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 棋聖は最強であるが故に、いつも独りだった。彼の魂は千年の間孤独であり続けた。 
 棋士として、対等な存在が居ない孤独。人として、魂を寄り添わせることのできない孤独。
 
 魂のみの棋聖に唯一残されたのは、神の一手を追い求める事だけ。碁盤の中で眠りにつき、ただひたすらそれを思いながら声を聞く者
 
の到来を待つ。そんな棋聖の孤独な世界は、余りにも唐突に終焉を迎えた。
 
 彼が全身全霊、全てを込めて愛した少年との出会いによって。
 
 棋聖は当初、少年と出会わせた神の意図を図りかねていた。少年は余りに自由奔放で我侭で自分勝手で、現代っ子の計算高さと強
 
かさを併せ持ち、愛くるしい外見とは裏腹に付き合いにくい部類に入る、と思われる人物だった。
 
 棋聖と出会った頃は、少年は囲碁に全く興味のない子供であった。石を握ったことはおろか、ルールは勿論、碁盤の星や碁笥のこと
 
も当然の如く知らない。囲碁という単語を知っているだけで、他は何一つ知識がなかった。
 
 初心者も初心者。人間で例えるなら、少年は生まれたての赤ん坊も同然の状態だったのである。最初は不安だらけで、棋聖は何故
 
自分がこの少年に引き寄せられ出会ったのか、不思議でならなかった。少年が少しずつ目覚めるに従い、棋聖は彼の底知れぬ才能
 
に気付き始めた。その才を開花させることに喜びを見出し、少年と過ごす日々の充実感と楽しさに心を奪われていった。
 
 真っ白で純粋無垢な才能…何も描かれていない無地のキャンパス、原石のままの宝石。
 
 眼の前に現れた少年は、まさにそれそのものだった。
 
 どんな風に彩を与え、美しく華やかな強さを持つ作品に仕上げていくか。どのように研磨し、気高く輝く宝石にするか。究極の、或いは
 
至高の芸術作品を、自らの手で作り上げる……育てる側にとって、それは堪らないような歓喜。少年は棋聖の与えるものはすぐに吸収
 
し、自らの糧として成長した。その速度には棋聖でも時折脅威を感じたが、彼にとってはそれすらも喜びの一つであった。
 
 棋聖にとって、少年は可愛らしい弟であり、目が離せない息子であり、楽しい友人であり、最も身近な親友ともいえた。
 
 友愛、家族愛、師弟愛を含むような複雑な愛情。だがとてつもなく純粋で気高く無垢な愛。
 
 血の繋がりはなくとも、彼にとって少年は家族以上に大切だった。何よりも近い他人。棋聖自身の存在意義。
 
 我侭で自由奔放、自分勝手。だが少年はとても素直で、信じられないほどあっさりと棋聖を受け入れ、いつのまにか彼にすっかり懐き、
 
子猫が親猫に甘えるように、無条件に信頼を寄せてきた。棋聖が少年の信頼に応え、深い愛情を注ぐのが日常になるのにさして時間は
 
かからなかった。大いなる意思の思惑通りに。
 
 全面的に棋聖を受け入れ、その才能を惜しげもなく晒した神の寵児。
 
 棋聖は愛しい小さな金色の虎の子供を見守り、進化を促し育てるのに全身全霊を注いで、いつしか夢中になっていた。
 
 少年に愛情を傾けることで、いつしか棋聖は孤独からも解放され、その魂は昇華へと向かっていたのである。
 
 千年の孤独すらも忘れた。ほんの三年足らずの日々は、彼にとって一番輝いた日々であった。
 
 いつまでもこの日々が続くと、知らず知らず思い込んでしまう程に。保証などどこにもないというのに。
 
 いや、彼は瞳を逸らしていたかったのだ。愛し子を、自らの存在の昇華によって深遠なる奈落に叩き落す役目もあったことを。
 

 春……三月になると、ヒカルの新入段の免状授与式が近付いてくる。この頃から別れは刻一刻と迫っていた。
 
 出会った時から、佐為との別れは必然として神によって用意されたことであったとしても、ヒカルは少しも考えることはなかった。
 
 ただ、無心に前へ突き進むことに夢中で。
 
