風呂に入る仕度を終えてベッドに眼を向けると、五番手で風呂に入る筈のヒカルが待ちくたびれてうとうととしかかっていた。
今にも夢の世界に落ち込んでしまいそうになっている。
アキラは苦笑を零しながら、殆ど眠りかけているヒカルを揺する。
「進藤、起きて。お風呂に入るんだろう?」
「うん…うー…」
不満そうに唸りながらヒカルはうっすらと瞳を開き、アキラをとろりと眠たげな視線で見上げた。眠気のために微かに潤んだ瞳と、少し高くなった体温でほんのりと桜色に
染まった首筋が艶かしい。たったこれだけでも、アキラにとっては堪らないほどの魅力である。
しかし、ヒカルはアキラに意識を向ける余裕すらないのか、そのまま再び心地よい夢の世界へと戻ろうとしていた。
自分を落ち着かせるように息を吸い込んで、アキラはもう一度身体を揺すって、ヒカルの意識を眠りから引き離す。
「…進藤、起きて」
「うぅん…ったよ…。おま……ふ……は?」
眠気のために掠れたヒカルの声は切れ切れで、ひどく聞こえにくい。
たったこれだけの言葉だと、何を話しているのか支離滅裂で全くもって理解不能だが、アキラにはちゃんと伝わっていたらしい。
彼はにこりと微笑むと、ヒカルの瞳を見詰めて頷く。
「キミが先に入った方がいいと思ってね、ボクもお風呂はまだだよ。それとも一緒に入る?」
最後の一言は冗談のつもりだったのだが、ヒカルの反応はアキラの予想とは大きく異なっていた。
「おまえ…と入る………連れてけ」
眠たそうな顔をしたまま、ヒカルは尊大に腕を上げて身体を起こせと要求してくる。予想外の言葉に、アキラは硬直した。
眠気からとはいえ、まさかこんなにも嬉しい台詞が聞けるとは。
ヒカルは反応が鈍いアキラを胡乱げに見上げて、早く起こせと要求するように、軽く振ってほっそりとした白い腕で主張する。
半分以上寝惚けていて無意識の行動なのだろうが、アキラにとっては非常に嬉しい反応だ。驚いたのも束の間、すぐに我に返って顔を綻ばせると、恭しく女王陛下の
腕を取って起こして差し上げる。そのままヒカルの身体を横抱きに抱え上げた。
ついこの間までは、同じくらいの体重のヒカルを抱き上げるとよろめいたりもしたのだが、何度か経験していくうちにコツを掴んだらしく、最近では抱き上げてもバランスを
崩すこともなくなり、ヒカルが暴れなければ平然と歩き回れるくらいにまでなっている。
バスルームまでヒカルを連れて入り、バスタブに座らせる。着替えの浴衣を脱衣籠に放り込むと、浴槽に湯を溜め始めた。
その間、ヒカルなりにもたもたと服を脱ごうとしていたようだが、眠気もあって上手く脱げないらしい。それどころか、途中で眠さに負けて服を脱ぐこと自体を放棄して、船
を漕いでしまっている。
今にも湯を溜めている浴槽に倒れそうになっているヒカルを支えながら、アキラはシャツをやや乱暴に脱ぎ捨て、ヒカルの上着も同様にボタンを次々に外して脱がせた。
身体を覆っていたものがなくなって肌寒さに少し眼が覚めたのか、ヒカルは自分で服を脱ぎ始めるものの、その行動は遅々と進まない。
そんなヒカルを手伝いながら全ての衣服を取り払うと、アキラも自身の服をさっさと脱いでしまう。
そうこうしているうちに、ほどよい湯加減の湯が浴槽にたっぷりと溜まる。勢いよく出る水道の蛇口をきっちりと閉めた。
最初はバスタブに浸かろうかと考えたものの、思い直して身体を洗うために、アキラはヒカルを連れてシャワーブースに向かった。
だがしかし、ほんのニ、三歩だけで断念する。眠たさで足元がふらつくヒカルに肩を貸していては、とても行けそうにない。
アキラは小さく溜息を吐くと、自分に凭れて微かな寝息すら立てているヒカルをもう一度抱え上げた。両手が塞がっているので行儀が悪いが、背中でガラス製のドアを
開けてシャワーブースに入る。少し冷えてしまったヒカルを温めるように抱き締めながら支えて、温度を調節してからコックを捻った。
シャワーから落ちるお湯に手を翳して温度を確かめる。最初こそ水が出て冷たかったが、程なく少し温めのお湯へと変わった。アキラはそれを確かめた上で、ヒカルを
支えたままシャワーの下に足を進める。すると心地よい湯が、日中から夜にかけて溜まった疲労を洗い流すように降り注ぎ、肌の上を流れ始めた。
「う…うぅん……塔矢?」
「ああ、眼が覚めてきた?進藤」
