日が昇り始めるよりも少し早めに出発し、辺りが明るくなって見通しがよくなる頃には、二人は『緑の森』の成れの果てともいえる場所に入れ 
る位置にまで着ていた。太陽は中空にまで上り、風景とは裏腹な明るい光を投げかけている。それだけに立ち枯れた数多の木々の間を吹き
 
抜ける風は気温とは裏腹に一層寒々しいほで、この荒れ果てた光景の前には涸れたオアシスの廃墟など生易しい。
 
 元『緑の森』の中を西に向かってバイクを走らせながら、ヒカルは一人ごちた。
 
「何か……今までの風景が妙に暗示的で気になるんだよな」
 
 一旦バイクを停めたアキラが下に残るタイヤの跡を確かめ、ヒカルへと視線を移して眼で問いかけてくる。
 
「涸れた湖、捨てられたオアシスの町、枯れた森だろ?それに地下墓地とかさ……どうも変な感じがするんだよ」
 
「……湖は元から涸れていたかもしれないが、オアシスと森は当時はあった筈だよ?」
 
「それがよく分からないんだよなー……」
 
 ヒカルは納得ができないように低く呟き、干からびた森へ視線を投じる。残された言葉と風景の奥に深い意味があるのか、何かを示している
 
のか、魔鏡を作った人物の隠された意図があるように思えてならなかった。
 
 これまでに見た数々の光景が、何某かの答えを既に出しているのかもしれない。
 
 枯れた森を抜けた先には、洞窟を神殿に変えたと思しき洞穴があった。
 
 洞穴の入口の左右には巨大な石の柱が立てられ、その周囲には幾つものバイクやジープと、彼らが連れてきた馬が二頭繋がれていた。
 
 音で気付かれる恐れのあるバイクは森に隠し、薄闇が迫る中、二人は徒歩で残りの距離を詰めてきた。休まずに走り続けたにも関わらず時
 
間は既に夕刻で、柱が夕日に照らされて真っ赤に染まっている。
 
 やはりバイクを隠したのは正解だったようで、柱の影や洞窟の入口付近には、多くの兵士が立って見張りをしている。巡回兵をこっそり観察
 
して、二人は薄闇に紛れて洞穴近くの岩場に身を隠す。繋がれた馬には、略奪品の金銀や宝石類が積まれており、アキラもヒカルも不快げ
 
に眉を顰めた。森に訪れる夜は早く、周囲は夕闇が迫り始め、辺りも薄暗くなってきている。これならば闇に乗じて中に入ることもできるだろう。
 
 アキラが小さな石を拾ったのを見たヒカルはすぐにその意図に気付いた。岩の陰から兵士の様子を窺い、アキラに目配せすると、見事な投
 
球で二人がいる岩場とは正反対の方向で石のぶつかる音が響く。不安定な場所に当たったのか、お誂え向きに岩が転がり落ちる音も谺した。
 
 数人の兵士が異変に気付き、原因を突き止めるために音がした方向に向かって走り出す。その間に、二人は洞穴内への侵入を果たした。
 
 中は単純な構造だが意外に広い空間が開けていた。洞穴の壁は荒削りで殆ど人の手は加えられていないように見えるが、何かを収めてい
 
たのか小さな横穴がある。壁際には石像が並んでいたようだったが、その殆どが倒れ、壊されていた。岩場に寄りかかるようにして倒れている
 
像の傍には載っていた思しき台座がある。その陰に身を隠し、二人は中の様子を窺った。
 
 内部は円形の広場で、天井はアーチ状になっている。入口から見て一番奥に一際大きな石像が立っているが、真ん中から左右に割れて、
 
その間に洞窟らしきものが見えた。洞穴に続く階段が十段ほどあるのだが、そこだけが他の床の色と異なっている。
 
 鮮やかな赤と、黒ずんだ色合いが混じり合った色合いの意味する、禍々しい理由は考えるまでもない。
 
 美しく彩色の施された石畳の床の中央、この神殿らしき場所の中心となる場所に、青い星が描かれていた。ここからは見えないが、そこには
 
恐らく魔鏡が填められているのだろう。『偉大なる青き星』と二つに分かれた魔鏡――『二つの月』を填めた結果、石像が二つに分かれ、洞穴
 
とそこへ続く階段が現れた、といった具合だろうか。実際にその場に居たわけではないが、何となく察しはつく。
 
 階段の最上段の踊り場は毒々しい赤に染まり、下にも滴って不吉な絨毯を作っていた。自分達が着くまでに何度も試練を試したのだろう。
 
 乾いていない様子からして、犠牲者が命を落としてさして時間は経っていない。
 
