武器を奪い取られた上に腕を縄で縛られて、アキラとヒカルは銃で背中を小突かれながら、教会近くにある軍用機まで強制的に連行
された。機内では念入りに目隠しまでもした上で、二人が連れてこられたのは、ナチスの要塞の一つである。
尤も、彼らは目隠しをされていたので場所は全く見当もつかず、分からなかったが。
眼を覆っていた無粋な布が取り払われたのは、物置というか納戸のような古ぼけた狭い部屋でだった。
意味不明なガラクタが棚を占領し、必要のない書類と思しき紙の束などが足の踏み場もないほど床に散乱している。散らかった小汚
い室内は寒くて埃っぽく、衛生的に身体によくない上に、環境も最悪だった。布が取り払われ、眼が見えるようになると、ヒカルはすぐに
アキラの姿を探した。だが、実際的には探す必要は全くなかった。何故なら、彼はヒカルの真後ろに同じように縛られていたからである。
アキラとヒカルは、二つの椅子の背凭れをつけて、座ったまま互いに背を向けた状態で拘束されていた。
ヒカルは肩越しに見えるアキラの黒髪を確認して内心安堵したものの、状況としては全く改善されていない現状に、なんとも情けない
ような腹立たしいような複雑な気分に陥る。二人は有り難くない方法で素晴らしい招待をしてくれた大人達に、鋭い目線を投じた。
「そう睨まないでくれ。大人しくしてくれれば、危害は加えない」
白いスーツを着た眼鏡の男の言葉を、アキラは簡単に信用しようとは思わなかった。
「緒方さん、貴方が例えそうであったとしても、ご友人全てが友好的とは限らないでしょう」
「大丈夫さ。聖杯を手に入れるまでは、君達は大切な客人だ。何と言っても鍵の持主だからね」
眼鏡を指先で押し上げ、緒方精次は揶揄するような視線をアキラに向けると、ヒカルの首筋から半月の形に分離した魔鏡を指先で掬
う。丁寧な手つきでペンダントを取り上げ、眼の前に掲げた。
「君達はずっとこの魔鏡を持っていた。自覚しておらずとも、我々の知らない情報を知っている可能性は高い。聖杯が完全に手に入るま
では、少なくとも殺される心配だけはする必要はないだろう」
「つまり、聖杯が見つかって使いこなす方法が分かった時点で、ボク達は殺されるというわけですね」
「それは分からないな。ナチスと日本軍が決めることだ。オレにはそこまで関与する権限は与えられていない」
溜息混じりに軽く肩を竦めると、緒方は屈んでアキラの首元にも手を伸ばした。
「………武器は隣の部屋の暖炉の横だ。荷物も傍にある。後は好きにしたまえ」
留金を外しながらアキラの耳朶に素早く囁くと、緒方は人の悪い笑みを浮かべ、背凭れに回されたヒカルの手に折り畳み式のナイフを
握りこませる。彼の真意をヒカルもアキラも推し量ることができないが、少なくとも緒方も考古学者の一人だ。倉田と同じように、ナチスと
日本軍に聖杯を好きにさせるわけにはいかにと考えているのだろう。
緒方はアキラの父である塔矢行洋の助手をしていたこともあり、佐為と組んで仕事をしたこともある。彼にとってアキラは師匠の愛息子
であり、ヒカルは友人の養い子であり愛弟子だ。見捨ててしまうのも、後味も悪いし夢見も悪い。
勿論それだけでもなく、緒方にとって二人は歳の離れた弟のようなもので、やはり可愛いし大切であるのだ。
倉田と同様に緒方も演技が上手いようで、その行為は彼自身の身体に巧妙に隠され、周囲で動向を見張るドイツ軍の兵には全く気付
かれていなかった。魔鏡を首尾よく取って離れていく緒方を不貞腐れたように睨む二人を、ナチスの親衛隊員達は満足そうに眺めている。
「さて、アキラ君。あの地下墓地の棺に何が書かれていたか、知っているかな?」
「いいえ。読むだけの時間がなかったもので……」
「おやおや、それはお気の毒に。あれには聖杯を隠した場所への行き方が書かれていたのに」
嫌味なアキラの口振りを聞いて面白そうに口元も緩ませ、緒方は煙草に火を点けて紫煙を吐いた。
「……緒方さん、ボク達にそんな事を教えていいんですか?」
「構わんさ。どうせ奴らに日本語は分からないんだ。それに君も進藤も捕まったままで終わるような、可愛げのある性格でもあるまい?
