広々とした室内は薄い闇に閉ざされていた。バルコニーに通じる大きな窓には何もはめ込まれておらず、カーテンすらない。 
 風の通る静かな音が、月明かりすら差し込まない、この沈黙した空間に宿る唯一の音とも言えた。
 
 石造りの閑散とした趣のある部屋で、城に作られた豪奢なものというより、遺跡の一室のような寒々しさを感じさせる。
 
 雲が晴れて月光が窓から入り、円形のテーブルを白く照らした。テーブルには六芒星が描かれ、三角の頂点に椅子がそれ
 
ぞれ据えられている。六脚ある椅子のうち、四つは既に埋まっていた。
 
 窓を背にしている椅子には人は座っていない。その隣の席も、当然ながら人影はなかった。
 
 円卓とはいえ、窓を背にする席は彼らにとって上座にあたる。
 
 その席に座る人物が配置としては一番身分が高く、すぐ隣が基本的に次の地位に来る者だと暗黙の不文律が敷かれている。
 
 それ以外の席には誰が座ろうと関係ない。四人は上座に座るべき人物を静かに待っていた。石像のように微動だにせずに。
 
 だが数分後、全員が不意に立ち上がって恭しく頭を垂れた。月光を背にして、細身の人物がバルコニーに立っている。
 
 白い布が風に翻り、ほっそりとした脛が光の中にそれ自体が発光しているように照らされる。
 
 どちらかといえば華奢な体つきで、決して大柄ではない。
 
 何の前触れもない出現に、四人は驚いた風もなく受け入れていた。
 
 その人物はゆったりとした歩調で室内に入ると、当り前のように上座の席に腰を下ろした。
 
 身体にシーツのような白い布を纏っただけの姿であるというのに、不思議と神々しさを醸し出すその人物は、軽く手を振って無
 
言のまま座るように促した。
 
 全員が座ると物憂げに肘掛に頬杖をついて足を組み、口を開く。
 
「社、明かりを灯せ」
 
 暗闇の中で頷く気配がすると同時に、天井からぶら下がった古代のランプ一つ一つに炎が灯った。蝋燭を立てる筈の場所に 
直接炎の華が咲いてゆらゆらと揺れている。 
 明らかに普通とは言えない光景であるというのに、彼らは全く動じていない。眉一つ動かさずにいた。
 