 春は桜の季節だ。佐為の大好きな美しい桜。いや、彼は季節の草花、豊かな自然をこよなく愛し、ヒカルに色々なことを教えてくれた。
 
 少しずつ変わる日本の豊かな季節と風土、美しい自然。東京に住んではいても、ヒカルは佐為と一緒に自然の多い場所に出かけて行
 
っては、外で碁を打ったりすることも多々あった。佐為はそこで和歌を詠んでは聞かせたり、舞を披露して見せたり、花や草、季節に関
 
する逸話や物語を語っては、優しくヒカルを見守りその心と成長を育んでいた。
 
 囲碁を打って佐為が喜ぶのは当然だが、今よりも風土が豊かであった時代に暮らしていた佐為にとって、自然は身近なものであった
 
のだろう。彼の優しく美しい面差しから語られる一言一言、自然や囲碁に対する真摯な想い、それらは現代にあるヒカルの心に豊かな感
 
性をも植えつけていったのかもしれない。
 
 時には師として厳しく、家族のように口やかましく、ペットのように我侭に振る舞い、同時に、ヒカルに対する愛情と慈しみは、比類なかっ
 
たに違いない。弟や我が子の成長を見るように一喜一憂し、友人のように大切に想い、時には心配し、師としてヒカルの才能の開花を促
 
し、成長を見守った。佐為はヒカルを、大切に愛し慈しんでいた。恋愛でも、家族愛でもない、けれど何よりも深い愛情を注いだ。
 
 それは本当に純粋なる愛。ただただ、進藤ヒカルという一人の少年を、全身全霊をかけて愛した。別れが近付くに従って、彼はより一層
 
ヒカルに全てを捧げるようになった。自分の全てを与え、ヒカルの成長を促す糧となるように。
 
 だからこそ、ヒカルは佐為が大好きで、誰よりも身近な彼の存在を全面的に受け入れていた。
 
 優しくて、綺麗で、我侭で、最強の棋士である佐為。ヒカルは佐為と出かけるのが好きで、彼に色々なものを見せてやれるのが楽しかっ
 
た。最初は傘や自動販売機にとても驚き、電車に乗ったりするときだって彼はおっかなびっくりで。
 
 少しずつ現代に慣れていくに従って、佐為は自然が少なくなっていることに寂しさを感じているようだった。
 
 だからヒカルは、佐為に少しでも喜んで欲しくて、東京近郊で自然が豊かで綺麗な場所にはなるべく佐為を連れて行きたいと思った。
 
 大好きなラーメンを少し我慢して貯めても、おこずかいの範囲内では東京近郊が限界だったけれど、それでも佐為はとても喜んでいた。
 
 彼の喜びはヒカルにとっても嬉しいことだった。プロになったら少しは遠くに行ける。もっともっと佐為を喜ばせてやれる。勝ち続ければ、
 
いつかは海外にも赴くかもしれない。日本以外の外国の文化に触れたら、佐為はどんなに驚き、好奇心に瞳を輝かせ、喜んでくれるだろ
 
う。彼の衣装と外国の風景は、さぞやミスマッチに違いない。想像すると、何だか可笑しかった。
 
 春になって、いよいよ自分がプロの道を歩く自覚が出来始めると、ヒカルはそんな風に色々なことを密かに考えていた。
 
 未来に向かって、彼の胸は期待に膨らんでいた。ヒカルにとっての未来は、佐為と一緒にいることが当り前だったのだ。
 
 プロの道を進んでも、アキラと一緒に歩みながらも、きっと傍らには佐為が居ることを、彼は信じて疑っていなかった。
 
 いつか別れの時が来ようとは、考えもしなかったのだ。純粋に、ただ信じきっていた。一緒にいられると。
 
 佐為と共に居るのが余りにも自然だったから。どんなに常識外れであっても、ヒカルにはそれは極当り前のことだったから。
 
 ずっと、ずっと、一緒だと、何の保証もないのに、無条件に彼は思い込んでしまっていたのだ。
 
 かけがえのない棋聖との別れの時が訪れてもなお、現実を受け止め切れなかったほどに。
 

 今日は新入段免状授与式である。ヒカルはこの日から晴れてプロとして一歩を踏み出していく。
 
 美津子に見送られて玄関を出てから、横にいる佐為をヒカルはちらりと横目で見上げる。
 
 佐為はヒカルの姿をしげしげと眺めて、すぐににっこりと微笑んだ。
 
――とても可愛いですよ、ヒカル
 
(あのなぁ…)
 
