朝食後のお茶を飲む頃になると、ヒカルはすっかり中村とも津川とも打ち解け、携帯電話のメルアドを交換するようにまでなっていた。
 アキラがついていけないような最新のゲームのことで盛り上がったり、攻略法をお互いに交換し合ったりして話題にも事欠かない。
 恋人としてはちょっとばかりやきもきしないでもないが、ここで自分の狭量さを曝け出すのも業腹で、仕方なく大人しく黙っておく。
 ヒカルからすると、アキラにこんな普通の幼馴染がいることが何だか不思議だった。二人は囲碁を打てないしルールもちゃんと知らないというのに、アキラとは意外な
ほど仲がいい。アキラが友人の言う他愛もない冗談に笑ったり、さりげなく鋭いツッコミを入れたり、また天然ボケをかましたりする姿は、普段の彼と違った一面を垣間見
れて何とも新鮮だった。ヒカルと一緒にいる時のアキラは、やはり恋人の前では格好よくありたいと思っているからか、こんな砕けた表情は余り見せない。
 勿論、ヒカルにだけに見せる警戒のない笑顔や、優しい仕草など、自分が独占できる表情も多々あるのだが、これはこれで貴重だった。
 ヒカルから見た津川と中村は、どことなくそこらの少年とは違った感じはあれど、普通の少年というものだ。見た目は二人とも中々に見栄えもよく、将来格好よくなりそう
な要素がある。津川の外見を例えるなら、白川の優しげな雰囲気と海王の大将だった岸本の冷静そうな顔立ちを足して、幼さを加えて二で割ったような感じで、がり勉と
いうタイプではない。性格はさばさばしているが時々辛辣な物言いもあるので、椿に緒方を加えたような感じもする。
 中村の外見は一見すると派手で洒落っ気があり、冴木や和谷の持つ明るさと通じる部分もあって、いかにも今時の少年だ。
 加賀のように自信家でもあるらしいのだが、芦原にも通じる軽妙さが加わることによって、上手に打ち消し合っている。
 だからだろうか、一見するとちゃらちゃらして何も考えていないように見えるのに、印象は少しも悪くない。
 意外と物事をよく観察して、慎重に判断している。掴み所がないところなど、倉田の性格に一番近いだろうか?
 強い芯の入った信念と自信を感じさせるところが、彼らの共通点だ。
 二人と少し話した感じでの印象としては大体こんな具合なのだが、実際の彼らの性格はそう単純に推し量れるものではない。
 ヒカルの感じたものはほんの極一部に過ぎないのだ。人間は非常に複雑な生物なのだから。
「そういえば……今日はどうしたの?朝早くに」
 お茶を淹れながら尋ねるアキラに、二人は今思い出したというように手を打ち、一枚の紙を取り出した。そこには海王学園高等部の文化祭の日程が書かれていた。
「実は……今度文化祭で喫茶店をすることになってさー」
「オレ達得意の模擬店なんだけど、キミに特別ゲストとして来て貰えないかと思ってね。できれば指導碁スペースも作るつもりだし」
「本当に喫茶店だけなのか疑わしいな……そこに女装とかがつくんじゃないだろうね?二人とも」
 尋ねてきたアキラに、二人とも揃ってぶんぶんと首を左右に振った。
 実はアキラの問いはそれなりに近い線に来ているのだが、そんな事はおくびにも出さずに平然としている。
(さすがにいい勘してるなー、塔矢の奴。本当は社交ダンス喫茶で、指導碁はこいつを釣るでっちあげみたいなもんだし)
(その上ナースにメイドにその他諸々のコスプレも有なんだよねぇ)
 二人は内心で舌を出しながらも、少しも外見上は表情を出さずに誤魔化すが、アキラはひどく疑わしそうに見詰めてきていた。
 幼馴染暦も長いだけにあっさりとは納得しないあたり、さすがだ。取り敢えず男は男物の制服やコスプレがメインだし、女の子は女子の服を着ることになっている。
 最初は逆転する案もあったのだが、高校生にもなった男子生徒のメイド姿など想像するのもおぞましい。
