道徳と天化が休憩所にある12仙専用宿舎に着いた頃には、日は既に暮れていた。他の11人は到着してから随分と経っているらしく、皆
共用リビングで浴衣姿でくつろぎ、雑談などしてのんびりとしている。
サバイバル戦つきとはいえ旅行と銘打ってあるだけあり、宿舎はそれなりに設備は整っていた。 何せ各洞府用に与えられている個室に
は、御丁寧にも旅館並に浴衣から歯ブラシまで用意してあるのだ。さすがに12仙ともなると扱いが違う。
大浴場に行く為に共用リビングを通りかかると、部屋の隅でマッサージ器に座る太乙が声をかけてきた。
「遅いよ食堂のオバサン。皆おなか空いてるんだからね〜」
太乙の声に道徳は内心、誰が食堂のオバサンだと呟いていたが、あえて愛想よく笑って苦笑混じりに応えた。
「霞を食べて生きているくせに、腹が減るもないだろう。風呂に入った後で、天化の分と一緒についでに作らせてもらうよ」
『ついで』を強調した厭味ったらしい言い回しにも太乙は平然としていた。じゃあそれでお願いね〜と笑顔で手を振るほどである。道徳は
これ以上話しても無駄と判断し、天化の手を引いて1日の汚れを落とす為大浴場に再び向う。
紫陽洞の師弟が立ち去ると、他の12仙も風呂に行くことにする。どうせ待っていたところで食事がでて来る訳ではない。一層のこと空い
た時間に風呂に入った方が遥かに効率的だ。ここの大浴場は一度に20人程度は余裕で入れるのだから。
あれやこれや話しながら脱衣場にやって来ると、天化と道徳の姿はどこにもなく、代わりに2人の服が全自動洗濯乾燥機にかけられて
いた。この太乙特性のメカは、洗濯の上に乾燥までしてくれる非常に便利なものだ。彼らがあがる頃には服は乾燥もできている筈だ。
「うをぉ〜!天化ちゃんのきぐるみがもみくちゃになっとるではないか!」
「洗ってるんだから当然でしょ。それより早く入ろうよ」
一部の者達が機械の周囲に集まってアホ臭いことを言っているのを、普賢は冷静にツッコミを入れて風呂へと意識を戻させる。
一行は鼻歌混じりに崑崙温泉とロゴの入った浴衣から湯浴み着に着替え、浴槽のある扉を開けようとして石像のように固まった。
微かに中から妖しい声が聞こえてくるのである。それもアレを想像させるような。全員がごくりと生唾飲み込んで、扉に耳を押し付ける。
声は途切れ途切れであったものの、よりはっきり聞こえた。
「……あ…駄目さ…。師父…」
「天化…いい子だから、動かないで」
「……でも……」
「ほら、こうすると気持ちいいだろう?」
「…うん……そこ…もっと」
ここまで聞いて思いつくことはただ一つである。彼らは蒼白になって顔を見合わせた。しかもその考えを裏付けるように、腰を降ろした
道徳の膝の間に天化の小さな身体が収まっているという、シルエットまでもが浮かび上がっているのだ。擦りガラス越しに横向きに映る
姿は、これ以上ほどにないほど決定的である。
ここで黙っていては崑崙12仙の名がすたる。彼らは怒気も顕に勢い込んで扉を開け、口々に叫んだ。
「見損なったぞ!道徳!」
「君が子供にそんな事する筈ないと思ってたのにー!」
「この変態!色魔!ショタコン野郎!」
「君がそんな男だったなんて……分かり合えないって辛い事だね…」
しかし彼らが見たものは、鳩が豆鉄砲でも食らったようにぽかんとした顔で、見詰めてくる師弟の姿だった。二人とも何を騒いでいるの
かさっぱり分からない様子で唖然と見上げている。それもその筈、天化は腰掛にちょこんと腰を下ろし、道徳は湯浴み着姿で少年の泡
だった頭に手を差し入れていたからだ。そう、彼らは洗髪の真っ最中だったのである。
「へ……変態?見損なう……?子供の髪を洗うことって、そんなに悪いことだったのか?」
おっかなびっくりで聞き返す道徳に、全員揃って返答に詰まった。口の中でもごもごと言葉を作ろうとするが声にはならない。不審げに
道徳の瞳が眇められると、太乙が慌てて両手を振って話を誤魔化す。
「あは…はははは…いや別に何でもないんだよ〜。気にしないでよ道徳。天化君もいい子にしてるみたいだし良かったねー」
「わ…我々はこっちに浸からせてもらおう。子供の為にも少しぬるめの露天風呂を使った方がいいんじゃないか?」
