何のかんの言いながらも無事に中に入れれば文句はない、人間とは存外現金な生物で、いざ別世界に来ると気持ちはすっかり切り替わる。
入ってしばらく歩いた先には幾つもの店の並ぶアーケード街だ。十九世紀末頃の再現というころで、確かに異国情緒が感じられた。
十字路になっているほぼ中央に、巨大なクリスマスツリーが飾られているのを見て、五人は驚いて立ち止まる。そのツリーの周囲では写真を代わる代わる撮るカップルや、
家族連れが多く居た。ツリーを見て彼らは初めて、このパーク内がすっかりクリスマス仕様に飾り付けられていることに気付いた。
店の軒先にはクリスマスオーナメントが飾り付けられ、巨大なツリーの電飾はまだ点灯されてはいないが、所狭しと並んでいる。
遠くに見え隠れしているこのパークのシンボルでもある城も、クリスマス用に飾られているようだった。
「ここはもうクリスマスなんやな……」
「……何か場違いな気がするぜ」
「季節を一つ飛び越したような変な気分だな」
「ちょっと微妙〜」
社にヒカルが同意していると、隣のアキラも複雑な表情で頷く。和谷も同様に困ったような顔つきで、ツリーを見上げた。
「予想してなかっただけに驚いたよ、オレ」
ただ一人伊角だけが、嬉しそうに弾んだ声を上げて、早めに飾られたクリスマスツリーの写真を撮っていた。
すっかりクリスマス気分で乗り気な他の観光客とは一線を隔して、四人は一歩下がったような位置で奇妙な感覚を味わっている。
ついさっきまで秋の季節に居たのに、一足飛びに真冬に来たようで何だか落ち着かない。今日がとても寒いのならそれなりに雰囲気もあるというものだが、残念ながら現在
はぽかぽか陽気である。小春日和というか、暖かくて過ごしやすい気候で、オーストラリアのような真夏のクリスマスとも違い、中途半端な感もあった。
伊角のようにすぐに受け入れられて楽しめればいいのだが……。
最初からパーク内がクリスマス仕様だと知っていれば気分的にも違うものの、いきなりだっただけに中々ついていけない。クリスマスを楽しみにしている子供や、ロマンティッ
クなクリスマスを過ごす恋人同士ならば、もっと勝手が違うが、男が五人揃って遊びに来ているのでは、どうもこの空気は釈然としなかった。
何だか場違いで浮いているような気がしてならない。
伊角だけは、こういった雰囲気も存分に楽しんでいる。残る四人としては、折角来たのだから彼を見習いたいころだ。
五人は大きなツリーを横目で見ながら歩いて、ゆっくりとメインストリートを抜けると、城の見える広場へと出た。
一歩外に出ると、アトラクションに足を進める人々など、実に多くの人が急ぎ足で歩き回っている。アーケード街を抜けると日光で逆光になっている城の姿が見えた。
この城が眼に入ると、いかにも別世界に来たという感じがする。城に近付いて歩きながら見回すと、周りの植え込みにも電飾が飾られ、すっかりクリスマスムードになっている
ようだった。写真を撮りながら歩いていると、歩道に座っている人を多く見かけた。
「何でこんなとこに座ってんだろう?」
「さあな、それよりもまずどこから行く?」
ヒカルと和谷は正直な疑問を互いに交わして話し合うと、それに応えるように、もうすぐしたらパレードが始まるというアナウンスが聞こえてきた。
彼らはすぐに納得したように手を打つ。道理で歩くのに邪魔な場所に多くの人が陣取っているわけだ。客達は少しでもいい位置でパレードの見物がしたいのに違いない。
「どうする?先にパレード見る?伊角さん」
アキラと社は勿論のこと、残るヒカルと和谷もここに来るのは初めてで、勝手が分からない。
こういう時は一番年長で、引率者のような役割の伊角に窺うようにヒカルが尋ねると、彼は素早く首を振った。
「いや、まずここはハニーハントのファストパスを取りに行こう」
どこから出したのかネズミーリゾートの紹介本と持っている地図、アトラクションガイドとを熱心に見比べて、一人で小さく何事か計画を呟きながら確認している。
「ハニーハントなん?」
「オレはできればマンションに行きたいんだけど…」