 アキラやヒカルのような美形の少年ならば十分眼に楽しいだろうが、一般的な男子高校生では楽しいどころか眼に毒である。
 そこで男は男物、女は女物のコスプレに決定したのだ。例えば女子はメイドで男は執事、女子がナースなら男は白衣と聴診器、女子がスチュワーデスなら男は機長
の制服、女子がチャイナドレスなら、男子はカンフー服などである。これに社交ダンスが何故かくっついてくるという、かなりアヤシイ喫茶店だ。
 基本は女装ではないのだが、アキラは正装と既に決めてある。ヒカルに関しては候補を考えねばならないだろう。
 アキラを引き入れる理由は実に簡単で、客寄せ用のパンダである。美形を加えるか否かで、売り上げは相当大きく異なるのだ。
「ちゃんと棋院を通して指導碁を頼むからさ、その日は空けるようにしておいてくんないかな〜。進藤君も一緒に」
 さりげなくヒカルの名前が入っているのを、アキラは聞き逃さない。他の大抵の事では無頓着であっても、ヒカルに関して働くアキラの注意力は並々ではないのだ。
「何でそこに進藤も加わるんだ?」
「袖触れ合うも多少の縁とか言うじゃん。進藤君も一緒だと、おまえも休憩時間とか一緒に過ごせていいだろ?」
 悪びれずに尤もらしく話す津川を、アキラはじろりと睨んだ。
「そんなわけにはいかない。進藤にも碁の勉強があるんだ」
 視線の温度は氷点下で、しかもかなり胡乱げである。声も普段よりも低めで、どこか脅しつけるような響きすら帯びていた。
 歴戦の棋士すら震え上がらせるアキラの鋭い眼にも、津川は平然としたもので、突き刺すような目線も気にせず羊羹に齧りついていた。
 彼にとってはアキラの態度など慣れっこらしい。
「オレは別に構わないぜ、塔矢。何か面白そうだし」
(そんなにあっさりと安易に引き受けようとするな!進藤っ!!)
 親の心子知らずではなく、アキラの心ヒカル全く気付かず。内心喚いているアキラの心情など知らぬヒカルは、実にあっさりと頷いてのたもうて下さった。
 ヒカルは知らないからそんな安請け合いができてしまうのだ。この二人の考える模擬店の本当の恐ろしさを、アキラが一番知っている。
 中学生の時にその実績は嫌というほど味わったのだから。
 一年生の時は執事とメイド喫茶、三年生の時は振袖お茶会という恐ろしい企画を繰り出し、これまでで一番の売り上げを誇ったのである。
 それから毎年のように、最高値の売り上げを更新し続けている。
 何を隠そう、津川&中村企画の学園祭催物で、目玉商品のメインとして誰よりも活躍し働いたのは、アキラ自身なのだ。
 一年生ではメイドの格好をさせられた挙句に、執事姿までもを披露して二日間の学園祭をこなさせられた。
 二年生では芝居で王子様の役を宛がわれ、指導碁もあるのに、稽古に随分と時間をとられて碁の勉強の時間を削られた。
 三年生の時は振袖姿で化粧までさせられて二日間ぶっ通して働き、その上クラス対抗女装コンテストにまで出場する破目に陥った。
 あの後、男子生徒からラブレターは貰って最悪だったし、女生徒には化粧をさせろと追い掛け回され、まさに地獄を経験したものである。
 しかもこの二人は、アキラのアイコラまで売りさばいてしっかりちゃっかり稼いでいたのだ。こんなあこぎな悪魔の魔の手に、ヒカルを巻き込むわけにはいかない。
 アキラは居住まいを正して、何とかヒカルを諦めさせようと口を開きかけた――その瞬間、絶句する。
 軽く服を引っ張られた感覚に視線を向けた先に見えたモノに、瞬間冷凍されたように固まってしまった。当然ながら、明晰な思考能力も完全にフリーズする。
 アキラが眼を向けたそこには、中学時代の悪夢の思い出、メイド姿と振袖姿に女装した自分の恥ずかしい写真があったのだ。
 思い出したくもない、黒歴史とも言うべき過去の負の遺産が。
(なっ何でこんなものが!?)