肌に当たる水滴に、ヒカルの意識も眠りからゆっくりと浮上し、段々目覚めてきたらしい。
それに伴い、現在の状況も理解してきたようで、明らかに顔に狼狽の色が現れてくる。
「と、塔矢…あのぅ……」
腕の中でもがいて離れようとしているヒカルをさらに力強く抱き寄せて、耳元に低く囁いた。どことなく閨を思わせる、甘く掠れた声で。
「今更別に入るのはなしだからね」
ヒカルが言おうしている言葉の先手を打って釘を刺すと、少しむくれたように頬をぷくりと膨らませた。だがアキラにしてみると、そんな表情すらも可愛くて溜まらない。
思わず頬を摺り寄せて抱き締めたくなってしまう。その気持ちのまま気付かずに行動を起こしていたアキラは、愛しそうにヒカルに頬を寄せていたこともあり、可愛い
恋人は益々焦ったようだった。
「か…身体は自分で洗うから!」
「ダメだよ。今日はボクが洗ってあげる」
腕を突っぱねて離れようとするが、がっちりとホールドされていて離れられない。こういう時のアキラは、普段以上に力が強いのだ。
碁盤しか持ち上げたことがないような、細腕のくせに。細い腕の割には、しなやかな筋肉もついていて余計腹立たしい。
アキラは上機嫌で備え付けのボディーソープをスポンジに落として、白い泡をたっぷりと泡立てている。
「だから、自分で洗うってば!」
腕を押さえて言い募ってくるが、勿論アキラは聞く耳などもたない。
「久しぶりなんだから洗うよ。頭も洗わせてくれるよね?」
「頭はいいけど、身体はダメ!おまえ変なことするつもりだろっ!」
一つ部屋を隔てた場所に三人が眠っていることもあって、自然と囁くような小声で話していては、ヒカルの声にはいつものような強さはない。
これだとアキラは増長するばかりで止めるなど不可能な話だ。
「変なことって…こんなこと?」
「あっ…!あん…」
たっぷりとした泡に塗れた手で桜色の突起を摘まれ、ヒカルは甘い声を零して背筋を小さく震わせた。こんな状況でも、アキラに触れられると自分の身体はひどく素直
に、そして浅ましく反応してしまう。それにアキラだって悪い。ヒカルの身体をこのように作り変えたのは、アキラなのだから。
「や…やだっ……ダメ…ねぇ、塔矢…」
「ダメじゃない。ほら、もうこんなに感じてる」
首筋に口付けられ、胸元に少し悪戯のように触れられただけで、正直なヒカル自身はすぐに反応して彼に官能を伝える。
元々から感じやすかったヒカルの肉体を開発し、花開かせていったのは、他ならぬアキラ自身だ。ヒカルのどこが弱いのか、ある程度のことはすでに学習している。
これからもっと、もっと肌を重ねていって、彼の全てを、何もかもを手に入れたい。アキラの探求はこれからだった。
ヒカルとこうして触れ合うようになって、まだほんの数ヶ月である。いくらでも知りたいことはあるし、試したいことが一杯だ。
何年も何十年も、何百年かけても自分はヒカルに飽きることがないだろう。永遠という時すらも、彼の魅力の前では一瞬に過ぎない。
一つ知れば二つ知りたくなる。二つ知れば三つ知りたくなる。ヒカルと触れ合えば触れ合うほど、もっとヒカルが欲しくなる。
肌を重ねれば重ねるほど、彼への愛しさは募るばかりだ。
果てなどどこにもない。
囲碁で最善の一手を追求し、次の一手を考えることと同じように。アキラがヒカルを求めることに、終わりなど有り得ない。
「好きだよ、進藤……愛してる」
ヒカルの耳元に熱く濡れた声で囁くと、彼の抵抗は極端に弱まる。
彼はアキラのこの声に弱い。そして、深い愛情に弱い。自分に向けられる強い想いに身体中を雁字搦めにされるように。
アキラの愛情という言霊に縛られてしまうように。
こうして肌を重ね、互いの熱を交換する時にこそ、大きな力を発揮する魔法の言葉だ。愛を囁くという行為自体が力になる瞬間である。
ただし、こういう時以外は、使いどころをよく考えないといけない。
日常生活で下手に乱用すると、ヒカルは照れ臭さの余り思わぬ行動を起こして、逆にこちらが返り討ちになってしまうからだ。
けれどヒカルの意識を向けることに成功して、閨の甘い雰囲気を醸し出して囁けば、ヒカルはとても素直にアキラに懐いてくる。
上機嫌の猫が甘えて擦り寄ってくるように。
普段でも無意識に色々と甘えてきたりもしてくれるのがまた幸せなのだが、自分からきてくれるのもこれはこれでまたいいのだ。
