V ハロウィンパーティー
ヒカルが学校に通うようになってから、瞬く間に一ヶ月が過ぎた。
当初不安を感じていたよりも、ヒカルに対する学校側の対応は素早く、彼が授業をまるで聞いていなくても、いつのまにか注意をする教師は一人も居なく
なっていた。学園の教師達に黙認するよう促すなりしたらしく、教師も授業中にヒカルがアキラに話しかけたりする時以外は、敢えて注意もしない。
アキラは与り知らぬことだが、新理事長である楊海が校長の柿本や教頭の都築に圧力をかけて、ヒカルへの余計な干渉を避けさせたのだ。
実際、ヒカル一人だけを特別視することに校長である柿本としても頭が痛い問題だったが、担任の門脇や学年主任の鎌石から聞いた話と、本人に直接
面談したことで、不干渉の方針へと転換した。
――というよりも、そうせざるを得なかった。
柿本は穏やかな定年を迎えたいのである。
こういった問題はそのまま流されるに越したことはない。教師生活四十年のベテラン教師はひしひしとそう感じたのだ。その勘は正しい。
最近のヒカルは制服に着替えるのも面倒なようで、二日に一度くらいしか制服で登校しなくなっている。
それでも教師は誰もヒカルに制服で来いとは言わない。
生徒も最初は私服姿のヒカルを見て驚いたようだったが、自分達も私服登校がいいと言い出す輩はいなかった。
ヒカルが一般の生徒として推し量れる存在ではないと、彼らの中にすぐ浸透した表れでもあるのだろう。
確かにヒカルは、何かにつけて目立つ少年であったから。
むしろ生徒よりも教師の方が、ヒカルの破天荒ぶりに振り回され、教職員会議では散々物議を醸したらしい。
ヒカルの授業態度は決して良いものではなく、授業中はアキラにくっついて寝ているか、アキラの横顔を見詰めているかが殆どで、教師の話す内容に
耳を傾けもしない。全く授業を受ける気がないのが、ありありと伝わってくる。
こんな生徒を学園で面倒をみることすら、彼らにとっては屈辱以外の何者でもなかっただろう。進学校でもあり、全国に名が轟く有名私立の名門校で
あるだけに、相当なジレンマがあったはずだ。教師が誰も注意をしないことに対しても、生徒が不満を漏らしたり咎め立てたりすることはなかった。
いつのまにやら、それがヒカルなのだと思われているらしく、全員がすっかり諦観している。
ただ単に、ヒカルにはアキラを宛がってさえいれば、基本的に周囲に被害が及ばないと理解しただけなのだが。アキラは学園全体の人身御供になった
ようなものである。お陰でヒカルの誘惑との戦いが学校まで範囲を広げたこともあり、アキラの毎日はとてもスリリングだ。
ヒカルは学校であってもいつでも頓着せずに迫ってくるし、この間も理科準備室でアキラを誘惑してきた。
さすがのアキラですら、周りに蛙や蛇のホルマリン漬けに囲まれた場所でヒカルとコトに及ぼうとは思わない。
取り敢えずその場は何とか納め、家に帰ってからヒカルとの触れ合いを楽しんだが、日々の生活は相変わらずの戦い漬けである。
体育倉庫のマットの上で誘惑された時は、危うく理性がどこかへ飛んでしまいそうになったものだ。薄暗い倉庫の中で、自分にゆっくりと近づくヒカルの
赤い唇の淫靡さは、忘れようにも忘れられない。
後で勿体無いことをしたと思った自分が正直情けなかったが、その分のお返しは家でたっぷりとしたから一先ずよしとする。
次はどこでどう出てくるのか分からない。まるで、びっくり箱とジェットコースターを同時にしているような気分だ。
休みの日になると、ヒカルはアキラを独占できることもあって、意外と大人しくしていることが多い。とはいえ、それでも十分に油断は禁物で、ヒカルの行動
は全く先が読めないのだ。だからこそ、ヒカルとの生活には飽きがなくて楽しいと言えるが。
そんなある日の日曜日、森の一角でヒカルとアキラがのんびりと余暇を楽しんでいると、あかりが彼らの元にやってきた。