 勿論それは、このとんでもない企画を学園祭で行った、張本人の二人組が塔矢家の屋敷内に居るからだ。
 ヒカルの横に座って羊羹を食べながら中村がにやりと笑い、アキラの隣にどっしりと腰を下ろしている津川も意地の悪い笑顔を見せる。
 中村の目配せに応えて、机の下に隠した写真を見せながら、津川はアキラの耳元に囁いて悪魔の駆け引きを持ち出した。
「余計なこと言ったら、これを今すぐ進藤君に見せるぜ?」
(この悪魔共め〜っ!!)
 射殺さんばかりという表現がぴったりと当て嵌まる、物凄い目つきで睨んでくるアキラの目線もさらりと受け流し、津川も中村もヒカルに気付かれぬまま平然とした
顔でお茶を啜っている。二人とも高校生とは思えないほど、素晴らしい度胸の持主だ。並みの神経なら即行で心臓停止に追い込まれかねないのに。
「なあ、塔矢ぁ…オレも学園祭行きたい」
 ちょっと鼻にかかった甘えた声を聞くだけで、普段のアキラならばあっさりと快諾していた。だが、今は了承できない事情がある。
 『だったらボクが招待するから、キミは無理に参加しなくてもいい!』と言えたらどんなに良かっただろう。しかし現実は甘くない。
 アキラの眼の前には何も知らずに無邪気におねだりする可愛い恋人。
 これだけなら一も二もなく頷くに決まっている。いつもと変わらず、愛らしい上目遣いで見られてしまうと、何でも望みを叶えたくなる。
 だがしかし、アキラの横と正面には二人の悪魔が居た。ここで頷けば、ヒカルも同様にアキラと一緒に悪魔の毒牙にかかるのは間違いない。次はどんな企画を考
えているのか想像もつかないが、絶対に碌でもないことに決まっている。
 けれどヒカルに応えて頷かなければ、津川の手にある恐ろしい悪夢の写真を、愛しいヒカルに見られてしまうのだ。それだけは避けたい!
 まさに究極の二者択一である。自分のプライドをとるか、愛しい人と共に悪魔の餌食となるか。
 たかが学園祭、されど学園祭。津川と中村は、儲けることに関しては、結構情け容赦ない性格の持主である。
 この写真もただの脅しではなく、アキラが否と答えれば必ずヒカルに面白がって見せるに決まっている。わざわざ持ってきているのが何よりの証拠だ。そこまで計算
して彼らは来ている。この駆け引きにどうやって勝つか、アキラは明晰な頭脳をフル回転させていたが、敵は更に別の手を打ってきた。
 標的をアキラではなく、ヒカルに移して懐柔策に出てきたのだ。
「棋院とは別口でオレ達からちゃんと謝礼もするよ、進藤君」
 津川に合わせて中村が思わせぶりにチケットを取り出した。
「何と東京ネズミーランドとネズミーシーの二日間パスポート、宿泊券付!ネズミーリゾートをたっぷり満喫できまっせー!」
 中村から謝礼の内容を聞いて、ヒカルの眼がきらきらと輝く。
「ホント〜!?オレ、ネズミーシーの新アトラクション乗りたかったんだ!参加する!塔矢も参加しろよ?決まりな!」
 密かなアキラの意思や気遣いなど完全無視で、ヒカルは一人で独走して勝手に決めてしまっていた。
 こんな方法を使ってくるとはアキラも想定していない。予想外だった。
「勿論塔矢も学園祭来るよなぁ?」
「他校の学園祭に進藤君を一人で行かせたりしないよねー?」
 勝利を確信してにやにや笑いながら尋ねてくる二人に、アキラは悔しさに歯噛みしながらも渋々頷いた。
「行くよ……学園祭に」
「さんくす」
「せんきゅーべりぃまっち」
 本当は完璧な発音で喋れるくせに、わざと腹立たしいジャパニーズ英語で満足げに答えてくる津川と中村に向かって、碁盤と碁石を投げつけてやりたくなるアキラ
であった。悔しそうなアキラの横顔を眺めつつ、津川はにんまりとほくそ笑む。
 アキラを相手にするのに、一つの方法しか用意しないなど自殺行為だ。そんな真似をすれば返り討ちに遭うのがオチなのは分かりきっている。アキラを協力させる