普段とは違った、どことなく鬼気迫る彼の様子に気後れしながらも意見を言う社と和谷に対して、伊角はそれはもうきっぱりと首を左右に振った。
まるで別人格が出現したかのように。
「いいや!ここはまず超人気のハニーハントを押さえる!多分これからだとこのアトラクションには夕方以降にしか乗れないはずだ。それから、パレードを見終わった後しばらく
したら次のアトラクションのファストパスを発券できるから、時間を確認した上でそれを取っておいて、そして乗りたいアトラクションにスタンバイだ!」
いかにも面倒見のいい優しくのんびりしたお兄さんの姿はどこにもなく、一気にまくし立てる勢いは立て板に水どころか滝のようである。
日頃の姿とは想像もつかないような力説振りに四人はぽかんとした。脳が今の彼の様子を理解することを、拒否しているとしか思えない。
社は三白眼気味な眼をまん丸に見開いて驚き、ヒカルは大きな眼を更に見開いて固まったまま硬直し、二人揃って言葉を無くしていた。
「へ、へぇぇー」
「そ…そうなんですか…」
和谷とアキラも伊角の迫力に完全に圧倒されて、勢いに押されるがままに、腰も引け気味に何度も頷く。
取り敢えずは相槌を打っただけでも上出来だというほど、彼らにとっては、彼の新たな一面にはただただ驚くしかない。まさに鍋奉行ならぬ、ネズミーリゾート奉行である。
今や伊角の背後には、炎の壁が轟々と燃え盛っているようにすら見えた。このパークを楽しむために、並々ならぬ気合が入っている。
眼の中にも火炎が宿り、火山が噴火しているかと思えるほどだった。
(…い、伊角さんが燃えている…!)
院生時代からの付き合いがある和谷とヒカルも、最近交流を持つようになった社とアキラも、落ち着いた様子の普段の伊角とは全く違う意外な一面を垣間見て、唖然とする
ばかりだった。
「オレがファストパスを取ってくるから、和谷達はいい場所を見つけて座っておいてくれ」
全員のパスポートを預かると、てきぱきと指示を出して地図を持ってさっさと立ち去る伊角の後ろ姿を四人はただ茫然と見送った。
未だに現実に起こったことなのかどうか、夢のように思える。
「い……いつもの伊角さんじゃないぃぃぃ〜!」
「スゲー燃えてたなぁ……伊角さん」
「何か人格変わってたで!あの人」
「ここのシステムに妙に精通していたような……」
その場に立ち尽くし、ヒカルは素っ頓狂な声で叫び、和谷は唇の端に乾いた笑いを虚ろに浮かべ、社は驚きの余りひたすらおろおろし、アキラは茫然と呟いていた。
キャストに促されるままに前の位置を確保した四人は、衝撃から中々立ち直れずに、パレードが始まるまで借りてきた猫のように大人しく座り、動き回らずにいたのだった。
パレードが始まる直前になって、伊角は戻ってきた。和谷が確保しておいた場所に座り、上機嫌で発券されたファストパスを見せる。
「十九時の分が取り敢えず確保できたよ。この時間だと発券も最終に近いけど、とれてよかったな〜」
「サ、サンキュー伊角さん…あのーそれで何でハニーハントなの?」
礼を言いながらも尋ねるヒカルの疑問は、全員に共通するところだ。
ヒカルの問いに、伊角は意外なことを聞いたと言わんばかりに眼を丸く見開く。彼にとっては、それは至極当り前のことらしい。
「ハニーハントは一、二を争う人気アトラクションなんだ。ここに来たからには、絶対に一度は乗らないと!」
本当に一、二を争う人気アトラクションだとはちょっと思えない。
そのこだわりは一体どこからくるのだろうか?今回初めてネズミの国と海にやってきた彼らにとっては、理解し難い思考である。
「あー…そうなんや」
曖昧に頷く社の隣で、アキラはよく飲み込めていない表情で首を傾げているが、伊角は一切気にしていなかった。にこにこと笑顔の大盤振る舞いである。
余程ハニーハントのファストパスを取れたことに満足しているらしい。彼はこのアトラクションがお気に入りなのだろう。
「そ、それにしても伊角さんはランドに詳しいよな。もしかして何回も来てるの?ランドとシーに」
最も知りたい疑問を、和谷は思いきってぶつけてみた。