森の中には、柔らかな草地のできた明るく開けた場所があり、その中心に立っている大木の根元が二人の休憩場所だった。
彼らは休日になると、よく昼間はそこで一緒に過ごしている。
そんな二人きりの時間を満喫しているアキラとヒカルのところに、四天王が近づいてくるのは非常に珍しい。彼らは大抵二人が一緒に居る時は、離れて
過ごしていることが多いのだ。ヒカルから命じられない限り、護衛のために近くで控えることすら滅多にしない。それらは彼らの間にある暗黙の了解事項だ。
虎の姿になっていたヒカルは、あかりの足音を聞きつけて耳を動かし、ゆっくりと顔を向けた。
傍では自分の毛並に顔を埋めるようにして、アキラが眠っている。
アキラの漆黒の髪と、頭の載っている白い腹との対比が映えていた。
ヒカルの呼吸の度にゆったりと揺れ、ゆりかごのような安息感があるのか、すっかり熟睡してしまっている。
彼が持っていた本は手から離れて草地に落ち、広がった頁が風の悪戯で時折ぱらぱらと捲れていく。二人の居る場所では、ゆったりとした寛ぎの時間
を感じさせる穏やかな空気が流れていた。
あかりならば彼らの傍に一瞬にして現れるなど造作もないことだ。
敢えてそれをせずにわざと距離を置いて近づくのは、二人だけの時間を過ごす楽しみを満喫しているヒカルの逆鱗に触れないためである。
唐突に現れて彼らの間にある親密にして穏やかな空気を破るのは、とんでもなく命知らずな行為なのだ。
四天王といえども、一瞬にして消滅させられかねない。余程の緊急事態でない限り、彼らの空気を壊すことは許されない。
だからこそ、あかりは少し離れた場所から様子を見ながら近づいた。
ヒカルは二人で一緒に居る時間を邪魔されて多少なりとも不機嫌になったのか、喉の奥で微かに唸り声を上げる。離れていても声が聞こえたらしく、
あかりは草地に入る前に様子を窺うように立ち止まった。
そのまま控え、ヒカルからの言葉を待つ。彼の許しがない限り、いかにあかりであっても近付くことは許されない。
「う……ん…」
ヒカルの不穏な気配を感じたのか、アキラは小さく吐息をついて寝返りをうち、更に頭を毛に埋めてくる。
その穏やかな寝顔を眺めて、ヒカルは気を取り直した。
虎の姿から人間へと変わると、アキラの頭を膝に載せてやり、二人から一定の距離を置いて控えるあかりを手招きした。
そこでやっとあかりは彼らの元へとやってくる。
「何かあった?」
「ええ、こんなものが届いたから……」
あかりの差し出したものは、一通の封書だった。一見したところ何の変哲もない招待状のようだが、紙は相当な高級品らしい。
ヒカルは封書を受け取ろうともせず、面倒臭そうに鼻を鳴らした。それとは対照的に優しく眠るアキラの頬を撫でて唇を寄せている。
ヒカルの口付けはおはようのキスと同じ効果をもたらしたようで、アキラは焦点がはっきりと定まらないままに薄目を開けた。
まだ眠りたそうにヒカルの膝に懐く姿は、小さな子供のようだ。それでも他人の気配を感じたのか、渋々膝から離れて起き上がる。
あかりは出していた封筒を一旦しまうと、眠たげなアキラの様子を窺いながら白い布をヒカルに手渡した。
慣れた仕草でヒカルが布で身体を覆ったと同時に、アキラも眼を覚まして取り敢えずは起きる。欠伸をかみ殺しながら僅かに乱れた髪を梳いて、横で
胡坐をかいているヒカルとあかりを見比べた。
昼寝から目覚めたばかりで思考がはっきりとしないのか、どことなくぼんやりとしているアキラの顔は年齢よりも幼さがある。
何故あかりがここに居て、ヒカルが虎から人間へと姿を変えているのか、寝起きのアキラには理解し難く、思考も纏まらない。
あかりはそんなアキラの様子に微苦笑を零したが、すぐに本来の目的を思い出して再び封書を取り出した。
目の前にある封筒をヒカルは胡乱げにちらりと眺めると、まだ少し眠そうにしているアキラに眼を向ける。
