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「あっぢーさ〜」 
 一方、道徳達と引き離された天化は、灼熱地獄という言葉通りの暑さに閉口していた。彼が現在いる部屋には室内の中央部分に石畳 
の床が無い。そこには沸き立った溶岩のプールがあり、先へ進むことは不可能だった。跳躍すれば対岸へ渡れる距離ではあるのだが、 
マグマの高熱で傍に近付くことすらままならないのだ。
 
 陽炎の先に見えるものは、祭壇と一組の男女。1人は言わずと知れた劉環で、もう1人は……。 
「げっ!蝉玉あーたそこでなにやってるさ!?
王女ってまさか……」 
 怪魔の資料にしか眼を通さずにいた為、肝心の王女が知り合いだったことに天化は絶句する。休暇で里帰り中に災難に見舞われた女 
道士蝉玉も、近くの洞府にいる腕白小僧が救い手と知り、すっ頓狂な声をあげた。 

「――て、天化?あんたこそ何でここにいるのよ!?助けに来た崑崙の道士ってあんたのことぉ?!」 
「うひ〜!あーたが王女様だなんて似合わなさ過ぎるさっ!!」 
「どういう意味!?王女としての気品と美しさを持つ者が、あたし以外に誰がいるっていうのよっ!!ホントにガキなんだから…!」 
 現在の状況を忘れ果てたように言い争いを始めた二人だったが、薄気味悪いほど静かな劉環の声に慌てて我に返る。 
「おやおや、知り合いだったのかい。だったら俺達の新しい門出を祝う立会人として申し分ないね」 
「劉環いい加減にしてよ!あたしにはハニーがいるんだから、あんたはお呼びじゃないのっ!!」 
「そうやって好きでもない醜男のことを口にして、俺の気を引こうとしているんだね」 
「だ・か・ら!違うって言ってるでしょっ!!」 
 二人の噛み合わない、食い違いだらけの会話を聞きながら、天化は呑気に呟いた。 
「思い込みもあそこまで行くと賞賛に値するさ」 
「当然の答えだよね。あんなモグラより俺の方が顔もスタイルもいいし、金も地位も力もあるもの」 
 勝ち誇った劉環の言葉に心の中で同意する。確かに変態ストーカーという面を除けば、蝉玉が御執心のモグラこと土行孫より、全て 
の点において劉環の方が遥かに上だ。 

「おい、かまたき。そこら辺でやめとくさ。嫌がる女を無理矢理自分の嫁にするなんざ、男の風上にもおけねぇぜ」 
 『かまたき』の言葉に劉環の劉環の柳眉がピクリと釣り上がる。煙草を吹かし、唇の端を上げて不遜に笑う少年に初めて視線を向け 
た。その眼は初対面の相手にみせるにしては、恐ろしいほどに殺気立っている。 

「………誰が薄汚い『かまたき』だと?」 
「へっ!『薄汚い』は言ってねぇさ。あーた知らねぇの?異国の言葉で『かまたき』ってストーカーと同じ発音なんだぜ?」 
「その生意気な口は早めに閉じた方がいい。尤も、二度と喋ることはできんだろうがな……」 
「安心しな。二度と口を開けなくなるのはあんたさね」 
「……ならば試してみるがいい」 
 弓のような形をした宝貝を劉環が持ち出すと、天化も莫邪の宝剣に手を伸ばす。剣帯から手に馴染んだ感触が伝わり、知らず口元に 
笑みが零れた。ふいーっと紫煙を吐き出して、吸いかけの煙草を溶岩の中に弾き落とすと、油断なく剣を正眼に構える。 

 煮え立つ溶岩を挟み、二人の戦士は一触即発の緊張を孕んで睨み合った。 

脳天から真っ二つに斬り捨てられた怪魔が、冷たい廊下に転がる。怪魔の亡骸はそのまま細かな砂となり、僅かな金銀を残して溶け 
るように床に消えた。怪魔には鴉のように、金銀財宝や珍しい物品を集める性癖がある。 