 人間の命を彼らは物か何かと勘違いしているとしか思えなかった。この冷酷さに吐き気がする。後に起こる太平洋戦争で、日本軍が各地で
 
行った大量虐殺の先駆けともいえる光景は、見るだけで不快感が募った。二人が悔しさに唇を噛み締めながら倉田と緒方の姿を探すと、階段
 
から少し離れた石像に彼らは縛られ、軍人から尋問を受けているようだった。
 
 アキラとヒカルは音を立てないように移動し、声が聞こえる範囲に近付いて様子を窺った。
 
「……だからぁ、オレ達にも分からないんですよ。座間少佐」
 
「アキラ君と進藤なら知っているかも知れんがね。ナチスが捕まえていては来れないだろうさ」
 
「フン…安心しろ、奴らなら逃げ出したそうだ。要塞を一つ木っ端微塵にしてな。無線連絡があった時の、ゲルマン人の顔は中々見物だったぜ」
 
 倉田と緒方の言葉に、座間と呼ばれた巨漢は口元を皮肉げな笑いに歪めて鼻を鳴らした。座間は彼らの眼の前で懐からゆっくりと銃を取り
 
出し、見せびらかすように手の中で弄ぶと、眼の前に突きつけてくる。
 
 冷汗を流して銃口を見つめていた緒方と倉田は、突然見当違いの方向に発砲した座間を茫然と見上げた。
 
「……ではおまえさん達がお待ちかねのガキ二人に、ご登場願うとするか」
 
 煙をたなびかせている銃を再び倉田と緒方に向け、座間は軽く顎をしゃくる。
 
「そこにいるのは分かってんだぜ?大事な人生の先輩二人を眼の前で殺されたくなかったら、隠れてないで出てこい」
 
 緒方と倉田にはまるで関係ない方向に撃ったように見えたのだが、座間が銃撃した石像の台座の裏から、ヒカルとアキラが立ち上がった。
 
 その場所には、紛れもなく二人は潜んでいたのである。恐らくここに来ると予め予測していたのだろう。最初から彼らをこの場に誘い込むつも
 
りだったのだ。つまり緒方と倉田は、ヒカルとアキラを呼び寄せる餌として使われたというわけである。観念したように出てきた二人を満足気に
 
眺め、部下に命じて倉田と緒方の拘束を解かせる。全員を銃で脅しながら一箇所に纏めると、座間は四人の顔を順繰りに眺めた。
 
「さて、おまえ達はこいつらの知らない答えを知っているらしいな」
 
 ヒカルもアキラも押し黙ったまま答えないが、構わずに続ける。
 
「そこで、情報通のおまえらのどちらかに、聖杯を取りに行って貰うことにする」
 
 座間は二人の少年の顔を覗き込んだ。どちらも負けん気が強く生意気そうな顔をして、臆せず睨み返してくる。下手な脅しに屈して、あっさりと
 
言うことをきくタイプではない。それならばそれで、他の方法を使えばいいだけの話だが。
 
「 二人一緒というわけにはいかねぇからなぁ……」
 
 わざと迷うような素振りをみせている座間に何かを感じたのか、緒方と倉田が少年達を護るように距離を詰めた。だが二人の行動よりも一瞬早
 
く、座間はにやりと笑って徐に引き金を引く。
 
「――塔矢ーっ!!」
 
 たて続けに怒った銃声に、ヒカルの悲鳴のような絶叫が重なった。
 
 大きくぐらりと傾いだアキラに向かって、ヒカルが咄嗟に伸ばした手は届かなかった。少年の身体は数人の兵士に取り押さえられ、地面に引き
 
倒されたままその場から動けずに、闇雲に暴れることしかできない。
 
 腹部から鮮血を流して跪くアキラを倉田が支え、緒方が怒りに満ちた瞳を座間に向ける。
 
「こんな子供に何て真似を……」
 
「聖杯の力があれば大丈夫さ。不老不死になれるんだ、そんな傷もすぐに治るだろうよ」
 
 悪びれた風もなく答えて座間は嘲るように笑うと、血で染まった腹部を押さえながら、自分を睨みつけてくる少年を見下ろした。
 
 浅く呼吸をつき、髪の隙間から睨んでくる瞳の力強さに、一瞬背筋に寒気が走る。子供だからといって甘くみれる相手ではない。むしろ、この凄
 
まじいまでの意志の強さはどうだろう。死ぬかもしれないという極限状況の中で尚、この少年の心は折れることなく立っているのだ。
 
 僅かに気後れしてしまった自分を誤魔化すように、座間は銃をちらつかせながらヒカルへと視線を移す。数人の軍人に押さえつけられながら
 