――というのも、ここに来て一番生き生きしているのは伊角で、しかも詳しそうな雰囲気がそこかしこから滲み出ている。
何よりもさっきの豹変振りは特に凄かった。絶対に何度も来ているはずだ。いや、来ているに違いない。和谷や残る三人の予想通りに、伊角は笑顔で頷いた。
「ここには弟達を連れて何回か来ているよ。だから案内ならそれなりにできると思う。でもシーはまだ三回しか行ってなくてそんなに詳しくないけどね。最近忙しくて行けなか
ったから久々に来れて嬉しいよ」
(『何回も』やなくて『何回か』なんやな……)
社の内心のツッコミ通り、微妙な言葉のニュアンスから、伊角のネズミーリゾート好きっぷりが実によく窺える。
ランドに何回も来ていて、シーに三回来ているだけでも、一度も来たことがない者の感覚からすれば十分な経験値である。まさかこんなにも身近にこのパークに精通して
いる人物が居るとは思いもしない。ここに来る時はそれなりに下調べをした方がいいと、奈瀬から忠告されていたが、その奈瀬よりも伊角の方が詳しそうだ。
何度も来て精通している伊角が居れば、ネズミーリゾートに慣れない彼らでも、十分堪能できるに違いない。
女の子よりも伊角の方がテーマパークに詳しいというのも、どことなく奇妙な感じだが、弟を連れてきているのなら当然ともいえる。
伊角の弟はまだ中学生と小学生のはずだ。それでも彼がここに来ているということが、彼らには予想外だった。
どうもイメージ的に合わないのである。真面目そうな伊角の外見からして、こういったテーマパークに頻繁に足を運んでいるとは思えなかったのだ。
面倒見のいい伊角なら、弟に請われたら足を何度も運んだかもしれないが……。
(弟さんは口実だな…絶対に)
(伊角さんがここに来るのが好きなんや、絶対に)
(間違いないな、ネズミーリゾート奉行だ)
(伊角さんってネズミーリゾート通だったんだ〜、スゲー)
和谷にも、社にも、アキラにも、ヒカルにも、答えは分かりきっている。間違いなく、彼自身がこのパークに来るのが好きなのだ。
「まあ、オレ自身がここに来るのは結構好きなんだけどさ。何回来ても飽きないんだよな〜」
(ああ…やっぱりね)
本人にあっさりと認められても、今更驚いたりはしない。伊角のネズミーリゾートへのこだわりの片鱗をそれなりに見させて貰って、さっき存分に驚いたからである。
聞くまでもなく、彼らには大体予想できていた事実だった。
パレードの始まりを告げる音で、五人は意識を会話から、眼の前にあるパレードルートの方へ向けた。今日のパレードはいかにもクリスマスらしい雰囲気のものだった。
スノーマンが踊り、ツリーがゆっくりと進んでいく。氷山(クリスマスケーキ?)のようなものに乗って、パークの主役がやってくると、子供達だけでなく、大人の歓声も多く
聞こえる。女性の黄色い声も当然ながら飛んでいた。パレードの中でもかなり盛り上がっているに違いない。
その声に応えるネズミ俳優と女優に、伊角も手を大きく振っている。
「早速ミ○キーに会えるなんてラッキーだな!和谷!」
「え?ああ……うん」
全開の笑顔で嬉しそうに同意を求められても何と答えていいものか非常に複雑な気分なのだが、和谷は取り敢えず曖昧に頷いておいた。
キャラクターの中には、サンタクロースのコスチュームを模したコートを着ている者もいる。乗っているフロートも全てクリスマス風にアレンジされていた。
恐らくこの時期だけの、限定的なクリスマス仕様のパレードなのだろう。パフォーマンスをして観客の声援に応えながらキャラクター達が通っていくと、最後にはやはり
メインの人物がやってきた。クリスマスを象徴するのなら勿論、サンタクロースもパレードに参加している。
毎年クリスマスには世界中の子供達にプレゼントを配る仕事があるというのに、パレードにも出るとは忙しいことである。
「ホッホー!メリークリスマス!」
サンタクロースが手を振りながら、何度もメリークリスマスと言う声を聞いていると、より一層複雑な心境になる少年達だった。
(うーん…なんか微妙な感じやなぁ)
(十一月だぜ…一ヶ月以上先だっての)
(こんな陽気の中でメリークリスマスか…)