「開けて、塔矢」
唐突なヒカルの言葉は、起きたばかりのアキラには理解不能に近かった。しかし疑問は口に出さず、律儀にあかりから封書を受け取る。
封書は百華仙帝宛となっており、中には招待カードが入っていた。それを取り出してアキラはざっと眼を通して読み始める。
「『来る十月三十一日午後八時より当家赤羽館にて、仮装ハロウィンパーティーを開催いたします。ささやかながらおもてなしの席を設けております。皆様
におかれましては、是非とも趣向を凝らした仮装でご来場頂けますと幸いです。村上信一』」
アキラは文面を読み終えると、ヒカルに問いかけの眼差しを向けた。
「……誰…?」
「さあな」
ヒカルも軽く肩を竦めて首を横に振る。
「村上は日本を拠点にしている一族の一人なのよ。都心が拠点だから配下は多い方だけど、実力については中の上というところかしら」
二人の反応は既に予想の範囲内であったので、驚きもせずに説明した。一族について詳細を把握するのも、四天王の仕事なのである。
アキラは一族の危険性しか知らず、ヒカルは彼らの動向に一々意識を傾けないし、興味もない。アジアの島国の一つで権力争いに興じる俗物の名を知
らないのも当り前だ。彼らに必要な情報を提供するのなら、一番近くに居て、行動についても自由のある四天王しかいない。
村上の身分を会社組織で表現すると、アジア支部の一角にある日本支部の幹部クラスになる。現在空いている支部長の座を巡って激しい権力闘争の
真っ最中なのだ。全国展開のスーパーマーケットだと、どこかの支店の野菜売り場の主任くらいの身分だろうか。
支店長のポストを巡って、肉売り場や鮮魚売り場の主任と争っているような感じになる。
かなり見も蓋もないが、やっていることは同レベルだ。とはいえ、たかだか一支店の支店長程度では、中間管理職と変わりない。
社長や取締役、会長に近付くなど無理な話である。しかし、どう足掻いても傍に行けない存在であっても、会長が自ら近くに来るとなると話は別だ。
遠く離れた場所で様子すら窺えない状況ではなく、その気になれば動向も探れる距離ならば更に違う。
上手く立ち回れば相手に近づけるチャンスが到来しやすくなる。会社員ならば、出世も夢ではないということだ。
この機会を彼らは決して逃さない。
ヒカルがこの地に来たことで、争いは激化している。何とか支部長クラスにのし上がり、彼に認めて貰おうと必死なのだ。
飽くなき権力欲で上の身分を目指すのはどんな世界でも変わらない。
尤も、ヒカルには権力争いなどどうでもいいことであろうが、彼らにとってはヒカルという存在に近づくチャンスは逃せない。
一族が最も至福を感じる時は、人間の生命エネルギーを吸い尽くした恍惚感でもなければ、新しい力を得た満足感でもない。
ヒカルと直接対面し、その光に間近まで近づくことなのである。
かといって、ヒカルに直接触れるなど、例え幹部クラスでも赦されることはない。そんな特権を一族で持っているのは、佐為を筆頭にしてほんの数人程度
である。中でも佐為はヒカルの一番のお気に入りであるだけでなく、ヒカルにとって快適な居を提供するために国を管理し、影から支配する役目を直接仰
せつかっている。美しい泉に降臨したヒカルと、たまたまそこに訪れていたアキラが出会ったのは、遠い昔のことだ。
だがそれ以来、ヒカルは自らの拠点としてその地を選び、好む環境に作り上げた。
佐為は何千年も前に二人が出会った場所を護りつつ、ヒカルが過ごしやすい環境を残して整備する大切な役割を担っているのだ。
思い出の地を保存するだけでなく、ヒカルのために最も住み心地のよい場所を提供するのは並大抵の努力ではなく、細やかな心遣いも必要になってくる。
そのためには四天王を統括する能力に加えて、信頼を得て力を生かしてもらうように働きかけねばならない。