アキラはたっぷりとした泡を使ってヒカルの身体を撫でて丹念に辿りながら、時折感じる部分を爪弾いてはゆっくりと高めていく。
胸元の突起を泡に塗れた手で撫でると、高い嬌声が上がった。
「ん!あっ…あぁぁ!」
白い泡に埋もれるようにして見える、桜色の部分が何とも艶かしい。水気を含んでしっとりとした髪を打ち振るって、ヒカルは身を捩る。
感じやすい部分を押し潰すように捏ねられると、まるでアキラの舌で愛されている時のような感触と錯覚しそうになり、ぞくぞくした。
ぬるりとした石鹸の泡が、ひどく自分の神経を鋭くしている。
明るい風呂場の一角、狭いシャワーブースで互いの身体を密着させているのも、背徳的な感じで妙に身体を熱く燃え立たせた。
背後から身体を柔らかく撫でてくるアキラも、自身を滾らせているのがヒカルにも伝わってくる。普段の冷静な、取り澄ました感すらもある優等生な姿と、貴公子然とし
た落ち着いた気品のある立ち居振る舞いなどかなぐり捨て、ただヒカルを、愛する相手を求める男の顔になっていることだろう。
こんな時のアキラは、雄の持つ特有の色香を醸し出して、ヒカルを誘惑してくる。堕落を誘う美しい悪魔のように、或いは天上へといざなう輝ける天使のように。
白い肌はうっすらと赤く上気し、きりりとした男らしい眉の下にある瞳は情欲に濡れて輝き、唇は赤く染まって珊瑚を思わせ、真っ直ぐな黒髪が艶やかに靡いて、どんな
宝石や絵画よりも綺麗だ。アキラと肌を重ねるたびに、ヒカルは彼に魅せられる。
日頃の温和で物腰の柔らかさなど見当たらない、情熱的な彼に。アキラの碁を知れば知るほど、彼と打ちたいと思うように。
ヒカルはアキラから離れることができなくなる。アキラに触れられれば触れられるほど、彼に溺れるように。
降り注ぐシャワーが、身体についた泡を洗い落としていく。そうして露わになった肌に、アキラの口付けが落ちていった。
既にもう立ってはいられない。足が身体を支えることを放棄して、いつのまにかヒカルはシャワーブースの床に殆ど寝転がっていた。
快楽に意識が朦朧として知覚していなかったが、アキラがヒカルをゆっくりと横たえたのだろう。
床材と降ってくるお湯のお陰で、床は冷たく感じず、身体も寒くはない。むしろアキラによって高められ、汗すら噴きだしている。
「ぁ…く……んぁ…」
足の爪先をぬるりとした何かで触れられ、思わず身を竦めた。瞼を開けるのも億劫であったが、知らず眼がそこへ吸い寄せられた。
アキラの赤い舌が爪先を丁寧に舐めている。
大きく足を広げた体勢も恥ずかしくて、そんな場所への愛撫はやめて欲しいと思うのに、与えられる快楽に口を開くことができない。
自分の全てを曝け出している格好が、恥ずかしくて堪らなかった。
視線を感じたのか、アキラが淫蕩な笑みを唇に刻んで、眼を合わせて目線を絡ませたまま、舌先でちろりと舐め上げ甘噛みする。それは視覚の暴力ともいえるほどに
恐ろしく官能的で、色香に満ちた行為であった。見ただけで快楽の極みに駆け上ってしまいそうな、凄まじい視覚的な刺激に眼を離すこともできない。
「ひぅっ!やあ…う…ふ」
自身が決壊しそうになった瞬間、無情にもアキラの手がヒカルを押さえていた。思わず彼の手を解こうとするが、ゆるゆると刺激を与えられて、堪らず床に爪を立てる。
「進藤……指に傷がつくから。手はこっちにして」
言われるがままに頷いて、アキラの身体に自分からしがみついた。既に自分でも何をしているのか、よくわからない。
こんな時アキラに翻弄されてばかりでいる自分が悔しくてならないのに、触れた滑らかな肌と意外なほど広い胸にほっとする。
アキラの胸に頬を摺り寄せて、ヒカルはうっとりと吐息を吐いた。
「はあ…あ……あん」
けれど安心したのも束の間、次に与えられた快楽に背中がびくりと震える。ほっそりとした指が、彼を受け入れる部分を解していた。
一体いつ用意したのか、微かに香ってくるのはアキラが普段使っているジェルの発する甘い匂いだった。
碁石を掴むアキラの指に、自身の排泄器官に触れられるという行為は、全く慣れることができない。
他にも閨では、恥ずかしくて慣れられない行為が多い。今までは余り理解できていなかったこともあって意識していなかったのだが、一番ヒカルにとって心が中々許容
