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「暑くないか、天化」 
「うん!このきぐるみ、すっげー着心地いいさ」
 
 天化の返事に、道徳は満足げに笑った。きぐるみ特有の暑さを感じさせないようにする為、色々と工夫したのだ。製作には大して時間は
 
かからなかったが、天化が着た時の微調整と、内蔵されているつ爪などの武器の扱いを教える方に殆どの労力を費やした。
 
 本物の猫、いや黒豹みたいに肉球のついた手を道徳の肩に置いて、天化は顎を乗せている。この肉球は、道徳が走っている最中に振
 
り飛ばされないようにしてある特別製だ。身体を丸め、足は背中に押し付けて周囲を見渡す。不安定な体勢のようだが、天化には殆ど負
 
担は掛かっていない。両手両足の肉球は天化が外そうと思わない限り、道徳の身体に張り付くようにしているようになっているのだ。
 
 森の中を走る複数の足音に気付いて、天化は黒い耳をピクピクさせた。道徳は野生の虎のように、草地でも茂みでも足音は一切しない。
 
 これは自分達を狙っている者達の、あからさまな挑発とも取れる音だった。
 
 黄金色の瞳に数人の仙人、道士達の姿が映った。見えているだけでも10人は下らないだろう。完全に囲まれている。天化は道徳の耳元
 
に囁こうとしたが、その前に彼は頷いて走りながら真言を唱え始めた。途端に雲が立ち込め、辺りが薄暗くなる。
 
 道徳は元々術の威力は高い方で、並の仙人の数十倍の威力がある。彼が唱える初級、下級術は一般の仙人の上級の破壊力だ。その
 
気になれば、余り仙気を使わない簡単な術で雑魚を蹴散らすことすら造作ない。
 
「……我に応えよ……招雷!」
 
 発動を促す声と同時に雷鳴が轟き、森のあちこちから悲鳴や怒号が響いてきた。今道徳が唱えた術は、雷系の術でも中級くらいだが、
 
手加減してある為直撃しても気絶程度で済ませられる。
 
 今回唱えられる術はこれでおしまいだと天化は気付いて、師匠の顔を心配げに覗き込んだ。それに道徳は子憎たらしい程余裕に満ち
 
た笑顔でにっこり笑い返してみせる。
 
「大丈夫だよ。宝貝も使えるし、初級や下級の術は無制限なんだから。それより他の仙人が来る前にさっさと紋章を集めてしまおう。天化
 
はあっちを頼む。何かあったらすぐに私を呼ぶんだよ?」
 
 天化は頷いて道徳の背中から降りると、茂みの中に小さな身体を進めていった。弟子が行く後ろ姿を見詰めながら、道徳はそのまま後
 
退さって藪をするり擦り抜ける。驚いたことに、彼は殆ど音を立てなかった。しかも気配や足音さえも野生動物さながらに殺してしまってい
 
る。もし闇夜であったならば、術を使うことなく道徳は敵を倒していただろう。
 
 嫁が利く上に藪の中を音を立てずに移動でき、気配も殺せるとあっては猛獣を相手にするようなものだ。今倒された者達は闇の中で人
 
知れず倒されるより、一思いに術で倒された分だけ幸運だったのかも知れない。
 

 天化は茂みを分け入り、昏倒している仙人から紋章を外して袋に詰めた。かなりの量を集めたし他に居そうにもないので、そろそろ道徳
 
の元に戻った方がよさそうだ。
 
 きぐるみの胸元を探って隠しポケットの中に袋をしまい、天化は道徳のいる方向に向って歩き出す。髭はセンサーになっていて常に道徳
 
の位置を、耳は僅かな音も聞き漏らさない。瞳は周囲の様子を事細かに天化に教えてくれた。何せきぐるみの機能は全て天化の意思通り
 
