犬も喰えないT犬も喰えないT犬も喰えないT犬も喰えないT犬も喰えないT   犬も喰えないV犬も喰えないV犬も喰えないV犬も喰えないV犬も喰えないV
 道徳は霊獣の背から降りると、人間界仕様に上着等を手早く着替えた。昼間だが薄暗い森の中、こんもりとした繁みのあるそこ 
だと着替えている姿を見られることもない。
 
 人間が普通に着ている服に変えてバンダナも外してしまうと、一見すると道徳はごく当たり前の人間の男に見えた。だが元々持
 
っている気配というものが人間と仙人とではまるで違う。少し勘の鋭い人間にはすぐに正体がばれるだろう。
 
 道徳とてそこら辺は心得ているので、自らの気配を人間へと近づけた。変化の術を使えなくても、気配を変えるだけ随分変わる。
 
元が人間くさい道徳だけに、たったそれだけで普通の人間が立っているようにしか見えなくなった。
 
 中々に美形で人目を引く点を除けばだが。尤も、道徳に相手の好意の視線に気が付くほどの感性はない。
 
 着替えを終えて、気配も完全に人間らしくして準備万端整えた洞主の背中に、虎の姿をした玉麒麟が話しかけた。虎の口から上
 
方芸人のような話し声がするとは、何とも珍妙な感じがする。
 
「なあ〜なあて。ホンマに帰らへんつもりなんか?」
 
「くどいんだよ、お前は。絶対戻ってやらないからな、私は」
 
「かぁぁぁぁぁ!めっちゃガキやなー。意地はんのもええ加減にしいや?」
 
「意地なんて張ってないぞ。天化のことも、餓死しやしないかなんて心配してないし……」
 
 嘘ついとんなよオッサン、ホンマはごっつー心配しとるやろ、というツッコミを内心玉麒麟はした。声に出しても出さなくても、
 
道徳に伝わる時は伝わるのだが、今は伝えないように配慮をしておく。
 
 例え知られたとしてもこの程度のことで道徳が意固地になるとは思えないが、一応念の為だ。
 
「………大丈夫。しばらく冷却期間をおいたらちゃんと戻るよ。今の天化には何を言おうと無駄だ。頭に血が上っているから、謝
 
ったとしても聞き入れないだろうしね」
 
 うろうろと落ちつかなげに自分の周りを歩く、玉麒麟を安心させるように笑いかけて、頭を撫でてやる。柔らかで暖かな毛触り
 
に笑みを浮かべ、子供にするようにポンポンと軽く背中を叩いてやった。
 
 腐っても鯛、痩せても枯れても12仙。子供みたいに聞き分けのないことを言ったり、おかしな悪戯を繰り返していても、弟子の
 
性格と今後の対処法はちゃんと心得ているらしい。
 
「お前は天化の傍についておいで。あそこで独りぼっちでいるのはかなり寂しいからね」
 
 ほとほと参ったという風情で嘆息する霊獣に、道徳は皮肉な笑みを湛えて底意地悪く問いかける。
 
「私と一緒が嫌なら、他の誰かを乗騎させるか?」
 
 霊獣の中でも麒麟族は特に誇り高く、自分が認めた存在にしか騎乗を許さないことを知っていての質問だった。
 
 玉麒麟もその点は気が付いていたが、譲れないものは譲れないことである。憤然と道徳に言い返した。
 
「何言うとんねんな!!わてはあんさん以外は死んでも乗せへんで!例え誰であろうともや!」
 
「お前といい天化といい、何故そう妙なこだわりを持つのかねぇ。お前とは私が4歳の頃からの付き合いだが、理解に苦しむよ」
 
「うっさいわ!人のこだわりにケチつけんといてんか!………?なんや?」
 
 厳しく言い募ったところで、道徳が顎に手を当てて考え込む姿が眼に入り、玉麒麟は怪訝そうに首を傾げた。虎の姿をしている
 
というのに、その仕草は妙に可愛らしい。
 
 道徳は霊獣の声にも気付かない様子で、彫像のように動かないままでいる。
 
 こうやって黙って真面目な顔をして立っていると、彼は相当な偉丈夫で見る者の視線を惹きつけてやまない。玉麒麟の知る彼の
 
両親とよく似た容姿は、黙って立ってさえいれば十分な美形の範疇に入るのだ。
 
 それなのに一度口を開いたり何か行動を起こすと、一瞬のうちに誰もが抱いていた幻想は瓦解し霧散する。ホンマ血は争えん
 
んやなぁ……と、玉麒麟は苦笑と呆れと落胆が複雑に織り交ざった息を吐いた。
 
「ぷっくくく……」
 
 黙りこんでいた道徳が突然低く笑い出したので、ぎょっとする。笑いは次第にはっきりした笑声となり、最後には身体をくの字
 
