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 それは猫だった。身体全体から尻尾の先まで真っ黒な黒猫。 
 色からすると、地味な印象になりがちなのに、不思議と眼を引かれる可愛らしい猫だった。それ自体青光りしているような、なめらかで光沢のある
 
毛皮の上を、動く度に小波のように光が流れる。耳はピンと立ち、大きな瞳はくっきりと吊り上って黄金色の炎を灯している。今まで彼らが見てきた
 
黒猫の中でも尤も美しく、桁外れに大きい猫であった。しかも二足歩行だ。
 
「ね……ねねねね…猫……?」
 
「ちがうさ!くろひょうさね!」
 
 彼らの無意識の呟きに、黒猫もとい黒豹(とてもそうは見えないが)は憤懣やるかたない様子で言い返してきた。声の調子にそって、長い尻尾が
 
不機嫌そうにぶんぶんと左右に振られる。
 
「だから行っただろう?黒豹は猫にしか見えないって。熊猫(パンダ)とかにすれば、間違えられなかったろうけど…」
 
 道徳は苦笑して黒豹を窘め、頭をパカッと外して帽子のように被らせる。更に後ろにずらせばヘルメットと同じようにそのままの形で背中に落着く
 
らしい。真っ黒な毛皮のツナギと頭部が繋がっているようだ。
 
 黒豹の頭から顔を出したのは、道徳の愛弟子である黄天化だった。猫科の動物を思わせる勝気で大きな碧色の瞳が悪戯っ気を含んできらりと
 
輝き、猫らしい愛嬌を振りまいている。この瞬間、一同の心の去来した単語はただ一つ、『メチャクチャ可愛い!!』であった。
 
「ちゃわゆい〜!」
 
「かっ可愛い!可愛過ぎるうぅっ!!超!激ラブリー!」
 
「写真だ!」
 
「ビデオだ!」
 
「何でもいいから今すぐ撮りまくれぇっ!」
 
「天化たーん、こっち向いてくだちゃいね〜!」
 
 12仙ベースはそれはもう凄い騒ぎとである。道徳を除いた全員が、カメラを構えたり天化にポーズを要求したりと、殆ど親馬鹿というより只の馬鹿
 
の集団と化している。全員揃って赤ちゃん言葉というだけで涙を誘われそうだ。いい年こいといて少しは落着けぬものか。
 
 弟子達がこの姿を見たら、きっと呆れて泣いただろう。いや、むしろ弟子を辞めたいとすら思ったかも知れない。
 
 道徳が行動しなかった理由は、賢明な読者のお気づきの通り既に散々撮ったからだ。無論、撮った量は他の11人が太刀打ちできる比ではない。
 
 天化は少しの間は彼らに応えていたが、道徳で懲りているのでさっさと頭を被ってしまった。それでも大人達は対照的に懲りず、頭被っても可愛
 
いー!と叫んで撮り続けていた。まさに馬鹿な親の集団である。子供を見習え。
 
「すごいぞ道徳!お前はきぐるみ作りの天才だ!小官は感動したぞっ!!」
 
「嗚呼!神様ありがとう!この世にこんなに可愛い存在があるなんて…!」
 
 広成子やらは、感動の余り道徳の手を握って、感涙にむせび泣くほどであった。そんな事で誉められてもちっとも嬉しくなどない。道徳がうんざり
 
していたことは、言うまでもないだろう。
 
「けどさ〜やっぱり黒猫だよね。すっごく可愛いし」
 
「確かに黒豹には見えないな」
 
「うるせぇさね!くろひょうつったらくろひょうなの!」
 