「あ、ああ…そうだな。そうさせてもらうよ。……?」
頷きながらも首を傾げる道徳を、玉鼎も一緒になって話を紛らわせてしまい、2人して熱めの湯船に浸かった。それに同調して他の者も
浸かり、あっという間に風呂は元の広さが想像できないぐらい狭そうに感じるようになる。
さっぱり分からない様子で天化の髪の泡を洗い流し、道徳は友人の忠告通り露天風呂へ行った。はしゃぐ天化の声を縦簾越しに聞きつ
つ彼らは安堵の吐息を零す。正直に言えば道徳の機嫌が急降下し、夕食どころかしばらく洞府に立ち入れさせてもくれないに違いない。
付き合いの長い彼らは、道徳がどう反応するのかぐらい十二分に分かっていた。
風呂から上がって食堂へ行くと、浴衣姿の天化が一人、所在なげに座っていた。いかにも手持ち無沙汰な風情で足をぶらぶらさせ、眼
は落ちつかなげにあちらこちらをキョロキョロ見回している。
天化は見知った仙人達の姿を認めると、話し相手がきたのが余程嬉しいのか、椅子から飛び降りて腕を引っ張って座らせようとした。
しかし、彼らの持つ酒瓶を見ると一旦厨房に視線を飛ばし、再び酒瓶をじっと眺めてぽつりと呟く。
「…師父の方がおっきいさ」
「は?何て?天化君」
太乙が聞き返した時には天化は別の事を考えていたらしく、好奇心旺盛に瞳を輝かせて訊いてきた。子供の考えは実に脈絡がない。
「なぁなぁ太乙さん。さっきふろばで師父になに言ってたのさ?」
「ああ…いや…そのぅ…道徳は髪を洗うのが上手だな〜って……。ね、ねぇ?皆?」
「そ、そうそう。料理・裁縫・掃除と何でも御座れだしね。すっかり所帯じみてきたなぁ…とね」
ギクリと僅かに身体を強張らせ、太乙の求めた相槌に玉鼎が答えて残りが一緒になって何度も頷いてみせる。見え見えの誤魔化し
だが、それを見破ることはまだ幼い天化には無理なようだ。素直に納得してしまっている。
「あ!そういえば道徳は?」
「師父ならごはん作ってるさ。食堂のおばさんは忙しいって文句言ってた」
「……正直だね…。天ちゃん」
話題を変えるように話しかけてきた太乙に応える天化の後ろで普賢は冷静に感想を述べた。他の者たちもそれぞれ椅子に座って、
適当な事を喋り始める。中でも道行天尊と広成子、赤精子の会話は特にスリリングだ。
「ボク、道徳は人の皮を被った悪魔だとおもいまちゅ」
「いやいや、樹の股から生まれた悪魔だと小官は考えるが」
「両方合わせて丁度いいだろうさ。弟子は悪影響をうけとらんみたいで良かったよな」
――そんな事言って後でどうなっても知らんぞ……
けらけら笑う3人を横目で見ながら、黄竜と慈航は心の中で呆れ返ったように嘆息する。道徳は爽やかで人畜無害そうな顔をしてい
ながら、彼らの言う通りの人物なだけに、下手な発言が耳に入ると報復の怖い相手でもあるのだ。彼らがただ喋っている間にも、大き
な卓が美味そうな匂いのする皿に埋めらていった。最後の一皿を卓にのせ、道徳は天化の横に腰を降ろす。
「いただきま〜す!」
天化の元気な声を合図に、箸が一斉に動き出した。何故かその中には楊ゼンの姿も混じっている。一体いつやってきたのであうか。
しかし、皆の食が進む中道行・広成子・赤精子の箸はピクリとも動かない。目当ての料理の直前で箸は止まったままだ。まさに蛇の
生殺し状態である。3人は勿論、この場に居るもの全てが原因に気づいていた。だが誰も何も言おうとはしない。
下手に口出しをして、とばっちりを喰いたくないらしい。まことに素晴らしい友情である。
「おい道徳!これは何の真似だ!小官を愚弄する気か!?」
とうとう我慢ができなくなった広成子の声に、道徳は春巻きを食べながら気のない返事をする。
「おや?私は何もしてませんが?言いがかりをつけないで欲しいですねぇ、師兄。きっと人の悪口を言った天罰ですよ」
「何が天罰だ!お前以外に誰が居る!この外道!」
「極悪人!ひとでなし!」
「悪魔の申し子!」
3人の兄弟子の責め文句にも道徳は眉一つ動かさず、ほかほかの焼売を天化の口に運んで「おいしいかい?」などと暢気に尋ねて
いる。食べられない3人にとって、これ程厭味ったらしい行動はない。
