「さてと、気を取り直して……これが緊急用呼び出しメカだ。関西棋院の協力で作れた優れものだぞ」
しばしの休憩の後、何とかメンバーの顔色が戻ると、緒方は彼らに小さな箱を渡した。
「……これって…万歩計?」
「つーかポケットピカチ○ウじゃねーの?」
箱を開けて入っていたものに、伊角と和谷は眼を丸くしてしげしげと眺める。意外と芸が細かく、それぞれに合わせた色で
作られているのだが、これはこれでどうでもいい。
とはいえ、こんなものが緊急呼び出しアイテムとは……普通は携帯電話なのに、何故万歩計?
全員が疑問を抱きながら、戦隊名と同じように万歩計とはまたダサい路線だな、と内心呆れていると、突然彼らの眼の前
にあったポケットピカ○ュウ(因みにカラー)がアラームを鳴らし始めた。
『ピカピィカッピ♪ピカピーカピカピッ!ピカピィカッピ♪ピカピィカピーカチュー♪(※良い子の皆へ。本物のポケピカカラーは
こんなアラーム音は鳴らしません。棋士レンジャー専用仕様なので例え欲しくても我慢してね!囲碁戦隊棋士レンジャー企
画協賛By任○堂)』
(ち……力が抜ける……)
ピカチ○ウの声そのもののアラーム音に、若手棋士レンジャーの面々のうち約半数以上が崩し的に机に突っ伏す。
他の者はずるりとずっこけ、「新婚さんいら○しゃい」の司会者も顔負けなぐらい見事に椅子から転げ落ちた。
――ガタン!ズベシャッ!!
椅子のこける音と、本田、門脇、社が冷たい床に転がり落ちる音が司令室に響き渡る。
「おい、大丈夫かよ、社」
一番派手に椅子から落ちた社を、ヒカルが気遣うように声をかけた。そんなヒカルに、社は机にしがみきながら何とか体勢
を立て直し、身振りで大丈夫だと伝える。予想外の出来事に、ついお約束なギャグをかましてしまった関西人の性が悲しい。
頼むからもう少しまともなアラーム音にしてくれないだろうか。緊張感の欠片もありはしない。
「おいお前ら、あれが鳴るということは近くに敵が潜んでいるぞ。呼び出し音の方はこっちだからな」
『ピカピー♪ピーピカピ♪ピカピーカピカピピピ♪ピカピーカピカピカチュ♪ピィカピィカチュ〜♪』
一人冷静な緒方は、机や床と友達になってしまっている棋士レンジャー達に、緊急事態のアラーム音と、呼び出し用のア
ラーム音との違いを懇切丁寧に説明している。それ以前に何故ピカチ○ウの声なのか。ピカチ○ウの声優さんにギャラを積
んでわざわざ頼んだのだとしたら凄いことだ。
もしかしなくても明子総司令の趣味か?それにしてもどこかで聞き覚えのあるメロディーだ。
(…こんな可愛いアラーム音で緊急事態の知らせとか呼び出しとかすんなって……)
囲碁戦隊棋士レンジャーの常識ハズレな部分に随分慣れたつもりでいたが、まだまだ甘かったようだ。まさかこんなアラー
ム音を使用するとは、夢にも思いもしなかった。
「あ、そうそう。緒方先生の分も、塔矢先生から預かってるんですよ、これ」
一人何事もなく平然とポケピカカラーをいじっていた芦原は、緒方仕様のど派手なポケピカらしき物体を取り出した。
「……なんだこのアヤシイ万歩計は?」
「緒方先生の服っていつも白だから、目立つし丁度いい感じですね。これで仲間外れじゃないですよ」
人の話を聞かないという点においては芦原も同じだった。緒方にしてみれば『このオレに、こんなピカピカ輝く極彩色と蛍光
色の入り混じったようなアヤシゲな万歩計を付けろというのか?』という恫喝の籠もめた問いであったのだが、少しも堪えず
どこ吹く風でまるで見当違いの返事をしている。
(凄いで芦原隊長!大物や!)
社の驚くところは微妙におかしいが、的を射ているともいえるだろう。
「じゃあ、付けてあげますね」
「……なんだと!?」
緒方が返事をするよりも早く、芦原はベルトにブスリとポケピカのフックを突き刺した。
ダブルの白スーツの高級なブランド物のベルトに嵌った蛍光極彩色のど派手なポケットピカチ○ウカラーは、予想を遥かに
超えて目立っていた。誰もが緒方を見たら、まずベルト付近に眼が吸い寄せられること間違いなしである。
(うっわー!似合わね〜!!)