も、ヒカルはアキラの元へ行こうと必死になってもがいていた。
 
 部下にヒカルを立たせるように命じ、腕を振り解こうと暴れている子供の眼の前で、アキラの漆黒の髪に銃口押し当てる。
 
 ピタリと動きを止めた少年の態度に薄笑いを浮かべると、言い聞かせるように話しかけた。
 
「まだ若いからな、貫通したといっても恐らくあと一時間以上は持つだろう。おまえの大事なお友達を見殺しにしたくなかったら、聖杯をここまで
 
持ってこい。騙そうなんてするなよ?その時は……分かっているな?」
 
 前髪が金色という奇妙な髪型をした少年は、その髪と同じ虎もかくやという憤怒の瞳で睨んでくる。アキラを撃った瞬間は泣き出しそうな顔をし
 
ていたくせに、今は必死に怒りを堪えて自分を押さえているようだ。子供とはいっても、全くの考えなしの愚か者ではないと分かっている。
 
 座間が撃った塔矢アキラはこの分野では天才と誉れ高い存在で、その片腕となっているからには、彼も普通の少年ではない。大体からして、
 
ただの少年二人がドイツ軍の要塞を木っ端微塵にできるはずがないのだ。
 
 苦しげに息をつくアキラを砂色の瞳で見つめると、悔しげに唇を噛んでヒカルは小さくこくりと頷いた。
 
「分かった……取ってくる」
 
 ヒカルの言葉に座間は満足気に笑う。この返事を聞くために、わざわざ弾を一発無駄にしたのだ。
 
 命令で素直に言うことを聞く奴らではないから、わざと急所を外して時間を稼ぎ、取りに行かせるように仕向けたのである。
 
 人一人の命が関われば無視はできない。相手が恋人ならば尚更だ。座間はヒカルとアキラの関係を、諜報部からの情報で既に知っている。
 
 だから、最初からどちらかを撃つつもりだった。アキラを選んだのは、単なる気紛れに過ぎない。
 
「…進藤……ダメだ…!」
 
「おまえは黙ってろっ!!」
 
 弱々しく首を振って、思い留まらせようとするアキラを一喝し、ヒカルは座間に向き直る。
 
「塔矢と話がしたい。構わねぇよな?」
 
「いいだろう。……これが今生の別れになるかもしれんしな」
 
 座間がアキラから数歩離れて、銃を振って部下に合図をした。身体にかかる力が消えるか消えないかというほどで、ヒカルはアキラの元へ
 
走って傍に座り込む。彼の顔色は青褪め、額には脂汗が浮かび、呼吸も早い。
 
「待ってろ。必ず戻ってくるからな」
 
 額に張り付いた髪をそっと払い、頬を両の掌で挟んで噛んで含めるように言い聞かせ、しっかりと手を握る。
 
「緒方先生、倉田さん。塔矢を頼むよ」
 
「ああ」
 
 腹部に受けた銃創に止血用の布を充て、楽な姿勢をとらせる二人に声をかけると、ヒカルは再びアキラに眼を戻した。視線を合わせてゆっく
 
りと唇を重ねる。自分を見つめてくる黒い瞳に頷き返し、ヒカルは立ち上がって歩き始めた。本心ではアキラの傍を離れたくない。だが、眼の前
 
で彼が死んでいくのを何もできずに見つめ続けるのはもっと嫌だ。
 
 アキラが殺されずにすむのなら、生き残ることができるなら、僅かな可能性に賭けるしかない。聖杯の力によってそれを行わなければならな
 
いというのは不本意だが、背に腹は変えられない。綺麗事や理想論、建前を言っていられる状況ではないのだ。
 
 ヒカルは階段に足をかけ、血溜まりを避けるように上っていく。
 
 階段を一段一段慎重に上る少年の小さな背中に、座間は念を押すように声をかけた。
 
「さあ、取ってこい!聖杯を!」
 
 最上段に足をかけたヒカルはその声に振り返ると、座間を殺気の篭もった眼で見返し、睨み据えた。 
「塔矢の傷が治ったら……まずてめぇをぶちのめしてやる」
 
 常にない低い声は、憤怒に満ちた虎の獰猛な唸りそのものだった。それだけに、ヒカルの怒りの激しさが伝わり、子供とは思えない気概に足
 
が竦む者すらいた。怒鳴るでなく喚くでもなく、ひどく静かに告げただけにも関わらず、歳若く瑞々しさに満ちた少年の声は洞窟内に反響して、
 
異様に重く伸し掛かってくる。
 
 ヒカルの見張りのために後ろについた何人もの兵士が、知らず息を呑んで立ち竦むような、凄まじい威圧を感じるほどに。
 