オレと倉田君は一足先に現地に行っている。急いで追いつくことだ」
煙草をくゆらせながら緒方は楽しげに笑うと、近くにあった灰皿に燃え残りを押し付ける。
「おい!さっきから何を話している!?」
部隊の隊長らしき人物の不審げな詰問に、緒方は悪びれずに流暢なドイツ語で返答した。
「総統の夢を実現に導く大切な聖杯の情報を聞き出していたんですよ。情報は少しでも多い方がいいでしょう?」
隊長は緒方の言葉に疑わしそうに片眉を上げたが、それ以上追求してこようとしなかった。日本語の会話が分からないことは事実で、
本当の緒方が言ったかどうかという問題よりも、聖杯を探す方が重要だったからだ。
視線を外した隊長の様子に内心緒方はホッとしたが、すぐにヒカルに興味を移した隊長が予想もなかった言葉を紡いだ。
「金髪のガキを一緒に連れて行くか。いざという時に人質として使えそうだ」
「…はぁ………?」
咄嗟に何と返せばいいのか緒方には見当もつかなかった。ヒカルを人質とは、大いに意表をつかれて読みから外れている。
しかも好んで目をつけたのがヒカルだというのだから、命知らずと言おうか何と言おうか。
だが、悠長に感心している場合ではない。背中に突き刺さるアキラの殺気のこもった目線に、身の危険を感じずにはいられなかった。
アキラは語学に堪能で、英語は勿論のことドイツ語も完璧だ。つまりは、さっきの部隊長の話も理解しているということである。
基本的にヒカルは人望に富むという稀有な才能がある。彼には不思議と人を惹きつける魅力があって、本人が意識しなくても、多くの
人が自ずと力を貸してしまうのだ。だからこそ緒方や倉田もヒカルにはつい甘くなる。
しかしアキラには二人の感覚だとか言い分は通じない。あの嫉妬深い王子様は、友人であっても嫉妬の対象にするのだから。
アキラにはあくまでもヒカルと一緒にいることが優先で、他人はどうなろうと知ったことではない、という筋金入りの冷徹な性格だ。
彼とヒカルを引き離そうとする輩には、それはもう恐ろしい運命が待ち受けているに違いない。
自分に八つ当たりするのはやめて欲しいとは思うが、立場上は緒方もドイツ軍の仲間なので、アキラに睨まれるのも仕方がない。
だからといって、心臓を貫通させそうな氷柱のような目線は痛すぎる。
このままヒカルを連れて行くことになったりしたら、隊長を止められなかった罪で、緒方は間違いなく後でアキラに八つ裂きにされる。
緒方にとっては、ナチスや日本軍よりも、本気で怒るアキラの逆鱗に触れる方がもっと恐ろしい。アキラは落ち着いた真面目な美少年
という外面の内側に、凄まじい独占欲と執着心を隠し持っている。しかもそれを発揮するのはヒカルのみで、その他大勢はどうでもいい、
という素晴らしい徹底振りである。ヒカル以外の他者に対しては、アキラはいくらでも切捨てを実行する、冷然たる精神の持主なのだ。
「あの……人質というのはちょっと………」
危機感をひしひしと火事ながらも、何とか押し留めるように口を開いたが、背中に感じる針はナイフへと変化している。どうやら、この言
い回しがアキラ王子はお気に召さなかったらしい。
「ふーむ…確かにこれ以上人数も増やすのもマズイか……」
思わぬ展開に内心緒方は冷汗を滝のように流していたが、何も言わずに頷くのみに留めた。ヒカルが不愉快そうに眉を顰めて部隊長
を睨みつけていたのにも、気にする余裕もない。
「あの……隊長、そろそろ………」
連れて行くといつ再び言い出すかと、緒方がビクビクしていると、一人の兵士が遠慮がちに口を開いた。
「うむ、日本軍との合流地点に向かう時間だな」
隊長は一瞬ヒカルをもう一度眺めたが、すぐに踵を返して暖炉に近付く。ホッと胸を撫で下ろしながらその後に続いて行こうとする緒方
の背中に、これまで一言も話さなかったヒカルが声をかけた。
「緒方先生!最後に一つ教えてよ。ここってどの辺りなの?」
「詳しい場所はオレにも分からんが……一番近い都市はミュンヘンだ」
ヒカルの意図に気付いて緒方は微笑み、ドイツの地地方都市の名を告げる。