自然の力をそれぞれに持つ四天王の能力は、一族において最も強い力を持つ佐為といえども、頼りにしているということだ。ヒカル用に環境を整えるため
には、一人でするには骨の折れる作業なのである。
彼らが共同戦線を張って整備しているだけあって、ヒカルにとってその地が一番のお気に入りになっている。
日本の都心のようなごみごみとした埃っぽい場所を好まないヒカルは、アキラの高校生活が終われば、彼が何と言おうと一緒に佐為が管理を行う国に
戻るつもりである。ヒカルは基本的に一番過ごしやすい場所を拠点とし、恋人の転生に合わせて各地に住まいを移していた。
恋人が死を迎えるまで各地を転々とし、死による別れにより四天王と共に再び拠点に戻る。そんな事をこれまでもずっと繰り返していた。
今のヒカルにとってはアキラの傍が一番であるとはいえ、それでも環境において拠点は中々捨てがたい。だから、いずれは彼を連れて戻るか、或いは他
の方法をとるか決めることになるだろう。取り敢えずは、アキラと一緒に過ごすのが目的なのだから。
一族は遠い昔とは違い、既に一つの組織として成り立っている。
会社組織において支店同士で激しい業績競争があるのと同じように、一族の中でも派閥抗争もあるし、権力争いも当然ある。
村上のように実力において中の上の辺りだと配下も多くなり、派閥として存在するようになる。そうした派閥同士で互いに牽制しあい、足を引っ張り合う
など日常的だ。村上がこうして手紙を出してきたということは、他の一族の機先を制すると同時に、一歩先んじようとの意図が濃厚に隠されている。
百華仙帝であるヒカルが、所詮は一介の一族である村上の招待に応じると、本人とて思ってはいないだろう。
だが、あわよくばヒカルと直接対面したいと考えているに違いない。
あかり達四天王の判断では、この招待状はわざわざヒカルに見せるほどのものではない。たかだか支部の幹部クラスの者の招待など、受ける必要すら
なく、そのまま返事もせずに捨てても構わないほどだ。
しかし、日本に到着したヒカルはこの国で一族の誰かから何らかのコンタクトがあればすぐ知らせるようにと話していた。
そうでなければ、わざわざ甘ったるい空気の中に入って無粋に邪魔をするような届け物をする破目には陥らなかったはずである。これでヒカルに睨まれ
たり消されたりしたら、まさに踏んだり蹴ったりだ。しかし幸いにして、ヒカルの機嫌は至って良かった。
アキラの読んだ文面を聞き、満足げな笑みを浮かべる。さながら、獲物を前にして狩の悦びに浸る虎のように。
「あかり、この招待を受けるぜ。奈瀬に言って準備しろよ」
上機嫌のまま告げられ、あかりは唖然とした。
「ちょっと…本気なの?ヒカル」
今までヒカルがこの手の招待を受け、赴いたことは一度もない。
この国に来てからでも、こういった招待状は数え切れないほどあり、そのどれにもヒカルは出席していなかった。
いつもは招待状を見てしまうと、あっさり捨てていたのである。それなのに今回に限って、ヒカルは出席するという。
青天の霹靂としか表現のしようがないほど、異例中の異例事態だ。
しかも相手はアジアにおける支部長でもなければ、日本の支部長でもない。所詮は中堅に位置する小物で、大した輩ではないのだ。
その程度の一族は、それこそ吐いて棄てるほど存在する。
そんな者の招待に応じて、百華仙帝たるヒカルがわざわざ赴くなど前代未聞だった。あかりが驚いて言葉を失うのも当然である。
「勿論本気だぜ。仮装パーティーとなると、それなりの衣装も用意しないとな……塔矢はどんな服が着たい?」
いきなり自分に話を振られ、アキラは瞳を何度も瞬いた。パーティーの招待を受けてヒカルが行く気になり、エスコート役が自分になっているのは分かる
のだが、どうも話が見えない。そもそも、ハロウィンパーティーに何故出席したがるのだろう。