 第一の関門は、魔鏡の通りに頭を素早く下げたことによって、すぐに回避できた。アキラの翻訳通りに、敬意を表すように頭を下げるのが
 
正解だったらしい。ほっと安心したところで、自分が通った罠がどんなものだったのかと振り返ってみると、背筋が凍った。
 
 巨大な斧が幾つも岩壁に深く突き刺さり、回転式の刃が通路を半ば塞ぐように水平に飛び出している。一瞬でも判断を誤って遅れたりしたら、
 
身体を切り刻まれて確実に死んでいたに違いない。罠は通ったら発動を止めるようで動く気配はないが、そこにある鋭い刃を見るだけで落ち着
 
かない気分にさせられる。ヒカルは細い息を吐いてそのまま歩き、光の差し込む洞穴の出口に踏み出そうとした。だがその瞬間、素早く壁の窪
 
みに手をかけて身を支え、一歩後退する。窪みを掴んだまま身体を前にして覗くと、出口のすぐ先は奈落の谷であった。
 
 あと少し気付くのが遅ければ、ヒカルは足を踏み外して崖から谷底に転落していただろう。ヒカルには、これは谷というよりも地割れにしか見
 
えない。表現こそ谷としているが、先の見えない暗い闇の地底からひんやりとした冷たい風が吹いてくる。
 
 どちらにせよ、恐らくここが第二の関門なのだ。
 
 『まず神に敬意を表せ。そして勇気を奮い、神の谷に身を投じる強き愛を示せ。即ち祈りを捧げよ。次に己が力を示すがいい。さすれば、一度
 
は神の長き愛を受け、二度は永遠に神の愛を得られるだろう』
 
 アキラを救うためには、あの言葉の意味をよく考え、ここを攻略して前に進まなければならない。
 
(……塔矢………)
 
 真っ青な顔色で苦しげな息をしていたアキラを想い、ヒカルは唇を噛み締め、しっかりと前方を見据えた。
 
「勇気を奮い、神の谷に身を投じる強き愛を示せ………即ち祈りを捧げよ。……進藤、跪け……」
 
 か細く呟くアキラの声を聞く者は、一人としていなかった。だがまるでその言葉に呼応するように、ヒカルは谷の縁に跪き、神への祈りを捧げ
 
るように頭を垂れる。すると、ヒカルの眼下に広がる割れ目の岩壁に、小さく描かれた印が眼に入った。魔鏡に映っていた印が。
 
 これらの印は前に進むために、何らかの行動を促すものだ。押したり、引いたりといった行為を。
 
 バランスを崩さないように慎重に、ヒカルは印に触れる。高所恐怖症だったら、この場で卒倒してもおかしくないような光景が、真下に見える。
 
 吸い込まれそうな奈落の谷が。狭い場所では僅かにバランスを崩すだけで、一巻の終わりである。少し力を込めると、印はあっさりと押せた。
 
 発条と鎖の音がして、岩壁しかないはずの空間から跳橋が下りてくる。谷の対岸とヒカルのいる場所を結ぶと鎖は止まり、その先には更に
 
洞穴があった。ヒカルの立つ位置からでは対岸の穴は橋で隠され、跳ね橋の裏側は鏡になっている。そのため鏡に映る風景に橋がカモフラ
 
ージュされて、橋があることも分からず、確認できないのだ。手品でも使っている簡単なトリックだが、使用方法は絶妙としか言い様がなかっ
 
た。対岸がほんの数メートル先ならばトリックに気付くかもしれないが、距離が十メートル以上ともなると視認するのは難しく、また助走なしに
 
飛び越えることもできない。例えヒントを理解したとしても、魔鏡の二重三重の仕掛けに気付かなければ、ここで殆どの者が命を落とす。
 
 アキラの言う通り、洞窟の仕掛けや魔鏡を作った聖杯の作成者は、相当に捻くれ者らしい。だが、それでいて一つの試練を無事に乗り越えた
 
者を、ないがしろにするような真似もしない。次の関門まで余計な手出しを一切しないからだ。現に、最初を抜けた後は次まで罠はなかった。
 
 ヒカルは息を大きく吸い込むと、躊躇せずに狭い橋に足を踏み入れて対岸に渡った。ヒカルの後を見張り役の兵士達がぞろぞろと着いてきて
 
も、一切気にならない。ヒカルが考えているのはアキラの命を救うことだけだ。
 
 穴を通り抜けると、そこは円形の広場であった。剥き出しの岩壁には幾つかの剣が掛けられ、まるで闘技場のような雰囲気がある。いや、恐ら
 
くそれそのものなのだ。ここは戦って自らの力を示す場なのである。
 
(己が力を示せ……最後は真っ向勝負か。のぞむところだぜ)
 