しないものは、アキラに触れられて悦び、快楽を感じている自分だった。指や唇で、アキラはヒカルの身体の至るところに触れてくる。
全身余すところなく。触れられていない場所など、どこもない。
唇で自身の男としての象徴を愛撫され、舌で丹念に舐められ、同時に本来は出るばかりの器官に指を突き入れられ、彼自身を受け入れる。
与えられる快楽に頭の中は真っ白になり、何も考えられなくなる。いや、正確には考えている。アキラのことを。
アキラのことだけを、心も身体を求めている。
「…う……ぁんっ!も…と、や…」
熱くて堪らない。内側に宿るマグマで焼け焦げていきそうだ。
ヒカルの声に応えるように、アキラはほっそりとした腕を引いて起こしてやり、赤く色づいた唇に口付ける。
自分の我慢も限界に近い。ヒカルと早く一つになりたかった。
本来の用途とは違った行為に扱われる器官を傷つけないように十分慣らしたつもりではあるが、どこまで負担があるかは分からなかった。
それでも、アキラはどうしてもヒカルとの行為をやめられない。好きだからこそ、愛しいからこそ、抱き締めて肌に触れたいのだ。
男同士では非生産的であるのは確かな事実である。でもだからこそ、その行為に愛情を込めることで互いをより深く知って確かめ合いたい。
肌を重ね、触れ合う行為そのものが、愛情を強くするスキンシップの一環のようなものだ。
金色の前髪を梳いて、愛しい少年の口唇と軽く触れ合わせる。
「おいで、進藤…」
「……うん…」
声を合図にしたように、胡坐をかいたアキラの膝の上にヒカルは自ら腰をゆっくりと落としていく。背中に腕を回して、熱の塊をじわじわと受け入れていった。
この体位は余り慣れていなくて正直恥ずかしいのだが、狭いシャワーブースでは、いつものようにできないのだから仕方がない。
後背からされるより、向かい合って抱き締められる方が好きだ。アキラとしても、ヒカルの背中が床で擦れたりして痣になったり、擦りむいたりなどさせるなど、言語道断
だ。ヒカルの肌を傷つけないようにするためにも、比較的ベターな選択であると思う。
蕩けるような細い喘ぎを洩らしながら、ヒカルは彼の肩に縋りながら腰を下ろしていく。
全てが収まると、耳元でアキラが濡れた息をゆったりと吐いた。
ヒカルはアキラの、この満足げな吐息を聞くのが実はとても好きだ。彼に自分が快楽を与えて、悦ばせている証拠のように思えて。
首元に頬を寄せて、アキラの白い鎖骨に自分の所有印を刻むと、擽ったそうに小さく笑って口付けてくる。
「やぁっ…あっ!?あぁっ!」
甘い唇を感じながら、ゆっくりと揺すり上げると、高い声がシャワーブースにこだまして反響した。
荒々しい呼吸を吐いて、収縮する内部の熱さに合わせてヒカルの腰を掴んで上下に動かしてやる。
「くぅ…ん、…ふぁ……」
最初は揺さぶられるがままになっていたヒカルも、いつの間にか自ら動き出して、アキラに新たな快楽を与えてきていた。
どちらに主導権があるのか分からない、蕩けるような悦楽の波に、いつしか二人は全てを忘れて溺れていった。
たっぷりと張ってあった湯でほこほこに温められ、昼間の疲れと、存分に快楽を味わって体力を消耗し、ヒカルはひどく眠かった。
間近にあるアキラの体温と体臭が、更に安心感を刺激する。
アキラに浴衣を着せて貰い、身体を抱き上げられてベッドに運ばれることにも一切抵抗せず、大人しくされるがままである。
隣に潜り込んで明りを消したアキラの腕に抱かれると、眠気は益々強くなり、誘惑は抗いがたい。
どのみち抵抗もせずにヒカルはそのまま夢の国へと旅立とうとしている。人肌が、彼の身体から緊張を解き放つ効果を与えていた。
アキラはそんなヒカルを抱き寄せて、耳元に満足げに甘く囁く。
「夫婦や恋人同士が仲良くいられる秘訣はね、一緒にお風呂に入ったり、ベッドで寝ることだそうだよ。だからなるべくお風呂も一緒に入って、同じ時間を過ごすようにしようね」
殆ど眠りかかっているヒカルは、アキラの言葉を理解しているのかしていないのか、訳も分からずただ頷く。
完全に意識を眠りに向かって手離そうとした寸前、アキラからちょっとばかり油断ならない、調子にのった台詞を聞いたような気もしたけれど、結局その後、朝の騒ぎですっ
かりヒカルは忘れてしまった。








