルの傍に居ると自分を抑えられなくなるのが、一番の問題だった。黙って外出したことにヒカル
 
は怒るかもしれない。けれど、自分の向ける執着がヒカルに負担をかけることになりそうで、少し休ませてやりたいとも思ったのだ。
 
 昨日も一昨日も殆ど一日中をベッドの中で過ごした。今朝方も起きぬけに肌を重ね、食事を終えてからもう一度触れたりしている。
 
 自分としてもこればかりでは、さすがにまずいと自覚できる。
 
 ヒカルには何も言わずに出てきたが、アキラにとっては久しぶりの外出で、気分転換には丁度良かった。
 
 ただ、この国の事情に疎いアキラを好き勝手に歩き回らせるわけにはいかないと、少女二人には車からは一歩も出るなと厳重に
 
言い含められ、車中から外を見るだけに留まっているが。
 
「明日美ちゃん、社君が言ってた調味料がないみたい」
 
「そう言えば生意気に買物リストに書いてたわね、あいつ。本当はこういった買出しもあいつの役割なのに」
 
「ヒカルのごはん作りから手が離せないし仕方ないよ。塔矢君、もう少し待っててね。すぐ戻るから」
 
 年上の奈瀬をやんわり宥めると、あかりはアキラに声をかけて店に戻っていく。アキラはその背中を何とはなしに見詰め、二人が
 
店の中に姿を消すと、周囲を見やった。空港近くの大型量販店の駐車場は、空港に見送りや迎えに行く客と周辺住民の車で程よく
 
詰まっている。誰もが車に残ったアキラの存在に気付いた風もなく、前を通り過ぎていった。
 
 アキラが行きかう人々を何気なく見詰めていると、不意に眼の前を見知った人物が横切る。この国に来ているとは考えつかなかっ
 
た意外な知り合いの姿に、思わず唇から名が漏れていた。
 
「緒方さん?」
 
 窓が開いていたからだろう、アキラの声は緒方の耳に届き、彼は足を止めて驚いたように瞳を見開く。
 
「アキラ君……そういえば今は夏休みだったな」
 
 この国に休みになると来ていると聞いたことがある緒方は、一人納得して煙草を持ったまま車に近づいてきた。
 
 頭の中では『クラウン』に関することで一杯だったから、アキラがこの国に来ているとまるで考えが及ばなかった。本来なら、彼の
 
ような存在にはちゃんと気を配らなければならないのに。アキラにとって緒方は、子供の頃から近所付き合いをしている『隣のお兄
 
さん』的な存在で、仕事の関係でいつも方々を飛び回っている忙しい人物だ。
 
 緒方の弟分的な存在の芦原というのんびりとした青年も、同じ仕事に就いていると聞いている。気さくでとっつきやすい人柄で彼
 
も近所に住んでいるため、緒方繋がりで何度も会っている間にすっかり仲がよくなった。
 
 アキラは車から出ると、自分をまじまじと見詰める緒方の様子を不審に思いながら、幾分背の高い男を見上げて首を傾げる。
 
「緒方さんはどうしてここに?」
 
「オレは仕事だ。芦原も一緒に来ているんだが…そろそろ空港から戻ってくるだろう。アキラ君は買物か?」
 
 背後に聳える空港塔を振り返って顔を戻し、灰の落ちた煙草を吸殻入れにしまった。
 
「はい。今、友人を待っているところなんです」
 
「そうか」
 
 笑顔を見せて頷いたアキラを見やり、緒方は相槌を打ちつつ内心の驚きを顔と態度に出さないようにするのに必死だった。
 
 前々から綺麗な子供だと思っていたが、ほんの数週間会わなかった間にまた一段と美貌に磨きがかかっている。
 
 囲碁の才能を持ち、学校の勉強もできるというだけでなく、アキラは魂自体が清浄で強い輝きを放つ珍しい存在だ。
 
 アキラのような稀有な光の魂を持つ者は、一族にとっては格好の餌ともなり得るため、薔薇十字団では密かに組織の者を近隣
 
に配置してさりげなく警護するようになっている。緒方や芦原はその為にアキラの住む家の傍に住んでいるようなものだ。
 
 幸いにも、アキラは一族に狙われたことは一度もなく、その生活は平和そのものであるが。
 
 さすがに海外まで緒方や芦原が警護することはないが、さり気なく行き先を聞いて現地のスタッフに気をつけるように注意を促す
 