 さっきまで散々美津子にスーツとネクタイが似合わないと言われたこともあって、ヒカルは頬を膨らませる。
 
――ほら、そんな顔しないで。折角の晴れ舞台なのですから
 
 にこにこと優しく綺麗に笑う佐為にそんな風に言われてしまうと、ヒカルもこれ以上は不満な顔をしていられない。確かに佐為の言う通り、
 
今日からヒカルはスタートするのだから。いつまでも不機嫌な顔を晒すわけにはいかなかった。
 
 会場に着いて和谷と少し喋り、アキラの話題が出るとヒカルはその差にひどく情けない気分に陥る。連勝賞に勝率第一位賞とは、アキ
 
ラの凄さを改めて実感させられた。本当にこれだと、新入段の自分なんてただのオマケだろう。
 
――オマケ?それがどうしました。去年は塔矢だってオマケとしてここに居たんでしょ。一局一局の積み重ねで、今の塔矢があるのです
 
「一局、一局……」
 
 自分自身にそれを刻むように囁くヒカルを見詰めて、佐為は笑顔で頷く。まずは初戦からだ、ヒカルは一歩ずつ進まねば。
 
 不意にヒカルが、何かに気付いたように会場の一角に瞳を向けた。そこから、佐為もよく見知った整った顔立ちの少年が歩いてくる。スー
 
ツのしっくりと似合う姿は、彼がヒカルよりもこの世界に溶け込んでいる証拠のように思える。
 
 姿勢よく颯爽と歩く塔矢アキラの瞳は、ヒカルを真っ直ぐに見据えていた。既にその黒い瞳には闘志が宿っている。
 
 ヒカルはアキラと会えて嬉しそうだった。あの雪の日と同じように、アキラが笑いかけてくれると信じて疑っていない。
 
 だが佐為には分かっていた。アキラはヒカルと眼が合った瞬間こそ少年の顔に戻ったが、ほんの一瞬でその表情を一変させ、勝負の世
 
界に身を置く棋士になっていた。アキラは一人の棋士として、ヒカルを迎え撃つ心構えでいる。
 
 ヒカルには、まだその心構えができていない。言わば甘ったれたままなのだ。その差が如実に現れた邂逅だった。
 
 アキラはヒカルを無視して通り過ぎた。話す気などないと、ヒカルの笑顔も声も切り捨てるように。
 
 棋士として語るのは、勝負の場で。だからこんな場所で、アキラはヒカルと話すつもりなど最初から毛頭なかったのだろう。
 
「……追いつくだけじゃない。追い越してやる。アノヤロー」
 
 自分を無視したアキラに、ヒカルは悔しさに歯を食いしばり、怒気も顕わに低く獰猛に唸るように呟いた。
 
 これまで見ることのなかったヒカルの激しい闘争心に、佐為は彼がこの小さな出来事からまた新たな糧を得たと理解した。
 
 ヒカルはまだ気付いていない。アキラは棋士として、あの鋭い瞳でヒカルに宣戦布告してきていた。ヒカルを意識しているからこそ、彼は
 
敢えて瞳すら合わせようとしなかったのだ。
 
 あの苛烈な眼は、まさに昇竜の瞳である。そしてヒカルは、今や虎の牙を剥こうとしている。
 
 ヒカルのプロ初戦はアキラだと、知ったのはその後だった。やはり、あの時の彼の眼は、ヒカルとの対局を既に視野に入れていたのだ。
 
 アキラにとっても、ヒカルにとっても、互いの真価を問う一局になるだろう。
 
 対等者は神の寵児の傍らに立つに相応しい存在か、そして対等者の認める存在に、神の寵児は成り得るのか。
 
 眠りから覚醒しようとしている竜と進化を続ける虎の直接対決は、ほんの間近まで迫っている。
 