に動くのである。怒ると毛は逆立つし、尻尾も膨れるという念の入れようだ。
 
 よくぞここまで芸の細かいきぐるみを作ったもので、改良したとはいえあの宇宙服もどきを元にしたとは、天化には未だに信じられない。
 
 歩き始めてすぐに天化の耳に藪を走る音が聞こえた。道徳の足音はこの高性能の耳でも聞き取れない。つまり誰か別の人物ということ
 
だ。音がこちらに近づいてきていることからみて、天化の姿を見つけて向っているに違いない。
 
 天化は歩調を変え脱兎のごとく走り始める。それでも足音はどんどん近づいてきて、後ろを振り返ると、ボロボロになった道士らしき青年
 
が藪を掻き分けながら追いかけてくる姿が眼に入った。この姿から察するに、道徳の術を直撃でこそなかったものの受けた事は確実だ。
 
「このどら猫!師匠の紋章返せーっ!!」
 
 先刻の仙人の弟子だったようで、鬼のような形相で迫ってくる。勘違いもいいところだが、彼はどうやら自分の師を天化が倒したと思った
 
らしい。7歳の子供に倒される仙人など愚か者の極みと考えないあたり、青年は冷静な判断能力を失っているといえる。
 
 黒豹さと内心訂正しつつ、天化は青年の繰り出した向背からの攻撃を慌てて避け、全速力で逃げ続けた。
 
 林の中を駆け回る途中で何か柔らかいものを踏みつけ、黒い塊を蹴っ飛ばしたが、少年にはそんな事を気にかける余裕はない。実のと
 
ころ、柔らかな物体は同じ青峰山に住む仙人(道徳の攻撃で失神してしまっているが)で、黒い塊についてはプライバシーに関わることな
 
ので伏せておこう。仙人は天化に踏まれて一瞬眼を覚ましたものの、追い縋る青年道士に蹴り倒され、再び気を失ったのだった。
 
 とうとう追い着かれて横に並ばれてしまい、天化は内心で小さく舌打ちする。捕まえようと伸びてくる腕を払い、手近な枝を拾って応戦し
 
た。だが7歳の子供と大人とでは運動能力や体格は勿論、修行年数や経験にも差が有り過ぎた。
 
 打ち合うほどに追い詰められ、次第に攻撃が天化の身体を掠りはじめる。そして、とうとう渾身の一撃が天化の頭部に振り下ろされた。
 
 瞬間、来るであろう衝撃に堪らず天化は瞳を閉じる。ところが予想した衝撃も痛みもまるでやってこなかった。
 
 一方青年は黒猫が平然と立っていることを、信じ難い思いで見詰めた。手加減無しの攻撃である。小さな身体つきからして中に入ってい
 
るのは子供だろうから、痛みで立っていられる筈がないのだ。
 
 それなのに黒猫は可愛らしい仕草で頭を傾げて見せる。今何かした?という風に。
 
 天化は青年の動揺を見逃さなかった。動揺から立ち直って攻撃を仕掛けられる前に素早く相手の懐に潜り込み、爪で顔を引っ掻いてや
 
る。天化は師に常々、例え必殺の剣をかわされても相手に動揺を見せるなと少年に言い聞かされていた。敵には決して弱みを見せてはな
 
らないのだとも、教えられた。
 
 戦闘中は何があろうと感情を面に出してはならない、自分の考えを相手に読ませるな。それができなければ勝つことなど不可能だと。負
 
けるのは自明の理だと。――ならば今の相手に自分は決して負けない。彼はあんなにも動揺し、攻撃が利かなかったことに恐怖すら感じ
 
ている。弱みを見せたその時から、青年は既に天化に負けているのだ。
 
 道徳が衝撃緩衝の術をかけてくれていることも心強かった。攻撃を受けても痛くもないし、例え痛みを感じたとしても修行に比べれば大し
 
たことはない。道徳の修行はもっと厳しく過酷なのだから。
 