ようにしている。この国にも仲間が数人おり、アキラに関しては周囲に不審な動きはないと毎回報告は受けている。アキラは自然
 
保護や動物保護に興味があるらしく、その最先端をいくこの国に休みの度に訪れているとは緒方も知っていた。さすがは五冠の
 
タイトルホルダーの息子だけあって、法外な入国料や渡航費など金銭について心配する必要がないとは実に羨ましいご身分だ。
 
「ここにはいつまで滞在されるんですか?」
 
「仕事の具合によって分からんね。アキラ君は夏休みが終わるまでというところかな?」
 
「……ええ、…まあ……」
 
 いつもはっきりとした態度をとるアキラにしては珍しく、曖昧に頷いたのに緒方は片眉を上げる。
 
 何か、日本に帰りたくない理由でもあるのだろうか。
 
 その理由を考えて、すぐに緒方は合点がいった。アキラも年頃の少年だ。恋人でもできて帰りたくないと思っているのかもしれ
 
ない。休みの度にこの国に来ていれば、出会いの一つや二つはある。
 
 そうでなければ、あれだけ劇的な変化はないだろう。男でも女でも、恋をすれば誰もが綺麗になるものだ。
 
 きっと今が一番いい時期なのだろう。片時も離れたくないと思う頃は誰にでもあるし、緒方にも気持ちは分からないでもない。
 
 緒方が口を開こうとした瞬間、アキラが何かに気付いたように顔を量販店に向ける。アキラの視線の先には、美少女二人が荷
 
物を抱えてこちらに歩いてきている姿があった。
 
「連れが戻ってきたようだな。オレはここで退散するよ。もし何かあったら携帯に連絡をくれ。海外でも番号は変わらないから」
 
「分かりました、ありがとうございます」
 
 軽く頭を下げたアキラに片手を上げることで応え、緒方は自分の車に戻る。幸いなことに、緒方の車はアキラの様子が見える範
 
囲に停められていた。好奇心半分に車から眺めていると、少女二人の荷物をトランクに詰めてやり、アキラは後部座席に入る。
 
 その後も何やら彼女達とアキラは話しているが、どうもこの二人は彼の恋人ではないようだった。アキラの雰囲気は、恋人に対し
 
て話しているものではない。笑顔もどちらかというと営業用に近く、余り身近な相手というわけではなさそうだ。
 
 恋人は恐らく別の場所に居るのだろう。歳の近い彼女達は、現地でアキラの世話をする友人を兼ねたスタッフのような存在なの
 
かもしれない。緒方が熱心にアキラの様子を観察していると、空港から赤い髪のすらりと背の高い青年を伴って芦原が戻ってきた。
 
 だが彼は、アキラがそこに居ることに気付かずに通り過ぎてしまう。
 
 前々から鈍いとは思っていたが、知り合いがすぐそこに居るのに気付かずにいるとは、本当に芦原は周囲に無頓着だ。青年を
 
後部座席に乗せて運転席に座った芦原に、緒方はこちらに向かって走ってくる車にアキラが乗っていることを知らせてやる。
 
「え?アキラが?どこです?」
 
「だから後部座席に座っているだろう」
 
 すれ違いざまに緒方に気付いて会釈したアキラに応えながら芦原に教えるが、芦原は首を傾げるばかりだった。
 
「緒方さん…さっきの車にアキラは乗ってませんでしたけど?」
 
「馬鹿言え、おまえ眼がどうかしたんじゃないか?アキラ君はおまえに手だって振っていたんだぞ」
 
「緒方さんこそボケてるでしょ。だって後部座席には誰も座っていませんでしたよ?可愛い女の子二人にはお応えしましたけどー」
 
 間延びしたような声で告げられたが、芦原はボケているわけでもなく本気で見えていないようだった。女性に手を振られて振りか
 
えしたのに、アキラには気付いていない。
 
 自分には確かにアキラは見えていたし、言葉もかわした。だが、芦原にはアキラが座っていることすら分からなかったという。
 
 そこに、冴木からメールが届いたことを知らせる着信メロディーが車内に響いた。滑稽なほど明るく軽快なリズムを刻んで。
 
 ―――ひどく嫌な予感がした。