 太乙と玉鼎のしみじみとした呟きに、天化はムキになって言い張る。すると金緑色の瞳は細まり、尻尾は毛羽立ち鞭のようにしなって地面をピシリ
 
と叩いた。どうやら天化の感情や思考通りに尻尾などが動くようになっているらしい。
 
「ねぇ徳ちゃん。この尻尾って武器にもなるの?」
 
 馬鹿騒ぎが収まると、今度はきぐるみの戦闘服としての機能に彼らの興味は移る。普賢真人は面白そうに、尻尾をがっしり握って尋ねてきた。
 
 遠慮もへったくれもない掴み方の上に、手の中で弄んでいても誰も何も言おうとしない。普賢に逆らえる仙人は彼らの中には居ないのだった。
 
「ああ、一応鞭みたいなものだね。手は爪が出し入れできるから、猫と同じように樹にも登れるし、勿論武器にもなる。天化の意思通りに動いて感情
 
にも反応するよう、装置は太乙に作って貰ったんだ。いざという時のために、術や宝貝に対する衝撃緩衝の術も施してあるから、弱い攻撃では傷一
 
つ付けられないだろうね」
 
 天化の手を取って、ぷにぷにとした肉球の感触に思わず微笑を浮かべながら、鋭い爪を出し入れしてみせる。出来具合に満足そうに頷く太乙を尻
 
目に、天化は聞こえないように「だから猫じゃないってば」と不満げに呟いていた。
 
「ひゅーすっげー!まさに攻防一体の戦闘服だな」
 
「見かけが少々可愛過ぎるけどな」
 
 慈航道人は感心しきって口笛を吹き、黄竜真人は軽く首を振って苦笑を零す。この時、彼らの話が一段落するのを見計らっていたかのように、元
 
始天尊の声が厳かに降りてきた。
 
『静粛に!これより『崑崙山脈一週旅行』を開催する。皆の者、位置につくように」
 
 声に反応して、素早く12仙の面々も横一線の位置に並んだ。
 
「よ〜い……」
 
 パン!という白鶴童子の鳴らした合図と同時に、12仙以外の仙人、道士が一斉に飛び出した。12仙はハンデで出発が送らされることになっている
 
為、もう一度白鶴が鳴らす合図を待って隣と喋ったりして、明らかに緊張感の欠片もありはしない。
 
「…天ちゃん、ちょっとこっち来て……」
 
 そんな中普賢に呼ばれた天化は、邪魔にならないように皆の背後を通って彼の元へ行った。
 
「あのね、僕の言う通りのことをして欲しいんだ。お耳貸してくれるかな?」
 
 小声で耳打ちされた内容に天化は訝しそうに首を傾げ、眼を丸くする。わざわざ呼んだのに、なんだってこんな事をするのかさっぱり分からない。
 
 普賢の居る左端から道徳の居る右端まで、全員の前を通って戻ることに一体何の意味があるのか、天化は首を捻るばかりである。
 
 とにかく言われた通り律儀に前を通って戻ると、地の底から響くような笑声が周囲にこだました。
 
「くすくす……黒猫が前を横切ると、不幸が降りかかるって話……聞いたことない?ふふふっ皆大丈夫かなぁ…?」
 
 優しげな外見とは裏腹な普賢の薄ら寒い笑いを含んだ台詞が、他の12仙の耳に入る。さすがの彼らも嫌な予感を感じながら、頬を引きつらせて
 
返す言葉もなく立ち尽くし、一様に同じ事を思ったのだった。
 
――私達(俺達)に不幸な目に遭えってかい!不運に見舞われろっちゅう意味かい!
 