 明るくなった室内には、あかり、奈瀬、社の姿が浮かび上がる。社の隣に座っている者はテーブルに足をかけ、背もたれに身
 
体を預けているので上半身は闇に隠れてしまい、人物像が判然としない。
 
 奈瀬はそちらにちらりと睨むような視線を向けたが、敢えて注意せずに黙っていた。彼らが最も敬愛する創造主が何も言わ
 
ないのであれば、自分が口に出すべきではない。
 
 それにあの風来坊がこういう態度に出るのはよくあることだった。
 
 上座に座る彼の人のパートナーが戻ってきたこの大事な時期に、自分一人が別行動をとらされているので拗ねているのだ。
 
 自分達にとって父とも母ともいえる存在に、彼は四番目に創られた。その為か末っ子気質があって、創造の元となった二人
 
の気を自分に引こうとしたがる傾向が強い。
 
 わざわざ反抗的な態度をとるのもその一環だった。尤も、残る一人はまだこの席に着いてはいないが。
 
 彼が来るとするなら、今回の件が全て終わってからだろう。
 
 彼らは薔薇十字団が呼ぶところの『四天王』である。そして上座に座る人物こそが『クラウン』と呼ばれる存在だった。
 
 この場に居る四人は、創造主のパートナーがこの世を去る時に残した命の欠片と、自身の力の一部のコピーを融合して創
 
られた。最初の一人目には水の力を。二人目には土の力を。三人目には火の力を。四人目には風の力を与えた。
 
 外見的な姿は関係なく、年上に見える者が実は後ということは、当り前のようなものだった。
 
 社は火の力を与えられたので三番目。最初に創られたあかりには水の力が備わっている。二番目に創られた奈瀬には土
 
の力が与えられたが、彼女は見た目はあかりより年上にしか見えない。
 
 また、四番目に創られた風の力を持つ者も、社より年上という外見だった。下手をすれば一番年上に見えるかもしれない。
 
 生まれた順番はそれなりに互いの関係に影響を与えるものの、殆どあってないようなものだった。
 
 一番重要なのは、創造主の希望に対して十分成果をあげて愛情を示し、ねぎらい応えて貰う喜びを感じることだ。
 
 彼らにとって、創造主はある意味父であり母でもある。そのパートナーも同様に大切な存在として魂に刻み付けられている。
 
 主従という関係ではないが、意思を尊重し護るべき存在である。彼ら『四天王』にとって創造主の言葉は絶対だ。しかし、ロボ
 
ットのように命令を遂 行するのではなく、自ら考えより良い結果を導き出す能力を持ち合わせている。
 
 創造主の力は自然界の「全て」を自由自在に操ること。まさに「全て」を支配できる「世界の王」だった。
 
 創造主は世界の王であるが故に、いつも孤独だ。彼の心を慰めるのも役目の一つだが、彼らでは実際は役に立てない。
 
 彼の孤独を癒せるのは唯一の恋人だけ。恋人がこの世を去った後、自分の殻に閉じこもってしまう創造主を守護し、見守る
 
のが主な役目だといってもいいだろう。
 
 いくら彼が不老不死であっても、無防備な状態のまま放っておくわけにはいかないからだ。
 
 いつも疑問に感じる。何故恋人に不死身の肉体を与えないのかと。自分達に与えられて、恋人に対してできない筈がない。
 
 彼の意志に応えてこの星が生み出す者の中には、不死身に近い存在も多く居る。その気になればいつでもできる筈なのに。
 
『あいつが望まないことを無理にするわけにはいかないだろ?あいつは他と違って転生の度に綺麗に研磨されて輝きが強くな
 
ってる。魂が強化されていくうちに、気が変わるかもしれないしな』
 
 創造主は疑問にあっさりとそう答えた。
 
 無理やりしてもいいが、本人がこの道を選ぶのなら、その意志を尊重すると。彼が望めばいつでも準備は整っていると。
 
 けれど自分達は知っている。恋人が転生するまでの間、どれほど創造主が嘆き悲しみ、次の逢瀬を待っているのか。
 
 期待しては諦めることを繰り返し、彼を待ち続けているのか。
 
 今回の転生が果たして最後になるのかどうか、それは彼ら『四天王』にも分からない。答えを知っているのは創造主のみだ。
 
 恋人との蜜月の真っ最中であるからか、創造主はどことなく気だるげな仕草で足を組み替えると、四人を順繰りに見回した。
 
「………報告は?」
 
 その言葉に奈瀬が素早く手を挙げた。
 
「今日、空港近くの量販店で、塔矢に話しかけている男が居たの。帰るとき、車には別の人も乗っていたわ」
 
「聞こえてきた会話だと、昔からの知り合いみたい」
 
 自分の言葉に補足したあかりに奈瀬は頷いてみせる。二人は彼らから相当離れていたにも関わらず、会話も耳にできたらしい。
 
「ふーん…で、そいつらと塔矢との関わり、正体は分かったのか?」
 
「そいつは緒方といって薔薇十字団日本支部の幹部だ。車に同乗していたのは芦原という男で、緒方の部下にあたる。二人とも日
 
本では塔矢の護衛を行い、この国に来ているのは上位の一族の始末の為だ…が、どうも『クラウン』に標的を移したみたいだな」
 
 少女達の代わりに答えたのは、テーブルに足を投げ出したままの人物だった。声からして男らしい。
 
「緒方には塔矢の姿が見えて、もう一人には見えなかったから、不審を抱いて方針を変更したみたいね」
 
 総括した奈瀬に、残る二人も頷く。
 
「塔矢を外に出したのがちょっとまずかったか。まあいいや、それよりも奴らはいつ動く?」
 
 創造主はさして気にした風もなく、もう一人の人物に尋ねた。
 
「準備が整い次第すぐに。恐らくは明日の晩だな」
 
「しゃあねぇ…おびき出して適当にあしらうか。他には?」
 
 面倒臭そうに呟いた創造主は軽く肩を竦め、報告を求める。
 
