「なあ、戦闘コスチュームがあるってことは、戦うのも全員ってことになるの?」
――ピシィッ!
いきなりのヒカルの爆弾発言に、偽りではあったものの和やかになりかけていた空気が凍りつく。それを知ってか知らずか、
ヒカルは不思議そうに小首を傾げた。
「緒方先生、初めは本田さんと門脇さんと越智は後衛みたいなこと言ってたし、こういう衣装を着るのもオレと塔矢と社と和谷
と伊角さんの5人だけかと思ってたけど、8人分あるじゃん?だから現場仕事はオレら全員がすることになるのかな〜って」
「でも緒方さんと芦原さんと冴木さんも着てるよ?」
(ナイスフォロー!塔矢!)
思わず後衛組(予定)は内心でガッツポーズを決める。ヒカルの不吉な発言が、現実になりそうで背筋に悪寒が走っていた
のだ。できればこの姿で碁を打ちたくないだけに、彼の否定的な台詞は有り難い。
「そっか、そうだよな」
ヒカルは納得したように屈託なく頷いたが、すぐに「でもなぁ…」と口元に拳を当てて考える素振りを見せる。
(何だ!?まだ何かあるのか!!)
ビクビクしながらヒカルの動向を窺う彼らは、本気で彼の言葉が全て予言となり、現実と化すような嫌な予感に慄いた。
「緒方先生達幹部も着てるんだったら、この衣装は囲碁戦隊全員の衣装ってこと?塔矢先生やおばさんも着てるのかな?」
「!!?」
アキラはコカトリスのブレス浴びたように石化した。ひくりと頬を震わせたまま、絶句して二の句が告げずにいる。きっと両
親が緒方のような格好でいる姿を想像してしまったに違いない。
緒方の例を見ているだけに、どんなに否定したくても否定できないところが悲しい。
だがアキラが声を失ったのはそれだけが理由ではなかった。彼はヒカルの言葉であることに思い至ってしまったのだ。
「た…多分着ているんじゃないかな、進藤」
「え〜!マジで?」
「う、うん」
(認めるのかよ?!)
(その根拠はどこから!?)
(ちったぁ否定せんかいな!)
和谷、伊角、社の三人は、アキラが声を震わせながら認めた衝撃的な言動に、もれなく内心で絶叫する。
完全にロッカールームの空気が氷河期のように凍りついたところで、館内放送が鳴り響いた。
『いい加減諦めて着替えろ、おまえら!10分以内に席に着かないと手合料5回分カットにするぞ!』
自分はタイトルホルダーだからいいが、貧乏な低段棋士に給料をたてに脅すなんてひど過ぎる所業だ。お坊ちゃん組の
アキラや越智はともかくとして、他の6人にとって手合料は大事な稼ぎである。5回の手合料カットなんて、この世には神も
仏もないのかと、悲しくてどうしようもなくなってくる。
しかし、この放送をきっかけにしたように彼らは完全に開き直った。着るしかないなら着てやろうじゃないか!とすっかり
男前な心境に至り、全員、煌びやかな衣装に袖を通し始めた。
ド派手な衣装の素材は最高級のものだった。白で統一されたドレスシャツ、それぞれの色で作られた燕尾服とスラックス、
靴のサイズに靴下に至るまで完璧な出来栄えのオーダーメイド製品なのだ。
一着辺りいくらかけているのか知らないが、柔らかで滑らかな肌触りといい、ぴったりと合うサイズといい、着心地につい
ては文句の着けようがないほど超一級の仕上がりだ。どうにかして欲しいと思う派手な刺繍も、相当に凝ったものである。
「これ…もしかしてシルクじゃないか?」
「げっ!マジで!?」
衣装を着て、マントに手をかけた伊角の言葉に、和谷がぎょっとしたように眼を剥く。
「オレも同意見。この衣装もマントも全部シルクだと思う」