「あれ?私は樹の股から生まれた悪魔で、人の皮を被った鬼だったんじゃないですか? 」
「……いつ聞いていたんだ。道徳……」
玉鼎は呆れたように斜向に座る弟弟子を見詰め、道徳の横では天化が大きく胸を張って自慢げに頷いた。
「えっへん!そこが師父のすごいところさ!」
――やなところだよ……
紫陽洞の師弟以外全員が心中で同時に思う。下手に耳に入ったりしたら、同じ目に合わされるので心で思うに留めておいたが、彼ら
もこの状況でよくそんな事を考えられるものだ。心を読まれる可能性もあるというのに。
「金縛りを早く解け!道徳!」
「おんどりゃー!ええかげんにせんといてまうどっ!!」
尚も喚き続ける彼らに、道徳は薄ら笑いを唇の端に湛えて陰気に独語する。
「クックックッ……悪魔の呪いと鬼の祟りですよ……」
「……根に持ってるね…」
「師父のわるぐち言えばとうぜんさね。言ってもばれたらイミないさ」
普賢は穏やかに笑いながらのんびりと、誰に言うともなく事実を有りのままに明言した。それに同調し、天化も知った顔で鋭く指摘す
る。特に天化の言葉は弟子として近くで見て、ポロリと本音を洩らす度に報復措置を受けているだけに真実味があった。
二人とも独自の方法で道徳の攻撃から逃れる術を持っているだけに、ある意味非常に嫌なコンビかも知れない。
「天ちゃん、君も色々経験しているだけに、道徳のこと分かってるんだね(中々いい性格してるね、天ちゃん)」
「そりゃそうさ!だって俺っち師父の弟子だもん(まだまだ、普賢さんほどじゃねぇさ)」
外見はまさに天使の二人は、( )内の言葉の意思もちゃんと疎通させてにっこり笑いあった。その姿を見届けていた12仙の中でも古
株の数人は、崑崙山の未来が明るいことを、暗澹たる思いで願わずにいられなかった。
食事会はいつのまにか無礼講の大宴会と化していた。金縛りが解けた道行達も料理にありつき、凄まじい勢いで掻き込んでいる。
完全に飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで、彼らの姿を見て12仙だと思う者は一人としていないだろう。
それぞれ泣き、笑い、怒り、歌い、ある者は文句を言っている。更には、誰も観ていないのに一人芝居に興じている者もいた。
「あうぅぅーしくしく……人間なんて……仙人なんて…青春なんて…大馬鹿野郎ー!」
「酒だ!酒持ってこーい!ぎゃははははは〜つまみはどこでぃ!」
「ったく出番少ねぇんだよぅ…畜生が!もっと台詞言わせろってんだ!……ヒック!」
「張りつめた〜弓の〜……歌お!踊ろ!………ララララ〜♪」
「これじゃから若いもんは…よってたかって年寄りを苛めて。……ブツブツブツ…」
「嗚呼ロミオ…なんだいジュリエット……ええい!この御方をどなたと心得る!ふぉっふぉっふぉ。成敗しておあげなさい」
調子っぱずれの歌に、変な一人芝居、意味不明で支離滅裂な言葉の数々。誰が何を言っているのかさっぱり分からない。正にキ印
の集団としか言いようがなく、余程ストレスが溜まっていたのか見事なまでの切れッぷりだ。非常に情けない姿である。
彼らの中で理性を保っている太乙と玉鼎は、同じ12仙であることに物悲しさすら感じていた。もしも楊ゼンがこの場に居たら、絶対に
12仙にだけはなりたくない、と思っただろう。
道徳はというと、膝の上で猫のように丸くなって眠ってしまった天化を連れて部屋に帰ることを理由に、そのまま辞去してしまった。
確かに将来有望な子供の精神衛生上、教育上ともに見せられる光景ではない。宴会が始まると同時にさっさと出て行った道徳の判
断は正しいだろう。彼はこういう時の立ち回りは昔から妙に上手かった。普賢は普賢で気がついたら宴会から姿を消していて、楊ゼン
も『門限ですので』と有りもしない門限を理由に部屋に戻ってしまった。
玉鼎や太乙は再三の好機を逃して出るに出られず、つまみ作りと勺をして回るのに追われながら、『あの時便乗しておけば…』と現
在海よりも深く後悔している。
そしてこの目も当てられない宴会(馬鹿騒ぎ)は、日が昇る頃まで続いたそうである。