 その思いに応えるように(応えて欲しくなど無かったが)、何も無いはずの空から桶やら金盥やら巨大やかんやらが降ってきた。そして狙い違わ
 
ず天化が前を通った者達に命中したことは確かである。普賢と天化本人は除いて。
 
 白鶴の合図はそのけたたましくやかましい音にものの見事にかき消された。道徳も含めて彼らは合図に気付かず痛みにうめくこととなり、のっけ
 
から大変幸先の良い(?)出発と相成った。
 
「……幸運って、素晴らしいことだよね………」
 
 先をさっさと歩く普賢の呟きが、激痛に頭を抱えて蹲る彼らの耳に入ったかどうかは定かではない。
 

 極端に遅れた出発を取り戻す為、道徳は無駄のない動きで草原を走っていた。太公望が不参加で機嫌が悪いからといって、何も自分達に八つ
 
当たりしなくてもいいだろう、と心の中で普賢に対して恨み言を呟きながら、不運攻撃でできたたんこぶをさする。薬丹を塗ったので随分とマシには
 
なったものの、まだ少し痛んだ。とにかく泣き言を言う暇があったら前に進むしかない。
 
 12仙同士の戦闘は禁じられていても、こういったことは黙認されるので、遣り難いことこの上なかったりするのだ。特に普賢が相手だと。
 
 戦闘は無制限でも、移動に関しては黄巾力士や霊獣、飛行宝貝の使用は禁じられているため、徒歩になる。
 
 ルートは各個人自由で、チェックポイントを兼ねた休憩所を必ず通過することになるが、どの休憩所を使うかは各個人自由だ。12仙は中間地点
 
にある一つの休憩所に集約されている為、他の施設は一切使えない。尚、そこでは紋章の争奪及び戦闘は禁止である。
 
 既に他の12仙の姿はどこにもなく、この草原にいるのは道徳と天化のみだ。
 
 道徳の背中にぴったりとくっついている天化のきぐるみの首筋(無いに等しいが)には、紋章が鈴のように揺れていた。この首輪のお陰で、余計
 
に猫っぽく見えるのかも知れない。余り変わらないと言われてしまえばそれまでだが。
 
「天化、くるよ」
 
 小声で道徳に注意を促され、肩口から頭を覗かせて辺りを見回した瞬間、無数の針のようなものが二人に向って飛来した。
 
 莫邪の宝剣から瞬時に刃が現れ、一閃すると同時に全てを打ち落とす。
 
「疾っ!」
 
 声と共に青い刀身がもう一度振られると、草原に点在していた岩が砕かれ、青い草が刈り取られて宙を舞う。それらの影から幾人もの仙人が姿
 
を現した。彼らの姿を認め、道徳は呆れたように肩を竦めてみせる。
 
「お前達…元師匠になんて歓迎の仕方だい。何も徒党を組んで攻撃してこなくてもいいだろう。私はそこまで恨みを買うような師匠だったか?」
 
「滅相もありません。これは我々なりの感謝の気持ちです」
 
「そうですよ。師匠にたっぷりと鍛えて頂きましたから、攻夫の結果を披露したいと思った次第でして…」
 
 にっこりと笑いながら応えた者達の殆どを天化は見知っていた。確か道徳が今まで育てた弟子達で、現在は洞府を構えている仙人である。
 
 天化が道徳に弟子入りした時に紹介され、その後もたまに遊びに来ていた。
 
「……という訳で、お手合わせ頂きましょうか?」
 
 一人の声を合図にしたかのように、それぞれが愛用の武器を振りかざして我先にと飛び掛ってきた。
 
「………天化!」
 
 道徳の声に反応し、天化は素早く彼の肩から腕へと移動する。刹那、道徳の腕がバネのようにしなって、天化の小さな身体を上空へ高々と飛
 
ばす。漆黒の黒豹は青い空に吸い込まれて小さな黒点となり、そのまま雲から顔を出した太陽の中に溶け込んで、完全に彼らの視界から消え
 
去った。天化を傍から離すと、道徳は最初に攻撃をしてきた一人の鳩尾に掌丁打を叩き込む。
 
 他の仙人達も、宝貝を使用する暇すら与えずに体術のみで倒していった。自らの宝貝、莫邪の宝剣を使うことなく、あっさり素手で倒してしま
 
う。最後の一人を草原の海に沈めると、道徳は鳥を向かえるように腕を真っ直ぐに伸ばした。すると一瞬送れて天化が宙で反転してから、彼の
 
腕に猫さながらに降り立った。
 
 着地の衝撃も難なくやり過ごし、天化は定位置へと身軽に戻る。まるで、何十年も付き合っている相棒のように息の合ったコンビネーションで
 
あった。天化が肩に戻る頃には道徳は再び俊足を飛ばし、元弟子達から奪い取った紋章を少年に預けていた。
 
「師父ってマジで鬼さね……」
 
「失礼な子だね。これでも手加減してるんだから、優しい師匠じゃないか」
 
 現弟子の呆れ果てた声に返した元師匠の言葉は、倒れている彼らに力量の差と敗北の辛酸を舐めさせる結果となったのである。
 
「相変わらず…バケモンじみて強ぇ…」
 
「誰だよ、これだけ集めて戦えば勝てるって言った奴……」
 
「……それよりも、俺達の出番ってもしかしてこんだけか……!?」
 
「やられ損?む、むごい……(ガク)」
 
 かろうじて搾り出した元弟子達の呟きは、草原を渡る風に流され消えていったのだった。