「…ボクもシルクの服は持ってるけど、これは相当な高級品だよ。一着の値段を考えるのは止めた方がいいかもね」
門脇も服の感触を確かめて頷き、越智は眼鏡を押し上げてすまして告げた。恐らく、自分達が時折着るスーツの数倍の
値段は最低でもかかっているに違いない。ひがむつもりは毛頭ないが、ちょっと複雑な気分に陥る若手棋士達だった。
(本職の棋士よりも、棋士レンジャーの衣装の方が高いって……)
もしも破いて弁償なんてことになったら、果たして自分達の手合料で払えるのだろうか?払えたとして何度の分割払いに
なるのか?そこを考えると薄ら寒くなってくる。それこそまさにただ働きだ。――考えるだけで涙が誘われる。
それにしても、全員が衣装を着てマントを着けると、実に壮観な眺めになる。ただのロッカールームがどこかの舞台に変
貌したようだ。彼らは自分達の姿を互いに見やって、余りにも眼に痛くなるような強烈な豪華さに、しばし声を無くしていた。
これからこの姿で碁を打つのかと思うと、衣装とは反対にだんだん気が滅入ってくる。
「…そろそろ行かへん?手合料カットされると困るし」
「ああ、それもそうだな」
「んじゃ行こうぜ」
北斗杯組の三人に声をかけられ、残る5名は覚悟を決めたように頷き、ロッカールームの扉を開けた。
「ほう……中々似合っているじゃないか」
全員が席に着くと、緒方が満足そうに笑って頷く。相変わらずショッキングピンクの羽根はつけたままなので、その姿はか
なり変だ。緒方を見ると、自分達の方がまだマシだと思えてくるから、不思議である。
緒方をはじめ、芦原に冴木もこの光彩陸離な衣装をきている為か、機械的で無機的なはずの作戦司令室は、実に華や
いだ雰囲気になっている。総勢11人の威力は凄まじく、彼らがそこに座っているだけでまるで宮殿のような煌びやかさだ。
つまり、それだけ派手だということだろう。
全員が揃うのを待っていたかのように、正面の大型モニターに総司令の明子夫人と副司令の塔矢行洋の姿が映った。
その姿はアキラの言葉通り、自分達と同じように絢爛な衣装を身に纏っている。外れて欲しかった予想の余りの強烈さに、
一瞬気が遠くなる若手棋士達であった。
『まあ!まあ!まあ〜!皆とっても似合っているわ!素敵よ!!』
嬉しそうにはしゃいだ声を上げる総司令もとい明子夫人の様子に、褒められてもちっとも嬉しくないです、とは誰も正直に
言えずに曖昧なジャパニーズスマイルを浮かべて応えるに留める。
『衣装を特注した甲斐があったわね〜』
うっとりと微笑む明子夫人は、彼らの気持ちを微塵も汲み取ってくれなかったらしい。すっかり満足の体である。
「あの…総司令…この衣装は囲碁と何か関係があるのですか?」
ここでは親も子もないということなので、アキラは明子を母とは呼ばずに敢えて総司令と呼んで尋ねてみる。
『服と囲碁に関係はないの。秘密結社の方と囲碁で対決するにしても、いつもみたいにスーツじゃ面白みがないでしょ?そ
れにやっぱり地味だし。だからせめて衣装だけは派手にしようと思って、これにしたの』
「………けどどういった趣向で衣装がコレなんですか?」
伊角も恐る恐る挙手して尋ねたが、その質問の内容にアキラが哀れむような顔で首を振ったことに、彼は気付なかった。
『うふふ…そんなの決まってるじゃないの〜。私の趣味よ♪』
(それだけかいっ!!)
一瞬にして司令部全体の空気は宇宙空間に放り出されたバナナのごとく冷たく固まった。きっと、このバナナで釘を打っ
て家を建てることすら造作もないに違いあるまい。
(趣味って…趣味って〜!)
(明子夫人は宝塚Fanだったのかー!?)