 ヒカルとアキラの一局は、何とも楽しみなものになってきた。佐為は密かに笑みを浮かべ、感慨深げに息を吐く。
 
 ここまでの道程は決して平坦なものではなかった。囲碁の初心者だったヒカルが、出会いから僅か二年足らずでプロ試験に合格し、そ
 
してこれから本格的にプロの世界に足を踏み入れようとしている。それは子供の成長を見守ってきた親の心境にどこか似ていた。
 
 思えば、ヒカルの成長の早さを、佐為は今更ながら感心していた。自分がこれまで打ってきたどんな存在よりも、ヒカルの成長速度は早
 
く、それは成長というよりも進化と呼べるほどのものだった。教えたことは、乾ききった砂地が水を吸うようにいくらでもヒカルは吸収してい
 
く。囲碁以外においては覚えが悪い面があっても、碁を打つことに関しては異常なほどの記憶力、暗譜力、理解力、応用力を持っていた。
 
 また、勘もよく、素晴らしい閃きもあり、いざという時の度胸と勇気、闘争心もあった。
 
 そして何よりも、深く純粋に碁を愛している。碁打として、最も大切な才能である。囲碁を愛することは。
 
 佐為はヒカルを育てながら、彼の内に宿る才能が目覚めるのを間近で眺め、震えるような歓喜を覚えた。
 
 自分を脅かす才能に対する戦慄を感じると同時に、その才能を自らの手で育てる歓喜。いつしか、佐為にはヒカルの碁を伸ばす喜びが
 
心を占めるようになっていた。
 
 自らの手で、無垢なる神の寵児を育てる。純粋で真っ白な才能を伸ばし、様々な色彩を与えて美しく進化させる。
 
 桜のように可憐に、菖蒲のように清雅に、石楠花のようにつつましく、大輪の牡丹のように艶やかに、女郎花のように驕慢に、薔薇のよう
 
に華やかに、金木犀のように薫り高く、その才能の開花を促す。
 
 とうとうここまできたが、まだまだこれからだ。ヒカルの才は真っ白なキャンパスにデッサンと下地を塗られたばかりの状態で、完成に向
 
けてもっと様々な色を加えていかなければならない。宝石ならば基礎のカットを終え、同等の石との研磨を始めることになるだろう。多くの
 
棋士の才能と、何よりも塔矢アキラの才能との研磨によって、ヒカルはより一層輝くに違いない。
 
 ヒカルの才能はまさに底なし、或いは無限。まだ、今は佐為には勝てない。だがいつかは、自分を越えるだろう。
 
 佐為の大切な、何よりも愛しい子供。佐為が出会った至宝の光、至高の宝玉。
 
 けれど、佐為の与える愛と同様に、ヒカルは神にも愛されている、神の寵児だ。傍に居る佐為は、ヒカルが神の愛を受けてこの世に生を
 
受け、佐為が神の代わりにヒカルの成長を促すように遣わされたのだと、確信している。
 
 だからこそ、佐為は不安を駆り立てられる。ふとした時に焦燥が襲ってくる。神の手に、ヒカルを返さねばならない時が来るのではないか
 
と。それは即ち、ヒカルとの別れをも意味している。自分が手塩にかけて育てる愛し子の傍からの離れることを。
 
――ヒカルと離れたくない……ずっと一緒に居て見守りたい…
 
 それは佐為の祈りのような願いだ。ヒカルが死ぬまでずっと傍に居られたらいいと。だがそんな保証はどこにもない。
 
 いつまでもヒカルと共に居られるのかどうか、最近は特に不安が増す傾向にある。それに自分が傍に居ると、ヒカルは親離れできない
 