仮装をして面白半分にヒカルが出席するのならまだ分かるものの、どうもそこには何らかの意図が隠されているように感じる。
ヒカルには恐らく誰にも知られない目的があると予想できた。
彼の計略と思考そのものはアキラには読めなかったが、出席することで相手の出方を見極め誘導しようとしているような気がする。
あくまでも自分自身の勘で、確信がもてるものではなかったが。ヒカルの意図を読みきれていないあかりが止めさせるようにと目線にのせて訴えかけて
いるけれど、ヒカルはすっかり乗り気で、アキラですら止められる自信は殆どない。
それにあかりが止めさせたいと思っている気持ちも彼には分からなかった。理由を知っていればそれなりに対処もできただろうが、アキラは自分を取り
巻く環境がどれほど剣呑であるのか全く知らない。
これまでも極普通に生活をしてきたアキラの日常に対して悪影響がないよう、四天王は一族の動向にかなり配慮している。
同じ学校に居る者を急に消すわけにもいかないので襲わない限りは黙認しているが、半径数キロ圏内の一族は完全に排除する。
そういった密かな四天王の動きもあって、アキラはこれまで一度も一族と対峙したことがない。彼ほど稀有な魂の持主なら、狙われる確率は異常に
高くなり、数え切れないという言葉を使わねばならぬほどの頻度で出会うのが普通なのだ。
この歳までまともに生きてきていること事態が奇跡といえる。アキラのような魂の存在が、今までの人生で殆ど一族と出会わず、狙われたこともない
などそうそう滅多にない。そこには何らかの意図が隠されているのは自明の理である。
アキラ本人は自分の魂の特殊さを理解していないからこそ無頓着だが、実際は非常に狙われやすい。そしてそのフォローと護衛のために、四天王は
密かに彼を護ってきたのだ。本人に決して気づかれぬように、細心の注意を払いながら。
勿論それができるのは、自然の力を持つ四天王だからこそだ。
あかりはヒカルが招待に応じて行くこと自体、大いに反対であったが、アキラを連れて行くことが尚更反対する理由になっていた。
村上がヒカルと一緒に居るアキラを見つければ、転生を果たした彼のパートナーだと間違いなく気づく。
そうなれば、彼はアキラの命を確実に狙ってくるだろう。わざわざアキラにそんな危険を冒させるわけには行かない。
いくらヒカルと命が繋がっているとはいえ、アキラはただの人間だ。以前の彼のように力も使えず、自分の身を護る術すら持たない。
村上が本気になってアキラを狙ってくれば、彼がどんな目に遭わされるのかは想像に難くなかった。ヒカルがアキラを護るだろうとは思っていても、それ
でも彼の意図は量りかねる。極上の餌を獲物の前において、おびき出そうとしていると解釈することもできないではないが、ヒカルの能力ならそんな回り
くどい方法をとらなくても、四天王の一人に命令を下せば一瞬で片がつく。村上などその程度の実力者である。
アキラに余計な心配をかけずにのびのびと学校に行かせたいとヒカルが言うから、命を狙われる危険性についても話していない。
彼の護衛を減らした点も、目立たないようにするためならば仕方がないと諦めた。しかしこの件はいくらなんでも許容範囲を超える。
これではまるで、アキラの命を狙ってくれと言わんばかりの無謀な行動だ。彼の命を餌にして遊んでいるようにすら見える。
いかにヒカルの言葉でも、あかりはとても我慢できなかった。
居住まいを正して創造主に意見しようと口を開きかけたが、ヒカルの横顔を見て思わず言葉を噤む。
うっすらと微笑を湛えた表情は、自身の力を履き違えた獲物を嬲り殺そうとする残酷な虎を髣髴させた。或いは、華麗で驕慢な美しい花が、近づく者を
隠した棘で突き刺そうとしているかのようだった。
百華仙帝と呼ばれるその名の通り、花々の王が大輪の華を咲き綻ばせ、甘い蜜の香りに惹かれた無知な虫を残酷に摘み取ろうとしている。