 怪魔を倒す、即ち封神すると現世界での器である肉体は砂となって消え、この時収集した物がその場に残されるのだ。本体の魂は、 
浅い傷であると新しい器に移って傷を治し、深手でも封神界へ戻って治療を行う。道徳が倒した怪魔は一様に、肉体と共に魂までもが 
両断され消滅していた。徹底した遣り方だが、封神界で傷を治して戻って来られてはキリがない。 

 怪魔の魂にも傷を与えることができる武器、それが宝貝なのである。 
「な…何か……、暑くなって………きてない…か………?」 
 ぜぇぜぇと苦しい息を継ぎながら、途切れ途切れに話しかけてくる蓮涼に、先を走っていた道徳は速度を緩めてのんびり振り向いた。 
「気温が上昇してるみたいですねぇ。相手は火属性だから、自らの力を高める為に炎などを傍に置いていると考えられますから。雑魚 
怪魔の数も増えてきてるし、城主は近くにいるってとこかな」 

「…お、俺……もそう……思う。それに……しても………お前は、化物…か?」 
 行く手を塞ぐ扉を開ける為に幾度も術を使い、その上先を急いで走り続けていることもあって、蓮涼の疲労は極限に達しようとして 
いた。なのに道徳は対照的に、顔色一つ変えていないだけでなく吐息も全く乱れていない。 

 確かに術は唱えていないが、怪魔を封神する作業は全て道徳が担当している。精神的・肉体的な疲労は怪魔を相手に戦う道徳の方が 
遥かに大きい筈なのだ。それが平然としているのだから、蓮涼には十分化物の範疇に入る。 

「化物はひどいなぁ……。私はあちこち旅して足腰を鍛えているから、体力はあるんですって!」 
「あんまり、信憑性がないように思うが、それで納得しておいて……やるよ」 
 蓮涼の口調は戦いの中で道徳とも随分打ち解けてきたのか、会話も砕けたものに変化していた。以外に人見知りする性格なのだろう。 
 息もある程度整ってきた蓮涼の声は、先刻より聞き取り易くなっていた。苦笑した道徳に笑いかけ、回廊の先にある一際大きな扉に 
視線を移した。
どうやら熱はそこから伝わってきているらしい。

飛来してくる幾つもの炎の矢を、天化は間一髪でかわした。それでも矢の発する熱で火傷を負ってしまう。既に身体のあちこちに傷を 
受け、服にも焼け焦げた痕が無数にできていた。
 
 戦う前から気付いていたことだが、自分と劉環とは戦いにおいて相性が悪い。自分は近距離攻撃が主体だが、彼は反対に遠距離攻撃 
が主体だ。相手の懐に飛び込んで戦う事を得意とする天化にとっては、容易い敵のように見える。だが現実は、懐の入れなければ常に 
攻撃を受ける側になるのだ。
いかに隙を見付けて自分の得意な間合いにするか……それが一番の重要課題だ。 
 これなら同じ近距離の敵の方が絶対に戦い易い。元から常に自分の間合いに相手を捕らえることが可能なのだから。 

 しかも劉環は相手を混乱させる幻惑術や、足止めをする浮動の術などを唱えてきて、天化を近づけさせない。暑さと火傷の痛みによ 
る汗で全身は濡れている。顎から滴り落ちる汗を拭い、掌をジーパンで擦った。莫邪の柄が濡れて滑りそうになるのを堪えて、油断な 
く構え隙を窺う。窺ったところでそう易々と付け入る隙を見せてくれる相手ではないのだが。それでもしないよりかはマシだ。 

「どう足掻いたところで、お前は俺に勝てないよ。旧き言葉にこんなものがある、知ってるか?『剣を極めしも術の前に平伏す。術を 
極め剣を極めし者、これ最強なり』ってね。武術のみでは術を使う敵には適わないが、両方を扱える者は術にも武術にも対抗できる力 
を持つという意味だよ。術のできないお前は俺の相手じゃない。遊んでやっただけ有り難く思うんだね。……さあこれでお仕舞いだ!」 