雛鳥のままで居るだろう。そんな事では厳しい世界を渡ることなどできはしないではないか。
 
 ならば、いつかは別れはくるのだろうか。けれど、ヒカルと離れたくない。もっともっと、ヒカルを育てたい。どこまで成長し高みへ上るの
 
か、見届けたい。アキラと切磋琢磨し、互いの才能でより輝きを増し進化していく姿を傍らで見守りたい。願いは既に祈りになっていた。
 

 四月四日、ヒカルのプロ初戦であり、アキラとの対局日が訪れた。ヒカルのすぐ傍らに座り、佐為は大切な少年の横顔をじっと見入っ
 
た。対局開始の時間が近付くに従って、先輩棋士の冴木にほぐしてもらった緊張が再び戻ってきたのか、ヒカルの唇が真一文字に引き
 
結ばれる。碁笥に手をやった細い腕も、小柄な身体も、小さく揺れている。
 
――ヒカル……
 
 囲碁部の三将戦の時にアキラが見せたように、ヒカルの手も小刻みに震えていた。碁笥の蓋が滑り落ち、掴み上げようとしたヒカルの
 
指の震えで盤面でカタカタと微かな音を立てる。
 
 恐れすらも抱く力を持つアキラとの対局を前に、ヒカルの身体は無意識に恐れと喜びを感じているのだ。
 
 佐為にとって、それはどれほど羨ましいことだろう。自分と対等以上の力を持つ相手との対局は、恐れよりも喜びを与えてくれる。互い
 
の力がいや増し、研磨され、新たな道を開拓していく、その歓喜。
 
 実力が拮抗した存在だからこそ、得られる多大なる糧。佐為には今後そんな機会は果たして訪れるのだろうか。
 
 最強であるが故の孤独を知る佐為にとって、ヒカルにとってのアキラ、アキラにとってのヒカルという存在は、喉から手が出るほどに欲
 
しい相手だった。同時に、二人の間柄が羨ましくもあり妬ましくもあった。
 
 胸元でぎゅっと拳を作るヒカルを見守りながら、佐為は心の奥で複雑な感情が渦巻くのを感じていた。
 
 一人、二人と席に着き、ほぼ全員が揃う時間になっても、アキラは現れない。不安そうな面持ちで、未だに空いたままの座布団と眺め、
 
入口と視線を行き来させるヒカルの耳に、対局開始のブザーが響いた。
 
 佐為も、ヒカルも、声もなく誰も座ることのない、正面を見詰めて息を呑む。一体アキラはどうしたのだろうか。彼に限って、遅刻をした
 
り対局をさぼるなど考えられもしないだけに、二人の不安は募る。もしかして、彼の身に何かあったのか。
 
 しばらく茫然と正面を眺めて微動だにしないヒカルに、棋院の職員が近付いて声をかけ、対局場の外に連れ出した。
 
「塔矢君は来ない」
 
「え!?」
 
「塔矢名人が倒れられて……救急車で病院に……」
 
――………!
 
 余りにも唐突な言葉に、佐為は声を失って立ち尽くした。
 
 孤独な最強者が、現世に戻って神の一手へ進む為に打ちたいと感じた相手。その者が喪われる可能性がある。最善の一手を求める
 
彼と棋聖は志を同じくする者。彼との対局で、何かが得られるかも知れないのに、それが叶わなくなる?
 
 佐為は無意識にヒカルに視線を向けた。神の意志に気付く先触れのように。自らの役目を畏れるように。
 
 この一瞬、砂時計は微かな動きを示し、凍りついた砂の流れを再び戻す準備を着々と進め始めた。
 
 本人の与り知らぬところで。情け容赦なく。
 
 別れの時は、迫りつつある。