 次に挙手したのは社であった。彼は先刻燭台に火を灯した力を持つ通りに、火を操る力を与えられている。その為料理番らしい。
 
「ここら周辺に一族が集まってきてんねんけど。奴らが来るまで放っておいた方がええか?」
 
 一族は創造主の持つ輝きに惹かれて周辺に集まる傾向がある。
 
 その為余り長い間一つの場所に留まると、一族が次第に集結し、人間を相手に事件を起こして騒ぎになりやすい。
 
 一族にとって、人間は好物の餌だ。
 
 人口密集地だと殺人事件や失踪が極端に増えて薔薇十字団の注意をこちらに促しかねない。
 
 彼らには創造主は輝ける存在である。惹き付けられないわけがない。けれど、人間が自分の周囲を飛ぶ蚊や蠅を鬱陶しいと感
 
じるように、創造主には一族の存在など疎ましいだけなのだ。
 
 近寄り過ぎれば粛清の対象となってしまう。
 
 創造主がこの地に留まるようになって約百年。なるべく彼らは一族を遠ざけるように努力してきたが、ここ十年は創造主が恋人
 
と再会したことで護衛に重点をおくようになっていた。
 
 一族を近付けさせないようにするにも、彼らとて限度がある。尤も、こういう時にこそ薔薇十字団が役に立つ。
 
 そもそもこの組織を作り出した当初の目的は、創造主に近づこうとする一族の排除と、食物連鎖の一端として強者に対して弱者
 
が自己防衛本能を持つように、人間側の自衛手段を兼ねたものだった。
 
 食物連鎖の輪の中において、人間は一族の餌に過ぎない。
 
 この星は、一族の狩猟場であると同時に、人間という餌を育てるための牧場であり養殖場でもある。
 
 自らを霊長類と呼び、万物の頂点に立っている気でいる人類も、気付いていないが実際は連鎖の一環なのだ。個々の力におい
 
ても弱く、他の生物に比べて生命力も脆弱な人間は、むしろ万物において最も下位に属する無力な存在である。
 
 その事実から眼を背け、自身の置かれた立場も見極めず傲岸不遜に世界を闊歩する彼らは一層滑稽であり、また憐れだ。
 
 彼らが霊長類の根拠として誇らしげに掲げる知能は、確かに他の動物などに比べれば高いかもしれない。
 
 だが、知能を生かしきれずに自らを貶め、世界を崩壊に導くと知りながら欲望のままに突き進む姿は、非常に見苦しい。
 
 そんな愚かな人類がどうして頂点に立てるというのだろう?
 
 一族はこれまでもずっと、密やかに行動し彼らを餌としてきた。人間が牛や豚などの家畜を食するように、人の命を喰らって。
 
 その中には憐憫の情などどこにもない。だがその点は人間も同じだろう。彼らは家畜の命乞いに耳を傾けたりなどしないのだ
 
から。だが、どんな存在にも自分の命を護り保護する権利がある。
 
 自己防衛は万物に与えられた本能であり権利なのだから。
 
 創造主の恋人は、一族に対してその当然の権利を行使する手段を持ち、同様の目的と力を持つ者を集めて組織化させること
 
に成功した唯一の人物だった。
 
 人間とて、ただ大人しく殺されて餌になるわけにはいかない。そしてそれは、全ての生物においても言えることだった。
 
 薔薇十字団が一族に攻撃を仕掛け、倒すのは食物連鎖を安定させる上でも必要なことである。
 
 創造主にとっては、そんな事は瑣末な事柄でしかなかったが。
 
 どのみち創造主は彼らを導くつもりなどない。むしろ、煩わしい生物同士でさっさと共倒れになることを望みたくなる。
 
 人間という存在があるからこそ彼の恋人が居るとはいえ、目的さえ果たしてしまえばもう用はない。いつ滅んでも構わない。
 
 とはいえ、どのみち創造主が彼ら滅ぼすことはない。
 
 人間は既に自ら緩やかな破滅への道を突き進んでいるのだから。
 
 このまま行けば、創造主にとっては瞬きほどの短い時間で、人類が絶滅するのは想像に難くない。彼らの努力次第で問題は
 
回避できるだろうが、そう簡単にはいかないところまで事態は進んでいる。
 
 自らの首を絞め続ける彼らが今後どう動くのか。あくまでも傍観者の立場で楽しむように、創造主はうっすらと笑みを浮かべた。
 
 一族にしろ人類にしろ、好きなように悪足掻きをすればいい。
 
 創造主がするべきことはただ一つ。
 
 世界を滅ぼそうとする輩を排除するだけ。
 
 創造主にとっての世界とは、即ち愛する恋人だ。
 
 彼には正義も悪もない。世界の王はあくまでも中立者である。
 
「そうだな、大掃除は任せておけばいいだろ。残党は国外へ出すようにしておけば問題ない。おまえらの食事分だけ残してな」
 
 社が了解すると、創造主は再度四人を見回した。だが挙手する者は一人として居なかった。
 
 彼らの報告を聞いた限りでは、明日の晩は多少なりとも忙しくなりそうだが問題はない。既に自分の準備も『彼』の準備も整っ
 
ている。後は必要なことをすればいいだけの話だ。
 
「そろそろ夏休みも終わる頃だな。落ち着いて暮らせるように、あっちの環境も整えておけよ」
 
 全員がその言葉に頷いたのを確認することなく、創造主は椅子から流れるような所作で立ち上がった。
 
 明日の夜が終われば、新たな蜜月が訪れる。
 
 その為にも、邪魔な輩は速やかに排除しておく必要がありそうだ。
 
 明晩に備えて簡単な指示を四人に与えると、そのまま振り返らずに入ってきた窓からバルコニーに出て行く。
 
 白い布が夜の闇を切り取るように翻り、創造主は姿を消した。
 
 彼が立ち去るのを頭を垂れて見送った四人は、情報交換を手早く行うと、それぞれの目的を果たすべく姿を消す。
 
 美しい月は再び雲に隠され、部屋は闇の中へと回帰した。
 



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