「………ミュンヘン……」
ヒカルは確かめるように呟き、背後にいるアキラを肩越しに振り返る。それにアキラも小さく頷いてみせた。
ミュンヘンならばオーストリアやスイスにも近い。二人にとってはドイツ国外に脱出するのに最も適している。
彼らの会話は日本語で、しかもミュンヘンの名もドイツ語の発音でわざと言わずにおいた。ナチス兵は全く二人の会話を理解すること
ができず、そのまま暖炉の傍で緒方を待っていた。
「行くぞ」
緒方を促してナチスの一段は暖炉の端にあるペダルのようなものを踏みつける。すると低い音と共に暖炉と壁が回転し、隣の部屋へ
続く通路ができた。軍人と日本人の一行は、隣の部屋を突っ切って要塞の外へと向かった。
「日本軍との合流と同時に聖杯探索に出立するぞ。準備を怠るな」
既に用意されていた軍用ジープに乗り込み、要塞を後にする。もう聖杯を手に入れた気になって、勝ち誇ったように笑う彼らの気楽さ
には正直呆れた。今は捕らえられている二人の少年の逆襲を考えると、簡単にはいかないと容易く想像できるだけに、尚更である。
ヒカルは小柄で細っこく痩せた身体の割りに、誰も予想できないような才能の持主なのだ。アキラもまた、大人しげで如何にも学者ら
しい聡明そうな容姿にそぐわない類のものを操る達人だったりする。二人のこの一面を知れば、連中はさぞや驚くに違いない。
しかも彼らが得意とするのはその二つの分野のみだけでなく、それとは別にヒカルは剣の、アキラは体術において抜きん出た実力を
持っている。例え相手が軍人でも、引けを取りはしない。
相手を子供と侮って余裕をかます輩を冷たく横目で眺め、緒方はひっそりと日本語で呟いた。
「……彼らを嘗めてかかると、ろくな目に遭わんと思うがね……」
緒方とナチスの親衛隊が立ち去った後、ヒカルはすぐにナイフを取り出して、腕を拘束する縄を擦り始める。いくらヒカルが剣を扱うの
が上手い方でも、後ろ手に縛られた状態では如何ともしがたい。縄は思った以上に頑丈で、折り畳みナイフ程度の切れ味では時間が
かかりそうだった。邪魔をしないようにヒカルを無言のまま見守っていたアキラだったが、不意に顔を上げて背中越しに振り返る。
「進藤、何だか焦げ臭くないか?」
問いかけに形のよい鼻をひくひくとさせるが、ヒカルには何も感じることができなかった。ヒカルは残念ながら、調香師の資格を持つア
キラほど優秀な嗅覚の持主ではない。
「何も匂わねぇけど…?」
背後でヒカルが小首を傾げた気配を感じ取り、では自分の気のせいだったのかもしれないと思い直し、「そうか」と返してあっさり引き
下がった。アキラはヒカルの集中を途切れさせないように再び押し黙る。
しかし、しばらくするとまた香ばしく物が焼ける香りが漂ってきた。心なしかパチパチという木が爆ぜる音も聞こえる気がする。
「あの……進藤…やっぱり何か焦げた匂いがするような……」
必死になって作業をするヒカルに、遠慮がちに声をかける。
「へ?縄を切るのに火なんて使ってねぇぜ?」
どことなく不機嫌な口調ながらも訝しげな声でヒカルは返答するが、どうしても納得できない。有り得ないと考えながらも、不吉な予
感がして首をできる限り動かして部屋を見回した。途端、彼は椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がった。もとい、立ち上がろうとした。
だが残念ながら、腕と上半身を拘束されていて、結局椅子を激しく揺らしてヒカルの邪魔をしただけであった。
「バカ塔矢!ナイフが落ちそうになったじゃねぇか!」
「そんな悠長なこと言っている場合か!?火事だっ!!」
「火事って………――えぇっ!?」
何を馬鹿なことを思いながら顔を上げたヒカルが見たものは、机の上にあった灰皿付近にあった紙から埃、埃から床にある書類や雑
多な物に炎が広がっていく光景だった。ヒカルの位置からだと火が燃え広がる様子は容易く見えるが、背中合わせのアキラからはか