には最低でも二つは手を打たねばならないし、幾つものアプローチ方法を作っておかねば交渉に勝つのは難しい。
 頭の回転も速く、勘も鋭いアキラは小さな綻びも逃さずに反撃してくる。時には自分達が考えもしなかったところに眼をやるのだ。
 今回は『進藤ヒカル』というイレギュラーな存在が居たこともあり、思ったよりも簡単に事は運んだといえる。
 将を射んとせば馬を射よ、という格言があるように、アキラのみにアプローチするのではなくヒカルに焦点を移したことが今回の勝因だ。
 アキラはプライドも高いが、いざとなれば相手を優先する傾向がある。大事な存在であればあるほど、彼は大切な相手を護るためなら自身を犠牲にしてでも尽くそ
うとするのだ。しかもアキラ一人だと、写真のことなど有耶無耶にされかねない。こうなると、写真の効力も無効化されてしまう。
 二人にとっては、ヒカルの存在が今回は大いに助けになった。彼が居なければ、アキラは頑として頭を縦に振らなかっただろう。
 東京ネズミーランドとネズミーシーのチケットも、学園祭のためにわざわざ用意してきたわけではない。
 おりよく手に入ったので適当な機会があれば使うつもりでいたのだが、ヒカルを釣るために、中村が咄嗟の機転を利かしてくれたのだ。
 何はともあれ結果よければ全てよし、勝てば官軍である。
「けどさ、オレ行くって言ったけど、そのチケットって有効期限切れとかいうオチじゃないよな?」
 思わず勢いでオーケーしたものの、冷静になると行けるかどうか、不安になってきたらしい。差し出されたチケットを指して尋ねる。
 考えてみれば確かにそうだろう。普通なら、一介の高校生が宿泊券つきのチケットをあっさりと他人に譲渡できるはずがないからだ。
 それも日本でも有数のテーマパークの宿泊券つきチケットである。社会に出てそこそこ収入のあるヒカルですら、折角のチケットを誰かに簡単に渡そうとは思わない。
 どうしても用事があって行けないのならば、渋々譲ることはあるかもしれないけれど。
「大丈夫だよ、進藤。彼らにとっては、そこのチケットの一枚や二枚、簡単に手に入れられる類のものだ」
 チケットをくれると言った二人ではなく、アキラに太鼓判を押されてしまい、ヒカルは小首を傾げて疑問の眼を向ける。
「二人はこれでも有名な財閥の御曹司だ。中村は中村財閥、津川は津川コーポレーションの直系でね。それぞれオフィシャルホテルのグループが傘下に入っている
し、チケット先のスポンサーもしているよ」
 アキラの言葉にヒカルは眼を丸くした。とてもそうは見えないが、二人とも実は超セレブらしい。
「『これでも』って失礼よー、塔矢君」
 茶化して話す中村に、アキラは呆れ果てた冷ややかな視線を送った。
「普段のキミ達を見て財閥後継者だなんて思わないもの」
 あっさりとした彼の答えに、津川も中村も肩を竦めた。確かにその通りで、むしろアキラの方がお坊ちゃん然としている。この辺りは奇妙な矛盾点だが、元からの雰囲
気がそうなのだから仕方がない。言い方は悪いが所詮アキラは囲碁の棋士であり、財閥系の二人からすれば、財力では足元にも及ばない存在だ。
 けれど、彼らは自分達が持たない才能を持っているアキラを、幼い頃から密かに尊敬している。
 漫然と決められた道を歩んで行くのではなく、子供ながらに将来を見定めて、自分の意志と足で確固たる足取りで歩いていく。
 二人は出会った頃からそんなアキラを見てきた。強い意志と信念を持っている彼の生き方は潔く、また小気味良い。
 彼にもしものことがあれば、自分達ができるサポートを幾らでもしようと決めていた。将来に渡って、生きている限り。
 日頃の自分達を知っている者なら、御曹司という印象は持たないだろう。学校でも二人が財閥系だと知っている者はいないくらいだ。もしも知れば、殆どの生徒が二人