に曲げ、腹を抱えて大笑いしだした。気が触れたかと思えるほど、突拍子もない行動に玉麒麟は目を白黒させた。
 
 驚く玉麒麟をよそに道徳は尚も笑い続け、近くの大木に爪を立てて涙を零して爆笑している。
 
 道徳は昔から結構笑い上戸の気があるようで、一度ツボにはまってしまうと中々止まらないのだ。しばし待つしかないらしい。
 
「なるほどねぇ…それでか。いやはや、こんな簡単なことに気付かないとは……私も修行が足りないね」
 
「………なんや、天化が何で怒っとるんか分かったんか?」
 
「……まあね。でもまだ帰らないよ。やっぱり冷却期間は必要だからね」
 
 道徳が天化の心情に気が付いたことに、期待に満ちた眼を向けた玉麒麟だったが、まだ帰らない宣言に項垂れる。その姿はまる
 
で、夫婦喧嘩の仲裁に入った子供が両親の言動に一喜一憂する姿を髣髴させた。
 
「食事ぐらいは作りに帰るさ。またよろしく頼むよ、玉麒麟」
 
 まだ眼の端に残る涙を拭きながらの言葉だったが、道徳の声には真摯さが込められていた。
 
 不真面目な態度をとっていても、決めるところはちゃんと決めてしまう。それも心得てするのではなく、意識せずに行動して様
 
になるのだから余計に始末が悪い。道徳が天然タラシ魔たる所以であろう。
 
「ありがとう、玉麒麟」
 
 帰り際に唐突に道徳から改まって礼を言われたりしたものだから、尻がむず痒いような、気恥ずかしいような変な感じがする。
 
「き、き、気色悪いこと言わんといてんか。ほな、いつでも呼びや」
 
 長年一緒にいてきても、こういう時は照れてしまい、玉麒麟はついついぶっきらぼうな返事を返すと、まるで逃げるように空に
 
向って地を蹴って、地上に別れを告げたのだった。
 

 道徳が地上に降りて既に5日たった。姿こそ見せないものの、食事だけは朝昼晩3食ちゃんと、台所の机の上に所定の時間になる
 
と作り置かれていて、自主トレメニューまで書置きしてある。
 
 その周到さを、太乙はホントこういうところは真面目だよね、と暢気に笑って評していたが、天化の方は気が気でなかった。
 
 玉麒麟が様子を見に来てくれてもどこか物足りなくて寂しく、道徳が傍に居ないと修行をしていてもつまらないし、食事をして
 
もちっとも美味しくない。そのせいか、最近は食も細くなりがちだった。
 
 今もこうして太乙が来て一緒に食事をしているものの、太乙が言うほど美味しいとも思えなかった。
 
 もそもそと御飯とおかずを機械的に口に運ぶ動作だけを繰り返す。そんな少年に太乙は話しかけたが、どうも耳に入らなかった
 
らしい。ぼんやりと聞き流した天化を眺め、子供臭さの残る柔らかい頬をぷにぷにと突付きながらもう一度口を開いた。
 
「この間聞き忘れたんだけどさ、天化君が初めてバンダナを貰った時の修行って、一体どんなやつ?」
 
「………?黄巾力士の操縦の修行さ」
 
 首を傾げて答えた天化の言葉に太乙は眼を点にしたが、一拍おいてから盛大に吹き出した。どんな厳しい修行をしたのかと思い
 
きや、黄巾力士の修行とは。玉麒麟から聞かされた、黄巾力士に道徳が下敷きになった時の修行のことに違いない。
 
 あの話を思い出すと余計に笑えた。太乙の知らない苦労がこの修行にはあったのだが、彼には格好の笑えるネタである。
 
 一人で笑っている太乙を横目で眺めながら、天化は大きく溜息をつく。落ち込んでいる自分を元気付けようとして来てくれるの
 
は嬉しいが、本心としては何となくそっとしておいて欲しい気分だった。
 
 太乙にしても、天化の様子からしてかなり参っていることがすぐ分かる。意地っ張りなこの少年のことだ。自分に非がないから
 
こそ、戻って欲しいの一言が言えないのに違いない。
 
 本当に青峰山の師弟は見ていて飽きない。彼らがいる限り、太乙に退屈虫がつくことはないように思えるぐらいだ。
 
 ナタクや他に地上で後始末を続けている仲間達に会いに行くついでに、道徳の方を見に行ってみるのもこれもまた一興だろう。
 
 自分の思いつきに満足して、太乙は一人頷いた。
 
 他人の色恋沙汰を、内と外の境界線を行き交いしながら見ることほど、楽しいものはないのである。