 ヒカルは口元に不敵な笑みを浮かべると、周囲を見回した。壁にある武器は斧や槍、剣など様々な武器類が揃っている。だがアキラが得意と
 
する鞭は見当たらない。
 
(ここで使える武器は剣だな。塔矢じゃなくてオレで良かったかも……)
 
 アキラは鞭の扱いと体術を駆使する肉弾戦は得手だが、接近戦でも剣の扱いは決して上手いとはいえない。ヒカル以外の者ならそうは思わ
 
なくとも、これから相手にする人物も同じように感じるとは保障できないだろう。そんなヒカルに応えるように、円形の広場の奥の壁が動き、そこ
 
から一人の人物が現れた。ここでも鏡のトリックが使われており、彼の出てきた壁も鏡面になっている。一見すると行き止まりにしか見えない。
 
「ひゃっひゃっひゃ……何十年ぶりの客かの?おまえさんのような子供がここに何用じゃ?」
 
「悪いけど…のんびり事情を説明する時間はないんだよ、爺ちゃん。大切な奴の命がかかってるんでね」
 
 老人はヒカルを一瞥すると、揺るぎない意志の篭もった瞳を見て、ふむと小さく頷きながらくしゃりと笑う。
 
 まだまだ若いが、中々に気骨の有りそうな子供である。後ろのお目付け役らしき一団よりも、遥かに芯が強い。
 
 一目で気に入りはしたものの、聖杯の管理人として私情を挟むわけにはいかない。どんな事情があるにせよ、あんな子供を聖杯の持つ宿命
 
に巻き込むのは酷というものだ。せいぜい十八歳になるかどうかという歳で、運命を選択するなど哀れですらある。
 
 ならば、一思いにこの場で人生を終えたほうが彼にとっては幸せなのかもしれない。勿論、それを決めるのは自分ではなく目の前の少年だ。
 
 自らの選択で決めるのならば、誰が止めようと同じなのだから。
 
「――では、力を示して貰おうぞ。方法は武器を使っての決闘じゃ。小僧……おまえは後ろの連中の代表じゃな?おまえが勝てば、全員奥に
 
向かうことを許可してやろう」
 
「代表ってほどいいもんじゃねぇけどな。オレは得物持ってないけど…そこの剣とか使っていいの?」
 
 少年は肩を竦めると、壁に掛けてある剣を指差した。彼の言葉と態度からして、決して本意で来たわけでなく無理矢理来させられたような感が
 
ある。だが、それでも試練を乗り越えてここまで辿り着いた点からみても、歳の割るには物怖じせず、肝も座って度胸がいいようだ。
 
(益々気に入ったわい)
 
 老人はにやりと笑うと、壁に掛かった剣の中でも特別な品を取って、少年に鞘ごと投げ寄越す。聖杯の護人として、腕の立つ剣士にのみ渡す
 
剣だ。子供には過ぎた物に見えるが、彼は中々の腕前だろう。
 
「スゲェ剣だなぁ……コレ」
 
 剣を難なく受け取り、鞘を抜き放った少年が感嘆の吐息を零した。刃は燦然と輝き、波状文様がくっきりと浮き出している。
 
 稀代の名工が作ったと思しき逸品だ。
 
「爺ちゃん……本当にいいの?」
 
 こんな見事な品を使っても良いのかと、ヒカルは歳相応の愛らしい仕草で小首を傾げ、老人に思わず問いかける。
 
「構わん。どうせ今は持主が使おうともせんで、ほったらかしにしておる剣じゃ。さあ、無駄話は終わりにして、来るがよい。力を示して貰おうか。
 
他の者は手出し無用ぞ」
 
 老人の底冷えするような殺気に満ちた声に釘を刺され、ヒカルの背後から機会を窺っていた兵士達は一様に射竦められ、金縛りにあったよう
 
に動きを止めた。そのまま固唾を飲み、剣を構えた二人の様子を壁際に寄って見入る。
 先に仕掛けたのはヒカルだった。
 



                                                Treasure[Treasure[Treasure[Treasure[Treasure[   Treasure]Treasure]Treasure]Treasure]Treasure]