(ううう…男ばっかでこの衣装…キツ過ぎる……)
涙にくれる和谷、伊角、本田を含む数名の気も知らず、明子はすっかりご満悦だった。美形の若手棋士の煌びやかな姿
に、囲碁戦隊棋士レンジャー企画をやって良かったと、大喜びである。行洋は既に妻の暴走を止める気が無くなっている
のか、無言のまま事態を見守り、画面の奥でのんびりとお茶を啜っていた。棋士という職業に合わない衣装を着たままで。
(――ってすっかり寛いでるし!)
ガビーン!
救いを求めるように移した視線の先にあった、余りにも落ち着いている塔矢行洋司令の姿に、司令部に居る若手達は衝
撃を受けずにはいられなかった。やはり長年夫婦で連れ添っているからだろうか、往生際悪く足掻くのは得策でないと考
えて受け入れるのも早い。
(…もう好きにしたらいい…)
そんな彼と全く同じ境地に至っている者が司令部にも一人居た。アキラである。彼はこのド派手な衣装が全員着る事に
なるのを勘よく気付いた時点で、どこか投げやりに達観した心境に至り始めていたのだった。
伊達にこの母の息子はやっていない。これが母の趣味だと分かったからには、諦めるしかないと思っていた。多分この
衣装や棋士レンジャー企画事態がより一層派手になることはあっても、こじんまりと小さく纏まることだけは今後絶対に有
りえない。きっと益々規模も拡大していくだろう。
こうなったら開き直るしかない。アキラもまた父と同じく達観の心境に至っていたのだった。
『そうそう、実戦部隊のリーダーを決めてもらわないといけないのよ。ねぇ?あなた』
『うむ。最初の会合で実戦部隊は5人ということにしていたが、やはり8名全員ということになってね。隊長と副隊長は実戦部
隊ではないし、君達の纏め役としてリーダーを決めてもらいたい』
(ああ……やっぱりね……そんな事だろうと思ったよ…)
全員揃ってフッとやさぐれた笑みを浮かべて瞳をあらぬ方向に向ける。若手8名にこの派手な衣装が配られた時点で、
既に危惧していたことだけに、今更彼らは驚かない。それよりも、リーダーを決めることの方が気になる。
『8人で一チームですもの、やっぱりリーダーは必要よね!』
有無を言わせない口調からして、これは絶対に決めねばならないらしい。彼らは無意識のうちに伊角の背中を見やった
が、伊角は危険を察知して素早く挙手した。
ここで大人しくしていては、本当にリーダーにされかねない。それだけは絶対に回避せねば。
「はい!一番年長の門脇さんが適任だと思います!」
「あ…そういやそうだ」
「うんうん」
「ホンマ、ぴったしやん」
「確かに適任かも」
伊角の推薦に、門脇を除いた他のメンバーも納得したように頷く。この流れでは門脇は確実にリーダーの椅子Get間違
いなしだ。門脇は大いに焦るが、世の中は実に無情であっさりと場は進む。
『じゃあ、リーダーは門脇君ね』
(NO〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!)
ムンクの名画『叫び』のように、両頬に手を当てて身体をうねらせる門脇の気も知らず、スパッと明子は決定を下した。
『あと副リーダーは…』
「はい!はい!」
明子が副リーダーという台詞を口にした途端、門脇は名画から復帰して素早く挙手する。意外と立ち直りの早い男だ。
『はい、門脇君』
「副リーダーは伊角君が適任です!歳もオレの次に下だし」
『…だそうですわ。皆さんご意見は?』
伊角を除いた7名は揃った動きで、異論はないと同意を示して頷く。無情なようだが、彼らもまた自分の身がやはり可
愛いのであった。
(そ……そんな…!)
伊角は自分の横に座る和谷までもが頷いたことにショックを受けたものの、両手で拝む真似をされただけであっさりと
「まあいいか」と納得してしまう。どんな男でも、可愛い恋人の愛らしい仕草には負けてしまうものなのだ。