(やっぱりまだ早い気がするぜ)
社も、和谷も、アキラも、ヒカルも、サンタクロースに応えて手を振りつつも、季節感の違いに中々馴染めずにいる。そんな彼らとは対照的に伊角はとても楽しそうに手
を振り返していた。さすがに何度も来ているだけあって、雰囲気に馴染むのも早い。他の客と負けないくらいに、とても楽しんでいる。
写真を何枚も撮り、伊角は至極満足そうだった。
「家に帰ったら弟達に見せてやるよ。あいつらはクリスマスの季節に来たことがないからなー」
嬉しそうな彼につられるように、他の四人も笑顔で頷く。
ここまで来ているからには、クリスマスだろうが、ハッピーニューイヤーだろうが、ハロウィンだろうが、一緒になって楽しまなければ損だ。折角この場にいるのだから。
アキラにとっては多少驚きだったのは、最後に登場したスポンサーが幼馴染の津川の系列会社だったことだ。まさかこんなところで、彼の実家の会社の名前を目に
するとは思わなかった。恐らく他にも提供しているアトラクションがあるのだろう。津川がチケットを手に入れられるのが可能なのも頷ける。
多分ランドかもう一つのシーで、中村の実家の関連企業の名前も眼にすることになるだろう。彼らの実家はそれだけの巨大財閥なのだ。普段の二人の姿とは想像も
つかないが、彼らが財閥系の後継者候補であるのは確かな事実なのである。ふとしたことで、二人の実家がいかに有名な企業であるのかを気付かされる。
それでも、アキラは彼らのことを特別な色眼鏡で見たことはなかった。アキラ自身も子供の頃から様々な視線に晒されてきたこともあり、二人がそういった視線を厭う
気持ちも分かる。アキラはどのみち不器用で、彼らを友人以外に見ることなど不可能だった。最初に出会った頃の、悪戯をして先生に叱られてもまるでめげず、悪ガキ
な少年達という印象を拭いきれずにいる。
しかしそれこそが、二人がアキラに求めていることだと、彼は気づいていない。友人というだけで何の変化も生じないということ自体が、非常に重要であるということも。
囲碁棋士としてのアキラはスポンサーに営業用の笑顔を振りまくなど当り前の範疇であり、猫を被るのも当然だ。
相手の身分や、財力によって反応を変えるのも、至極当り前ともいえる。しかし、友人に対する時は自然と普段通りに接する。アキラは彼らの実家が経営する企業と
友人になっているのではなく、彼ら二人自身と幼馴染であるのは紛れもない事実だ。
アキラにとっては、友人の財力や身分など最初からどうでもよかった。
子供の頃から、幼馴染と付き合える二人の友人と過ごす日々が、囲碁とは違った意味で楽しく、貴重だったから。
パレードが終り、人々が三々五々散っていく中、五人はパークの奥に向かうべく歩いていく。
パークの中央に位置する城の中を通って、甘い香りのする賑やかな通りに出た。
香りの発生場所はキャラメルポップコーンの屋台だろう。小さな子供が乗りやすい乗物や、メリーゴーランドなども多く眼についた。
「ここの近くにあるのはマンションだな。時間を見て並ぶかパスをとるかを決めて、並ぶなら別のアトラクションのファストパスをオレがとりに行くよ」
先に立って進む伊角について行き、彼らは墓の形をした発券機の傍にあるプレートを確認した。今から並ぶと約一時間かかるようだ。
「どうする?オレはこれくらいの待ち時間なら、スタンバイしていてもいいと思うけどな」
問いかけられた途端に、ヒカルと和谷は乗りたいと言い出し、社も否やはないようで、アキラも一番詳しい伊角の言葉に素直に頷く。
「それなら…先に並んでおいてくれないか?オレはビッグサンダーのファストパスをとってくるよ」
「オレも一緒に行く。ついでに何か食い物買いたいし」
伊角がパスを取りに行くのに和谷も同行し、ヒカル達北斗杯三人組は列に並んで場所の確保、と分担作業が決定した。
こうして並んでみると、彼らのような方法を使っている人は思った以上に多いようだった。アトラクションのファストパスをとってきて、列で待っている友人のところに戻る
人が何人か見受けられた。恐らくこれが一番スタンダードな方法なのだろう。