なり見辛かっただろう。よく見つけてくれたものだ。
どうやら出荷元は灰皿らしい。灰皿の周辺の書類は既に半分燃え尽きており、代わりに書類と灰皿をのせている木製のテーブルに大
本が移っているからだ。そしてその火はすぐ傍に掛かっている窓のカーテンにまで飛び火し、カーテンから壁際の棚(これも木製だ)、棚
から中に置いてある雑多な書類や本、小物に至るまで被害が及び始めていた。
想像もしなかった現実に、ヒカルは我を忘れて茫然と炎の饗宴に見入られてしまう。
そういや緒方先生があの灰皿で煙草を揉み消してたっけな……と思い返してみても、既に後の祭りだ。
「ちっ!……………めっ!!」
乱舞する火の粉を眺めるアキラが盛大に舌打ちしつつ毒づく。余りにもとんでもない台詞を聞いて咄嗟にヒカルは我に返り、慌てて縄
を切る作業を再開しながら気付かれないようにそっと嘆息した。態度が悪いとまだ見て取れる時は彼がまだ心底怒っていない証拠だと
はいえ、かなり口汚い罵り言葉である。本気で怒っている時はこれの比ではないのが、何とも言い難いのだが。
アキラは育ちのよいおぼっちゃまな外見とは裏腹に、非常に口が悪い。彼を王子様だとか、上品で格好よい貴公子だとか、勝手に思い
込んでいる女性が聞いたら卒倒するような、冷酷無比で残忍で苛烈な罵詈雑言を口にすることがある。
(うわぁ……オレ、聞かなかったことにしよう…)
アキラの一面をよくよく理解しているヒカルでも、思わずそう心に誓ったほど先刻の彼の台詞はきつかった。あれで意外と繊細な緒方が
もし聞いたら、世を儚んで世捨て人になりかねない。
「煙草の不始末は火事の一端になるっていうのに………役立たずの眼鏡中年が……!」
ぶつぶつと呟く言葉が耳に入ってきても、ヒカルは敢えて突っ込まなかった。理由は簡単である。火事の現場を見た瞬間、似たようなこ
とをヒカルもちょっぴり(というよりしっかりと)考えてしまっていたからだ。
縄を切ろうと悪戦苦闘している最中にも、火は勢いを増し、ヒカルとアキラの足元にも迫ってくる。
「進藤!暖炉の中に入ろう」
幸いにもアキラの言葉通り、隠し扉の暖炉にはまだ火が回っていなかった。ヒカルは頷くと、一旦手を止めてナイフの刃をしまう。二人は
息を合わせ、拘束されていない足を使って暖炉まで椅子ごと移動した。ガタガタと音が派手に立ったが、非常事態では細かいことに構って
いられない。暖炉は大きく、欧米人に比べると小柄な日本人の細身の少年が二人入る程度の広さは十分にある。それにしても火を逃れる
為に入る場所が、本来火を起こす場所である暖炉とは随分皮肉なものだ。
ヒカルは再び作業を再開したが、縄は強情で中々切れてくれない。火の海と化した部屋の熱さがひしひしと伝わってくる。上昇した気温
による汗と、焦りによる汗もあってナイフを握る手が滑り、思うようにいかない。焦燥にかられながらも作業に没頭するヒカルの背後では、
アキラが足を伸ばして隠し扉のスイッチをまさぐって入れる。予想した通り全く反応しなかった。自分達を閉じ込めているのだから、扉を開
かないようにしているのは当然だと分かっていても、当たり前だと納得していてもやはり歯痒い。
中々切れない縄に痺れを切らしながら、ヒカルは呻くように呟いた。
「チクショウ…!こんなところで塔矢と心中なんて絶対したくねぇのに!」
「ふざけるなっ!進藤!キミはボクを愛していないのか!?」
決して大きな声ではなかったというのに、アキラは聞き逃さなかったらしい。すかさず抗議してくる。
「バカ野郎!愛してるから心中なんて御免なんだよ!!」
思わず怒鳴り返してから、ヒカルは一気に我に返った。
(ひえぇぇぇぇ〜!ヤバイ!こんな時に……オレってマヌケ……)
恥ずかしさといたたまれなさに、項まで朱を散らして恐る恐る後ろを窺う。気温の上昇よりも羞恥で身体が熱く、恥ずかしくて堪らない。
「進藤……!」
案の定、アキラは喜びと感動に声を震わせ、感激に浸っていた。腕が拘束されていなければ、間違いなくこの場でヒカルを押し倒し、たっ