魅惑的で甘美な華に撰ばれぬ者が近づけば、命を失うとも知らずに。
彼の横顔を見た瞬間、あかりは理解した。
ヒカルはこれを待っていたのだ。全てが彼のヨミ通りに動き、次の展開へと進む布石に移動している、誘導されていると知らずに。
だから招待状の内容を聞いて上機嫌になったのである。
彼が何を考え、何をしようとしているのかはあかりには予想がつかなかったが、ヒカルが負ける算段をするとは思えない。
ならば、彼の思う通りに自分も最大限に協力して行動する。それが四天王としての彼らの役割でもあるのだから。
ヒカルはあかりの心境の変化を知ったのか、ちらりと視線を向けて綺麗に笑った。それにあかりも応えて微笑する。
機嫌のいいヒカルとは対照的に、アキラは招待状と衣装の話の展開についていけずに、すっかり狼狽しているようだった。
「なあ塔矢、どうせなら派手な衣装にしようぜ」
「派手って…」
楽しげなヒカルとは違って、アキラは困惑気味に眉を寄せる。
「ハロウィンの仮装なら、狼男とか吸血鬼じゃない?」
「えっ?」
「そんなの定番じゃん。もっと面白そうなのがいい」
どんな考えの変化があったのか、急に乗り気になったあかりの提案に、アキラは面食らったが、ヒカルは不満そうに頬を膨らませた。
ヒカルの感覚では、もっと変わった仮装で楽しみたいのである。
「確かに定番といえばそうよね…」
あかりにもヒカルの気持ちは分からないでもない。折角、アキラもヒカルも美形なのだから、着飾って十分堪能したいのである。
そうなると、見栄えもよくて凝った意匠のできる仮装がいい。
真剣に悩んでいる二人の表情を横目に見ながら、アキラは重い溜息を吐く。ヒカルの望みとはいえ、どうしてわざわざハロウィンの仮装パーティーなん
かに出席しなければならないのだろう。派手な衣装を着て行くだけでも気が滅入りそうだ。
アキラは自分の手にある招待状を恨めしげに睨みながら、封筒を目にしてふと思いついたことを口走る。
「…中華風だな……」
「え?何が?」
揃ってまじまじと顔を見詰められ、口ごもりながら封筒を見せた。
「この招待状に浮き彫りにしてある柄だよ。それから『百華仙帝』という字面も、どことなく中華風な感じがしたから…」
確かに招待状の入っていた封筒には精緻な浮き彫りが施され、色もつけられて中華的な雰囲気を醸し出している。
「中華か…そういや昔中国版ゾンビみたいな映画があったっけ?」
「うーん…お札を顔に貼ってたあれのこと?」
「そうそう!」
ヒカルとあかりはすっかり何の映画について話しているのか分かり合っているようだが、その頃生まれていなかったアキラにはさっぱり分からない。二人は
見かけこそ少年と少女でも生きている年月はただの人間とは比較にならないほど長いからだとはいえ、置き去りにされているようで、どことなく面白くない。
「決めた!それにしようぜ。衣装もチャイナ!」
「でも、お札は絶対に貼らないからね」
「なんでだよ、面白そうじゃんか」
頬を膨らませたヒカルに、あかりはしたり顔で説明する。
「だって顔を隠したら勿体無いもん。台無しよ」
折角の美貌も札を顔につけたりしたら意味がない。それに、この手のパーティーは政界や財界人が集まるもので、子供のお遊びとは違う。
仮装と分かる衣装でありながらも、節度もまた大切なのだ。当然、服に関してもそこらの安物ではなく特注品になる。
「まあ、別にいいけどな。札を剥がしても有だから」
アキラの与り知らぬところで話は纏まり、止める暇も全くない。茫然と聞いているうちに、二人は勝手に決めてしまっていた。
「衣装のことは頼んだぜ、あかり」
「任せてヒカル!すっごくいいのを選んでみせるわ」
うきうきと答えたあかりは、招待状を持って意気揚々と駆けていく。
結局アキラには、最後まで二人の話についていけない展開のまま、終わってしまったのだった。