に対して接する態度を、掌を返したように変えるに違いない。けれどアキラは昔も今も変わらない、貴重な存在だった。だからこそ、こうして友人関係も続いている。
「おまえよくあそこのホテルが傘下に入ってるって知ってたなー」
「スポンサー契約のことも、どこから耳に入れてたんだよ?」
「キミ達の実家は棋院のスポンサーにもなっているんだぞ?情報なんて簡単に入ってくるに決まっているだろう」
 半ば呆れたようにきりかえされ、二人は納得して手を打った。
 アキラは囲碁の棋士として働いているのだから、スポンサーの情報もそれなりに耳に入って通じているに決まっている。蛇の道は蛇という奴だ。
「へぇぇー、そうなんだ」
 暢気に感心するヒカルを眺めやり、アキラはそっと溜息を吐いた。こういった情報に極端に疎いのは、ヒカルくらいなものである。
「だからね、チケットのことは心配しなくてもいいよ」
 津川と中村は贋物のチケットを使って他人を騙すような、狭量で卑しい真似は絶対にしない。それだけはアキラも確信できる。
 念押しをするアキラにこくりと頷いたヒカルは、マジマジと二人を眺めて改めて思い直したように呟いた。
「それにしても、二人ともただの高校生だよなー。ブランドものの高そうな服を着てるわけじゃねぇし、言葉遣いもこんなだし。むしろ塔矢の方がお坊ちゃんっぽく見えるぜ」
「躾と家庭環境じゃないか?塔矢の家は囲碁道場的要素もあるし」
「確かに家の雰囲気とかそんな感じだよな」
 笑いながら津川が頷くと、中村もにやりと笑って同意する。
「悪いけど、今まで一度も道場破りが来たことはないよ」
 大真面目な顔で重々しく告げたアキラの言葉に、残る三人は怪訝な顔つきで互いに目配せして見詰めあった。果たしてこの台詞は冗談なのか、本気なのか、大いに
判断が迷うところだ。取り敢えず曖昧に笑っていればいいのか、適当に頷いて誤魔化していればいいのか、非常に困ってしまう。
 彼らの間に訪れた微妙な沈黙に、アキラは嘆息する。
「……冗談のつもりだったんだが…」
「塔矢……おまえこういうセンスないから、天然に徹しとけ」
「無理に言っても面白くないし」
 率直なダメだしをした友人二人の言葉に、アキラも反論しようとは思わなかった。
 どうせ自分には、冗談のセンスは父と同じくらいないのだから、無理に言うだけ無駄でもある。
「ふーん、今の冗談だったんだ」
 今更のようにしみじみとヒカルに納得されても、玉砕してからではいたたまれないだけだった。何とも複雑な表情になるアキラをフォローするように、中村が横合いから
話を戻す。取り出したのは、件の宿泊券つきテーマパークの共通チケットである。ペアの値段なら恐らく一人一泊で三万は下らないだろう。
「ところでこの券なんだけどさ、二泊三日朝晩食事付でランドとシーの共通チケットもついて、五人まで行けるんだ」
「……ペアチケットじゃないのか?」
 五人行けるという言葉に、アキラは少し眉を顰めた。自分としては、ヒカルと二人きりで行きたいのが本音なのだが。
 とはいえ、ペアでも最低六万以上するチケットの五人分となると、概算でも三十万近い値段がつくことになる。ただの高校生には、とても簡単に用意できる金額ではない。
 そんなチケットをあっさり用意できるのが、彼らならではの特権だ。
「男同士二人だけで行ってどうするよ?こういうとこは四、五人でつるんで行くのが楽しいんだぜ」
 不満そうなアキラに、半ば呆れたように津川は呟き、中村も頷く。
「三人だと中途半端になる時もあるから、四人か五人だな。あ、別に五人まで行けるからといって、指導碁も五人とは言わねぇからさ」
「さすがに若手五人の出張料金は、予算内じゃきついからなぁ」
 彼らは小さく嘆息したものの、すぐに表情を改めてにんまり笑った。
「北斗杯三人組までなら、料金次第でいけるんだけど?塔矢君」
「キミら三人揃ったら、人も集まりそうだしさ」
(それは社も巻き込んで連れて来いという意味か?)