 天化は逃げをうっていた先刻とは見違えるような動きで青年を翻弄し、今度は積極的に攻撃を繰り出した。
 
 本物の猫のように爪を使って樹に登り、飛び降り様青年に向って蹴りを入れる。しかし柔らかい肉球のついた足では殆どダメージを与え
 
られず、青年がすかさず繰り出した反撃を再び樹に登ってやり過ごした。
 
 樹から樹へと飛び移って動き回る猫を追い、青年は不利な下方から木々の合間をぬって槍を突き入れる。黒猫はそれを身軽な動作で
 
ことごとくかわし、眼を離した僅かな間に姿を隠してしまった。子供の力ではそう遠くには逃げられないだろうが、長引いて黒猫の師匠がこ
 
っちに来たりしたら厄介であるよく考えればあんな子供が仙人を倒せる訳がない。きっと傍にいた師が自分の師匠を倒したのだ。
 
 あれだけの人数を一撃で倒す仙人を相手にするほど自分は命知らずではない。勝負は早く決めるべきだろう。
 
 天化は息をひそめながら葉の中に隠れて、このまま逃げてしまおうかと考える。だが、下に自分を探す青年の姿が見えて思い直した。
 
 勝負の途中で逃げるわけにはいかない。何よりも自分自身の力で勝利をもぎ取りたかった。
 
 下の様子を探り、丁度青年が真下を通りかかった刹那、天化は長い尻尾を相手の首に巻きつけて投げ飛ばす。青年の大柄な肉体は樹
 
の幹に叩きつけられ、衝撃ではらはらと木の葉が落ちていく。それを視界の隅に捉えながら、何とか頭を振って青年は立ち上がろうとした。
 
 しかし天化の動きの速さは彼の行動を凌駕していた。獲物の息の根を止める黒豹のごとく、体勢を立て直そうとしたところにトドメとばかり
 
に鞭のようにしなりを利かせた尻尾で、青年の頬をしたたかに打ち据える。
 
 この攻撃で青年の意識は飛んだ。反動で倒れこんだ時には完全に昏倒し、彼はピクリとも動かなくなっていた。
 
 気絶した青年を見下ろして、天化は乱れた息を整える。修行に比べれば大して動かなかった筈なのに、緊張と興奮で鼓動はかなり早い。
 
 勝ったという実感は、何故か少しも湧かなかった。眼を覚ます前にと、息を整えながら震える手で紋章を外す、と同時に拍手の音がこだ
 
ました。静まり返った森林に音は妙に響き、天化は身体をビクリと強張らせて背後を恐る恐る振り返る。
 
 見ると、道徳がにこにこしながら手を叩いていた。
 
「師父……」
 
「実に見事な戦い振りだった。天化はもう立派な戦士だね」
 
 最高級の賛辞を聞きいて、初めて天化は自分が勝利を収めたのだと確信することができた。ただ嬉しくて喜びで胸が一杯になり、今の
 
気持ちを道徳にどう伝え、何と応えていいのか分からず無言のまま彼の胸に飛び込んだ。
 
「途中で何度助けに行こうと思ったか……でも、お前の戦いだからと我慢した甲斐があったよ。……強くなったね天化。お前は私の自慢の
 
弟子だ。最高の戦士だよ」
 
 天化の喜びは道徳の喜びであり、彼の勝利は自分の勝利でもあった。想いを伝えるようにぎゅっと抱き締めて額に口付け、天化の背中
 
をねぎらうように何度も擦ってやる。それにあわせて天化も道徳の胸にすりすりと甘えて、頭を押し付けてきた。
 
 傍目には大きな黒猫が買主に抱きかかえられているようにしか見えないが、この2人にはそんな事はまるで関係ないようである。
 
「さあ、ここを抜ければ休憩所に着くよ。今夜はそこでゆっくり休もう」
 
 天化がその言葉にふと空を見上げると、木漏れ日にはいつのまにかオレンジ色の光が混じり始め、夕闇が近い事を師弟に知らせていた。