平隊員は笑いを堪えて緒方の姿を見入る。余りにも目立つポケピカは、まるで燦然と輝いているようであった。
副司令の座に座って若手イジメをする筈が、自分の方が恥を晒すことになるとは緒方も思わなかったに違いない。
何とか真面目な顔にしようと思うのだが、余りに滑稽な姿に笑いが零れそうになり、唇の端が痙攣する。気を抜くと顔が笑み
崩れてしまいそうになるので引き締めるのだが、その努力もむなしく何とも微妙な顔付きになっていた。
緒方はタイトルホルダーのプライドもあり、こんなつまらないことで芦原に怒鳴り散らすわけにもいかずに押し黙る。平隊員
の面々の顔を眺めれば、全員必死に笑いを堪えて皆おかしな表情になっていた。
ちょっとしたきっかけで大爆笑間違いなしの、微妙で行き詰る空気が流れる。いつもは冷静で表情を崩さないアキラですら、
視線を逸らして口元を押さえているのだ。よっぽど緒方の姿が可笑しいのだろう。
緒方にしてみれば、はっきり言って赤っ恥である。それも苛めたい若手の前での大恥。穴があったら即座に入りたい気分だ。
若手棋士の前でつまらない恥をかかされて顔を紅潮させ、プルプルと拳を震わせながら怒りと羞恥で自分を見失いそうにな
るのを理性で押し留めている様は、見ているだけで楽しいものがあった。平にしてみるとまさに胸のすく思いといえよう。
「ええい!お前らもさっさとつけろ!副司令が直々に付けてるんだぞ!」
その気配を察したようで緒方は彼らを睨みつけて傲慢に言い放った。八つ当たりモード大全開である。
とはいえ、上司に逆らうと手合料カットの可能性もあるので、仕方なくしぶしぶと平隊員達はそれぞれの色のポケピカカラー
を腰に嵌める。はっきり言って、緒方のことを笑えないぐらい彼らにもまるで似合っていなかった。
「それにしてもさっきからずっとアラームが鳴りっ放しだな、どうやって止めるんだ?」
「新品だし壊れてるわけねぇよな。ちょっと貸してみろよ塔矢」
可愛らしいピカチ○ウの声も、11人分揃うと喧しい。ヒカルは適当にいじって一旦は止めることに成功したもののすぐにけたた
ましくなり始める。
「鳴りやまないということは、敵が近くに潜んでるんだ。さっきからこっちが鳴ってるだろうが……ったく!」
『ピカピィカッピ♪ピカピーカピカピッ!ピカピィカッピ♪ピカピィカピーカチュー♪』
折角恥ずかしい思いをしてまで説明してやったというのに、全然話を聞いていない部下達に苛々して業を煮やす緒方に応え
るように、切ってあるはずの正面モニターに唐突に電源が入り、粒子が飛ぶ乱れた映像の中に奇妙なシルエットが浮かんだ。
『ふっふっふっふっふ…ばれてしまっては仕方ありませんね…。悪の秘密結社『IAS』の総統が御挨拶に参りましたよ』
モニターから零れ出る若い男の声に、棋士レンジャーの面々の殆どが再び机に懐いてしまった。とうとう、現れて欲しくない敵
が登場する時がやってきてしまったのだ。これが落ち込まずにいられようか。
(お願い………もうお家に帰して……)
悪の秘密結社総統登場という見事なお定まりのパターンに、これからの展開を予想して、常識人の若手棋士達は大きな涙池
を机に作りながら心の底から哀願した。
だがヒカルはそんな仲間たちとはまるで違った反応をする。聞き覚えのある声にはっとしたように顔を上げ、正面モニターに写
った総統と名乗った人物を大きな瞳を見開いて食い入るように見詰めた。画面には、御簾越しに烏帽子に狩衣姿のシルエットが
浮かび、その人物との別れを経験したヒカルは驚愕の余り、思わず彼の人の名を読んでしまいそうになって慌てて口を噤む。
そして次の瞬間には、こんな馬鹿みたいなことをしているなら、何故自分の元から消えてしまったのかと怒鳴りつけてやりたくな
った。しかしヒカルがキレて喚くよりも早く、先手を取るように秘密結社総統は、副司令の緒方も無視してヒカルに声をかけてきた。
『ヒカル…しばらく見ない間にとても綺麗になって…。私はあなたに再び会えたことを、神に感謝しています』
「うん……オレも会えて嬉しい……」
あの頃と変わらず優しく話しかけられて、ヒカルは懐かしさとこみ上げてくる嬉しさに、目元を微かに潤ませてこくりと小さく頷く。
『元気そうで何よりです。あなたの成長を感じることがもう一度できるなんて…私は幸せですよ』
「オレも…おまえとこうして話せるだけで幸せだ」
姿もちゃんと見えず、画面越しでもあったが、二人は見詰め合い、これまで会えなかった日々を埋め合わせているようだった。
まさに、感動の師弟再会である。
そんなヒカルの真横では、美しい感動の対面に相応しくない嫉妬と邪推のオーラを纏ったおかっぱ頭のアヤシイ影があったが、
彼はすっかり存在自体を無視されている。というよりも、彼らの誰も間に入れそうにない雰囲気だ。
アキラとヒカルの間にも鉄壁の強い絆があるのだが、ヒカルと彼の人の間にも神聖で冒しがたい絆があるのである。
今のアキラと画面に御簾越しに映る彼の人とでは、どちらが悪の秘密結社総統なのか疑いたくなるほどだ。
(……佐為………ってつられて浸ってる場合じゃねぇ!誰がキレイだこの野郎!オレは男だぞ!)