 余裕たっぷりに講釈をたれる劉環は、先刻から一転して苛烈な攻撃を仕掛けてきた。凄まじい勢いで矢を放ち、真言を同時に唱える。 
 すると火球を身に纏った巨大な鳥が出現し、炎の翼を広げて羽ばたく。 
 部屋を横一線に覆い尽くしたそれは、天化に逃げ場がない事を示していた。 

――逃げ場がないなら、向かってくしかねぇさ……!! 
 天化は水の結界陣で身体を覆い、迫る炎の下を潜り抜け、溶岩のプールを一気に飛び越える。 
 着地した瞬間に間合いを詰め、劉環の懐に入って剣を繰り出した。しかしその刹那、劉環が大きく後方へ跳躍する。天化の間合いか 
ら素早く離れたものの、腹部に傷を負ったようで、押さえた指の間からじんわりと血が滲んでいた。
 
 この僅か一瞬の攻防で天化は当初の目的を果たしたが、劉環の一番の目的は費えてしまった。 
 それもその筈、歯軋りして劉環が見詰める先には、天化の背後に立つ蝉玉がいたのである。先程の天化の攻撃を躱す際、劉環は避け 
るのみに手一杯で、蝉玉を連れて逃れる事は叶わなかったのだ。
 
「可哀想に蝉玉さん。すぐにその不躾な道士から助けてあげるからね」 
 何をどう勘違いすればそこまで考えられるのか、天化には全く分からない。とにかく一応は蝉玉を目的通り保護する事はできたもの 
の、問題はこれから先だった。如何にして脱出するか、である。 

 劉環に傷を負わせたとはいっても、完全に戦力を殺ぎ落とせた訳ではないのだ。手負いとはいえ、手強いことには変わりない。天化 
自身、受けた傷の為に微かに動きが鈍っている。他の敵ならいざ知らず、今は一瞬の反応の遅れさえ命取りになりかねない状況だ。 

 炎を無効化できる水の結界陣はもうない。あれ無しで自分1人でも持て余している敵を相手に、蝉玉を庇って戦うのはかなり難しか 
った。逃げるというのも一つの手立てとして思いついたが、これは戦う以上に難しい。背を向けた瞬間に殺されるのが関の山だ。では 
彼女を安全な場所に隠れさせ、自分が劉環を引き付けるとしたら……安全な場所など、どこにもあるわけがない。 

 八方塞とはまさにこの事だ。下手に動けば殺られるし、動かなくても死を待つのみ。 
 彼ならこんな時どうするだろう。師匠の顔を思い浮かべて自問自答する。いや、彼はこんな状況に陥ったりはしない。例え陥っても、 
それすらも楽しみながら何事も無かったように打開するだろう。彼にはその力がある。
少しでも安全なように蝉玉には後方に下がって 
もらい、天化は莫邪を構える。逃げるのはやはり嫌だった。劉環の顔には青筋が浮かび、怒気を孕んだ形相はまさに狂人のそれである。 

「蝉玉さんの傍に居られるのは俺だけだ!消えろ!!」 
 鳥の羽撃きが床を打ち天化に迫ってくる。真正面から戦いを挑むように少年は鋭い目で見据えた。 

 『勝ち目が無くとも戦いを挑むのは、勇猛ではなく無謀だ』、この師の言葉の意味を今知ることになるとは思わなかった。 
――それでも俺っちは負けたくないさ。……負けたくねぇ!………死んで堪るかっ!! 
 無意識に閉じた瞳を開いた天化が見たものは、幼い日から何よりも追い求める師匠の背中だった。 
 水系の術を使ったらしく、炎とぶつかり合った水が蒸発して水蒸気が発生し周囲は乳白色の霧に包まれている。まるで自分達以外に 
誰もいないように錯覚してしまう程にそれは濃い。消火に余った水が雨のように降り注ぎ、溶岩にぶつかり新たな霧を生み出していた。 

 師の張った結界の中に居る為に自分が全く濡れていない事にすら気付かず、初めて出会った4歳の時と同じように、天化は師の広い 
背を呆然と見詰めた。あの頃と変わらぬ人が、庇うように立っている。姿勢よく背筋を伸ばした姿は、とてつもなく大きく感じられた。