ぷりと溢れる愛を注いでくれていたに違いない。この時ほど、アキラの腕が縛られていて良かったと、思ったことはない。
ヒカルは熱さのためでなく顔を真っ赤にしたまま、これ以上アキラを刺激しないように口を開かず手を動かし続ける。今までの努力が実り、
縄は大方切れた。あと少しで拘束を解くことができるだろう。内心ヒカルがほっと胸を撫で下ろしていると、暖炉の裏側で何やら物音が聞こ
えた。耳を澄まして様子を窺うまでもなく、隠し扉が軋みながら開く。
「うるさいぞ!ガキ共!」
「おい!何を騒いでいやがる!」
「いい加減にしないと―――!?」
詰問しながら中に入ってきた兵士達は、部屋の惨状を見て一瞬絶句した。
「……な、なんじゃこりゃー!」
「か、か、か、火事だっ!!」
彼らの叫びは、残念ながら回転扉が回って反対側が閉まったことで、仲間には伝わらなかった。今から消そうにも、既に部屋中が炎に
包まれて収拾がつかない状態になっている。外から応援を呼んで消火するしかないだろう。
暖炉と一緒に現れた二人の姿に、兵士の殆どが束の間硬直したが、すぐに銃を構えて引き金をひく。相手が行動する直前にアキラは
素早くスイッチを蹴って扉を動かし、二人は暖炉の縁を防弾壁代わりにして、銃弾のシャワーを間一髪逃れることができた。
暖炉が回転して隠し部屋から戻った兵士は、すすだらけの顔で緊急事態を仲間に知らせる。その頃には扉の隙間から煙がもれ始め、
彼らは否応なく慌て始めた。報告だけでなく裏付けとなる煙まで漂っているのだ。兵たちの動きは俄かに慌しくなる。消火器を出す者、応
援を呼びにいく者と、急速に兵士達の行動は活発化した。
「可愛い顔して、火をつけるとは悪魔みたいなガキ共だな」
「全くなんて凶暴な奴らだ!」
「カタストロフィを引き起こす二人組という噂があるそうだが、まさにその噂通りじゃないかっ!」
それぞれの役割を果たそうとする彼らの口からは、呆れたように苦言めいた言葉が零れる。二人のこれまでの奮闘(悪行)により被害
を被った者達の、哀切に満ちた報告書を読んだ偏った知識によるものとはいえ、彼らの台詞をアキラとヒカルがもし聞いていたら甚だ不
本意だと憤慨することだろう。破滅的大災害と日本語に直訳できるような、恐ろしげなコンビだと勝手に噂される乱暴狼藉を働いた記憶
はない。飛んでくる火の粉を少々手荒く払っただけのことで、拡大解釈されるのも迷惑な話だ。
一方、再び火の海に戻ってしまう結果となった自称『善良な小市民』の二人は、懲りもせずに痴話喧嘩をやらかしていた。
「やれやれ……前門の虎後門の狼だな」
「この状況をなに冷静に説明してんだよ!バカ塔矢!!」
「本当のことじゃないか!」
すかさずアキラは怒鳴り返す。事実を指摘しただけのことで怒りを向けられるなんて不本意だ。
「あーもう!うるせぇ!」
ヒカルが喚くと同時に縄がプツリと解ける。周囲の状況と暑さで苛々していたというのに、縄が解けたことで急速に冷静さを取り戻した。
腕が動かせるようになると身体もすぐに解放させることができて、二人はやっとのことで椅子から自由の身となる。
「……とにかくこの部屋から脱出しよう。こんな所で蒸し焼きになるなのはボクも御免だからね」
「オレだってお断りだ。けどな塔矢、武器がないと出たところで戦えねぇぞ」
この部屋の中にあった武器になりそうな物は予め確認しておいたが、既に周囲は炎で埋め尽くされ、今更取りに行くこともできない。
避難した暖炉の中には火かき棒の一本すら見当たらなかったこともあり、文字通り二人は丸腰だった。
だがアキラは平然としたもので、腰を屈めてこれまで自分達を拘束していた縄を足元から拾っていた。
縄はヒカルが切るのに相当梃子摺っただけにかなり頑丈な作りになっており、幸いにも長さは必要な分だけある。握った感触を確かめ
て一人納得したように頷いたアキラは、途方に暮れたような顔をするヒカルに声をかけた。
「武器ならここにあるよ。進藤」
軽くて強靭な縄を引っ張ってピシリと小気味のいい音をさせると、艶やかにアキラは微笑んだ。