はたと我に返ってツッコミを入れるヒカルだが、秘密結社総統も男だとは思えないぐらい綺麗な人物だと知っているので、文句
を声に出して言えない。それ以前に、自分の怒りの矛先をものの見事にすり替えられていることに気付いていない。
二人の醸し出す感動の場面にすっかりのまれていた若手棋士達だったが、ふとあることに気がついて頬を引きつらせた。
「うわ〜っ!進藤!おまえ悪の秘密結社総統と知り合いなのか!?」
彼らが口に出せずに押し黙ったことを、そのまま声に出したのは和谷だった。
思わずヒカルを見詰めて叫んだ和谷なのだが、その声には、「仲間が敵と知り合い=裏切り者」といった悲壮感というか緊迫感
というものはほんの少しも、というか微塵もなく、むしろ「なんて不幸な奴」という憐憫と同情が多分に含まれている。ある意味、棋
士レンジャーの総司令と副司令を肉親に持つアキラよりも、悪の総統の弟子という立場であるヒカルの方がもっと恥ずかしい。
実際、ヒカルと秘密結社総統の僅かなやり取りを見ていた若手棋士の殆どが、「不憫な…」という目を向けてきていた。
その事実に気付いたヒカルは、背筋にだらだら冷汗を流して大いに焦る。確かにこれは物凄く恥ずかしいというか…赤っ恥だ。
「違う!オレは知り合いじゃねぇ!」
慌てて必死になって否定しながらも、頭を抱えて喚く時点で『とても親しい知り合いです』と既に自ら告白しているようなもので
ある。だがしかし、焦りまくっている当のヒカルに自覚はこれっぽっちもなかった。
「嘘ばっかし。会えて嬉しいとか言ったくせに。……ってかさぁ、おまえ下手したら塔矢よりも恥ずかしい立場だぞ、コレ。よくこう
いうパターンがあるじゃんか。弟子と師匠が敵同士になり、悲壮な覚悟で戦うって、アレ。主人公の敵が、実は敬愛する師匠で
ありながらも秘密結社の黒幕で、ラスボスってヤツだよ。ヒーローものの黄金パターンじゃねぇか」
まさにその通りです。
とは、ヒカルは口が裂けても言えやしない。和谷の勘のよさに、自分に与えられる役柄が想像できて、情けなさとアホ臭さに涙
すら出てきそうだ。はっきり言ってガラじゃない。何が楽しゅうて悲壮な覚悟で闘う主人公なんぞをせねばならないのだ。囲碁戦
隊棋士レンジャー自体が既に馬鹿馬鹿しいお笑い集団だというのに、今更シリアスに持ってきてもアホらしいだけである。
その上狙いがみえみえだから余計に嫌だ。つまりその狙いとは、ヒカルとアキラを恋人同士という関係に踏まえて、こんな図
式が出来あがる。まずアキラの両親が正義の味方の親玉。そしてヒカルの師匠は悪の組織の総統。愛し合う二人だが、お互
いの肉親が敵同士である為に、その戦いの中でロミオとジュリエットのように葛藤する……。
(ケッ!誰が葛藤するかよ!そんな殊勝なタマか!?この傍迷惑囲碁バカップルが!)
何て無謀な展開にするつもりなんだ!とこの役柄とシナリオを考えたどこの誰とも知れない人物に、若手棋士の面々は大い
に呆れて、馬鹿らしさに溜息すら出ない。
(――っていうか絶対無理だし!)
プロの漫才師も真っ青な見事な裏手ツッコミを、彼らは行って内心きっぱりと言い切ったのであった。
彼らは全員、総統の登場とヒカルとの会話でおおよそ脚本家の狙いを察したものの、これを止める手立ては全く思いつかな
かった。まさかこのままシリアスな展開に持ってこられたりしたら、自分達の恥は更に上塗られてしまう。それだけは嫌だ。絶対
に避けたい。こんな華々しく面白可笑しい戦隊をシリアスに持っていくこと自体が、既に神の一手と同じく難しい難題なのだ。
こんなアホらしい戦隊で、真面目に悩み苦しむキャラクターをしろというのか…それこそ大恥である。
(無理のあるシリアス展開にされるぐらいなら、お笑いの方がまだマシだっ!)
そんな若手棋士達の思いは無視して、秘密結社総統は御大層なシナリオ通りの展開に持っていく気が満々なようだった。