 かなりあからさまに顔を覗き込んでくる二人に、半ばうんざりしながらアキラは内心ツッコミを入れる。
「社もキミ達と同じ学生だから、学園祭の日程もあると思うよ。それに関西棋院と日本棋院は別組織だから料金も変わるし」
「まあ、特別講師料金枠にも限りがあるからなー」
「社君は今のところ保留にしておくか」
 津川は手帳にメモを取りつつ、次の作戦を考えているらしかった。次はどんな方法で金儲けを考えているのか非常に不安を覚えるアキラだが、引き受けてしまったものは
仕方がない。毒を喰らわば皿までという諺のように、最後までやり遂げるしかないのだ。
「さてと……そろそろ帰るか。中村」
「そうだな、とりあえず二人確保できたし」
 中村は一つ頷き、二人は揃って立ち上がる。
「あれ?もう帰るの?」
 どことなく残念そうに尋ねるヒカルに、彼らはにこりと笑いかけた。
「碁の勉強の邪魔をしにきたわけじゃないしね」
「今度別の機会に遊ぼうぜ、進藤君」
 津川と中村はかわるがわるヒカルに声をかけて別れの挨拶をすると、アキラと一緒に玄関に向かう。
「あ、そうそう塔矢。次はオレ達の分の朝食も用意しといてね」
「塔矢特製の煮物をリクエストしておくから、よろしく」
 玄関先で別れ間際に注文をつけられても、既に慣れっこになっているアキラはあっさりと相槌を打っていた。今更嫌味を言ったところで、堪えるような二人ではない。
「進藤のおかわり分を多めに作っておくよ」
「さすがは塔矢君、話が分かるねー」
「ホテルの予約はオレ達がするし、日程が決まったら連絡くれよな」
「五人一緒に泊まれる部屋用意させるから」
 軽い口調でさりげなくとんでもないことを言っていた気がしたが、アキラは何も聞かなかったことにする。ホテルに泊まった時にどんな部屋かはすぐに判明するだろう。
 少なくとも、全員で雑魚寝ということにはならないはずだ。この二人が予約をすれば、スイートルームとはいかなくても、そこそこいい部屋になるに違いない。

 門を出て塔矢邸をあとにした津川は、ヒカルに渡した券とはまた別の券をポケットから取り出して中村に尋ねる。
「ペアチケットが余っちゃったな〜。……どうする?」
「そうだな……芦原さんにあげとこうぜ」
「ああ…そういや『通』だったよな、あの人」
「住めるくらい詳しいぜ」
 中村はさも面白そうに答えていたが、不意に表情を改めた。
「それよりも、『進藤ヒカル』ってどう思う?」
「オレは嫌いなタイプじゃない。それに塔矢もかなり気に入ってるな」
「同感。まるで奥さんに尽くす旦那だったな、あいつ」
「違いない」
 からからと二人で笑いあいながら、意外にも鋭く核心をついているが、まるで彼らは気づいていない。それだけでなく、津川と中村はすっかり肝心なことを忘れていた。
 当初の訪問目的の『浴衣の君』のことである。この時、自分達が知らず知らずのうちに核心に近付いていたことにも全く気付かずにいた彼らは、後に『浴衣の君』が
進藤ヒカルであることを知り、卒倒しかけるほど驚くことになる。
 尤も、それはまた別の話で、少し先の未来になるが。


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